守る者の物語
朝は、いつもと変わらずやって来た。
鐘が鳴り、門が開き、人が動き始める。
畑に出る者、工房へ向かう者、学校へ走る子どもたち。
誰も、世界が救われたとは思っていない。
誰も、自分たちが歴史の一部だとも考えていない。
ただ――
今日も壊れていない、それだけだ。
■裁かれなかった世界
記録室には、膨大な書類が積み上がっている。
収支報告。
人口推移。
教育水準。
医療稼働率。
治安指数。
どの数字も、安定していた。
反乱はない。
暴動もない。
不穏な動きは、すべて線の外で止まっている。
誰かが処罰された記録も、
誰かが切り捨てられた報告も、
残っていない。
(……誰も、悪くなかった)
フィリアは、書類を閉じた。
悪を裁いて平和を得たわけではない。
英雄が現れて救ったわけでもない。
ただ、
壊れないように、手を入れ続けただけ。
■守った結果、残ったもの
テラスから見える領地は、穏やかだった。
道は整い、
建物は補修され、
人の流れは自然だ。
子どもが笑い、
大人が働き、
老人が文句を言う。
(……全部、ある)
完璧ではない。
理想でもない。
それでも、
“崩れなかった”。
それがどれほど難しいかを、
フィリアは知っている。
■守る者の位置
「フィリアさま」
ミュネが、そっと声をかける。
「次の確認、終わりましたにゃー」
「ありがとう」
フィリアは、頷いた。
もう、すべてを自分で見る必要はない。
見る視点は、引き継がれている。
判断は、共有され、
責任は、分散され、
仕組みは、回り続ける。
彼女は一歩、後ろへ下がった。
上に立ったのではない。
離れたのでもない。
一段、上から見渡せる場所へ移っただけだ。
■誰も知らない努力
この領地が、
どれほど慎重に線を引き、
どれほど小さな判断を積み重ね、
どれほど多くの「声」を零さず拾おうとしたか。
それを知る者は、ほとんどいない。
記録にも残らない。
歴史にも載らない。
称賛も、非難もない。
だが――
壊れなかった。
それだけが、結果だ。
■守る者の物語
フィリアは、静かに空を見上げた。
世界は、救っていない。
誰も、裁いていない。
それでも。
今日も、
この場所は壊れていない。
「……それで、いい」
守るというのは、
何かを成し遂げることではない。
何も起きなかった、という事実を残すことだ。
それが、どれほど難しいかを、
読者だけが知っている。
――これは、
英雄の物語ではない。
――これは、
裁きの物語でもない。
ただ、
守る者の物語だ。




