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【おまけの番外編】アップルパイ

 ……日差しの穏やかな午後、レクシオールは執務室で書き物をしていた。


 結婚式も無事済み、リュミエールと幸せを誓い合った後のこと。

 もちろんレクシオールとしては仲睦まじい新婚生活をしばらく過ごしていたかったのだが……領内の仕事で最終的な判断を委ねられるのは彼だ。甘い生活はほどほどにして、また仕事漬けの毎日に戻らなければならなかった。


(北部国境に特に動きは無し……国内も即位後安定しており、危惧された他国の干渉もほぼ無し、か。油断は出来んが、この様子なら年内はおそらく、領内の制度改革や公共事業の推進に集中できるだろう。優先は……)


 コンコンコンコン……。


 考え込むレクシオールは届いたノックの音に入室の許可を告げた。


「入れ。……何だ、お前達か」

「レックス、お疲れ様です」

「お仕事中失礼いたしますわ、公爵様」


 そして、入って来た二人に表情を緩める。


 部屋の外から笑顔を見せたのはリュミエールとケイティだ。

 侍女が押すカートの上には用意してあるのは茶器だが……リュミエールの手に持つ四角い箱はなんだろうかと、レクシオールは疑問に思う。

 

「……あの、少しご休憩されてはと思って、作って来ました。良かったら少しだけお茶にしませんか?」


 彼女が箱を開けると……。


 そこに入っていたのは切り分けられたアップルパイだった。

 全体的に整ってはいるが、どこか(いびつ)なその形からは、苦労の跡がうかがえる。


「ふふ、御嬢様ったら……料理長に手伝って貰ったのですけど、形が気に入らないからって何度も何度も作り直して。おかげで私も城の皆さんもお腹が一杯になってしまいましたよ」

「ああ、もう……言わないでっていったのに! きゃっ!」


 細い腹をさすりながらにやにやするケイティに、レクシオールはムッとした顔で箱を取り上げ……赤くなったリュミエールの肩を抱いたままどっかりと応接用のソファに沈み込む。


「食わないわけないだろう。別にお前が作ってくれたなら、俺は焦げていようが潰れていようが一向に構わなかったのに……」

「でも、こんなに頑張ったのはあなたの為ですから……」


 リュミエールがいつかの約束を律儀に覚えていてくれた嬉しさより、皆が先に味わってしまった悔しさの方が勝ったのか……レクシオールは不満そうだ。


 だが……湯気の立つ温かい紅茶と共に出されたアップルパイをしげしげと眺め、彼はふっと表情を崩した。


「フォークをお使いになりますか?」

「いや、いい……こうして食べたいんだ」


 レクシオールはケイティから手拭きを受け取り、そのまま端をつかんでかぶり付く。


 貴族らしからぬ無作法な食べ方だったが、何故かそれは今の彼の笑顔に良く似合っていた。


「どうですか?」

「……うん、美味い。もう一つもらえるか?」

「はい、いくらでも」


 彼の食べっぷりを見て、リュミエールはほっとする。

 

 前公爵コーウェンの妻であったレジーナも、元気だった時は同じように家族との時間を大切にしていたようだと、周りの人々から聞く事ができた。


 レクシオールにとって両親と過ごした時間は、辛いことも多かったのだろうけど……でも大切な記憶があったのなら、それは忘れないでほしい。


 そんなささやかな願いを込めて焼いたアップルパイを片手に、レクシオールがふと呟く。


「……いい日だな」

「はい?」


 二人の向かいには優雅に寝転ぶ小公爵相手に今日こそはと駆け引きを行うケイティ。外から伝わるのは働く人々の笑い声や、訓練する兵達の威勢のいい掛け声、ささやかな自然の奏でる音。


 ここにあるのは全て、何の変哲の無い日常のひと時だけだ。


「いや、今……何となくそう思った。ありがとう、リュミエール」

「……はいっ!」


 聞き返した言葉にもはっきりした答えは無かったが、レクシオールの満足そうな顔を見れたなら、リュミエールにも言うことは無い。


 彼の腕に思いきり肩をくっつけると、満面の笑みを見せる。


「――あ~ん、連れないお方! なんなんですの? 何が気に入りませんの? こんなに恋焦がれておりますのに……! はぁ……もう行きますの? いってらっしゃいませ」


 ややあって決着した攻防は本日も小公爵に軍配が上がり、ケイティは悔しそうに項垂(うなだ)れると、自ら扉を開けて彼を見送る。


「――クックックッ」

「ケイティったら……」


 その背中があまりにも哀愁を誘っていたので、おかしくて二人は笑いを(こら)えきれない。


「お二人とも、ひどいですよ~!」


 そして当のケイティもしょんぼり顔をくるっと切り替え、ケラケラと破顔する……。

 

 目が涙で潤むほど笑った後、リュミエールは思った。


 この人達と一緒の毎日なら、これから起こるどんな一幕も心のどこかへ集め、しっかりと大切にしまっておきたい……。


 そうすればいつか……皆とこんなことがあったねと、笑い会える日がきっと来るはずだから――。

【感謝の言葉】

完結後も多くの方々から読んで頂き驚きました。

応援や評価などなど本当に感謝の言葉もありません……なので皆様へのせめてものお礼として短めのストーリーですが、その後の一幕を書かせて頂きました。少しでも楽しんで頂けると幸いです。


 今年もすでに暑いですが、体調不良を起こすことなく皆様が良い思い出を作られることを願っています。楽しい夏をお過ごしになられますように!

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