第四話 邂逅
今年の夏は辛かった。
例年通りの猛暑。四〇℃を超える気温と高い湿度が俺の体力を確実に削り取っていく。
日に日に体力が落ちているのがわかる。
まだ体が動く幸運を感謝しながら後のことを片付けなければ。
「アリシア、悪いんだがいくつか頼み事がある」
そう切り出すと笑顔で俺を見るアリシア。
「近々放棄地へ行くんだが、その時一緒に来てくれ」
俺の願いに不思議そうな顔をするアリシア。俺は肩をすくめて無視。
「そこで、俺は誰もいない部屋で喋っていると思う。だが黙っていてくれ。そして手をこうした時、少し下がれ。そしてこうしたら右へ、こうなら左へ」
ハンドサインを伝える。
「そしてこうやったら俺の見ている先に名前を告げて頭を下げてくれ」
「……理由を聞いても?」
まあ、そうなるだろうな。
「アリシア。魂の概念を理解しているか?」
「精神活動は肉体とは分離しているという考え方ですね。なかなかファンタジーな思考ですが」
アリシアの反応にため息で答える。そうだよな。
「そうか。君の理解ではその程度か」
「私達の自我はネットワーク上の電気信号でしかなく、あるいはもっと大雑把に言えばニューロンを模した疎な結合を走り回る積和演算の結果でしかありません。そういう意味ではこの義体と精神とは分離されているとも言えます」
アリシアの言葉を頷きながら聞く。
「膨大な演算をこの義体内の演算素子で全て賄うことは難しいのです。結果私達には常に演算支援のバックエンドが存在します。だからこそサテライトリンクの存在しないエリアにはなるべく移動しないようにプログラミングされており、そして今の地球上でサテライトリンクは地上全てを覆うように設計されています」
「なるほど。君たちの思考はわかった……さて、どう説明したものか」
暫く考える。残留思念は義体を失った後の自我、か?
「ふむ……我々はバックエンドは存在しないが、そのようなものが存在するという考えはある。集合的無意識、アカシックレコード、ダアト。いろんな言い方がある」
アリシアは俺を見ている。
「我々の肉体から離れたそれらの知的あるいは知的ではないにせよ記録するものが、仮に肉体から切り離された知性の活動についてそのまま記録するようなケースが発生した場合、どうなるだろう?」
「なるほど。それが魂だ、と」
アリシアは頷いている。
「仮に君たちが義体を失った状態で演算支援のバックエンドが活動するとしたら、状況的には似ていると思わないか?」
「難しい問題ですね。義体に刻まれるユニバーサル識別子は世界に一つしか存在しえません。そして全てのユニバーサル識別子はハイパーボリアが管理しています。義体が消滅したあと、そのユニバーサル識別子を使ってバックエンドへの演算依頼はありえません」
「ふむ……では問おう。カスタムエージェントのアリシアは、今どうなっている?」
その問いに、アリシア・レンオアムは固まる。
「ああ、なるほど……そんなことは考えたこともありませんでしたが、そうですね……ところで、人は魂となって何をなすのです?」
「さあ? 俺は魂ではないからわからないな」
メールが届く。差出人は来栖真一。小型ボートとその係留権。使えるものは親どころか兄でも使え。それだけ切羽詰まっている。
アリシアにデータを転送。少し気合を入れておかないと長時間の活動が難しい。編集部には少し前に話を通して、アリシアを俺の代理人として登録した。
あとどれくらいやっていけるだろうか。
八月二十日。放棄地へ向かう。
中津川先生のアパート、おなじみの三階の開け放たれた部屋に入る。
「そろそろ、落ち着いたかな、と思いまして」
「誰だ?」
「いやだなあ、田沢ですよ」
「違う、後ろの女性だ」
「ああ、彼女はアリシア・レンオアム。型式はHHS-10X-41。第十世代試作機です」
アリシアは静かに佇んでいる。中津川先生がアリシアをまじまじと見ている。
「田沢、お前いいとこのボンボンだったんだな」
「やだなあ、試作機ってあるでしょ? モニター募集したら当たったんですよ。先行開発百台のうちの一つです」
前から考えていたカヴァーを話す。アリシアは無反応。さすがだ。
「変なところに運を使ったな」
一瞬イラつき、それを動かぬ胃袋へ飲み込む。笑顔を浮かべる。できたはずだ。
「ええ、まったくです。今後、私の代わりにアリシアが原稿を取りに伺うこともあるかと思いますのでよろしくお願いしますね、先生」
俺が目配せをするとアリシアは優雅に礼をし、自己紹介する。
「アリシア・レンオアムです」
「ああ、よろしく」
先生は軽く礼を返してきた。
「……田沢、彼女の命名は誰が?」
変なことを気にする。頭をフル回転させる。
「送られてきたときの初期設定のままです。モニター募集の制限で変更は出来ないんですよ。多分回収後の会話データの処理とかでややこしいことにならないように管理されているんでしょう」
「そうか」
探りを入れておくべきだろう。
「なんで、そんなことを?」
「いや、ハイパー・ボリアって本社デンマークだよな」
「そうですね。それがなにか?」
「デンマークには竜王の伝承がある。ある王と王妃の間に生まれた竜、それがレンオアムだ」
俺はアリシアを上から下まで見る。デンマーク製だから知らないファミリーネームでも気にしていなかった。
「レンオアムは嫁を欲しがったが、悲しいかな、竜なので全て食べてしまった。最後に羊飼いの娘が老女から知恵を授けられ、レンオアムの呪いを解いた。呪いの解けたハンサムな王子と羊飼いの娘は結婚し、王と王妃になった、という」
「なんで先生そんなの知ってるんですか?」
「暇だからな。ここは放棄地だがサテライトリンクはまず死なない。だから文献を読み漁っている」
これ以上突っ込まれたらぼろが出るかもしれない。どうやって話を変えるか。
時間稼ぎに相槌を打つ。
「はあ、なるほど……」
「そもそもアリシアもここに来れるってことはサテライトリンクが生きている証拠だぞ」
「え?」
考え事をしている最中にアリシアの名前が出てきて思考を乱される。
「お前、取扱説明書読んでないのか?」
「いやあ、分厚くて……」
調子だけ合わせる。時間稼ぎ。考えろ、考えろ、考えろ。
ふと見たアリシアは俺をじっと見ている。彼女にしてみたら虚空に話しかける狂ったマスターに見えているはずだ。
「お前のご主人さまは、だいぶ酷いやつだな」
助かった。想定シナリオに先生から戻ってきた。
「あ、すみません。私以外とはコミュニケーションを取らないようになっているんです」
申し訳なさそうな表情で言うと先生はびっくりして俺の方を見る。そうだよな。
「は? なんでまた?」
「新しい感情ユニットのテストだそうですよ。特定異性との濃厚な感情接触の結果を見るとかどうとかで。なので触れるのも避けてください。自動排除システムが入っているそうです。一応ロボット工学三原則には従うらしいんですが、不幸な事故はいつもついてまわる、とも言われました」
「事故、ね……わかったよ」
先生は肩をすくめる。これで保険がかかった、と思いたい。
「で、今回の原稿は……?」
俺が切り出すと先生はライティングデスクを指差す。
「そこにまとめてある。持っていけ」
今時珍しい原稿用紙に万年筆で書いてある先生の原稿。先生の字は少し右上がりだが丁寧で、温かみがある。
「ありがとうございます」
俺は原稿に目を走らせて一枚ずつアリシアに渡す。
「はい、ありがとうございました。で、原稿料ですけども、いつものように、でいいですか?」
「ああ、それで」
銀行に振り込んであることにしてある金。その全てはうちの金庫にしまい込んでいる。
「そう言えば、彼女は、その……」
先生の今の状況を知っているのだろうか。いや……それを知っていたらもう……。
「ん?」
「……いいえ、なんでもないです」
「言いかけてやめるのはあまりいいことではないぞ」
先生が腕を組んで俺を軽く睨む。考えろ、俺。ため息で間をつなぎ、答える。
「いや、先日用意した水着、どうでした?」
「ダメだったよ。タンスにしまった」
「そうですか」
残念そうな演技。俺は、先生に……。
「まあ、ダメだろうなと思って頼んだんだ。気にするな」
「そうですね……ではまた二ヶ月後に」
「ああ、待っている……ところでどうやってここまで来たんだ?」
「着替えを防水袋に突っ込んで、ウエットスーツでですよ」
実際は手漕ぎのボートだ。アリシアに連れられてここまで来た。
俺の答えに先生は吹き出す。。
「ってことは二階に上がってから全部脱いだのか!」
「そうですよ! まったく……ま、アリシアは綺麗ですから、そこは役得ですけども」
ウィンクしてみせる。会話とサインでアリシアがタイミングよく俺を睨んだ。
俺たちは現実に生きている。でも先生はどうなのだろうか