〈エピローグ〉いつまでも幸せに
――椅子に座り、扉が叩かれるのを待ちわびながら……その日のリュミエールは視線を俯け意識を遠くへ飛ばしていた。
レグリオとアリエステルの最後を見届けた後、領内に戻ったリュミエールとレクシオールは、婚約を知らしめるために少しずつ、他の貴族も出席する茶会へ訪れるようになった。
あんなに大勢の人と話すことが苦手だったリュミエールも、レクシオールの助けもあり、少しずつ他と打ち解けることができていった。
彼女の家が没落したことを悪く言うものはいたが、元王太子カシウスの命を救ったことや、現王ロベルトが二人を友人として認めていることもあり、そういった声は次第にさざ波のように引いてどこかへ消えてしまった。
ダンスももう、下手だったころの面影は見られない。
リュミエールもレクシオールも、互いを見つめ合って踊るこの時間が楽しくて仕方がなく、そんな幸せそうな二人を見て、多くの貴族たちが羨ましそうにささやき合った。
もう銀の竜の夢を見ることがなくなったリュミエールは、朝の祈りを礼拝堂でシスター・ロディアや城の住人達と行うようになり、そこでも多くの人と触れ合う。
ロディアに元フィースバーク領での出来事を教えると、彼女はいたく感激し、後日アリエステルの眠る石碑に祈りを捧げにいったようだ。教会にはその時以来、マリーゴールドがよく飾られるようになった。
小公爵はあの日以来リュミエールの頭の中に言葉を伝えて来ることは無い。
しかし相変わらずその泰然とした態度と美しい銀色の毛並みは、城内の人々の心を癒している。領主が仕事に励んでいるか、執務室をふらりと視察しにくるのもやめてはいないようだ。
新たに即位した新国王ロベルトは宰相ルビディルを始め臣下の信任も厚く……即位後も大きな問題は起きていない。唯一の問題は未だに独り身であることだが……それはまた時が解決してゆくのだろう。
そういえばパメラはなんと、ロベルトの推薦で公爵家から王城お抱えの侍女として働くことに決まった。本人は最初は渋っていたのだが、レクシオールの勧めもあり結局は承諾して、今は新たな経験を積もうとやる気を見せている。しっかりした彼女であればきっと、場所を移しても立派にやっていくのだろう。
……忙しいそんな日々はあっという間に過ぎて行き、そしてこの日が訪れた。
リュミエールは今日が一生に残るほど大事な日になることを確信している。
感慨にふけるそばでは、ケイティがそわそわと手を擦り合わせていた。
ある意味彼女にとっても今日は晴れ舞台なのだ。上がってしまうのも無理はないのだが……。
そして待ち望んだノックの音が、扉を叩く――。
「ど、どうぞ……! まぁぁっ……!!」
ケイティが素早く扉を開け、息を呑んだ。
それもそのはず……そこに佇んでいたのは白いタキシードに身を包む、絶世の美男子であったのだから。
長い髪は後ろで一つに結わえられ、下手なアクセサリーなど、霞んでしまうような美しさだ。
涼やかな青い眼元も、リュミエールに会ってから時折柔らかな光を放つようになり、より魅力が引き出されたと言えるだろう。
「ほら、突っ立っていないで通してくれ」
「……あまりの男っぷりに、ケイティは心臓を止めてしまいそうになりましたよ! さすが御嬢様のお相手にございます! ですが、本日の御嬢様も負けてはいませんよ……!」
そう言って挑戦的な笑みを浮かべるケイティに、レクシオールは片方の唇を上げる。
「ほう、それは楽しみだ……是非見せてもらおうか」
「あちらにございます……(ううっ、眩しい!)」
レクシオールの微笑を真正面から見返すことが出来ず、ついケイティは目元を覆いながら、リュミエールの座る場所を差し示す。
「……レックス」
「……エル」
そして二人はそのままたっぷり数十秒は見つめ合い、同時に硬直から復帰した。
「あの……」
「俺から先に言わせてくれ。やはり、俺にとってお前は特別のようだ……今までこれ程女性を美しいと思ったことはない。お前と出会えたことが、俺にとって間違いなく一番の幸せだ」
するとリュミエールは、紅が引かれた唇を少し開けて呆けたように言う。
「……言いたいことを全部言われてしまいました」
「ぷっ……はは、はははははは! いや、うん、充分だ。さあ、手を」
こんなに嬉しそうに笑うレクシオールをリュミエールは見たことはない。
それだけで彼女は目頭が熱くなったが……今日はまだ泣くわけには行かない。
懸命にこらえ、立ち上がる。
「ケイティ、よくやった。俺に権限があればお前の実家を侯爵家位にはしてやりたいところだな」
「ふふ、お気遣い痛み入りますが、そんな事をされては実家の父が卒倒して、寿命を縮めてしまいますわ。酷く小心者ですから」
褒めたたえられて鼻高々のケイティだが、ここは謙虚に辞退しておく。
彼女の父、ホロンド・ラーセル子爵も今日の式には参じている。
ちなみに先日また見合い話を持ち掛けられたのが、結局彼女はリュミエールとその子供達に生涯を捧げようと決め、すげなく断った。実家の弟はため息をついていたが、家を継ぐことに関しては文句はないようだし、それでいいのだ。
「……ケイティ、今までありがとう、私――」
「そこまでで御嬢様。まだまだ後に最高の瞬間が待っているのですから、ここは我慢でございます……ケイティはいつまでだっておそばにおりますからね!」
「おい、リュミエールと結婚するのは俺だぞ……困った奴らだな。さて、俺はもう行かねば。リュミエール、では式場で」
「はい……」
レクシオールはそんな一言で二人を軽く笑わせると、背を向けて出てゆく。
◆
快晴の元、城内の庭園は大勢の参列者で賑わい、笑顔であふれている。
本日は無礼講で、城の多くの家人もその場に参列する中……その人の登場に会場が湧き立った。
「国王陛下の御成りだ!」
即位した現国王ロベルトは皆に手を振りながら貴賓席へと歩いてゆき、その後ろには数人の貴族達が続く。その中には宰相の姿もあった。
そんな姿をひとしきり眺めた後、侍女パメラは首を巡らせた。
城内の知り合いと世間話をして旧交を温めた後、彼女は目当ての人物達を見つけて近寄る。
「父上、母上、ご無沙汰しておりますわ……!」
「おぉ、パメラ……久しぶりだな」
「元気にしているようで何よりだわ……」
黒いひげを貯えた父はパメラの肩を叩き、母は彼女を抱きしめる。
騎士である父は四十を越えて白髪の混じり始めた髪をかき上げて言った。
「まさかお前が王城でお仕えすることになろうとは、父として鼻が高いぞ」
「今回の主役である御令嬢も、あなたがお世話したと聞くわ……本当に立派になったわね」
両親に褒められ、パメラは懐かしい気持ちになりながらも首を振る。
「いいえ、私は大してお力になっていませんわ。彼女が公爵閣下の御心を射止めたのは、偏に御自身の努力と、いつも傍にいた一人の姉替わりの世話係のおかげなのです……」
そんな話をしていると、わぁっと華々しい歓声が上がる。壇上に出現した美青年に、誰もが目を奪われたのだ。
「おお、我らが公爵閣下が……本当にいいお顔をされるようになった」
「ええ……今まではどこか常に張り詰めたような雰囲気を感じさせましたが、今は大きな余裕が感じられて……見るものを安心させて下さいますね」
凛々しい表情の中に垣間見せる柔らかさは間違いなくリュミエールの影響だろう。
パメラも感無量の思いでそれを見ていた。
そして、他方でも大きな歓声が上がり、もう一人の主役が姿を現したのを知らせた。
リュミエールだ。
彼女は会場の参列者に向かって淑やかにお辞儀をすると、にこやかに手を振る。
「あの方が……そうか。なるほど……清らかでまっすぐな瞳がなんと美しい。城の兵士からも良く話を聞いている……我々の無事を祈りいつも真摯に祈りを捧げてくれているようで、それを支えにしている者も多いようだ。まさしく聖女という呼び名にふさわしい心根の持ち主のようだな」
「こんなに白い婚礼衣装が似合う方はいないでしょうね。うふふ、とても幸せそうで、こちら迄笑顔になって来るわ……」
その評価にパメラの顔も自然とほころぶ。
だがそこへ……声をかけて来た一人の男のせいで、その表情は急速に歪められた。
「パメラ、一緒に二人の晴れ姿を拝もうじゃない、っと……そちらは」
「へい……っ! ハ、ハイネガー伯爵ッ!?」
息が止まりそうになりパメラは、思い切りフレデリクもとい、ロベルト国王を睨みつける。ではあれはやはり……!?
この男は……先日あった時はこんな風にお忍びで来るなどとは言っていなかったではないか!
勝手な彼はパメラの表情から心を読み取ったかのようにひそかに呟く。
(そ、替え玉。この領内の人に僕は顔を良く知られてるし、この方がいいかと思ってさ……後でちゃんとレックス達とも話したいしね)
(ならば一言位伝えて下さっても良かったのでは!?)
(忘れてたんだ……ま、いいじゃない?)
このニヤケ顔は間違いなく、言い訳だとパメラは感じたが……それを問い詰める前に、後ろでただならぬ空気が発せられ、彼女は対処に追われた。
「おや、あなたはどなたかな? 家族の団欒中に割り込んで来られるとは、いささか不躾とも取れる行動だが……」
「ち、父上、この方は……」
父の鋭い視線がロベルト国王を射抜き……パメラは慌ててそれを諫める。
曲がりなりにもこの方は国王陛下なのだ、一騎士である父とは身分が違いすぎる――。
だが、彼は気を悪くした様子もなく、父に向かい優雅に会釈した。
「お初にお目にかかります、パメラ嬢のお父上。僕はフレデリク・ハイネガーと申します……此度はあのハーケンブルグ公爵の結婚を友人として祝う為まかりこしました。その婚約者をお世話していた彼女とはその縁で知り合いまして」
「そうなのか?」
「え、ええ……ま、まあそんなところです」
「……誰かに似ていないか……?」
「気、気のせいですわ……おほほ」
いけしゃあしゃあと父に偽名を名乗るロベルト国王。
パメラは父にひきつった笑いを返し、内心でこの嘘がバレていないかどうかひやひやしながら、目線で母に助けを求める。
すると察してくれたのか、母は父の袖を引く。
「あなた、若い二人の邪魔をしてはいけませんわ……それに常々心配してらっしゃったじゃないですか。自分譲りの気の強さのせいで中々嫁の貰い手がないのだと……」
「む……それは、そうだが」
父は反駁をぐっと飲み込んで、ロベルト国王を睨みつける。
「君にそのつもりがあるなら、今度家に来てくれたまえ……そこでゆっくりと話し合おうではないか」
「光栄ですね……いずれまた」
「じゃあね、パメラとそちらの殿方。さああなた、もう少し前で見せてもらいましょう」
「わかったわかった……」
言葉少なに返したロベルトに母は微笑みかけ、父を引っ張って行く。
柔和なようでいて中々母は行動力があるので、正直助かった……とパメラは息を吐き、ロベルトを思い切り恨みがましい視線で見つめた。
「ハイネガー伯爵様……。おかげ様で今度会った時両親になんと言い訳したものか……頭痛の種ができてしまいましたわよ!!」
隣で頭を抱えたパメラに、ロベルトは事もなく言う。
「別にいいじゃない、責任取ってちゃんと挨拶に行くよ」
「は? 何を言って」
「やり方は色々あるからさ……おっと、もう始まるよ」
それはどういう……といったパメラの疑問は霧散する。
ロベルトの指の先では……静まる参列者を前にして、壇上から伸びるカーペットの前でケイティがそっとリュミエールの頭を白いベールで包んだからだ。
パメラは知っていた……ケイティが随分と前から、夜ごとリュミエールの為にそれを一針一針、心を込め縫っていたことを。
(頑張ったわね、ケイティ……あなたの気持ち、きっとリュミエール様にも伝わっているわ)
きっとこれからもケイティは、リュミエールの成長をそばで見守りしっかりと支えて行くのだろう……それがきっと彼女の生きがいなのだ。
楽隊による入場音楽が鳴り響き始めたのを合図に花嫁は、誇らしげに寄り添うケイティとともに歩いていく。
それを見てパメラも嬉しかった……彼女はここに来るまでに実の家族にさえ冷遇されていて、こちらに来てからも自信の無さが目立った。それが今や、胸を張って堂々と皆の視線を受け入れている。
そして二人は左右に並ぶ参列者の祝福を受けながら、ついにレクシオールの元まで辿り着いた……。
◆
リュミエールたっての頼みで二人の式の牧師役を務めることになったのは、シスター・ロディアである。
彼女は広場にしつらえられたひな壇の中央で二人を待ち受けると、堂々とした美しい笑顔で、参列者に挨拶を告げた。
「お若く未来のあるお二方の新たな旅立ちにに立ち会えたことを光栄に思います。きっと神様も温かく見守って下さっていることでしょう。それでは恐縮ですが、誓いの言葉を述べさせていただきます……」
それを聞きながら、リュミエールは徐々に自分の胸の鼓動が早まってゆくのを感じていた。
参列者からは堂々としたように見えていた彼女だが……本心は実は一杯一杯で、顔に貼りつけた笑みをかろうじて維持しているようなそんな状態。
隣に佇むレックスとは大きな違いね……などとリュミエールは思うが、よく見ると彼もわずかに耳が赤くなり、鼻筋に力が入っている。
短い期間でわずかな変化までわかるようになるほど、彼の顔ばかりを追いかけて来たのだと思うと、誇らしいような、恥ずかしいような気がして……赤くなった顔を隠してくれるケイティのベールに感謝をした。
会場の音楽が静かな物に切り替わり、ざわめきが静まると、ロディアが深く一礼をする……いよいよだ。
彼女が二人を優しい瞳で見つめ、その口から誓いの言葉が述べられ始めた。
「では、新郎レクシオールから……。あなたは健やかなるときも病める時も、隣にいる新婦リュミエールを愛し、慈しみ、傍らに寄り添いながら……生涯共に歩んでゆくことを誓いますか?」
「……誓います」
静かだが、力強くうなずくレクシオールにリュミエールは今更ながら、実感が湧かず彼を見上げた。
(この人が、本当に私の旦那様になってくれるのね……)
つい見惚れたままになるリュミエールを、微笑んだままのロディアが一つ咳払いをして現実に引き戻してくれ……次は彼女の番。
「こほん、では次に新婦リュミエール……。あなたは健やかなるときも病める時も、隣にいる新郎レクシオールを愛し、慈しみ、傍らに寄り添いながら……生涯共に歩んでゆくことを誓いますか?」
「――ええ……誓います!」
緊張のせいか、彼女の口からはつい力が入った声で出てしまったが……誰もそれを悪くは取らず、温かい拍手が周りから向けられ、ほっと心の中で息をつく。
「では、お二人とも指輪の交換を」
満足そうな笑顔で、ロディアは控えていた侍女から一つの箱を受け取った。
そこに輝いているのは、もちろんレグリオとアリエステルからの贈り物である、蒼玉と琥珀の二つの指輪だ。
「ああ……リュミエール、手を出してくれ」
「は、はいっ――」
お互いの指へ、目の前の相手と同じ色の指輪が輝き……そして向かい合う二人にロディアの厳かな声が響く。
「では最後に、誓いの証として、口づけをどうぞ……」
その言葉にリュミエールの喉がくっと鳴った。
式の流れも知っていたし、一度人前で口づけは交わしていたけれど……胸の高鳴りは治まるどころか、大きくなるばかりで……。
「いいか……?」
「ぅ……はい」
レクシオールがベールをそっと上げるのを一瞬止めそうになったが、彼にかけらでも嫌な気持ちがあるのだと勘違いされたくはない。
俯けていた真っ赤な顔を上げ、彼に手によりスッと薄いベールが上がると、レースの帳が取り払われて目の前に貴公子の笑顔が露わになる。
それはリュミエールから言葉や心の一切合切を奪って、釘付けにしてしまった。
(この人と出会えて……生まれてくることができて良かった)
そんな思いが自然と口からこぼれる。
「好きです……レックス」
「……当たり前だ」
それ以外はもう何も考えられなかった。
リュミエールは背中を抱く彼に全てを委ね……そして二人は唇を合わせる。
――どの位そうしていたのだろう……。
背中をそっと叩かれ、気づくと彼の体は離れて再び目の前にある。
そしてシスターが、晴れやかな大声で祝福の言葉を贈ってくれた……。
「お二人とも、おめでとうございます……! 天におわす神々もお二人の誓いをしかと見届けたことでしょう。さあ、皆様……この若いお二方の門出を、温かいお言葉と拍手でお迎えください!! どうか、お幸せに――!」
こうして、二人は晴れて夫婦になったのだ――。
広場を満場一致の拍手が埋め尽くし、各人がそれぞれに手渡された籠から、色とりどりの花々が振り撒かれる。
「さあ、行こうか……」
レクシオールは引き締まった腕をリュミエールに突き出し、彼女はそれに寄りかかるようにつかまる。すると今まで我慢していた分が、急に……。
「ううっ……」
涙が、後から後から出てきて止まらない。
もう誰も、『空っぽ』だの『亡霊』など嘲る人はいない。参列者たちは無心で手を叩き……あんなに笑顔で彼女達を祝福してくれているのだ……そして。
「……安心しろ、俺は死んだって離れやしない。あの二人みたいにずっとそばにいるから……いつまでもな」
隣にはこんなにも素敵な……最高のパートナーがいてくれる。
リュミエールもレクシオールも互いに、心から笑い合えた。
「……はい! 私も……あなたの隣が一番の居場所です!!」
そうして二人はまっすぐに延びる道を歩いてゆく……。
繋いだその手を離すことなく、ずっと――――……。
完結です。PV、ブクマ、評価、感想、誤字脱字指摘等で応援していただき、とても励みになりました。この場を借りてお礼申し上げます……!
十二万文字位で収まる予定だったのですが、色々と書き加えたりしたら二万文字位増えていました。設定も、ロベルトとフレデリクは別人だったり、シスターは太っちょのお婆さんだったり、王太子の登場ももっと少なかったり、やっぱり書いている内に色々と設定って変わってしまいますね。
少しでも皆様の退屈を紛らわせたのなら作者としては嬉しいです。異世界恋愛作品自体初めての試みで、伝わりにくい箇所や稚拙な文も多かったと思いますが……それでも読んで下さった皆様、本当にありがとうございました!




