拒絶する背中
レクシオールは目覚めたものの大事を取り、数日はベッドの中で休む日々が続く。リュミエールは毎日彼の元を訪れ、かいがいしく世話をする。
最初は嫌がった彼も、リュミエールが「この城で今一番手が空いているのは私です。他の人々のお仕事の邪魔をなさるのですか?」と言うと、渋々従った。
「体ぐらい自分で拭ける!」
「でも、お背中に届きませんもの。公爵様ともあろうお方のお体です……すみずみまで綺麗にしませんと。これもこの家に生まれた方の責任なのだと思いますわ」
「ぐっ……好きにしろ」
どうやら、彼は仕事とか責任とか言う言葉に弱いらしい。そんな風にリュミエールが言うと、彼は悔しそうに背を向ける。
そして終わるとすぐ顔を赤くしてそっぽをむき、「もういいだろう。あまり俺に構うな」と言ってベッドに潜り込んでしまう……そんな不器用で意地っ張りな少年のような姿が、彼女には可愛らしく思えた。
手慰みになるかとケイティが図書室から借りて来てくれた本を読みながら……ほとんどが椅子に座って彼の背中を眺めているだけだったが、不思議とリュミエールにはそれが苦痛では無かった。
たまに話しかけると、そっぽは向いたままだが無視せずにちゃんと答えてくれる。
「レクシオール様は、どんなお食事がお好きなのですか?」
「……好き嫌いなど無い。強い体を作るには、まんべんなく栄養を取らねばならんしな。うちの料理人は優秀だ……彼らに任せていればどんな食材だろうが食えるようにしてくれる。何か問題でもあるか?」
「……もし良ければ、お仕事中に軽食の類でも持ち寄らせていただきたいのです。どうせならお好きな物の方が元気が出るかと……」
「お前は侯爵家の娘だろう。そんな事をする必要はない」
「でも……私はレクシオール様の為に何かしたいです。お詫びと感謝の気持ちを込めて精一杯作りますので、食べたいものがあれば教えていただけませんか?」
リュミエールの言葉にレクシオールは体を揺すると、小さな声で言った。
「……アップルパイ」
「……! アップルパイですね! 今度必ずお持ちいたします! し、失礼しました……」
教えてくれたのが嬉しくて、ついはしゃいでしまったリュミエールは口を押さえたが……レクシオールは怒らずに穏やかな口ぶりで言葉を返してくれた。
「俺の事はいいが……毎日こんな所に入り浸って、ちゃんと食事は取っているのだろうな……?」
「は、はい……なんとか」
これについては逆に思う所があるリュミエールである。
というのも少し前から元より量が多いのに加え、ケイティまで食事を分け与えようとするので少し困っている。世話係の侍女は、こんなことも口にしていた。
『――レクシオール様は、きっと大きなお体の心の広い女性がお好みだと思うのですよ……』
『そ、それでなの――!?』
実際にそうだというなら、リュミエールとしては多少目方を増やす位は望むところでもあるけれど……リュミエールは二人きりのこの機会しかないと思い、恥ずかしさに上目遣いになりながら、思い切って聞いてみる。
「あ、あの……レクシオール様は、ふくよかなお体の方がお好みで……?」
「ごっほっ!? お前は急に何を……げほっ!」
激しく咳き込んだレクシオールに驚き、リュミエールは背をさする。
「す、すみません変なことを言って……。私は高さも幅も小さいですので。公爵様はもしかしたらもっと背の高い……女性らしい体つきの方がお好みなのかと」
「誰がそんなことを言った……くそっ。別に女の体型に好みなど無い。だからお前がどんな姿をしておろうがかまわん……。だが、少し瘦せていたから……その、な」
口ごもるような言い方だったが、彼の優しい気遣いが感じられ、思わず頬が緩む。
「そういうことだったのですね、ありがとうございます……。せっかくご飯をたくさん作ってくださる料理人の方々に悪いですから、頑張って残さず食べられるようになります!」
「……少し量を減らすように言っておく……。済まないが、少し一人にしてくれ」
だが、レクシオールは丸めた背中をちぢこめた後、低くつぶやいてリュミエールを遠ざける。
「は、はい……すみませんうるさくしてしまって。また後で伺いますね、それでは」
リュミエールは彼の声にあわてて背中から手を離すと、少し不安になりながら、静かに医務室のドアを開けて出て行った……。
◆〈レクシオール視点〉
静かになった室内で、俺は仰向けに寝転がり、額に腕をかざす。
(こんな事で罪悪感を覚えるなんて……)
別にリュミエールが傍にいるのが嫌だったわけでは無い。それどころか……これ以上そのままでいると、あの陽だまりのような心地よさから離れられなくなりそうで、それが恐ろしかった。
(あいつが傍にいると、小さかった頃を思い出してしまう……)
今までの女達は、俺を上辺の面だけで判断する癖、全てを愛して欲しいなどと都合のいいことばかりを言う。そしてそれを俺が拒絶するとすぐに去って行った。
だが、リュミエールは違う気がした。あいつは俺を理解しようと努力し、自分を変えてでも寄り添おうとしてくる……きついことを言っても、嫌なことがあっても。
きっと実家では認められず、随分辛い思いをしたはずだ……それでもまたあいつは、周りの人を信じようとしている。
だが俺は、その気持ちに答えてやれない……それをしてしまえば俺は、自分を保てなくなってしまうだろう。
(あの頃は、迷うことなく全てを信じていられたのに……)
昔の記憶がまた頭によぎった……一番楽しかったのは七つか八つくらいの頃。まだ父母が二人とも元気だった時のことだ。
あの頃は、遠慮なく母に甘え、父に抱きつくことが許された。
思うまま日がな一日敷地を駆けまわり、疲れて帰って来ると食事で腹を満たし、明日を楽しみに眠る。全てに満ち足りたそんな日々が、ずっと続くのだろうと疑わずにいた。
しかし、そんな時間は永遠では無い。
数年前に、父と母はこの世を去った。それは人よりたまたま早く別れが訪れただけの話だと……納得しているつもりだった。
大切な物を失う体験の前に、俺は必死に学び、もがいて多くを身につけたが……しかしどうやらそれも所詮上辺だけで、弱かった心の方には、今も大きな亀裂が刻まれたままらしい。
もう一度同じような事があったら……立ち直れなくなる。そんな予感が急速に膨れ上がるのを感じた。
国の歯車の一つとして生き、公爵家の嫡男としての役割を全うしなければならないなら……やはりもう誰かを愛してはいけない。これ以上失えば、きっともう心が元に戻らなくなる。
そうなれば、きっとこの領地や国の大勢の人々が、同じように大切な物を失うのだ……。
(……それは、駄目だ。誰にもそんな思いをさせてはいけない)
彼女を悲しませてでも距離を取るべきだ。
これ以上辛くなる前に……冷たい顔と言葉で。
(許してくれ……リュミエール)




