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因習村ウォーフェア  作者: 九木圭人
雛宮村
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雛宮村1

 「「いただきます」」

 この村に引っ越してきて以来多くなった、家族そろっての食事。

 東京にいた頃は父さんの仕事や、私の塾通いで皆ばらばらが多かったけど、今やそれもなくなった。

 こちらに来てからお父さんが作っている料理が私とお父さんの間にそれぞれ並び、その間で二人に笑顔を向けているお母さんの写真。

 ばらばらだったのは、この写真を撮ったころ。まだお母さんが元気だった時だ。


 お母さんが死んで、もう二年になる。

 「……味噌汁、どうだ」

 唐突にお父さんがぼそりと尋ねた。

 ちょっとの間沈黙する。

 「……うん、美味しい」

 引っ越してから一か月で、最早習慣になっている食事の時の嘘。

 お父さんの味噌汁は濃すぎたり、薄すぎたり、味が安定しない――今日は後者だった。

 「そうか」

 それきり、会話は中断された。

 ただお互いの食器の音だけが聞こえる、いつもの食卓だ。


 お父さんが夜ご飯を作るようになって一か月。まだお母さんの味とは全然違うけど、慣れないながら仕事の合間に一人で食事の準備をしているのを思うと、どうしても正直には言えなかった。

 「……」

 静かな食卓。黙々と料理を食べるだけの時間。

 昔はそうではなかった。少なくとも私の知る限り、食卓には話題があった。

 それを思い出す度、我が家の食卓はあらゆる意味でお母さんに頼っていたのだと思い知らされる。料理だけではなく、普段はバラバラで顔もあまり合わせない私とお父さんを繋いでいたのは、いつだってお母さんだった。


 「……学校はどうだ」

 先程と同じ唐突さでお父さんが口を開いた。

 私たちの会話はいつだってこんな感じだ。本当に同じ家族なのかと疑いたくなる程に、お母さんがいない時の私たちはぎこちない言葉しか出ない。

 「どうって……」

 「もう慣れたか」

 また少しだけ黙る。

 何とか丁度いい言葉を探す。


 「……まあ、普通」

 でも、作家のお父さんですら言葉が出ないのだ。まだ高校生の私にそんな事出来る訳がない。

 普通、答えたようで、答えていないようで、そう打ち切ってから、こういう時に習慣になっていたお母さんの写真に目を向ける。

 「そうか……」

 お父さんのリアクションも、こういう会話の時の決まりのようにそれだけで、それきり再び沈黙と食器の音だけ。


 「……あ、そうだ」

 先程会話を打ち切った罪滅ぼしという訳ではないけれど、なんとなく落ち着かなくて、今度は私から切り出した。

 「明日ガモちゃんの家寄ってから帰るから」

 ガモちゃん=同じ高校に通う、この村に古くから住んでいる蒲生(がもう)さん。

 その蒲生家の二人姉妹の上の子=蒲生美玖(みく)と私は同じクラスだ。

 別に今思い出した訳じゃないけど、私なりのぎこちなさ対策として、最初の一言を発せさせるためにその形をとっていた。


 「ッ!」

 一瞬、お父さんが驚いたような、どきりとしたような様子で固まったように思えたのは気のせいだったのだろうか。


 「……そうか」

 すぐにいつもと、そしてこれまでと同じ「そうか」だけが返ってきた。

 「……向こうさんによろしくな」

 そう言って、味の薄い味噌汁を飲み干す。

 「よろしくって……何を?」

 返事はなかった。


 翌日の夕方、私とガモちゃんは最寄りのバス停に降り立った。

 学校は遠い。少子化の時代だからか、村から一番近い高校に通うのでさえ村のバス停から30分ほどバスに揺られて――東京の感覚ではとてもそうは言えないような距離の――最寄り駅へ。そこから50分かけて学校のある駅で降り、更に20分ほど歩く。家からバス停までの距離や乗り継ぎの時間を考えるとどんなに急いでも片道120分は必要だ。


 「あ~、私も原チャリ欲しいなぁ」

 無人駅の前を横切っていくどこかの家のおばさんのそれを見て、しみじみとガモちゃんが言った。

 私たちの高校は申請すれば原付通学が認められている。バスと電車の本数を考えると8時30分に始まる朝のホームルームに間に合うように到着するには、つまり、その時間に出発できるように身支度するために6時前から起きる必要がある。

 もし原付があれば、通学時間は90分を切れる――クラスの子の実体験を聞いてからシミュレートした数字はそれ位だ。朝の30分の価値が他の時間帯のそれより遥かに大きいのは恐らく万国共通なのだろう。


 「ね。私も欲しい」

 だからそれは心からの同意。

 お父さんとの二人暮らしで、朝の支度は私の担当になった。

 と言っても、夜の残り物を温め直して、お母さんの仏壇にお初をよそって、自分の弁当を詰めるのと洗い物をするだけなのだが、それだって慣れていないと時間がかかる。

 先月誕生日を迎えて16歳になったため免許を取ることは出来るのだが、教習所に通う費用と原付自体の値段を考えると先立つものが必要だし、そのためにバイトをするような場所もこの村にはない。

 高校の近くなら出来なくもないだろうが、田舎の終電の時間を考えれば現実的ではない。

 ――お父さんに相談するという選択肢は出てこなかった。同じ家に住んでいる他人とさえ言っていい状態のお父さんにお願いするという精神的なハードルは、16歳でも出来るお金を工面する方法を考える方を選ばせるのに十分だった。


 「でも悠莉(ゆうり)ちゃんはもう16歳だから教習所行かれるじゃん。私はあと何か月……はぁ、先は長いなぁ……」

 12月生まれのガモちゃんはまだ15歳だ。

 私=瀬田悠莉は少なくとも年齢に関してはクリアしていた。

 そんな話をしながら二人並んで農道を進んでいく。蒲生家は瀬田家よりも駅から遠い。

 その道から村では数少ない舗装道路へ。


 「おっ、美玖ちゃん。今帰り?」

 「前田さんただいま」

 駐在所――交番のような場所だけど何が違うのかは知らない――の前を通った時、お巡りさんに声をかけられた。

 「そっちの子は……ああ、瀬田さん家の」

 「はい。瀬田悠莉です」

 「おお、そうだった。お帰り。もうこっちには慣れたかい?」

 「はい。おかげさまで」

 お巡りさんがこんなに色々話しかけてくるのは東京ではない事だった。

 こっちに来てからよく聞かれるようになったその質問に、こっちもよく言うようになったその答えを返す。


 「そうかいそうかい。それは良かった」

 「もう毎日通うの大変だから原チャリ欲しいなって話しになって、でも私まだ15歳で免許取れないし、前田さんの力でなんとかしてくれないかなって」

 「アッハハ!僕の力じゃ無理だなぁ」

 前田さんという中年のお巡りさんはガモちゃんの事を良く知っているようだ。ガモちゃん自身が前に言っていた。


 「おっと」

 その時、前から来た車列に気付いて私たちは道の端に避けた。

 先頭を行く古田工務店のトラックと、その後に大明技研のワゴン車が3台。

 この辺りでは貴重な舗装道路とあってか、色々な車両がここを利用する。規模は全く違うとはいえ、東京の大通りと役割は一緒なのだろう。


 「いやはや、賑やかになったねぇ」

 その車列を見送りながら、前田さんが懐かしむように漏らす。

 古田工務店は昔からこの村にある工務店らしいが、大明技研というのは数年前に村の近くに工場を建てた企業なのだそうだ。太陽光発電用のパネルや燃料電池を造っている会社とのことで、雛宮(ひなみや)村工場の開設に伴って大勢の若者が移住してきたのだと、東京にいた頃お父さんが話していた。

 須賀金川という村の北側になる川沿いの丘の上に工場があって、その丘の向こうにも何かの施設を造ったらしい。子供のころから雛宮村にいるという前田さんにとっては、過疎化の進む村に人口が増えることは嬉しいニュースなのだろう。


 前田さんと別れて、私たちは一路蒲生家へ。

 私の家の方向に向かう十字路を、今日は反対側へ曲がる。

 それからしばらく畑の間の道を進んだ先に見えてくる、大きな家がガモちゃんの家、即ち蒲生家のお屋敷だ。

 蒲生家は村の豪農だ。

 古くから代々この村に住んでいて、この辺りの事を良く知っている。前田さんが美玖ちゃんのことを知っていたのも、恐らくその関係なのだろう。

 周囲の田畑から石垣によって隔てられた、一段高い広い土地に、武家屋敷みたいな大きなお屋敷。これもまた、東京では見られない光景かもしれない。


 お父さんがよろしく言ってくれといった意味を、その時私は理解した。別に雛宮村に偏見がある訳ではないが、こういう場所で村八分に遭うようなことだけは避けたい。


(つづく)

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