突入前夜1
「休暇中に呼び出して申し訳ない」
その社交辞令のような謝罪に対して俺が気にしていないと言ったのは、実のところ本心が半分以上だった。
子供のころは――普段は授業中にあくびを噛み殺しながら心の中で時計の針をせかし続けていたのに――夏休みが終わるのを惜しんで一分一秒でも長く味わっていたいと思っていたのに、人は変われば変わるものだ。
率直に言って、腹に爆弾を巻いた神の戦士や、物乞いの子供や、胡乱な目を向けてくる老若男女のいないこの慣れ親しんだ祖国が、そうした話題がニュース番組の中で数分か数秒か取り上げられるだけで、それが終われば永遠に忘れてしまうようなこの国が、俺にとっては何もすることのない場所になってしまっていた。
「それで、どういう要件です?」
思えば顔を合わせるのは入社以来となるだろう、今の上司に呼び出しの理由を聞いてみる。
アフガニスタンでの一か月。多国籍企業の施設に接近する、或いはそれを企図しているあらゆる脅威に目を皿にして、大部分の時間は変わり映えのしない砂漠を眺め続けて、生き延びた末の休暇はまだ一週間ほど残っていたはずだが、俺は自分から次の話を聞きたがっていた。つまり、仕事の話を。
そしてそれを切り出したのは、目の前の上司=統括管理官ではなく、ランディ・レイマン=アフガニスタンで俺たちを纏めていた、米陸軍レンジャー上がりの統率官の男の口からだった。
「この国での仕事だ。山の中の村で三日間待機し、要請があれば村内に潜入し、拘束されている人質を救出する」
「……この国で、ですか?」
間違いではない。隣の統括管理官殿も黙って聞いているし、何しろ発言者はくだらない冗談を言うタイプではない。
そして聞き返しながら、俺の頭はその発言が――少なくとも日本国内での仕事という部分だけは――理屈の上ではあり得るものであると理解している。
改正警備業法。数年前に成立したその法律によって民間軍事企業などと呼ばれる、所謂PMCは必要な手続きと審査を経て「高度警備業務従事者」に認定された場合日本国内での活動を認められる。
そしてアーマー・ライン社=自衛隊除隊後の俺の再就職先となった米資本の大手PMCもまた、その認定を受けている企業の一つだ。
そう、理屈としてはあり得る。
だがそれ以外の部分。即ち日本人として28年間生きてきた部分がその理屈を否定する。
少なくとも俺の知る限り、この国には神の戦士はいない。道端の空き缶や路駐された車や靴磨きの少年やホームレス風の男が爆発したという話も聞かなし、町の有力者が快く思わないジャーナリストや議員や学者を攫って殺したりもしない。その辺の町工場でコピー品のアサルトライフルを造ってもいないだろう――多分。
そういう世界に慣れると平和だが居心地が良すぎて却って落ち着かないぐらいの、俺が知っているごく普通の日本、快適で安全な先進国。
その国で、俺たちを投入しての人質救出作戦。頭の中と目の前の現実があまりに噛み合わない。
そんな俺を尻目に、目の前の男=アフガニスタンでのアルファチーム指揮官は地図を広げて見せる。
「雛宮村。聞き覚えは?」
「いえ」
彼の指が指し示すその場所は、一度も見聞きした覚えのない場所だ。
少なくともこの東京のオフィスからでは、高速道路を使っていく必要のある場所だという事だけが、その雛宮村なる場所の周囲の地名が教えていた。
「この村に潜入した地元警察の私服捜査員と、ある作家の父娘。計三人の行方が分からなくなっている。現在は地元警察が対処中だが、三日以内に判断が下る。俺たちが殴り込むのかどうかの、な。何もなければ俺たちは三日間山を眺めて金を貰う。で、決断があった場合は、この山村に突入して件の三人を連れ帰る事になる。ほぼ間違いなく村人……銃火器で武装した民兵と交戦するリスクを抱えてな」
当然ながら熊や猪を退治しろという訳ではない。
俺たちの相手は人間だ。そしてそこが問題だった。
「この村に何があるんです?」
目の前の二人は一瞬目配せして、それからここまで黙っていた統括管理官が再度口を開いた。
「警察によれば、この村にある工場で銃火器の密造が行われていたという情報があったそうだ。それに、日本国内の暴力団や過激派を相手にした訓練キャンプが設置されていた可能性がある。……担当者は口を濁していたが、密造はともかく訓練キャンプに関しては海外勢力が関わっている線が濃厚だと考えていたようだ。それで捜査官を派遣し内定を進めていたが……、今が穏便に済ませられる最後のチャンスだと考えているといったところだ」
「捜査官の方は分かりました。ですが、その親子の方は?」
デスクに並べられる三枚の写真。40代ぐらいに見える男が二人と、まだ10代だろう少女。
やや癖のある茶色がかった長い髪をポニーテールにまとめた、ぱっちりとした目にすらりと通った鼻筋の、恐らく可愛らしい方に分類されるだろうその少女は、どちらかが父親なのだろうどちらの男の面影も感じさせなかった。
その少女と、その隣の男を統括管理官の指が往復する。
「父親は瀬田兼続。瀬田利兼のペンネームで現在フリーのノンフィクション作家をやっているが、元は警官だ。こちらの男、細川隆一郎という消息の途絶えた捜査官とも親交があった。どういう話があったのかは分からないが、彼らが協力関係にあったことで拉致された可能性が高い。瀬田悠莉、つまり娘の方は……恐らくはただの巻き添えだ。警察の立場上、一般市民の親子二人を見捨てる事も出来ないが、本命は――」
指が横にスライドしていく――残された一人=その細川という警官へ。
親の因果が子に報いとはいうが、なんとも気の毒な話だ。
「そしてここからが、君に関する話だ」
頭を切り替える。俺に関する話。
予測:この状況、即ち俺が疑問に感じている部分の説明。
「今回アフガニスタンの時のメンバーを集めた。この地域で活動しているうちのオペレーターで対応できる者がいなかったことが理由だ」
この点については無理もない。
改正警備業法によって紛争地域と同様の活動が可能になったとはいえ、日本国内でそれが出来る人間を集めるのは容易ではない。
つまり、それ=銃火器を使ってドンパチするのが得意で、かつ手の空いている者を選んだという訳だ。
そしてそれが故に気になる所。
即ち、ブラヴォーチームの俺をどうしてアルファチーム指揮官が面談しているのか、という事。
「日本国内での活動に際し、現地人とコミュニケーションをとれるオペレーターがいない。つまり日本語の分かる者がな。で、ブラヴォーには君とウチムラがいた。そして残念なことに、ブラヴォー指揮官のウェストブルックは君の知っている通り今ベッドの上だ」
立て続けに挙がった名前が、顔になって頭に浮かぶ。
ブラヴォーチームには日本語の分かる者が二人いた。俺と、ジョー・ウチムラという元海兵隊員の日系人だ。その二人のうちどちらかを誰も日本語が分からないアルファに回そうという話だ。そして本来なら面突き合わせて面談するはずの元カナダ陸軍中尉は、三週間前にIEDが左膝を吹き飛ばしたために病院のベッドの上から降りられないでいる。
俺とウチムラの評価は多分似たようなものだろう。つまり、目の前の二人がくじ引きか何かで俺を選んだと思われる。
このめぐり合わせで、休暇中に突然呼び出されて別のチームに配属と相成ったという訳だ。
「勿論君には断ることもできるが――」
統括管理官のそれがあくまで形式的なものである事は分かっている。
何しろ電話口で彼から引き受ける場合は面談後ただちに部隊に合流して訓練を行うと聞かされていて、俺はそれに必要な荷物を持ってきているのだから。
(つづく)
今日はここまで
続きは本日の夜19時~21時頃に投稿予定です