お兄ちゃんの未来はあたしが守る!③
断頭台に向かう罪人みたいな気持ちで、あたしはクリスティーヌのあとを歩く。
逃げたい、ほんと逃げたい、ダッシュで逃げたい。
どうしよう、なにされちゃうんだろう。
悪役令嬢クリスティーヌは言葉で相手を攻撃するタイプで、お嬢さまなので物理攻撃はないんだよね。
だから怪我をさせられることはないと思うけど、ほら、怪我っていうのは体の外側だけじゃなくて、こころの怪我っていうのもあるじゃん?
構内のカフェに辿り着く。
給仕のひとが恭しく頭を下げる。
クリスティーヌが個室の空きを訊ね、あたしにとって超絶不幸なことに、空き室があって案内された。
とほほ。神はあたしを見捨てた。
机にあるメニューには目もくれず、クリスティーヌはあたしを見据える。
そして言った。
「ほんとうにひさしぶりだねえ、ミユちゃん。ゆーちゃんってばなかなか連れてきてくれないんだもの。待っていられなくって、こっちから来ちゃったよう。いきなり呼び出してごめんねえ」
「…………は?」
「やだ、お兄ちゃんからなんにも聞いてない? もう、説明する気あるのかなあ、ゆーちゃんは」
「あの、えと、クリスティーヌ、さま?」
頬を膨らませて、くちを尖らせて怒りはじめる姿に唖然とする。
ご乱心? クリスお姉さまと呼んでいたころでも、ここまで砕けた口調ではなかったような気がするんだけど。
「あのね、ミユちゃん。ミユちゃんたちと同じように、わたしも元日本人なんだよ。そしてね、わたしの前世の名前は、箸本久美子っていうの。はしもと食堂って、憶えてる?」
「へ? 久美子って、え? くーちゃん? くーお姉ちゃん? はい??」
「あははー。ゆーちゃんとおんなじ反応だあ」
ほんと兄妹だよねえ。
やわらかく笑う顔。どこか間延びした言葉遣い。ポカンとくちを開けたあたしを見て、こてんと首を傾げるそのかんじ。
わーわーわー!! くーちゃんだ。くーお姉ちゃんだ。え、なんで!?
「うそ、やだ。お姉ちゃん、ほんとのほんとに? お兄ちゃんはとっくに知ってたってこと? ずるーい、そんなのあたし聞いてないんだけどー!」
「それは仕方ないよう。だってミユちゃん、記憶がなかったんでしょう? ミレイユが美由だったぞってゆーちゃんに聞いて、もう、ビックリだったよ」
ひゃー!
すっごく不思議なんだけど、クリスティーヌがくーお姉ちゃんだとわかった途端、ネチネチ嫌味を言っているように聞こえた、あのゆっくりとした話し方も、のんびりほっこりした口調に感じられる。
だって中身がくーお姉ちゃんなんだもん、他人に嫌味なんて言うわけないじゃんね。
「ふう、スッキリしたー。早くお話ししたくってたまらなかったの。ビックリさせてごめんね。ほら、スイーツ食べよ。ここのカフェ、来たことある? 美由ちゃんの好みだと、このあたりがおすすめかなあ」
くーお姉ちゃんはメニュー表を開いて、あたしに見せてくる。
このまえお兄ちゃんと入ったカフェとはラインナップがちょっと違うみたい。こっちはより甘味に特化してて、女子のためのカフェってかんじ。
おすすめだと指さしたのは、なんと抹茶スイーツ! うわ、あるんだ!
「さっき一緒にいたアルケットさんの商会、すごく日本的な素材を扱っていらしてね。ここにも卸してるんだよ。お味噌とかお醤油とかも取り扱いを開始したらしくて、我が家にも連絡もらったところなの。うちのお父さん、お味噌汁が食べられるのかって喜んでて」
「へえ。――え? ラザフォード侯爵ってお味噌汁を知ってるの?」
「美由ちゃんたちのお父さんも元日本人だけど、うちのお父さんもそうだったんだよ。しかも、はしもと食堂のお客さんだったらしくって。あの味がもう一度食べられるのかって、うれしそうに言ってたけど、食堂の料理は基本的にお父さん――これは前世のね、父が作っていたから、おんなじ味を出すのは無理かなあって思うけど」
はしもとのおじさんは、くーお姉ちゃんには甘かったけど、お料理に関しては厳しかった。お姉ちゃんはなかなか店の厨房には入れてもらえず、賄い以外は作らせてもらえなかったらしい。
「今度、日本食の試食会をやろうって思ってるから、ゆうちゃんと一緒に是非来てね。おじさまもお誘いして」
「うん! くーお姉ちゃんが作るの?」
「侯爵令嬢としては変わった趣味なんだろうけどねえ」
「いーじゃんべつに」
お兄ちゃんと一緒にはしもと食堂へお邪魔しては、くーお姉ちゃんが作ってくれた賄い飯を食べていたことを思い出す。
前世のお母さんには悪いけど、あたしにとっての『おうちごはん』は、あの味だった。あたしの体は、はしもと食堂でできていたのだ。
衝撃の告白がなされて、ひとしきり騒いで落ち着いたあと、それぞれに注文。
さすが貴族令嬢のためのカフェテリアといったところで、銀色に輝くワゴンを押して品物が運ばれてくる。
真っ白なクロスがかかった丸テーブルの上に、それぞれの皿が並べられる。
光源を受けて輝くカトラリーもセットされ、一礼ののちに給仕係が退室した。
「じゃあ、いただきましょうか」
「わーい」
あたしは早速ナイフとフォークを手に取る。柄の部分に模様が刻まれているオシャレなやつだ。
注文したのは抹茶味のシフォンケーキ。
ミルキーなホイップクリームがどっかり載っかっているのは、やっぱり抹茶の苦みをごまかすためなのかな。舌が慣れてくると、あの微妙な苦みがいいのにね。
くーお姉ちゃんが頼んだのは、そば粉のガレットだ。
メニューを見たところ、中にはハムとほうれん草が入っていて、玉子を落として折り畳んでいる。半熟の目玉焼きには胡椒らしき香辛料がかかっていて、スパイシーな匂いが漂ってくる。
お腹がすく匂い。あれ、めっちゃ美味しそう。
ふわふわのシフォンケーキにナイフを入れながら、ガレットに目を奪われていると、くーお姉ちゃんが小さく笑う。
「半分こする?」
「する!」
「じゃあ先に、ガレットのほうを食べようか」
「うん」
くーお姉ちゃんが優雅にガレットを切り分ける。
とろーり、黄身がお皿に流れる。ああ、素晴らしき断面。
お皿をテーブルの中央に持ってきて、それぞれのフォークで同じ皿をつつく。
お作法としてはとってもよろしくないかんじだけど、ここは個室だし、誰も見てないから平気平気。
「すごい、チーズも入ってる。美味しい!」
「そうだねえ。そっちのシフォンにかかってるクリームもそうだけど、乳製品は基本同じところから仕入れてるはずだよ。学院は、十侯爵以上の高位貴族と繋がってるの。見返りとして、一族の息がかかった者を入学させたり、融通を利かせてもらう密約があったりね」
「うへー。裏口入学とかあるんだねえ」
「べつに不正ってわけじゃないんだよ? 爵位は持っていないけれど優秀なひとを、入学させてあげたりするの。後ろ盾になってあげて、守ってあげるかんじかなあ」
「うちが、くーお姉ちゃんのところにお世話になってるみたいな?」
「そうだねえ。あとは、苦学生に援助してみたりとかもあるよ」
「あしながおじさんだ!」
お姉ちゃんのお父さまであるラザフォード侯爵は、スマートで背の高い紳士。イケメンなお父さまなのである。あのおじさまなら、そういうの似合いそう。まさか、元農協職員だとは思わなかったけど。
あー、じゃあリリカもそうなのかな。ヒロインは庶民だから侯爵家の後見を受けて入学しているって設定だったし、そういうことなのかも。ふむふむ。




