忍びの毒腺
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ほうほう、こいつが実在したとされる忍び道具たちね。当たり前っちゃ当たり前だが、そんなにぶっ飛んだものはないな。一番手が込んでいるように見えるのは、火種を持ち歩く打竹か。
編み笠とか手拭いとかは、普通に生活の中へ溶け込んで使っているものじゃね? そりゃ、いかにも「忍者でーす」みたいなことしていたら、忍んでいないから意味ないけどさ。
笠は顔を隠す以外にも、飛び道具を仕込む真似もでき。手拭いは手当てをする以外にも、石を包んで振り回す武器にも転用できる。
汎用性に富む道具と、そいつをいかにうまく使うかの、知識の引き出し。つまるところのマンパワーこそが伝説の立役者になるんじゃないかと、俺はときどき感じるんだよ。
かといって、そいつらを十全に働かせて勝負するなど、実際にはやらない。
ルールの決まった競技などではないからな。どのような手を用いたとて、相手の得手を潰して好き勝手させないことが、防衛では肝心なことだろう。
よってネタを割らせないことが生命線だったのは想像にかたくないが、中にはその割れたネタが伝わることもあるんだ。
忍者だってすべてがうまくいったなら、その概念さえ今日に伝わってもいないだろうしな。その策に関しても同じだ。
俺の聞いたやつだと、こんなものがあったな。
うちの地元では、伊賀甲賀のような有名どころほどじゃないが、忍びの里があったみたいでな。ざっくばらんに話せば忍び養成学校だ。
特定の勢力に属さず、豪族や大名家から依頼された仕事を請け負って経営を成り立たせていたらしくな。諜報、破壊工作、流言……もろもろの秘密が里の中におさめられていたわけ。
その報告の中には成功の報もあれば、失敗の報も混じっている。俺が話すのはその中の失敗の報にあたるものだな。
その報は、里へ飛び込んできた一羽の伝書バトによってもたらされた。
ここ半年の間、とある城下に忍んで諜報活動を行っていた者からの報せで、続く二筆目には「動けなくなった」とあったとか。
あまりに端的すぎる文に、忍び頭をはじめとする者たちは首をかしげる。
体調を崩して、活動ができなくなったということだろうか。任務の性質上、不衛生なところに長期とどまることを強いられて、身体を壊すケースもなくはない。
しかし妙なのが、これ以降に続く詳細が記載されていないんだ。
そもそも、動けなくなった旨を伝える文さえ怪しい。仲間うちでの暗号もかねて、里では書く速度にも長けた忍び文字が使われて、わずかにでも手が動き、時が許してくれるなら、それなりの仔細を記せるはず。
それが今回は、この短い文のみでも忍び文字は乱れて、事態の喫緊さを物語っていた。
かの諜報活動も、とある勢力との契約で成り立っている。
定められた仕事の期限はまだ満了に至っていない。急ぎ、補充の要員を送る必要があったんだ。
しかし、新たに送り込んだ3名ともが、数回の定期連絡を境に音信が不通となってしまったという。いずれも里の中ではなかなかの実力者として知られていた。
秘密を教えぬためにも、もはや彼らと生きて相まみえることはもうあるまい。貴重な人材の喪失に、頭たちも悩んでしまう。
ここは、まだ里の内を知らぬ者を送るべきではないか、と誰かが切り出した。
里に入って日が浅い、今風に呼ぶなら下忍とされる者。
連絡を絶ったいずれもが、忍びたる心得を持った者たちだ。ゆえにそれを逆手にとられ、忍びだからこそ引っかかる陥穽にはまったのかもしれなかった。
そのような場なら、かえって忍びになりきらぬ者こそが適任となるやもしれない。
里に入って半年たたぬ者の中から、選りすぐられたその一人は、もとが猟師であったという。
地元の獲物が少なくなって生活が立ち行かなくなり、かといって農耕や漁業はどうも自らの性に合わない。いわゆる「宮仕え」などもガラじゃない、と語る彼は、どうした縁かこの里の門戸を叩き、今に至るのだった。
消息を絶った忍びのことはいい。一にも二にも、「動けなくなる」旨の詳細を探れ。
その任を帯び、白昼堂々と行商になりすまして城下へ潜り込んだ下忍。格好ばかりの露天売りをときどき行いつつ、探りを入れていく。
そうして、しばらく歩いて気が付いたのが、どうもこの城下へほのかに漂う臭いのことだ。
どちらかといえば、あまりいい心地がしないものだ。腐敗臭とまではいかないが、かつて自分が祖父や父から教わった、薬草の匂いに近い。
最も、こちらの利になるばかりでない、毒と称されるたぐいの草もまたごった煮したかのようだった。
この城下は周囲に水堀代わりの川が渡してある。その深さと広さたるや、攻城の兵器たる行天橋を持ち出しても、満足に架橋はままならないほど。
相当の工事が必要なはずで、暗に城下の財政が回っていることを示している。その川の上流より、この香りが流れ込んできているのだろうか。
早くも香りの件についての報せを飛ばしつつ、下忍はなお川まわりを怪しまれないように探ったが、どうも匂いの元はここからではないらしい。
ときおり、山深い谷で岩にはさまれた清水が織りなす、透き通った心地が鼻を刺す。いささかの不協和音でも混じれば、この奏では味わえない。
川からじゃないなと、下忍はまた数日かけた町を歩き、商いをするフリをして、ときに飲みどころにたむろする連中に酒をおごっては、口を開かせた。ときには博打もうったりして、違和感を覚えさせない商人ふるまいを続けていたのだが。
その飲みどころで酒をおごり、肩にかけた手ぬぐいでごりごりと首をかいた直後。
ふいと顔をあげた先で、店前の道をころころと転がっていくものがあった。
鞠と同じくらいの大きさだが、おおよそ美麗に作られるそれに対し、いま通ったものはほぼ枯草を思わせる黄土色に富んでいた。
――「転草」だと? この日の本でか?
転草は、現代でいうところのタンブルウィード。
根から離れながら、その身を丸めて地上を転がり、自らの動きでもってその種子をばらまいていくという、なんとも勤勉な草だ。
祖父が南蛮人より聞いたといううわさのまた聞きではあったが、風や水といった他者をたのまず、身一つで種を残そうとするその根性に、下忍はよい印象を残していた。
そいつが目の前に現れたんだ。しかも嗅ぎ間違いでなければ、そいつが通ったわずかな間で、にわかにあの薬草の香りが強まった。
――これは何かしらのからくりか?
下人は勘定を済ませて席を立つと、転草のゆく方向を確認。
忍び文字の文をしたため、懐に忍ばせていたハトに手紙をくくりつけて飛ばし、転草の後を追っていったんだ。
曲がり角を、ときおり右へ左へ。
角に身をこすらせながらも曲がっていく転草は、まるで目がついているかのよう。
十中八九、何者かの手によるものだろう。そして罠の恐れもあるが、まだ踏み込まねば任を果たしたとはいえまい。
城下のつくりはこの数日でおおよそ把握した。
転草は向かって北東部分、より家屋の密集した一角を目指していく。いかなる手を使うかと、下忍が再び草を追って角を曲がったところで。
にわかに、香りが変わった。
ほどなく転草はその足を速め、下忍を振り切るかのような動きを見せ始めたが、その実は違う。
手足にはびこり出す、無数のしびれ。下忍そのものの動きが鈍らされているんだ。
この変化した香りは、かつて親たちとともに体を張って覚えた、香りのみでも作用する指折りの毒草のものと同じ。
――なるほど、知識なくば立ちどころに動けなくなるな。これは。だが……!
すでに調査で、かすかに香りをかいだ時から、すでに下人は手製の解毒薬をこしらえている。かぎとった毒草、そのそれぞれに作用するよう微細な調節を施したものを何種類も。
そのうちのひとつを食んだ。伝家の製法は即効性にもすぐれ、たちどころに下忍のしびれをとりさった。
なお先へいく転草を追う下忍に、三度。香りのみの劇薬が迫るが、その下忍はことごとくを防ぎきる。
やがて転草は、いまだ下忍が調べられていない北東の端にある、急斜面を下り始めたんだ。それは地下へ下る一本道。
追うための加速をしかけて、下忍はかすかな音と空気の揺れを感じ取り、飛びずさりながら首の手ぬぐいを外す。手ぬぐいはごろりと、不似合いな重い音を立てた。
先まで自分のいた箇所に、吹き矢が突き立っている。しかしその刺さる角度から、下忍は瞬時に位置を察し、手ぬぐいを一閃させる。
勢いに乗って打ち出されたのは、大きくとがった小石たち。熟達した振りに助けられ、一顧だにせず放たれたそれは、下忍の耳にも届く肉体との衝突音と誰かのうめき声をあげさせた。
しかし、もう下忍の肌は風向きを読み取るために神経を集めている。
――こちらが風上か……よし。
懐から取り出したのは鉄扇。護身用の武器のひとつだが、忍びの嗜みとしてこの中には毒の香りを放つ粉が仕込まれている。これもまた彼の家手製の薬。
毒には毒。霞扇の術として知られる、遠距離制圧術だった。
穴の入口より送られ続ける毒粉は、ほぼ致死量に達する。伝家の術ゆえ、下忍より他に解毒がままなる者はいないだろう。
自らは解毒剤を服用し、踏み込んだ下忍はその狭い穴倉の中、かすかに首を折る数輪の花たちを目にする。
彼岸花に似ていたが、その花は桃と紫の斑点に彩られ、転草はその足元へぴとりとくっついていたという。
彼らを根切りにし、火を放って抜け出た下忍は、里へ花を持ち帰り任務完了の報告をした。
残念ながら花たちはいずれも、持ち帰って一日と経たずに枯れてしまったが、元より彼岸花に含まれる毒は多くの人の知るところ。
おそらく下忍が撃退した者を含めた連中の手により、特別に育てられた、しつけられた防衛の手立てだと考えられたとか。