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ハーケンブルグ公爵

 公爵が使っているという執務室の前に来た時、フレデリクは心配そうな顔でリュミエールを覗き込んだ。


「大丈夫ですか。手がずいぶんと冷たい……緊張されていますか?」

「ええ、少し」


 彼女は細い喉をごくりと鳴らす。

 冷血なる公爵と噂される銀竜公は、一体私をどのような態度でお迎えくださるのだろう……そんなことを考えつつ、リュミエールはすっかり心細くなってしまう。


 だが、ここまで来て戻る訳にもいかない。


 案内を任されたフレデリクも困ってしまうだろうし、もし世話係のケイティまでなんらかの(とが)めを受けてしまったら……その位なら恥をかいた方がよほどましである。


 そう思って、リュミエールは弱気を押し殺し、フレデリクに頷いた。


「心の準備は出来ました……」

「わかりました。では少しお待ちください。ハーケンブルグ公爵閣下、フィースバーク侯爵令嬢をお連れいたしました。扉を開けてもよろしいでしょうか?」

「……入れ」


 やや間があって、張りのあるバリトンが耳に届き、フレデリクは扉を開く。

 そして三人は入室し、執務室の机の前に立ったレクシオールの前に並ぶ。


(この方が、私をあの場から助け出してくれた方……)


 リュミエールの目は彼の姿に釘付けになった。

 背はフレデリクよりも更に頭半分ほど高く、すらりとした細身でありながら、しっかりと鍛えられているバランスの良い体格。その上に乗った顔は、精悍(せいかん)さを感じさせつつもおとがいは細く、一つ一つの部分が神秘的なバランスで整っている。


 そして何よりも印象的なのが、その長くきらめく銀の髪と、深い蒼の瞳である。

 間近で見ると、声も出なくなるような美しさであった。


 リュミエールは夢心地で公爵の姿を見つめていたが、それを現実に引き戻したのが、次の第一声である。


「――遅いッ!!」

(ひっ!!)


 思わずかがんで頭を押さえてしまう程の声の大きさ。

 ここまでの大声で怒られたのは人生初の彼女は、涙目で公爵を見上げる。


「もも、申し訳ありません……」

「ちょっと、レックス。悪いのは僕なんだ……ついつい可愛い女の子に囲まれて羽目を外してしまってね。許してくれよ……仲の良い友達だろう?」

「いくら親しかろうと、礼を尽くすべき場ではそうすべきであろうが! どれほど待たされた思っているのだ!」

「ごめんごめん……」


 手慣れた様子でレクシオールをなだめるフレデリク。部屋に入る前は堅苦しい声をかけたのに、この場ではずいぶん遠慮がない。


 そして家格の差があるにもかかわらず、レクシオールが気にしていない所を見ると、小さなころからの知り合いなのか、もしくは彼がそう言ったことをあまり気に掛けない性質なのか……。


「……それで、遅れて来たわりには、こちらに挨拶も無しか?」


 グリンと青い瞳がこちらに向いて、リュミエールは心臓が口から飛び出そうになる。


 「御嬢様、ふんばりどころです!」と小声で応援してくれたケイティに勇気をもらい、何とかリュミエールは、公爵の前に出て、何とかドレスの裾を摘まみ上げる。


「ハ、ハハ、ハーケンブルグ公爵閣下、先日は助けて頂きまことにありがとうございました。私、フィースバーク侯爵家の第三女、リュミエールと申します。この度は婚約を結んで下さり、感謝の念に()えません……色々至らぬところもありましょうが、あなたのご期待に沿うことができますよう、精一杯努力させていただきます……」

「ふん……レクシオール・ハーケンブルグだ。そこの栗毛の女好きと同じように、レックスでもレクシオールでも好きに呼ぶがいい。だが、感謝も努力も必要ない……俺のそばに(たたず)んでいるのがこれからのお前の務めだ。それ以外はいらん」


 ぽか~ん……と、ケイティと二人してレクシオールを見つめてしまったリュミエール。その様子に慌てたフレデリクがレクシオールをたしなめた。


「ちょっとレックス! それはあんまりだろう! 彼女はお飾りの人形じゃないんだよ!?」

「そんなことはわかっている……だがな、仮にも貴族として結ばれようというのなら、それぞれの務めをまず果たさねばなるまい。俺は彼女に、心の交わりを求めてはいない」

「閣下! それはもがっ!?」

「ケイティ、だめよ!」


 彼女の発言は許可されていないので、あわてて口をふさぐリュミエール。

 だが意外にも公爵は、その先を促す。


「ふん、構わん……言ってみろ」

「私、ラーセル子爵家のケイティと申します。御寛恕(ごかんじょ)いただき感謝いたしますが……その発言はあんまりでございます。確かに、貴族家には愛のない婚姻も多数ございますが、御嬢様の心映えは誠に素晴らしい物にございます……なにせ、夢で見た悲しい二人が幸せになって欲しいが為に毎日お祈りを欠かさぬくらいなのですから。そのような優しく純粋な御方が、愛情も頂けず日がな一日人形の様にぼんやり突っ立っている姿など私は見たくないのでございます。何卒御嬢様に愛情を注がれる努力だけでもして頂けないでしょうか?」


 長い台詞を息もつかずに言い切る彼女に、公爵はニヤリと笑みを見せた。


「ほう、中々いい世話係を持っているではないか、リュミエール嬢。この俺に面と向かってここまで言える女はなかなかおらんぞ、肝が据わっておる。だが、俺にはそのつもりも、そんなことをしている余裕もない」


 ケイティの事を認めてもらったことは嬉しかったが、やはりはっきりとそう言われるのは、リュミエールとしても悲しい。だが、あの家から出ることが出来ただけでも幸運だったのだし……ここで下手にごねてもしまたあちらの家に帰されたらと思うと……。

 

「いいのよ、ケイティ。私はそれで……元々王太子殿下と婚約した時もそうなる覚悟はしていたのだし」


 リュミエールには公爵のその言葉を受け入れる覚悟がある。

 しかし、その前に一つだけ聞かなければならないことがあった。


「あの、レクシオール様。一つだけお伺いさせても良いでしょうか」

「なんだ? 屋敷の設備は自分の部屋などについては、この後案内させるが……」

「いいえ……実は私、夢に銀の竜をみたことが何度もありますの。その竜は、もしかしたらこちらの家のどなたかの魂なのではないかと思って」

「竜……? お前はまさか、この俺がトカゲに見えたりしているのではないだろうな? そうだとしたら、この縁談を考え直さねばならないぞ」

「ぶふっ……レックス、それはひどいよ」


 その失礼な返しにケイティは眉を吊り上げ、フレデリクは少し吹き出したが、リュミエールはこれまでになく真剣な顔付きで言う。


「いいえ、そんなことはありません。私の前にはとても美しい男性がお一人いらっしゃるだけですわ。ですがお願いいたします……このお家の古き祖先に、レグリオという名前の方がいらっしゃらないか、思い出していただきたいのです」

「――そんな名前の者はいないな」

「本当でございますか?」


 性急すぎる返しに、リュミエールは違和感を持って聞きかえしてしまったが、レクシオールは首を振る。


「話はそれだけか? ならばフレディ、この二人を部屋へと案内してやれ。俺は仕事があってこれ以上付き合っていられんからな……」

「はぁ……初顔合わせだというのに随分つれないもんだね? 誰かに盗られても知らないよ?」

「構わん……いたずらに子供など作られては困るが、俺がその娘を縛るつもりは無い」

「全く……さあ、ではお二人とも行きましょうか。長旅の疲れもあるでしょうし……後はごゆっくりお休みください」

「は、はぁ……レクシオール様、失礼いたします」


 リュミエールが残念なそうな顔をして執務室を後にする時も、彼は背中を向けたままこちらを一度も見ようとはしなかった。


「お、御嬢様!?」

「あっ……ごめんなさい」


 退出した後、リュミエールの頬をぽろっと涙が伝い、慌てて目を閉じる。


 この涙はそっけない対応をした彼のせいではない……彼は、怒りはしたけれど理不尽なことは言わなかった。たぶんきっととても真面目で、自分の幸せよりも大事な物が他にある人なのだとリュミエールは思ったのだけれど……。


(勝手に期待しておいてがっかりするなんて、卑怯だわ……私)


 きっと彼ならば、レグリオについて何かを知っているのではないかとリュミエールは信じていたのだ。パーティーで一度だけ見かけた彼の瞳が夢の中の竜とあまりにもよく似ていたというだけで。


 でも彼は何も知らないと言った……。


(仕方ないわ……元より、当てのない探し物だったんだもの……)


 リュミエールは涙を拭う。


 レグリオを知る一番の手がかりが失われてしまった事は物凄く残念だけれど、恥じるべきは考えの浅い自分なのだ。こんな事で誰かを心配させてはいけない……。

 

「なんでもないの……すみません、フレディ、お部屋に連れて行って下さる?」

「ええ……ではこちらへ」


 気づかわしげな表情を向ける二人に首を振って笑顔を作り、リュミエールはその後ろにゆっくりと続いた。

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