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婚約破棄

 婚約を破棄するとの王太子の発言を聞き、リュミエールの頭はくらくらして……一度立ったはずの足から力が抜け、再び地面に座り込んでしまう。


 手からプレゼントの包みがかさりと落ちて転がり、かすれ声が彼女の喉の奥から漏れた。


「ど、どうして突然、そんな、ことを……? そ、それに、いつからサンドラ姉様と……」

「……そんなことは大して問題無いのだ。君は私と婚約が決まってから、ほとんど会いに来ることもしなかっただろう」

「そ、それは……」


 リュミエールはこれまで、王太子殿下の人となりを知りたいと思い、何十通と手紙を送っている。だが、お会いして一度お話してみたいと文面にいくらしたためても、政務や勉学で忙しく時間が取れないという理由で……一度もそれを王太子が応じてくれることはなかったのだ。


 それなのに……。


「ふふ、エル……あなたは今まで何をしていたの? 日々お疲れの王太子殿下のお心に寄り添い、支えとなって上げるのが婚約者の務めでしょう? それなのにこんなに苦しまれているのを放っておくなんて……」


 サンドラは妖艶な仕草で王太子の頬を()で上げ、彼はうっとりとした視線をサンドラに返す。


 それだけでもう、二人がある程度の深い関係にあるのは伺い知れた。


「……サンドラの言う通りだ。私はあなたの愛情深さに救われた……もはや他の妻など考えられない。よってリュミエール、君との婚約は今を持って破棄させていただく。理解してくれたか……? わかったらこの場を去るがいい……君にはもうふさわしくないのだからな。なぁ、サンドラ」

「えぇ、あなた……」


 王太子の肩に嬉しそうにしなだれかかるサンドラ。そして、輪の中からもう一人の姉、リーシアが進み出てくる。


「ふん、エル……いいざまね。あら何これ、ごみかしら? 邪魔ねぇ……」


 自分の為に動いてくれるのかとほんのわずかに期待してしまったリュミエールは、彼女が誕生日プレゼントの包みをぐしゃりと踏みつけ、蹴飛ばしてしまったのを見て愕然(がくぜん)となる。


 そして続く言葉もそれを裏切らず、酷いものだった。


「あなたは今王太子殿下に振られた。わかるかしら、もうその存在に何の価値も無くなったっていうことよ! まぁもともと偽物には、こんな大役ふさわしくなかったのだけどね。夢を見られただけありがたく思うといいわ。……さぁ、ここにいる皆様に騒がせたお詫びをして、さっさとその陰気な顔をこの場から下げなさい!」

(そんな……あんまりだわ)


 乱暴に肩を押しやったリーシアの言葉に、リュミエールの瞳からポロポロと涙がこぼれ出した。周囲からの嘲る笑いと王太子たちを祝福する声が、彼女の胸に二重に突き刺さる。


 そして、サンドラがさらにリュミエールに酷い追い打ちをかけた。


「聞こえていないのかしら? では顔を洗ってあげましょうか、そうすれば頭もはっきりするはずよ。水よ、我が求めに応じ……彼のものを(ひた)せ!」

 

 ――聖女としての力。

 突き出した腕の先から一抱えの水球が生まれ、それがリュミエールの顔へぶつかってくる。バチャッと弾けた水を被り、彼女は濡れ(ねずみ)の様に体を震わせた。


(ひどい……どうしてここまで)


 彼女は、こんなみっともない自分を見られたく無くて顔を覆う。

 今すぐこの場から立ち去りたいと思うけれど、足に力が入らなくて立ち上がることすらできない。


 冷たい水が体温を奪い、リュミエールは青ざめたが……悲しくも彼女の味方は誰もここにはいなかった……。


(このまま死んでしまえたらいいのに……)


 絶望に心が塗り潰されたリュミエールは意識が保てずにそのまま倒れ込む。

 そんな折だった……。


「――失礼……!! それ位でよろしいでしょう、皆様方」


 さすがに見ていられなかったのか……人垣を割る様にして現れた一人の男性が、場の空気を切り裂くように声を発した。


 落ち着いた口調ではあるが、それにははっきり批判の意思がこもっている。


 ……誰かが呟く。


「銀竜公爵……」

「おぉ……あれが古き竜の血を引くとも言われるハーケンブルグ家の若き公爵か」


 男はリュミエールを庇うように進み出ると、王太子と向かい合う。


「……ハーケンブルグ公爵よ、何か私に文句でも付けようと言うのか?」

「……ひとこと言わせていただくとすれば、いくらあなた様の婚約披露の場であるとはいえ、大勢で一人の娘をあげつらう様はいささか不快ですな」

「な、なんだと……?」


 王太子の顔にさっと朱が昇るが、公爵の冷たい声音は続く。


「その娘が何をしたのかは知りませんが、公衆の面前でされることでもありますまい。もしなにか法に(もと)る悪行でも犯したのでしたら、裁判にて真偽を明らかにすべきでしょう」

「……む」

「そ、その娘は、この国の宝である王太子殿下の心を傷つけたのですよ! 糾弾されて当然では……」

「黙れ……」


 公爵の、極北の冷気をはらんだような眼差しが、サンドラの口を縛り付ける。


「私は殿下とお話ししているのだ。寝取(ねと)()如きが口を挟むな」

「……っ」


 サンドラは真っ赤になって口をつぐみ、王太子を見上げた。

 そして、王太子の憎しみの宿した瞳が、公爵の冷めた視線とぶつかる。

 

「我が婚約者に無礼は許さんぞ……」

「失礼……ですが、この場で破棄されたということは、まだそちらも正式に婚姻を結んではおらぬ身。侯爵本人ならいざしらず、その令嬢が私にかような口の利き方をするのも許されることではありますまい? 謝罪の言葉でもいただけますかな?」


 銀の髪の公爵と、金の髪の王太子が見せた、激しい睨み合い……。


 しばしの後……結局、根負けしたのは王太子の方であった。


「チッ、サンドラ……」

「……申し訳ございませんでした」


 すっかり威圧にのまれた王太子が、サンドラを促し……彼女は渋々公爵に頭を下げた。


 それを鷹揚(おうよう)に見下ろすと、公爵はリュミエールの体を抱き上げる。

 幾人かの女性から上がった悲鳴のような声……それを無視し、公爵は厳かに告げた。


「では私も王太子殿下の御為、この無価値と断ざれた娘をこの場から取り除きましょう。先程窓から見ましたが、王家の紋章をあしらった馬車が見えた。このような三文芝居を陛下とお妃様のお二人が見られては、ここにいる皆がどのような不興を買うかわかりませぬゆえ」

「フン……好きにするが良い」


 王太子はキリと唇の端を()むと吐き捨てるように言い、サンドラも心細そうに彼の腕をにぎる。


 そして公爵はリュミエールを抱えて悠々と歩き出し……出際に一度だけ、先程語らっていた青年に目配せをしてその場を後にして行く。


 それが合図であったかのように、栗色の髪の美青年が陽気な声でグラスを掲げた。


「さあさ皆さま、今宵(こよい)はめでたき祝いの席であります……(いさか)いごとは好ましくありません! 陛下もじきにおいでになる様子ですし、王太子と新たな婚約者様の(まこと)の愛を皆でおおいに祝福させていただきましょう!」


 その青年の音頭により、空気を読んだ貴族達が王太子たちの元へ群がって機嫌を取り始める。


 そうしてすぐに会場は賑やかな様相を取り戻し、この出来事はここで終わりを告げることとなった……。

 

 ……一方リュミエールは、鮮やかにことを収めた公爵の腕の中で揺られながら、未だ悲しみの闇に沈んでいる。


(私、これからどうすればいいの……)


 冷たく濡れた体を抱える公爵の胸の中はただただ暖かく、赤子のようにリュミエールは必死にすがりつきながら、全てを失った苦しみに耐えていた……。

 

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