誕生日の翌日、世界はまた動き出す
誕生日の翌朝は、驚くほど静かだった。
昨日まで広場にあふれていた笑い声も、飾り付けも、甘い匂いも消え、領地はいつもの朝の顔に戻っている。
職人たちは早くから動き、農地では鍬の音が規則正しく響いていた。
フィリアは執務机の前で、小さく伸びをした。
「……うん。戻ったね」
それは少し寂しくて、でも不思議と落ち着く感覚だった。
ガルドが書類を抱えて入ってくる。
「誕生日の余韻に浸る暇はなさそうですな」
「……うん。分かってる」
分かっている。
祝われるのは一日。
領地を動かすのは、毎日だ。
■ 原種管理地としての“現実”
最初に差し出されたのは、王都からの正式文書だった。
封緘使が内容を読み上げる。
「青天麦・銀光豆・蒼霧草――以上三種について、フィリア領を原種管理地として認定。
今後、種子・苗の移動はすべて王命または領主許可制とする――」
フィリアは机に肘をつき、頬に手を当てた。
「……はいはい、来ました来ました」
昨日はケーキ。
今日は管理責任。
落差がひどい。
「追加で、研究視察の申請が三件。貴族からの“友好訪問”が二件。
あと……これは断っていいと思いますが、“共同管理”の打診が一件」
「断って」
即答だった。
ガルドが苦笑する。
「でしょうな」
■ 予定だけは、きちんと立てる
フィリアは机に広げた領地図を指でなぞる。
「まだ動かさない。
でも、準備はする」
そこに書かれているのは、五つの植物の名前。
① 金露の木
② 青天麦
③ 銀光豆
④ 赤花コショウ
⑤ 蒼霧草
「まずは②と③。これは食べるもの。領地の土台」
文官が頷く。
「青天麦は雨に強い。未整備地でも育ちますし、銀光豆は保存性が高い」
「うん。“食べられる安心”がないと、人は落ち着かないから」
次に指が動く。
「その次が⑤。薬。人が増えた今、怪我や病気は避けられない」
封緘使が補足する。
「簡易薬でも、領民の不安は大きく減ります」
「で、④と①は……」
フィリアは少し間を置いた。
「まだ先。余裕が出てから。贅沢は、基盤ができてから」
ガルドはその判断に、静かに感心していた。
「焦らぬな」
「焦ると、壊れるの。もう知ってる」
■ 建築が終わるまで、動かない勇気
報告は続く。
・仮設住宅の恒久化工事
・倉庫の増設
・学校三拠点の基礎工事
・水路の補修
どれも進行中で、どれも人手が限界だった。
「……ね。今、これ以上新しいことを始めたら、歪む」
フィリアは小さな指で机を叩く。
「だから、待つ」
「待つ、ですか」
「うん。“ちゃんと回るのを確認するまで”」
文官が慎重に言う。
「ですが、外からの圧は……」
「知ってる。でもね」
フィリアは少しだけ笑った。
「建物ができて、配置が定着して、人が“自分の居場所”を見つけるまで――それが先」
ガルドは深く頷いた。
「……良い判断です」
■ フィリア、ぼやく
昼休み。
書類が一段落したところで、フィリアは椅子にもたれた。
「……ねぇ」
「どうなさいました?」
「昨日、私、三歳だったんだよ?」
「存じております」
「で、今日は原種管理地の責任者」
「そうですな」
フィリアは天井を見上げた。
「三歳児に何させてるんだ、この国……」
封緘使が咳払いをした。
「……国としても、少々反省しております」
「ほんとにね!」
でも、その声には怒りよりも、呆れと苦笑が混じっていた。
■ それでも、前へ
夕方。
フィリアは工事中の学校予定地を遠くから眺めていた。
木材の匂い。
土の音。
働く人の声。
「……大丈夫」
誰に言うでもなく、そう呟く。
誕生日は終わった。
現実は戻ってきた。
でもそれは、冷たいだけの現実じゃない。
ここには、
育てるものがあって、
守るものがあって、
待つ価値のある未来がある。
「よし」
小さく頷き、フィリアは踵を返した。
明日は、また明日の仕事がある。
世界は動く。
でも今は――
ちゃんと、呼吸を整える時間だ。




