リリカと攻略対象と俺②
どうしたもんかと悩んでいたら、ルスターが動いた。
体勢を整えて上半身を起こし、斜めに傾いでいるリリカ嬢の体も起こしてやる。
あ、微妙に胸のあたり触ったな。ラッキースケベ展開って乙女ゲームにもあるんだな。
「す、すまない。そんなつもりではなかった!」
「い、いえ! 私のほう、こそ、助けてくださって、ありが、とう、ござい、ます」
挙動不審になったふたりがパッと離れ、ぺたりと床に座り込んだ。
そしてまた黙る。
気まずい。
お互いになにを言うでもなく、たまにちらりと視線をやっては、戸惑い、目を逸らす。みたいな。
なんだこれ、むずがゆい。なんで俺はこんなものを見せられているんだ。
俺のほうが身の置き所に困っていると、廊下を歩く音が近づいてきて扉がノックされる。
「こんにちは、遅くなってしまったかしら」
そう言って入ってきたのは金色の髪をなびかせた女子生徒。くー子だ。
「あら。どうかなさったの? プリントが散らばって、もしかして拾っていらした?」
問いかけにルスターが答える。
「あ、ああ、そうなんですよ、クリスティーヌ先輩。お騒がせをしてしまい、申し訳ありません」
「かまいませんわ。あの、こちらの子は、一年生、ですよね? どうしてここに……」
「プリントを持ってきてくださったんです」
「まあ。先生ったら、女の子おひとりに押し付けるなんて」
「す、すみませんでした!!」
大きな声をあげたリリカ嬢は立ち上がり、ばっと頭を下げると、そのまま振り向きもせずに小走りで出て行った。逃げたってかんじの勢い。
まあ、たしかに、あれは立ち去るにふさわしいタイミングではあったかな。正直、俺も助かったし。
「行ってしまったわねえ。お手伝いしてくださったのだし、お茶とお菓子でもお出ししようと思っていたのに。ところでユージーンさまはどうしてそんなところに隠れていらっしゃるの?」
「隠れているわけでは。出るタイミングを失っただけで」
資料を手に持って本棚のあいだから出てくると、ルスターが驚いた顔をする。
おい、忘れてた、とか言わないだろうな。
散らばったままのプリントを三人で拾い集め、バラバラになってしまったので、仕分けをしていく。
同じ内容が印字されたものをひとまとめにして、割り振られている番号順に並べる。そしてそれを一枚ずつ手に取って、一冊のレジュメにしていくのだ。
生徒会十名分と教師二名。これは顧問と副顧問。なくしたときのために予備も三冊ほど。
レジュメには二学期の行事が列挙され、おおまかなスケジュールが記載されている。
年末に開催されるイベント――前世でいうところのクリスマスパーティーは大規模だが、校外のホールを借りての開催だ。
この日ばかりは生徒だけではなく、外部の人間も参加可能。貴族の婚約者には年齢差もあるからな。ご令嬢の婚約者はすでに卒業している、なんてことはよくある話。エスコート役として、生徒以外の異性を伴うのはめずらしくない。もちろん、事前申請は必須。
だから、俺たち生徒たちが動く大きめのイベントといえば、寮生を主にした男女交流会だ。
合コンというか婚活イベントというか。そういった要素もなくはない。この交流会をきっかけに付き合い始め、親に紹介して婚約に至った例もあるらしいし。社交デビュー前の一年生に、超簡易的な社交パーティーを体験させてやるイベントである。
ミレイユが言うには、ゲームの進行度を確認できるイベント。
その時点で一番好感度の高い順に声をかけてくるんだよ。とのことだった。
つまり、リリカ嬢に誰が声をかけるのか。
それにより、彼女が誰ルートを進んでいるのかがわかるはず。
ゲーム仕様ではなくとも、学院生たちのなかでは恋愛イベントとして位置づけられている交流会で、気になっている女子に声をかける男は、居なくはないと思う。できれば一番先に声をかけて印象づけようとする気持ちだって、わからなくはないし。
交流会は、九月の末に開催予定。そのあと文化祭があり、クリスマス。
日本的な要素を持つ世界とはいえ、さすがにお正月は存在しない。
ただ新年祭として、神殿や教会に出かける習わしはある。初詣だ。そのあと、高位貴族は自身の傘下にある者を招いて食事会なんかをしたりもする。我がオルファン家はラザフォード侯爵家にお呼ばれする予定。正月に親族が集まったりするあれと同じかんじだろう。
前世の俺はDV親父から逃げた家だし、母親自身、両親が他界している状況だったので、こういうのに縁がなくて、純粋な比較はできないんだけどさ。それでも、くー子の父親、箸本のおっちゃんが正月料理を作ってくれて、俺たち一家と一緒に食べてくれたっけ。
両親が離婚したあとに俺が住んでいたのは母の地元で、祖父母はいなかったけど、若いころの母を知っているご近所さんはいた。
だから俺や美由は、人知れず守られていたのだと思う。
なにからって、実の父親からだ。
実際に干渉があったのかどうか俺は知らない。
だけど、幼いながら記憶していた父親はとても恐ろしい男だったし、成長していろいろな知識を得ていけば、モラハラ暴力DV夫が、そう簡単に妻を手放すとは思えないんだよな。
俺は母が仕事から帰ってくるまで、はしもと食堂に居ることが多かった。
母にそう言われたし、箸本のおっちゃんも快く受け入れてくれていた。子どもがつまんない遠慮なんかすんなって言って、いっぱい飯を食わせてくれたのだ。あっちも商売やってて忙しいはずなのにな。
はしもと食堂も地元密着型の店で、おっちゃんは二代目だった。
当然、同じ地元民である母のことも知っていたはずで。
なーんかなー。たぶんさ、そういうことなんだよ。
母はおっちゃんを頼りにしていたし、おっちゃんは母を助けていた。
心から、お互いに大事に思い合う部分はきっとあった。
こういうのを焼け木杭に火が付いたというのか知らないし、子ども時代の母の気持ちなんて知らないけれど。
だからきっと俺とくー子は、なんとなくお互いに抱く想いを察しつつも、言い出せないまま、大人になったのだと思っている。
自分たちがそんな関係になってしまったら、お互いの両親たちの関係にひびが入りそうで怖かった。
俺は、母には幸せになってほしかったのだ。
おっちゃんのことが好きだから、あのクソ親父よりもずっとずっと、箸本のおっちゃんは俺の父親だったから。
二人が結ばれて、俺の両親になってくれたらいいと思っていたのは嘘じゃない。
だけど、頭のどこかで、河野優志という男が、箸本久美子を欲する気持ちは常にあって。
どちらも俺の本当の願いであり、そして片方を選ぶことができなかった。
選ばれなかったものは、永久に手に入らなくなってしまうのだとわかっていたから。




