小さなほころび――内部からのトラブル
誕生日の余韻が、完全に消えた翌朝。
領主館の執務室には、いつも通りの空気が戻ってきていた。
机の上には報告書。壁際には地図。外からは木槌の音と人の声。
フィリアは椅子に座り、小さく息を吐く。
「……うん。現実だね」
昨日までの“祝われるだけの日”は終わりだ。
今日からまた、領地は回り続ける。
ガルドが静かに書類を置いた。
「では、本日の報告を――と言いたいところだが」
その言い方で、フィリアは察した。
「……何か、あった?」
「大事ではありません。ただ――“内部”からの、少々厄介な話です」
■最初のトラブル:配置への不満
最初に上がってきたのは、人材再配置に関するものだった。
「薪班に回された若い木工見習いが、戻りたいと言っています」
「理由は?」
「『せっかく木工を学びに来たのに、斧ばかり振らされている』と」
フィリアは一瞬、考え込む。
「……気持ちは、分かるなぁ」
ガルドが頷く。
「ええ。ただ、今は薪が回らねば家も工房も止まります」
「強制はしてないんだよね?」
「面談の上で、期間限定と説明しています」
フィリアは小さく手を叩いた。
「じゃあ、“期限”をはっきりさせよう。あと二週間。建築が一段落したら、希望者は木工に戻れるって」
文官がメモを取る。
「“今だけ必要”って、ちゃんと伝えないと不安になるよね」
小さな不満は、放っておくと大きくなる。
今は、まだ“話せば済む段階”だ。
■二つ目のトラブル:倉庫の食料
次は、倉庫管理からの報告だった。
「銀光豆の一部が、予定より早く減っています」
「え?」
「配給とは別に、“余っているから”と持ち帰った者がいたようで」
フィリアの眉が、少しだけ下がる。
「盗んだ、わけじゃないんだね」
「はい。規則が曖昧だったため、“いいと思った”と」
ガルドが低く言う。
「善意でも、線は必要です」
フィリアは頷いた。
「じゃあ、ここはルール作りだね。配給分と備蓄分を明確に分ける。勝手に持ち出さない」
「罰は?」
「今回は注意だけ。次からは記録を残す」
“内部の緩み”は、信頼の証でもある。
だが、締めるところは締めなければならない。
■そして、最大のトラブル
「……で、一番の問題なのだが」
ガルドの声音が、わずかに重くなった。
「じいじが、何かした?」
即答だった。
ガルドは目を逸らした。
「……ええ」
フィリアは天井を見上げる。
「何をやらかしたの」
「原種区画の近くで、見学者に“少しだけなら”と畑を見せました」
「…………」
「しかも、“この辺が一番育ちがいい”などと」
フィリアは、しばらく無言だった。
そして、ぽつり。
「……おじいちゃん、悪気ないよね」
「ありません。誇らしかったのでしょう」
「でしょうねぇ……」
頭を抱えつつ、フィリアは立ち上がった。
「呼んで」
■じいじ、呼び出される
少しして現れたじいじは、どこか元気そうだった。
「おう、フィリア。どうした?」
「どうしたじゃない」
フィリアは、机を指で叩く。
「原種区画、見せた?」
「おお、少しだけじゃがな!皆、感心しておったぞ。わしの孫が――」
「そこ!!」
フィリアの声が、ぴしっと飛ぶ。
「“少しだけ”が、一番ダメなやつ!」
じいじはきょとんとした。
「……そうか?」
「そう!」
フィリアは腕を組む。
「今はね、“守る段階”なの。知られるのは名誉だけど、広がりすぎると危険も増える」
ガルドが補足する。
「今後は、見学は許可制です。じいじも例外ではありません」
じいじはしばらく黙り――頭を掻いた。
「……すまん。浮かれておった」
フィリアの表情が、少し緩む。
「分かってくれればいいよ。おじいちゃんの誇りは、ちゃんと分かってるから」
じいじは、照れたように笑った。
「……わしも、守る側になったということじゃな」
■小さな修正、小さな前進
その日の終わり。
フィリアは執務室で、一人、今日の報告をまとめていた。
大事件ではない。
致命的でもない。
だが――
「こういうの、増えてくんだろうな」
人が増え、価値が増え、注目が集まれば。
“内部”にも、必ず揺れが生じる。
フィリアはペンを置き、小さく笑った。
「……でも、今なら対処できる」
まだ、話が通じる。
まだ、修正が利く。
外からの圧力だけじゃない。
中を整えることも、領主の仕事。
そうしてフィリアは、静かに次の一日を迎える準備をする。
領地は、今日も――
少しずつ、前に進んでいた。




