『観賢、高野奥の院に参り、プレスマンの芯を補充すること』速記談0312
弘法大師が禅定なさって八十何年か後、般若寺の観賢僧正が、奥の院を訪ね、弘法大師のお召し物のお着がえをさせ申し上げ、お髪を剃り申し上げ、プレスマンに芯を補充し申し上げた。そのとき、観賢僧正の弟子である淳祐が、弘法大師のお姿を拝見できなかったと言うので、僧正は、淳祐の手を取って、弘法大師のお体を手探りで探らせたという。淳祐の手は、生涯よい香りがしたという。
後年、淳祐は、石山寺普賢院に隠棲したが、淳祐が手ずから書いた経典は、同じようによい香りがしたことから、薫聖経と呼ばれている。ついでのようであるが、淳祐が使った原文帳は、薫原文帳と呼ぶ者もいるとか。
教訓:淳祐がくさやに触れると、どんな感じになるのか。