実家からの追放
その後、銀竜公爵の手により隣室に待機していた老執事セルバンの元へと届けられると、そのままリュミエールは屋敷へと返され……しばらくは一日中ベッドで寝込み、部屋から出ない日々を過ごした……。
――そして数日経ったある朝、リュミエールは父であるフィースバーク侯爵オルゲナフの執務室に呼び出しを受ける。
部屋に入ると、中央の古びた机の前に座る父と、傍に控えた継母の姿があった……。
「……失礼いたします」
「遅いぞ、ぐずめ」
オルゲナフは焦げ茶色の髪を撫でつけると、身体をちぢこませるようにして入室したリュミエールを冷たい視線でにらみつけ、憎々しげに毒づく。
「全く……お前がしっかりしないせいで、聖女が婚約を破棄されるなどという前代未聞の汚点を私の代で負うことになってしまったではないか」
「申し訳ありません……」
「フン……さいわい姉のサンドラを気に入っていただいたおかげで、陛下や王太子殿下のご不興を買うことは大してなかったが……。できた姉に感謝するのだな」
「やはり、血は争えないものね。家格の低い娘の子供など、やはりこの家にいれるべきではなかったのよ、あなた」
(父上も、母上ももしかしたらこの事を知っていて……?)
いつの間に、サンドラが王太子に取り入って深い仲になったのかはわからないが……それ自体はもう納得できている。
自分が女としての魅力に欠けているのは確かなのだろうし、彼女が王太子とああして仲を深めている間に、こちらは一言も会って話すこともできなかったのだから、努力不足を責められても仕方が無いことだ。
だがせめてあのような形ではなく……素直にお心移りがあるなら、手紙でも良いから一言伝えていただきたかったと、リュミエールは悲しく思う。最初から価値のない人間と決めつけられていたような気がして、胸が苦しい。
(私はこれからこの家でどのように生きていけば……)
リュミエールはなにより、王太子の妻になることを心から祝ってくれたセルバンとケイティに本当に申し訳なく思った。あの二人は彼女が王太子殿下に気に入られるように、色々とアドバイスや所作、身なりを整えたり、何をお好みであるか街で噂を拾って来たりと、一生懸命手伝ってくれていたのに。
そんなリュミエールの辛そうな顔を見てもなお、オルゲナフは吐き捨てた。
「……陰気な面をしよって。だが、もうその顔を見なくて済むと思えばせいせいするわ! お前の新しい嫁ぎ先が決まったぞ……ハーケンブルグの冷血公爵の元だ。あの男、お前などの為に多額の支度金を支払うと申し出よった。大方、珍しい物を手元に置いて見世物にでもするつもりなのではないか? はん……」
「ホホホ、その気味の悪い白蛇のような頭をこれ以上見なくても済むのに、お金まで頂けるなんてすばらしい話。最後に親孝行ができて良かったわね、リュミエール」
「……はい」
父親と継母の言葉は、リュミエールにはもうそれほど響かず、彼女はそれを黙って受け入れる……。
疎まれていたとは知っていたが、もう彼らは自分のことを家にある古い絵や壺などと同じようにしか見ていないのだと分かってしまった。
(もう……何もかも、どうでもいいわ)
そうしてリュミエールは輿入れの当日まで自室にて謹慎することを命じられ、彼らの求めるままにその部屋を退出する。
扉の内からは、二人が嬉しそうに笑い合う声が耳に届く。
血のつながりとは一体なんだったのだろうと……リュミエールはそんなことを考えようとしたけれど、途中で止めてしまった。
彼女にとってはもうそれは悲しいことに、嫌悪や悲しみの対象としか考えられなくなってしまっていたのだ……。
◆
当日、使いの馬車がフィースバークの屋敷まで迎えに来る頃……リュミエールは老執事セルバンとの別れを惜しんでいた。
身の回りの世話をしてくれるケイティは、向こう側がついてくることをお許しになった為、そのまま一緒に公爵家の城へと移ることになる。
リュミエールは彼女に、実家に一旦戻ってはどうかと問いかけたのだが、頑として付いて来ると聞かず……その気持ちは心細いリュミエールにとって唯一の救いとなった。
「御嬢様のお顔が見れなくなり私はさびしゅうございます……どうか、お健やかにお過ごし下され」
「私もあなたの顔が見れなくなるのはとても残念だわ。今までよくしてくれて、感謝の言葉も無いけれど……良かったらこれを受け取ってもらえないかしら」
リュミエールがセルバンに渡したのは、彼女の瞳と似た色をした黄玉のカフスボタン。街から出る数少ない機会を利用して、ケイティと一緒に選んだものだ。
「年は離れているけれど、あなたの事はケイティ同様、家族だと思わせてもらっていたわ。今まで私を育ててくれてありがとう」
「もったいなきお言葉にございます……私もあなたがこうして大きく育っていかれるのを毎日楽しみにさせていただいておりました。こんな老人の人生に彩りを添えていただき、感謝いたします。向こうで妻に自慢させていただきますよ」
セルバンは早くに妻を失くしてしまい、それ以来ずっと独り身だった。この穏やかな老紳士が少しでも長く楽しく生きてくれることを見届けたかったけれど、それはもう叶わない。
彼は早速その贈り物を袖に着けると、明るい笑みを浮かべ、手を拡げた。
リュミエールはその胸に飛び込み、親代わりの老人と、最後の抱擁を交わす。
……しばしそうした後、馬の足が遠くからかけてくる音を聞き付け、どちらからともなく体を離した。
「では御嬢様、お元気で。辛うことも一杯ございましたから、信心深き御嬢様のこと、きっと神様はこれから大きな幸せを与えて下さるでしょう。このセルバンめが保証させていただきます。ですから胸を張って旅立たれませ」
「ええ、そうするわ。名残惜しいけれど……もう行かなければ。またお手紙を書くわね……」
「ええ、私も何かあればケイティ宛に送らせていただきます。ケイティよ、御嬢様の事をしっかりお守りしてさしあげておくれ」
「ええ、セルバン様ご心配なく。私も女とはいえ貴族の出でありますから。存外剣の腕も捨てたものではありませんのよ。不埒者が近づくようであれば体に叩きこんでやりますとも!」
ケイティが胸をドンと叩き、リュミエールとセルバンはその仕草に微笑む。
「ふふ、頼もしいわね……ではセルバン。いつかまた……」
「ええ……いつの日か。お会いできることを楽しみに」
ハーケンブルグ公爵の治める土地はここより随分遠いと聞く。その機会が本当にあるかどうかは分からなかったけれど、リュミエールはそれを願い、セルバンも笑顔で頷く。
そうしてリュミエールは馬車に乗り込み、フィースバーグ侯爵領を後にする。
馬車の窓から顔を出し、こちらに向かって手を振るセルバンの手には、先程あげたカフスボタンが陽の光を反射してきらきらと輝いている。
それが小さくなって見えなくなるまで、リュミエールは窓から顔を出していた。
もし彼が本当の父親だったならば……どれほど良かっただろう。
そんなことを思うと涙が一粒、風に流れてどこかへと消えていった。