上手くいかない二人
(……ニャゥー)
(いち、に…………? あ、あれっ!?)
ぎゅぅうう……!
部屋の外からした聞き慣れない動物の鳴き声に気が逸れ、またしても革靴を柔らかくへこませたリュミエールに、公爵の眉間に鋭い亀裂が走る。
「……い・い・か・げ・ん・覚えろ! どうして踊りだけが極端に下手なんだ、お前は!」
「申し訳ありません……レクシオール様」
本日何度目かの失敗で、目を半眼にして睨まれたリュミエールが縮こまる。
それを庇おうと、フレデリクがパメラの手を離し近づいた。
「まぁまぁ、レックス、彼女もちょっとずつ上達しているじゃないか」
「どこがだ……」
「それは……あ~、さ、三回に二回しかこけなくなった!」
「目を泳がせる位なら言うな! その代わり、足を踏まれる回数は増えているんだぞ……」
彼のその言葉にがっくりと、全員が肩を落とす。
「でも、公爵閣下がおいでにならないときは、もう少しましなのですけどね……?」
「私が以前お相手して差し上げた時も、そこまででは無かった気はするのですがねぇ……」
パメラが意味ありげに首をかしげ、ケイティもうなずく。
皆して首を捻る中、フレデリクの目が怪しく光り……リュミエールに手を差し出した。
「それじゃ一度、僕と踊ってみませんか? リュミエール嬢」
「え、え~と……よろしいのでしょうか?」
リュミエールは、その眼鏡の奥から覗く柔らかい眼差しにドキリとしながら、困った顔でレクシオールを見上げる。
すると彼は素っ気なく返す。
「やってみろ……それで踊れるようなら、俺の方に問題があるということになるからな」
(そんな言い方をしたら、余計に踊りにくいではありませんか!)
パメラが公爵の無遠慮な言葉に内心で頭を抱えたが、リュミエールは素直に従いフレデリクに手を差し出す。
「ではフレディ。下手の相手をさせて申し訳ないけれど、お願いするわね……」
「いえいえ、ダンスは楽しむことが一番ですから。どうぞお心を楽になさって下さい」
そういってフレデリクはリュミエールの手を優しく持ち上げ、ケイティが始めた伴奏に従い、ゆったりと体を揺らす。
「……そうそう。お上手ですよ。とても可愛らしく踊れています……」
「ちょっとフレディ……そういうことを言わないで」
リュミエールは恥ずかしそうにしながらも、なんとか彼の動きについていっているようだ。
やはり、連日の練習のかいあってか、思ったより型は頭の中に沁みついて来ているのだろう……動くのはあまり得意ではない様子だが、元々とても物覚えの良い少女なのだから。
(なぁんだ、大分形にはなって来ているではないですか……ちゃんと真面目に復習されているようですし、この調子であれば……ひっ!?)
パメラはつい飛び出しそうになった金切り声を口を塞いで止める。
「………………」
隣に立つレクシオールの顔は苛立ちを隠さず、今にも舌打ちせんばかりの渋面だ。そしてそれに挑発するように、フレデリクは得意そうな笑みを彼に向けている。
火花散る視線と共に公爵の背中から漏れ出す冷たい怒気に、パメラは背筋が凍る思いだった。
(公爵閣下のやる気を引き出す為とはいえ、やりすぎですわハイネガー伯爵! 閣下も取られるのが嫌なんでしたら、もっとお優しくされたらよろしいのに……!)
もちろんそんな滅多なことを口に出せないし……このまま公爵の機嫌が悪くなるのを黙って見ているわけにもいかず。
「お、お二人ともっ、もう十分に分かりましたから! その位にいたしましょう!」
胃が痛くなる思いを感じながら、パメラは手を叩いて合図を送り演奏を止めさせる。
「いい感じにできていたと思ったけれど、なにかおかしかったかい?」
「あ、あの……レクシオール様。いかがでしたでしょうか?」
リュミエールはおずおずと彼に尋ねるが……レクシオールは怒りで頭痛までしてきたのか眉間を押さえて目を吊り上げ、彼女の手を強引に奪う。
「……練習だ……ッ!」
「……どうかいたしましたか?」
「なんでもない……できるまでやるぞ!」
「……ふふ、相変わらず負けず嫌いなんだからな……これで今以上にやる気も出るでしょ。さ、僕らもしっかり手本を見せてあげよう」
そんな彼の様子を見ながらパメラの元に移動し、再び手を差し出すフレデリクは気づかなかった。……笑顔で手を乗せた侍女の視線が若干冷たくなっていたことを。
(この男どもは全く……リュミエール様が練習に出て来られなくなったらどうするのです!! 彼女はあなた達のおもちゃじゃありませんのよ!)
――女性への気遣いが足らない男どもに振り回されるリュミエールの為、一度お灸をすえてやらねばなるまいとパメラは決意してボソリと告げた。
「……伯爵様、おみ足にお気を付けなされまし」
「え、なんて言った……?」
聞き取れなかった小さな声をフレデリクがパメラに確認した瞬間……彼女は強く足を踏み出した。そのかかとは足の甲に直撃し、広間には情けない悲鳴が甲高く響き渡る。
「ッァ――ゥ!!」
「あら失礼、間違えてしまいましたわ……ごめんあそばせ」
――いい気味よ!
◆(レクシオール視点)
『――申し訳ありません……』
「チッ……」
何度あったか覚えていない程謝られた為、頭の中にあいつの済まなそうな表情が貼り付いていて……俺は小さく舌打ちした。
練習後着換えを済ませて再び執務室の椅子に腰を下ろした俺は、しばしリュミエールの事で思い悩む。
本人も頑張っている……その努力は認めるのだが、俺と踊る時だけやはり極度の緊張がみられて、うまくいかないようだ。支えた手も冷たかった……。
そして他にも問題があった。あいつは一向に俺と目を合わせようとしない。そのせいでどうにも息が揃わないでいる……。あれ程の演奏ができるのだから、リズムの感覚は優れているだろうに……これでは宝の持ち腐れだ。
フレディの言うように転ぶことは減ったかも知れないが、気を抜くと足を踏みつけられるので俺は靴を軍靴に変えた。踊りにくいが大抵の足技は防御できる……万一ダンスの練習などで怪我をして政務を滞らせたりすれば、いい笑いものだろうからな。
(……ふん、全く変な娘だ。貴族らしくなく……気弱で心根が優しすぎる)
これからもできる限りは付き合ってやるが……そうそう時間は取れないし、とっとと上達してもらわねばならん。……だが、そう思いつつもわずかにどこかで、リュミエールとの交流に心を浮き立たせている自分もいる。
……昔を思い出すのだ。両親がまだ元気だった時の……特に、母のことを。
容姿や性格が似ているわけでも無い……たまたまこれだけ長い期間じかに接しているのがこの娘だけだから、重ねているだけだ。
小さな頃はよく傍で座って見ていた……。
こうやって父も母のエスコートに手を焼いていたんだ。リュミエールほどひどくはなかったがな……お世辞にもあまり上手とも言えなかった。
でも、その時の二人ともひどく幸せそうだった。
その仲睦まじい姿を眺めているだけで俺は嬉しくて――。
――ズキン……。
先程と同じように頭に痛みが走り、俺は額を抑える。
寝不足のせいか……?
机の上には山積みの資料と、片付け切れていない仕事の数々。
春にかけての新規工事の発注の確認や、課税率の調整、国境周辺の守りも諸侯に任せきりではいけない……。手を付けなければならない仕事はいくらでもあった。
だが、弱音など吐くつもりはないし、領民にもあいつらにも心配などさせない。……特にあの軽薄野郎にはこれ以上大きな顔をさせてたまるか。
全て自分でやればいいだけの話だ、その為に俺は……。
――カサッ。
机の上に置いてあった一通の書状に手が触れ、俺は再度目を通す。
それはリュミエールの実父、フィースバーク侯爵オルゲナフ氏からしたためられた狩猟会への誘いの手紙である。王太子とそのお目付け役の宰相も呼ばれているようだ。
(あの王太子も同席か。あまり話の弾む面子とは思えないが……仕方あるまい。仮にも婚姻関係となる家同士、波風立てないに越したことは無いからな。しばらく練習はお預けだ……)
すでに返事は送り返し、数日後の会に向けて明日から発たねばならない。
不在の間にまた積み上げられる仕事を予想し、うんざりしながら肩を回すと……少しでも片付けて置くために俺は机の上の仕事に齧りつき始めた。




