王都の夏、イリュージョン祭③
腹ごなしを終えて外へ出る。祭りの喧騒はやや遠くに聞こえ、まるで外側から俯瞰して見ているような気持ちになった。
妹がよくスチル回収がどうのと言っているが、ゲームの一場面とはこういうことなのかと思ってしまって、心の内がヒヤリとする。
なにを馬鹿な。これは現実だ。少なくとも俺にとってはリアルだ。
前世を思い出すとか、その前世に関係がある人間が周囲に溢れているとか、かつての心残りを取り戻すように今を生きているだとか、なんだか出来すぎていて、たしかに作り物くさいと思わなくもないけれど。
嘘であってたまるかよ。
そう思う。
「ゆーちゃん、どうしたの? なんか、イライラしてる?」
俺の腕に手をかけて、くー子が心配そうに問いかけた。そちらに目をやると、かつての姿とは似ても似つかない容姿をした幼なじみが立っている。
クリスティーヌ・ラザフォード。
箸本久美子。
俺にとって彼女はどちらなのだろう。
それを言えば、俺自身が誰なのかという話になってくるのだが。
「……俺って誰なんだろうな」
「なあにそれ。哲学?」
「そうじゃなくて。なんかさ、急に思ったんだよ。本当にここは美由が言うところの、乙女ゲームの世界なんだろうかってさ。だとしたら、俺はリリカ嬢の攻略対象で、ことによっちゃローズメア王国を崩壊させるマッドサイエンティストになるんだろう?」
「世界の半分をおまえにやろうって?」
「それゲーム違いだろ」
混ぜ返すように言われて思わずムッとすると、くー子は穏やかな笑みを浮かべて俺を見た。
「わたしはね、美由ちゃんに言われるまで、そんなふうに思ったことなかったし、今だってよくわかってないよ」
「俺だってそうだよ」
恋愛シュミレーションゲームの世界のキャラクターです。なんて。
そんなことを自称する奴がいたら、「あ、こいつ頭おかしい」って思うだろ。くちに出しては言わないけどさ。
「うん。だからね、主観の問題なんじゃないのかなって思うんだー」
「というと?」
「ほら。普通に暮らしていてもね、漫画の主人公みたいなひとって、たまーにいるじゃない? 芸能人とかスポーツ選手とか」
たしかに居る。
というか、かつて生きていた世界には、そういう類まれな人物はたまに居た。
そして言われるのだ。
現実は小説より奇なり、と。
あまりにも非現実すぎて、称賛のあまり、冗談めかして言われたりしたものだ。
俺たちは、〇〇が主人公の漫画の世界で生きているのかもしれない、と。
「――そういうことか」
「わたしが箸本久美子だったころだってね、もしかしたらなにかの物語の世界だったかもしれないよね。お客さまの中に主人公がいたかもしれない。そのひとが通っている食堂だったかもしれないし、たまたま立ち寄った場所として存在していたかもしれない」
ああ、どうせなら、オムニバス形式で一話ごとに語り手が変わる、食堂に訪れるお客さんごとの物語とか素敵だよねえ。
くー子がのほほんと笑う。
「……いいな、それ。ヒューマンドラマの連作短編小説だ」
「ねー。だからね、今回はたまたま、メインキャラクターに配置されているだけであって、なにも特別なことじゃないんだよ。いままでも、これからも、わたしはわたしだし、ゆーちゃんはゆーちゃんだよ」
ここが乙女ゲームの世界だったとして、では、その『主人公』が誰なのか。
リリカ嬢は物語のヒロインという立ち位置にいるだけであって、つまり彼女もまた物語を動かす上での駒に過ぎない。
ゲームということは、それを操作する人間が存在するはずだ。そいつこそが真の主人公といえるのではないだろうか。
妹は言った。
乙女ゲームの世界に転生しちゃう物語があり、それが今なのだ、と。
そんな入れ子構造なのだとしたら、リリカ嬢がどう行動しようとも、この『乙女ゲームの世界に転生した物語』の世界においては、元ネタになっているゲーム内容を踏襲するとは限らなくなってくる。
いやもちろん、忠実に再現する可能性もなくはないんだが。
ようするに、もう俺が悩んだところで、どうしようもないってこった。
この先がどうなるのかなんて俺にはわからない。
未来がわからないのは普通のことだ。当たり前のことだ。
「そうだな。大事なのは、今ここで生きているって、それだけだ」
「しかも以前の生を憶えてるんだよ。強くてニューゲームだよ」
「物理法則が違う世界だから、二周目の恩恵なくないか?」
「ゆーちゃんに会えたし、美由ちゃんにも会えたって感覚があるんだから、じゅうぶん恩恵あるよ」
二周目の恩恵ってのは、たとえばスキルを習得したまま最初からプレイすることで、初期の敵をワンパンでボコって、しばらく無双できることだと思うんだが。
でも、まあ、たしかに。大事なひとに再び会えたこと、そうであると認識できていることは、喜びを倍増させているわけだから恩恵なのか。
「よし、遊ぶか」
モヤモヤが解決したところで呟くと、それが聞こえたらしいミユが茶々を入れてくる。
「お兄ちゃん、気合い入ってるねー」
「うるせーよ。ほら、おまえはちゃんと見たいもの、行きたいとこを主張しろ。初のイリュージョン見物だろ」
「うん、たのしみー! どこで見るのが一番いいかなー、ピンクのハート型のやつとか出るかなー」
「はじめてのくせに、あなたってば妙に詳しいわよね」
「ええーっと、ほら、そういうのは話題になるしー、イリュージョンは人気イベントだしー」
「ま、寮でもよく話題になってたしね」
「そーそー、そーゆーことだよー!」
乙女ゲームで攻略対象ごとにビュースポットが違うし、同じキャラクターでも違う場所で見ることもあるし、投影されるものが違ったりもして、スチル回収のためにはリセマラしてねー。
などと楽しそうに話していたことなどおくびにも出さず、ミレイユはセラ嬢に言い訳をしていた。
あれで誤魔化せているんだろうか。逆にあやしいと思うんだがな。
呆れる俺の隣で、くー子は笑っている。
「ミユちゃんは本当に可愛いよねえ」
妹がバカ可愛いのは認めるけど、俺にとっては、そんなふうに言って笑っている彼女のほうが、ずっと何億倍も可愛いんだがな。
そう思ったけど、わーわー騒いでいる年下組の賑やかさに負けてしまってくちには出せず。
仕方ないから、そっと手を握ることにした。
伝われ、俺の気持ち。
柔らかく握り返される手。えへへと照れたように緩んだ口許。
「やっぱりおまえのほうが可愛い」
「ふえ? ど、どーしたのゆーちゃん」
「きゃー、おにーちゃんがくーおねーちゃんを口説いてるー、お邪魔虫は退散するのじゃー、セラちゃんジェツくん、レッツゴー!」
「あぶねーから走るな。あと護衛が困るから勝手に散るな」




