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雲鯨

作者: 鈴木結七

大旱雲霓(たいかん(の)うんげい)


ひどい日照りの時に雨の前兆である雲や虹を待ちこがれるように、ある物事の到来を切に待ちこがれるたとえ。


 夏の暑さは一層増して、日差しは肌をこれでもかと云う程焦がしていた。天気予報では、二週間は晴れが続き、これから更に日が強くなると云うものだから、暑さで狂ってしまったのかと思った。


 これが『夏本番』か。時の遅さが憎たらしく感じられる。まるで氷のように溶けて仕舞いそうだ。


「ねぇ…暑いし、プール行かない?」


 と放った言葉も水蒸気みたいに、何処どこへ行くと云う訳でも無く儚く消えていった。


「ダメよ。きっと混んでるわ」


 と母が云う。分かってるよ、と云いかけたが生憎口が動かない。仕方なく母に背を向けて畳の上に寝転がった。畳は汗を吸って、変な臭いがした。


「せめて雨でも降ってくれたらなぁ…」


 どうせ誰も聞いてやくれないと諦めつつ、小声で呟いた。すると


「海へなら連れてってあげるわよ」


 突然の母の言葉に、私は驚き、飛び起きた。


「ほんとに?! やったー!」


 興奮のせいで、身体の芯から熱くなった。



 そして翌日の朝から支度を進めて、海に連れて行ってもらった。その日も相変わらずの日差しで、海は大勢の人で賑わっていた。


「やっぱり海も混んでるわねぇ」


「でも、広いから大丈夫だよ!」


 嬉しさのあまり、痩せ我慢のようなことをしてしまった。

とにかく海を満喫したかったからしょうがないだろう。今思えば馬鹿げているなあ、と自分自身が恥ずかしくなる。


 さて、それから私はどれぐらいはしゃいだのか、自分でも分からない。ただ覚えているのは、いきなり目の前に霧が掛かったように見えづらくなったこと位だ。


  =====================


 気がつけば、私は砂浜の上に横たわっていた。熱さにすぐ飛び起きた私は、何が起きたのか必死で思い出そうとした。しかし不思議なことに、目の前に霧が掛かったように見えづらくなったことしか覚えていない。


 空を見上げると、私のもやもやした気持ちとは正反対の、晴れ渡った景色が広がっていた。


 「あれはなんだろう…」


 太陽の眩しさが針さながらに目を突くので、手で日除けをしながら空を見ていると、一際大きな雲が私の方へ流れて来ている。


「うわぁっ?!」


 声はれていた。驚くしかなかった、何故か。それは他でもない、その雲が姿を変えて、何やら生き物のなりに成ったからだ。


「…………鯨?」


 そう、雲は鯨に成ったのだ。それからの経験は夢のようだった…というより結論としては夢だったが、あやしいくらい鮮明に覚えている。


 それはこんな感じだった。


 鯨(以降「彼」と呼ぶ)は私の方へ泳いで来た。近づいて分かったのは、彼は豪華客船くらいに大きかったことだ。その大きさには再度驚かされた。そして彼はひれを上手に使って、私を彼の背中へひょいと飛ばして乗せた。体がふわりと宙に浮かぶ感覚は実にヒヤリとした。


 彼はそのまま上へ上へと昇って、私を優雅な旅へと連れて行ってくれた。それは太平洋の上からアメリカへ、その後イギリスにフランス・イタリア飛んでモンゴルまで、そして日本に帰って来るという六日間程かけた世界一周旅行だった。


 夜の景色は絶品で、今でもその素晴らしさはこの目に焼きついている。たまに落ちそうになってヒヤリとしたが、そんな時彼は優しく私を包み込んでくれるのだった。


 そんな、ジュール・ヴェルヌよりも不思議な世界一周を、私はこの夏果たしたのだ。その楽しい旅の中で母のことを一秒たりとも気にも留めなかったのは少し反省している。


 しかしてそれをしている間、彼との、言葉を交わさないコミュニケーションや冷たい風が私の癒してくれた。私は彼と友だちになった。それが最も嬉しい思い出だった。何しろ彼のおっとりした顔がかわいいのだ。


 そして…いきなり彼は喋り出した。


「大丈夫?」


 その声は予想以上に高かった、それにしても何処かで聞いたことのある声だった。それに、突拍子もないその台詞にも違和感を覚えた。あまり頭の回らない私は


「うん、大丈夫だよ」


 と返した。


 そして彼はついに私を元いた砂浜へ下ろして、また空へと戻って行った。最後に彼は勢いをつけて、鼻孔から潮を吹いた。それは雨のように私に降りかかったがその冷たいことと言ったら、まるで一瞬冬にでも成ったかのようだった。そうして彼はまた雲のなりに変わっていき、そのまま私は疲れて目を閉じたのだった…


  =====================


 次の瞬間、目を覚ますと私は何やら小屋の中に横たわっていた。そして数人が私の方を見て、「良かった!」「大丈夫?」「名前は言える?」などと口々に言う。その時察した。私は気を失っていたのだ。あの楽しかった思い出は全て夢だったのだ。


 この件が落ち着き、家に帰る車の中で母は私に経緯を話してくれた。


「あのね、あなたが海に入って、一通りはしゃいだ後に海岸に戻って来たと思ったら、急に倒れ出したのよ。ひどい熱中症だったみたい。全く、気をつけなさいよ?」

「はぁい…」

「当分、海は行きません」

「えぇ〜っ!なんで!」

「あんなことがあったのに、平気で行かせる訳にはいかないでしょ?明日からちゃんと宿題やるのよ?」

「……」

「返事は?」

「…はい」

「さ、ちょっとアイスでも買いに行きましょう」


 私はコンビニで、アイスを三つ買って貰った。


鯨鯢の顎に懸く(げいげいのあぎとにかく)


海で危険な目にあって命を落としそうになることのたとえ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 話自体の全体的に雲っぽいふんわりとしたぼやけた雰囲気。 [気になる点] 雲は鯨に成った。そいつがどうやって降りてきて、どうやって主人公を乗せたのか。大迫力だったのか、勢いあって知らぬうちに…
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