雛宮村2
「こっち、こっち」
幸いガモちゃんは良くしてくれるし、妹の環ちゃんも仲良くしてくれる。
後は、蒲生家の人にはお行儀良く接すること。よろしくと言われても私にできることなどそれ位しかないが、多分それでいいはずだ。
ガモちゃんに続いて石垣に設けられた坂を上って敷地内へ。
結構な門を抜けると、瀬田家がすっぽり収まりそうな程の広い庭。
「ってあれ、玄関工事中だ」
ガモちゃんがその奥、恐らく母屋なのだろう一番大きい日本家屋の玄関辺りを指さした。
先程見かけたのと同じ古田工務店と書かれたトラックが横に停まった玄関の周りはブルーシートで養生されていて、作業服姿の若い男の人たちが行ったり来たりしている。
よく見ると敷地の隅にある倉や、離れというものなのだろう母屋より新しい二階建ての家屋との間もブルーシートで覆われ、渡り廊下が隠れるようにされていた。
「おう、美玖ちゃん」
「あ!呉さん!」
不意に声のした方を振り向く私たち。
立っていたのは、玄関にいる人たちとは異なる作業服を着た、初老の男の人だった。
呉さんというガモちゃんの呼び名通り、少しイントネーションの違う日本語のその人が、私たちの方へと歩いてくる。
彼の作業着の胸の所に大明技研(株)の刺繍が見える。
「呉さんどうしたの?」
「おじいちゃんに用があってね。今から帰るところだよ」
「あ、姉ちゃんお帰り!」
そして彼の後ろからやって来たのは、姉ちゃんというガモちゃんへの呼び方からも分かる妹の環ちゃんだった。
「呉さんにまたラーロウ(中華風干し肉)貰ったよ!」
「えっ、やった!ありがとう呉さん!」
キャッキャと黄色い声を上げる姉妹と、それに笑顔で応じる呉さん。
その時初めて、呉さんは私に気付いたようだ。
「お?そっちの子は」
「あ、えっと悠莉ちゃん。高校の友達」
「瀬田悠莉です」
名乗って頭を下げると、呉さんは相好を崩した。
「おお、そうかそうか。この辺に住んでいる呉です。よろしくね」
人の良いおじさん。一目でそう思える笑顔だった。
――きっとその直前、ほんの一瞬だけ見せて直ぐに隠した鋭い眼光は、何かの見間違いだったのだろう。
現に他の誰もその事を気にしている様子はない。
「あ、悠莉ちゃんいらっしゃい。呉さんのラーロウ……って、だからえっと、干し肉。すっごい美味しいんだよ!よく爺ちゃんが酒のつまみにして飲み過ぎてばあちゃんに怒られて」
「環余計な事言わなくていいの」
こちらに気づいた環ちゃんがそう言って、ガモちゃんがたしなめる。
「アッハハハ、そうだったか。それじゃ『余計なもの持ってきた!』っておばさんに怒られる前に逃げようか。またね美玖ちゃん、環ちゃんも」
「はい、ありがとうございます。ご馳走様です」
呉さんはそう言って笑いながら帰っていく。
それから改めて環ちゃんが私に母屋の裏を指さした。
「今玄関工事中だから、裏から入って」
「え?今日工事なんてあったっけ?」
先頭を行く妹の言葉にガモちゃんが聞き返しながら追いかける。
「えー、なんか分かんないけど、帰ってきたらお母さんからそう言われた。それとお父さん今日の夜寄り合いだって」
「ふーん」
そんな姉妹のやり取りを見るでもなく見ながら裏手へ。
大きなお屋敷だけあって、裏口ですら普通の家の玄関みたいに立派だ。
「どうぞどうぞ、上がって」
環ちゃんに促されて、産まれて初めての土間へ。
「お邪魔します」
「散らかっているけど、靴その辺に脱いでね」
ガモちゃんが見本のように色々な荷物の隙間に脱いだ靴を置いてかまちへ上がる。
それに倣って続いた時、諸々の中に異質な何かを見つけた。
「え……?」
反射的に向けた目が、視界の隅に見えていた代物が見間違いではないと物語っていた。
「何、これ……」
自分の口から声が出ている事に気が付くのは、その音を聞いてからだった。
銃だ。
業務用みたいな大きな冷蔵庫や、何が入っているのか分からない段ボール箱や、恐らく農作業用の機械が積み上げられたその一角に、確かに置かれていたそれはまごうこと無き銃だった。
銃について詳しい訳ではない。
けどオレンジ色のバナナみたいな湾曲したパーツのついた、鉄と木だと思われるパーツと、全体の半分ぐらいの長さを占める金属の枠組みみたいな部分とで構成されているちょっと寸詰まりな印象を受けるそれは、前にお父さんの仕事部屋で見た資料用の写真=暴力団の事務所から押収されたという銃によく似ていた。
「ああ、これ?」
環ちゃんの声がして、私は初めてここに自分以外の人間がいることを思い出した。
「ただのおもちゃだよ」
「え?おもちゃ?」
「うん。この辺山から猿が降りてきて畑のもの盗ったりするからね、見つけたらこれでバババーッってやって追い払うの。よく爺ちゃんが畑出る時持っていくんだよ」
言われて見てもう一度改めて見る。
私にはそれが本物なのかおもちゃなのかは判別がつかなかったが、まあ普通に考えて本物の訳がない。
「へえぇ……」
「なんか、法律で猿って撃っちゃいけないらしくって、だから驚かして山に追い返すためにこういうの使うらしい」
ガモちゃんが妹の説明を補足する。
それを聞きながら、そのおもちゃの奥にしまわれているもう一つ見慣れないものを見つけた。
アルファベットの「V」とそれを逆さにしたようなマークの頂点同士でひし形をつくるように交わり合い、その中央を一本線が縦断する不思議な模様の描かれた提灯と、同じものが描かれたうちわみたいな大きさと見た目の太鼓。
でんでん太鼓みたいなその太鼓はしかし、振り子がない所を見ると普通の太鼓のようにばちで叩くのだろうが、付属のばちには持ち手の先端に小さな鈴が付いた独特の形をしている。
「これも猿避けに?」
音で驚かせて追い払うのか――そう思って振り返った時、二人の目が私を凝視していたのに気づいた。
いや、ただ見ていたのではない。
何か分からないが、見てはいけないものを見てしまったような、凍り付いた視線。
「……あ」
「えっ?」
「ああ、それ?それは地元のお祭り用」
でもその異常さを認識した時には、既に二人とももとに戻っていた。
「お祭り……?」
「うん。この辺りのお寺で六年に一回の――」
そこで言葉を切るガモちゃん。既にいつものものに戻っていた視線は、私からその後ろに移っていた。
「んだよぉ。被良華様のお祭りに使う宮入太鼓だよぉ」
「あ、おばあちゃん」
背後からの声に驚いて振り返ると、いつの間にかそこに立っていたのは先程環ちゃんの話に出てきたお婆さんだった。
カブラカ様と宮入太鼓という聞きなれない言葉は、何かの方言なのだろうか。
「外の子かなぁ」
「ああ、お婆ちゃん、この子この前引っ越して来た瀬田さんの子。私と同じ高校なの」
「瀬田悠莉です。お邪魔しています」
ガモちゃんの紹介に改めて挨拶すると、お婆さんは細めていた眼を更に細くしてにんまりと笑った。
「ああ、そじゃったかぁ。仲良うしてやってなぁ」
「あの、カブラカ様って……」
「山の神様だよぉ。ずっと昔なぁ、村の人間が粗末にしたからひどく罰が当たってなぁ。大けな鉄砲水で家も田んぼもみーんな流されてなぁ、困っていた時に小斎様ってぇ、偉いお坊さんが来つくれてぇ、被良華様ァ慎めちくだすったんだぁ。すっから六年に一回ぇ、小斎様の言う通りに被良華様のお祭りすんようになってぇ、すっからずーっと被良華様ァ、村をお守りくだすってるんだぁよ」
「へぇ~。そういう話があったんですね」
多分仕事の関係だろう、お父さんがこういう民話や伝承について良く調べていたのを思い出した。
お父さんは大学生のころは民俗学を研究していたから、よく色んな地域の昔話を集めていたっけ。
「いつも小斎寺っていうお寺でお祭りするんだよ。村中で大賑わいなの!」
ちょっと誇らしげに環ちゃんが続けた。
どんなお祭りなのか、ちょっと見て見たい気がした。
その日、夕食の時にお父さんにその話をしてみた。きっと興味を持つだろうと思って。
「……ッ!!」
「お父さん……?」
だけど、返ってきた反応は思っていたのとは違った。
何かを恐れるような、怯えるような、そしてそれが顔に出ている事に気付いて慌てて隠すような。
「……そうか」
「……どうしたの?」
「いや……何でもない。父さんも、見てみたいな。いつお祭りだって言っていた?」
「いや、詳しい日取りは何も。村の古くからある家の人が集まって、寄り合いで日取りとか決めるんだって」
蒲生家で聞いた話をそのまま伝える。
「……そうか」
それを受けたお父さんは、すぐいつもの様子に戻っていた。
けど食事の後で、珍しくどこかに電話していた。出版社の人か、取材相手かは分からないけど、何かを遅くまで話し合っていたようだった。
(つづく)