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茶会への招待

 レクシオールと誓いを交わしてから数日のこと。

 リュミエールは魂の抜けたような日々を過ごしていた……。


(人は幸せ過ぎると、宙に浮いたようになってしまうと聞いたことがあったけど、本当だったのね……)


 ぽわぽわとした気持ちで、自室の窓際で日差しを浴びている今も、浮かんで来るのはあの日のことばかりで……あわてて自分の頬をつねって意識を引き戻す。


(御嬢様……今日も心ここにあらずなのですね。そんなに思い耽る位ならご自分から会いに行けばよろしいのに……)


 また、リュミエールを心配そうに見守るケイティも、そろそろリュミエールが一人立ちできるようにとあまり構いすぎないように手を出すのを控えている……そんな微妙な空気の中でのことだった。


 ノックの音がして、入室の許可と同時に扉を開いたのはレクシオールだった。

 最近はあまり見せなくなった彼の険しい表情に、二人は戸惑う。


「どうかなさったのですか?」

「……ああ。実は茶会の誘いが来てな。だが……エルにとってはあまり良いものではない」

「――もしや、御嬢様のご実家から!?」


 聡いケイティの推測に、レクシオールはうなずく。


「それだけではない。王太子も出席する予定らしく……あの女達と会うことにもなるだろう」


 三家合同での茶会の知らせ。

 そして彼が言っているのは、リュミエールの姉のサンドラとリーシアのことだ。


 まだ結婚相手が決まってはいないリーシアはともかく、サンドラは王太子と共に王城で暮らしているはずだが……彼が来るとなれば確実に顔を見せるだろう。


「……さすがにこれは断ることは出来ん。余程の理由なく欠席すれば王太子の面子を潰すことになろうからな」

「ですが! ……体の調子が悪いとでも言えば、無理にとは言わないのではありませんか?」


 ケイティの提案にレクシオールは渋い顔をする。


「よしんばそれがまかり通ったとしても、いつまでもそうやって逃げ続けるわけにはいくまい……。だがエル、本当にお前がそれを望むならば……頭位はいくらでも下げて来てやる」

「いえ! いいえ……そんなのは嫌です」


 自身と家族の軋轢(あつれき)のせいで、なんの罪もない彼が頭を下げなければならないなど、絶対に認められない。それならばいくら苦手な家族だろうと、顔を突き合わせた方がましだ。


「レックス……あなたが付いていてくれるなら大丈夫です。楽しい話にはならないかも知れないですけど……何を言われても気にしません」

「ああ……わかった。俺もお前を庇う盾位になら、なることは出来るだろう」

(御嬢様もしっかりとしてこられて……やはり公爵様の存在が大きいのだわ。日々花開くようにお美しくなられているし……。はぁ、セルバン様にもこのお姿を見ていただけたら、どんなにか……送ったお手紙が返ってこなかったから侯爵家をお離れになったのかと思うけれど、今どうなさっているのか少し心配だわ。向こうの家はどうなっていることやら……)


 ケイティは二人の姿を見守りながら、連絡の取れなくなった老執事セルバンと、再び訪れることになる侯爵家に思いを馳せた。  



 茶会の誘いが来た夜、レクシオールは執務室で遅くまで考えを巡らせていた。

 部屋の中にはフレデリクも顔を見せている。


「婚姻前の友好を深める為の茶会か……建前としては普通だが。……どうもあまり好意的にはとれんな」


 婚約破棄の場や、先日の一件で彼らの人となりを把握したレクシオールは、吐き捨てるように言う。


「う~ん……僕もあまり油断はしない方がいいような気がするよ。フィースバーク侯爵夫妻も、令嬢方もあまりい噂は聞かないしね」


 彼もそれには同意する。

 侯爵は陰気で金狂いだと、貴族、領民共から芳しくない評判を受けている男だ。

 リュミエールには悪いが、普通ならば身内にいては欲しくない類の人物である。

 

 そしてサンドラは今は王太子の元で鳴りを潜めているが、リーシアは夜ごと散財を重ね、男遊びをそこら中で繰り返しているとの噂だ。この二人の行状も、フィースバーク侯爵家の財政が傾く一因となっているらしい。


「よくそんな家族の元で、あんな純真な娘が育ったもんだよねぇ」

「ケイティと、リュミエールの母とも親交があったセルバンという老執事が、良く出来た人物だったようだ。今は職を辞してどこかに消えたらしいが、一度……是非会って礼を言いたいものだな」


 フレデリクは彼の変化に目を見張る思いだった。必要以上に人を寄せ付けなかったあの彼が、こんなことを言うようになったのは……リュミエールの影響だろう。あの娘が頑なだったこの男の心をときほぐしたのだ。


「なんだその目は……」

「いやあ、冷血公爵のあだ名も返上だね、こりゃ」

「チッ……うるさいぞ。とはいえ、気を付けた方がいいのは王太子の動向の方だろうな。どちらかというと、働きかけたのはそちらの方かもしれん。先日の狩猟でも俺への意趣返しが目的だったと聞いた……うまくはいかなかったがな。もし次もそうであるなら、警戒はしておくべきだろう。しかしつくづく器の小さいというか、了見の狭いというか……陛下はあれを本気で次期国王に据えるつもりなのか?」

「優秀な第二王子を後ろ盾にしてなんとかするつもりらしいけど……ぞっとしないねぇ」


 フレデリクは首をすくめた。


 この国に領地を預かる二人としては、愚王の下に着くのは生死を別つ問題ですらある。

 いっそのこと早いうちに王太子には勝手にどこかで破滅してもらい、国の中枢からご退場願いたい所でなのであった。


「僕としてはそうそうにどこかで失態を犯して僧院にでもぶち込まれてほしいけどね……」

「そううまくはいくまいが、俺は何かあれば第二王子を推すぞ……あんな王子に我が領民の運命が任せられるか!!」

「だね……。でも、本当にリュミエールを連れて行くのかい?」


 耳の早いことだ……とレクシオールは訝しんだが、別に秘密にするような事柄でもないため、潔く肯定する。


「俺とて、できることならそっとしておいてやりたい気持ちはある。だが、いつまでもそれでは……問題から逃げていてはいけないんだと教えてくれたのはあいつだからな。何かあれば俺が……守るさ」

「ふふっ……」


 フレデリクの笑いを聞いた、レクシオールの眉間に深いしわが寄った。


「いちいち(しゃく)に障る奴だな……」

「怒るなよ……だって、君から女性を守るなんて言葉、初めて聞いたよ? あっという間に惚れちゃったもんだねぇ」

「……クソ、悪いか」


 彼は歯噛みしながら顔をそむけるが、それが照れから出たものなのは明白で……フレデリクとしては「ご馳走様」とでも言ってやりたい気分だ。


「……さあ、今日はそろそろ休もうか。夜更かししてまた倒れたら、リュミエールを泣かせちゃうだろ?」

「お前な……ぶん殴るぞ!」

「ハハハ、それは勘弁。だけどさ……まぁ、彼女をちゃんと幸せにして上げなよ。僕も思うよ、君達を互いに幸せにできるのは、君達自身だけだって」

「……フン」


 レクシオールの横顔はまだ怒ってはいたが、どこか、まんざらでもない雰囲気を備えている。そしてフレデリクは昔を懐かしむように目を閉じて言った。


「これでお目付け役もお役御免って訳だ。初めて会ってから、六年位経ったかな……」


 ――彼とレクシオールが会ったのは宮廷学校入学当初のことだ。その容姿と公爵家という身分があって目立つ生徒として孤立していた彼に、何となく引き寄せられる形で行動を共にした……彼といれば、面白いことに立ち会える気がしたのだ。


 真反対な性格のフレデリクを最初は無視していた彼も、時間が経つにつれその態度を崩し……ぶっきらぼうなのは変わらずとも少しずつ言葉を返すようになった。大半は文句だったが。


 間近で見る彼は努力の人で、何かに急き立てられるように上を目指していた。

 何の不自由もなく暮らしていける家柄の彼がなぜそのようにするのか、その事情が母親のことが原因だと彼の口から聞くまで二年ほどかかった。


 そんなレクシオールを敵視するものも多く、家柄のせいで真正面で反抗できないからか、目に見えないところでの陰湿な苛めも多かった……。

彼と協力し主犯格の少年を捕らえて、さんざに脅しかけ、目が遭うだけでその場から逃げ出す位にしてやったのは、今ではいい思い出だ。


 三年の時はあっと言う間に過ぎ、レクシオールが主席という華々しい経歴で卒業した時……フレデリクはほとんど見たことの無かった彼の満面の笑顔を見て、何らかの目標を達成できたのだと祝福し見送った……。


 しかし、その数か月後彼の元を訪ねた時、その瞳は見る影もなく曇っていた。


 大事な家族を相次いで失くしたと聞いた……それからが大変だった。

 中々立ち直ろうとしない彼をなだめ、焚き付け、彼を心配する家人たちと共に、必死に彼を説得した。ハーケンブルグの領地を引き継ぐ者は君しかいない、それができなければ多くの人が不幸になると言って。

彼がそれを無視できる程自分勝手な男ではないと分かっていて、フレデリクや周りは残酷ともいえる道を彼に強いたのだ……。


 そしてその結果……彼は立ち上がり自らの責務をこなし始めた。だが、その瞳はどこか諦めと拒絶に彩られ、自らが幸せになることを放棄しているようであった。


 だが、その瞳は再び輝きを放つようになった……あの少女が現われてから。


 素直だが気弱な所が目立っていた彼女……だがいつでも一生懸命のその姿に、いつしか周りは強く引き寄せられていった。そして彼女は、ずっと止まっていたレクシオールの時を動かしてくれたのだ――。


「――ねえ、なぜ君はあの時リュミエールを助けたんだい?」

「王太子の生誕祭でのことか? 別に……大した理由があったわけでも無い。だが、懸命に生きている人間を嗤う卑劣を許せなどと、俺は教わっていない。世間知らずだと罵る者もいるかも知れないが、大切な人達から教わったこの生き方が、俺の誇りなんだ」

「そうか……そうだな。うん……」


 フレデリクは彼の根っこの部分が、ずっと変わらずにいてくれたことを嬉しく思う。同時にもう、完全に思い残すことは無いと知った。


「レックス……長い付き合いだったけど、僕はもうここには来ない。新婚の邪魔をするのも悪いからね」


 あっさりとした別れの言葉にレクシオールは、覚悟していたように頷く。

 だが瞳の奥はわずかに動揺で揺らいでいる。


「……領地を継ぐのか?」

「ああ……ま、そんなところさ。僕も嫁さんを見つけなきゃならないし……今後とも我がハイネガー伯爵家をよろしく、なんてね」


 冗談のように軽い調子でフレディは手袋を脱いで片手を差し出す。

 レクシオールは席を立って、それを痛い位固く握る。


 友人として、永い間自分を支えてくれた彼との思い出と、言い尽くせない思いが彼の胸をよぎるが……涙など流すのは無粋だと思ったのか、悪友を送るためにレクシオールは口元にふてぶてしい笑みを浮かべた。


「世話になったな、フレディ。いい嫁さんを見つけろよ」

「嫌味かい、それ? 見てろよ、絶対にリュミエールより美人で可愛い令嬢と婚約して、吠え面かかせてやる」

「ありえんな……そんなものこの世に存在するわけがない。せいぜい無駄な努力をあがいてみろ」


 いつしか二人は額を突き合わせるようにして意地を張り合い、そして最後に噴き出した。


 フレデリクは本当に満足したように笑い、レクシオールの肩を叩く。 


「フフッ……頑張れよ、レックス」

「ああ、お前もな……。今までのこと、感謝している」

「こちらこそ、楽しい時間だった。……それじゃ、雨が降ると困るから、もう行くよ」


 手を離すと、振り返らずにフレデリクはそのまま去ってゆく。

 扉は静かに閉じられ、レクシオールは椅子に座ってしばらくの間放心した後、グラスに酒を注ぎ……一気に飲み干す。


(ありがとうな……親友よ)


 ――そして、その日以来、フレデリクがこの城に訪れることは無くなった……。

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