突然の不調
「――――ゥッ……!」
「きゃっ……レクシオール様……? レクシオール様――!?」
――ドサッ……。
公爵がハーケンブルグ領へと帰還し、再び忙しい毎日を送り始めた時のこと。
ダンスの練習に付き合ってくれていたレクシオールが、急に体を預けるようにして意識を失くし、リュミエールごと倒れ込む。
彼女はその体を何とか支えようとしたが、頭を打ち付けないように庇うのが精一杯だった。
「レックス!? どうしたんだ……!!」
フレデリクが慌てて駆け寄り、赤くなったレクシオールの額を触る。
彼は白い顔で意識を失くし、顔からはふつふつと珠のような汗が噴き出している。
「熱いな……とりあえず医務室へ運ぶから手伝ってくれ。こいつ重いんだ……!」
「わ、私が手伝います……!」
比較的背の高いケイティがフレデリクと両脇を支え、彼を引きずるようにして医務室へ運ぶ。
(レクシオール様、どうして……)
パメラに助け起こされたリュミエールは、深刻な顔で二人を追ってゆく。
騒がしく移動する彼らに城の住人達が驚きの声を上げながら道を開ける。
大変なことになってしまった――。
◆
「――過労ですな……しばらくすれば意識は戻るでしょうが、数日安静になさるべきです。栄養と睡眠をしっかりとっていただかなければなりませんね」
医務室で診断を下した老医師の言葉に、全員がほっと息を吐く。
未だレクシオールは目覚めておらず、顔は青い。
「このところ、忙しくさせていたからな……。あ、いや、君のせいでは無いんだ……気を落とさないで」
そう呟いたフレデリクが慌てて取りなしたが、わずかな時間を見繕ってダンスの練習に参加してくれていたのが、彼の負担になっていたのは明確だった。
「どうして……」
リュミエールは、じわりと涙ぐみながら、レクシオールの顔を見つめる。
一番身近で見ていた自分が彼の変化に気づけなかったことを、リュミエールは悔いていた。
「本当に君のせいじゃないんだ。こいつは昔っから意地っ張りでさ。余程の事でなければ自分で全てやらないと気が済まない性質なんだ……一生懸命すぎるんだよ、この馬鹿は」
フレデリクは目を覚まさないレクシオールの肩を軽く小突く……まるで仕方なく弟の面倒を見る兄のように。
「……それでも、私が負担をかけてしまったのは変わりありません。本来彼を支えないといけない立場なのに……婚約者失格です」
どうしていいかわからずに顔を覆ったリュミエール。
その時、小さな呻き声が上がった。
「うぅっ……は、は……うえ、なぜ……」
「レクシオール様!?」
彼女は素早く反応して顔を上げたが、レクシオールが目を覚ました様子はない……どうやらうわごとを呟いただけのようだ。
ベッドの傍らの椅子に座り直したリュミエールは、彼の手が何かを探すようにわずかに持ち上げられているのを見て、思わずそれを取った。
……だが、握り返す力はいつもと違って弱々しく、それが寂しい。
「……私、しばらく彼を見ていたいです。ケイティ、お水を汲んで来てくれるかしら。お着替えとお体を拭く手伝いをして差し上げたいの」
「御嬢様自らですか? ……そ、それは」
リュミエールはこんなになるまで自分を手伝ってくれたレクシオールの助けにせめて少しでもなってあげたいと思う。
ケイティは迷い、老医師の顔を伺うが、彼は断らなかった。
「なんともいえませんが、うつる病などではありませんし良いのではないでしょうか。お目覚めになった時に信頼できる方がお傍にいた方が安心されることでしょうし」
「わ、わかりました……では」
(どうやら、お邪魔になりそうだね)
(ええ……)
少しでも彼の苦痛が和らぐよう、一心に手をにぎり祈るリュミエールを見て、パメラとフレデリクは息を合わせて立ち上がる。
「では、済まないが僕は他の仕事があるから、一度戻らせてもらうね……リュミエール嬢、レックスをどうかよろしくお願いするよ」
「お着替えを用意して、少し後で様子を見に参りますので……」
「はい……」
リュミエールは落ち込んだ顔のまま頷き、静かに扉から外に出てゆく二人を見送った。
◆
レクシオールは、ゆっくりと目を開く。
(気を、失っていたのか……?)
もう部屋は薄暗く、窓からは月の明かりが差し込んでいた。
日々の出来事が重なり疲れていたとはいえ、公爵ともあろう者が何と情けない……レクシオールは自分に落胆した。
(誰の支えも受けず、この地を守って行かなければならないというのに……くそっ。仕事に、戻らねば……)
まだ痛む頭を無理やり動かし彼は体を起こそうとしたが、上に何かが乗っていることに気づいてそれを中断する。
シーツの上で波打つ、白い絹のようなもの……その源には、ベッドの端で沈んでいるあの少女の頭があった。
(リュミエールか? こんな時間になぜ……?)
幸せそうに寝息を立てる彼女は、肩にガウンを羽織ってはいたが、未だ踊っていた時と同じドレスを着たままだ。
(まさか俺が倒れてから、ずっとこいつは……ここで?)
右手を彼女の小さな手がぎゅっとつかんでいて、レクシオールはそれをやけに暖かく感じた。
先程感じていた情けなさが一層募り、罪悪感と一緒に胸を締め付ける。
「あら……公爵様。起きられましたか」
静かに扉が開いて部屋に入って来たのは、リュミエールの世話係のケイティだった。それと同時にすっと、その足元を影が横切って抜けていく……。
「あら、しょ……おほん、サムも安心したみたいですわね。公爵様の倒れた後に訪れて、ずっと心配そうに付き添っていらしたんですよ、リュミエール様の膝の上で」
「猫がか……っ!? 違うぞ、これは勝手にこいつが……!」
繋がれた手に注がれるケイティの暖かい視線に、あわてて離そうとしたレクシオールだったが、予想以上に強くつかまれている……。
やましいことは何もしていないのに、頬が熱くなり、彼はそっぽを向いた。
「わかっておりますとも。御嬢様がどうしても公爵様のそばを離れたくないとおっしゃいましたので……毛布を持って来たのですけれど、すっかり寝てしまわれたようですね」
「……ふん。全く、自分の面倒も見れんくせに……。おい、こいつを部屋に運べ」
「そんなに強くつかまれていては無理にはなすことはできませんわ。それに御嬢様が望まれてこうしているのですから、私にそれを止める権利はございませんし、どうせ誰かが見張っておらねば公爵様、すぐに動こうとなさるでしょう?」
リュミエールの隣から、背中に毛布を掛けてケイティは意地の悪い笑みを見せる。
それにレクシオールは舌打ちしながらも……目の前の幸せそうな少女の顔を見ていると、この手を振り払って出ていく気分にもなれない。
しかしそれにしても良く寝ている……。
(起きないか少し試してみるか……これでどうだ?)
「むふん……」
軽く頬をつねってみたが、くすぐったそうに手を跳ね除け、目を閉じたまま微笑むだけで少女は起きる気配がない。レクシオールの口からつい苦笑が漏れる。
「む、さすがにいくら公爵様といえど、勝手にお体に触るのはおよし下さい。まだ式も挙げていないのですよ?」
「お前がやらないからちょっと試しただけだ。仕方ない……こいつに免じてもう少し休んでおいてやるか……」
「それがようございますわ、ほほほ」
楽しそうに笑うケイティには腹が立つが、あんな夢を見た後でも嫌な気分ではないのが不思議だ。この子供みたいに温かい手のひらから伝わる熱が、レクシオールの奥にある柔らかい部分に届き、ひどく心を安らがせる……。
(ふん……だらしない顔をしおって。起きるまでだからな……)
リュミエールの小さな頭を見下ろすと、レクシオールは再び体をベッドに落ち着け目を閉じる……その手はしっかりと繋いだまま。




