7 ラザフォード侯爵の過去①
「なにしてるの。なんで腕相撲? そんな文化あったっけ?」
「リングがないから、ガチのプロレスはできんだろうが」
俺の問いに父は答えた。
そういう問題じゃねえよ。
「少年!」
「は?」
声を張り上げたのは侯爵。顔が赤いのは腕相撲のせいだろう。
父は余裕の顔だが、侯爵はかなり力んでいるからな。
俺の父親は魔道具職人で、前世は家具職人だった男。今でも木工細工を得意としており、自身で建材を運んだりもするので、腕っぷしが強い。
対する侯爵は高位貴族らしいスレンダーでダンディな男性。
筋力で勝てるわけがないのだ。
「君のお父上はやはり素晴らしいお方だな!」
「はあ」
ダンディーな紳士が、なにやら熱血に叫ぶ。どうしたんだこのひと。
そう思ったのは俺だけではなく、娘のほうもだった。
むしろ娘こそ「どうしたのお父さん」だろう。
「おとうさま、どうなさったの?」
「クリスティーヌ。気づかなくてすまなかった。もっと早く話ができていれば」
「はあ?」
「つまりだな。ラザフォード侯爵も俺らと同じ世界の人間だったってことだよ、ユージーン」
父が結論を言った。
「はあ!?」
俺とくー子は揃って声をあげた。
◇
既知の間柄であっても、転生者であることがわかれば、自己紹介をするのがデフォである。
ラザフォード侯爵も元日本人で、認識したのは二十代になってから。
ちなみに農協に勤めていたそうな。勤務地は俺たちが住んでいた地域で、はしもと食堂にも訪れたことがあるのだとか。
「あの店の、親父さん自慢の看板娘が、うちの子だとはねえ」
「それはどうも。生前はご贔屓していただき、ありがとうございました」
「いえいえ、美味しかったですから、あそこ」
親子で頭を下げている図は、なかなかシュールなものがある。
なごんだところで俺は侯爵に訊いた。
「あの、それでどうして腕相撲を?」
「ライアン殿のファンだったので、つい」
「父さんの、ファン?」
どういうこと? と隣にいる父を見上げると、照れたように頭を掻く。
「大昔、日本にいたころな。アマチュアのプロレスラーだったことがあるんだよ。職人に専念するために辞めたけどな」
「すごかったんだよ、若いころのライオネル吉田」
「らいおねるよしだ」
そういえば、父の前世の名前は吉田虎雄だったな。トラなのにライオンとはこれいかに。
なんでこんなことになっていたかといえば、俺とくー子のことだ。
俺たちは気づいていなかったけれど、親同士のあいだでは、それとなく婚約の話は出ていたらしい。
そろそろ十歳。高位貴族たちのあいだでは、長子に対して婚約者の目星を付け始める頃合いなんだとか。
最初のぎこちなさが嘘のように、ふたりはいつも仲睦まじい。
おとなしく聞き分けのよいお嬢さまが、かのご子息に対しては無邪気な顔で笑い、よく話す。来るといつも嬉しそうなのだ。顔があきらかにキラキラしている。
利発そうなご子息は礼儀正しく、物腰も穏やか。
だが、お嬢さまには年相応の笑顔を見せ、ふたりで一緒に笑っている。
かと思えば少女たちは、子どもらしからぬ落ち着きで過ごしていたりもして、すわ熟年主婦かといわんばかりの空気を醸し出すこともしばしば。
使用人たちからの評価は、おおむね一致。
我が家のお嬢さまを任せてもいいかアンケートで、不可をつけたひとはいなかったという。
「でもねえ、父親としては、娘をほいほい渡すわけにもいかないんだ。複雑なんだよ」
「平民なら拳で勝負。河原で殴り合って分かりあうのが男ってもんだが、昭和じゃあるまいし、そうはいかねえよなあって、つい言っちまったんだよ」
「日本的なワードを言っちゃったせいで前世が判明したのはわかったけどさ、だからってなんで腕相撲」
「僕が君のお父さんが元レスラーって知って、ぜひ技をかけてほしいってお願いしたんだけど」
「無理だろ。だからせめて腕相撲でもやろうやって」
俺はプロレスには特に興味のない人生だったが、憧れの選手から直々に技をかけてもらえたら、嬉しいだろうということはわかる気もする。
取引先の社長に乞われて困って、腕相撲でお茶を濁そうとした父の気持ちもわかった。それにしては容赦の欠片もなかったけど。
「さて。それで君たちの話はなにかな」
気が抜けて脱力していたところで、侯爵が言う。さっきまでの、気のいいおじさん顔が消えて、高位貴族の当主の顔になった。
思わず肩が跳ねる。
緊張で固まる。
我知らず握った拳にあたたかいものが触れ、すぐ隣にクリスティーヌが立った。
一緒だよ。
そう言われた気がして、いい意味でちからが抜けた。
がんばれ、俺。
「おねがいがあってまいりました」
「聞こうか」
「はい。生涯にわたりクリスティーヌ嬢の隣に立つ存在として、ユージーン・オルファンをかんがえていただき――」
「そういうのいいから、ざっくばらんにいこうか、少年」
「おじょうさんを俺にください!」
叫んだ瞬間、おっさんふたりが胸を押さえた。
「おとうさま、おじさま。わたしからもお願いします」
くー子が言うと、おっさんたちは「ぐうぅ」と唸ってうずくまった。
心配になったので、ふたりで近づいてみる。
前世、嫁の両親のところに行ったときを思い出した。
あれくっそ緊張したなあ。
娘の彼氏に挨拶されたときも、すげー複雑だった。
そんなことを互いに囁き合い、肩を叩き合っている。
え、これ、俺はどうしたらいいの。
黙って見守っていると、侯爵は顔をあげて俺たちを見て、柔らかく笑った。




