◇カシウスとサンドラの企み(宰相ルビディル視点)
『くそっ……なにが銀竜公爵だっ! 王太子である私にあのような口を聞いて!』
『全くですわ……少し美形だからと言って調子に乗って、私を寝取り女などと侮辱して……』
『放せ! 今はそんな気分ではない……!』
『あん……つれないお方』
『クソッ……何かないか、あいつを痛い目にあわせる方法は……』
王太子の私室前廊下で耳を澄ませていると、彼の機嫌がよろしく無いのは嫌でも伝わって来た。
私はルビディル・クルーザ。このリーベルト王国の宰相を務めている者だ。
どうやらカシウス王太子は未だひどく憤慨していらっしゃる様子。
婚約者であるサンドラ嬢の声も聞かれるが、彼女が傍にいてもその苛立ちは抑えきれないらしい。
配下の者から生誕記念パーティーでのことのあらましは聞いている。
王太子と言えど、さすがにあのような大貴族を無礼討ちにすることなどできなかったようで、私は内心ほっとしていた。
だが、場に居合わせたものの話によると、ろくに反論もできず言いくるめられ……腹立たしい気持ちは日に日に募っているようだ。
彼に王者の器があったならば、その程度笑って済ませただろうし……そもそも、無理に理由を作って婚約を破棄するなどという事も無かっただろう。なぜ第一子がこのお方なのだと、私は頭痛のする思いで扉を叩く。
『入れ!』
居丈高な怒声に耳を塞ぎながら、私は扉を開き、跪いて丁重に頭を下げた。
「失礼いたします……おや? 太子、本日は御機嫌が優れぬ様子でございますな。何かございましたか?」
「ルビディルよ、お前にやってもらいたいことがあるのだ……。先日の生誕記念パーティーで、私はある男にとんでもない恥をかかされたのだッ……この王太子である私がこともあろうに生誕記念の場でだぞ!?」
「それは、お辛うございましたな……気分を害されるのも無理はありませぬ」
あなた様が侯爵令嬢をこき下ろすような真似をしたからでは……と言う言葉を飲み込みつつ、私は沈痛な面持ちで同調する。
すると王太子は味方が現われて気分を良くしたのか、顔にあくどい笑みを浮かべて私に意見を求める。
「おお、わかってくれるかルビディルよ! あのような、多少顔が小綺麗なだけの凡夫が……次期国王たる私に口答えするなど許されてたまるものか! こんなことがあっては、王家の権威に傷がつく、是非とも奴には制裁を与えてやらねばならん! 何か案は無いか?」
またこれか……。
私が王太子のお守を任されるようになったのは、彼が十かそこらの頃だったと思う。
すでにその高慢な人格は完成された後で……前任者はことごとく左遷や国外追放などを受け、優秀な人材の漏出を防ぐためにも、私が彼の面倒を見るほかなかった。おかげでこんな年になっても分別も付かず、政務で忙しい折にも何かあれば呼び出しが来るのはほとほと参っていた。
とはいえ仮にも王太子、不興を買えば私もどのようなことになるかもわからない。国王は彼のことになると全く頼りにならない為……ある方と協力しつつ、おだて、なだめ、ひれ伏しながら何とかこれまで波風立たないように必死でやり過ごして来たのだ。
だがしかし、なんと今回の相手は公爵相手――王族に次ぐ地位の高位貴族だという。王太子も数年後に即位式を迎えることになって、気が大きくなっているのかも知れない。
ハーケンブルグ公爵は民や配下の信任も厚く、間違っても敵に回してはならない人物だ。
しかしかといってこの王太子の怒りよう……断れば私の首が飛ぶことは間違いない。私は必死に頭を巡らせた……。
「……やや季節外れにございますが、懇親会と称して公爵を狩りに誘うのはいかがでしょう。その場で彼に痛手を負わせ、こらしめてやるというのは……?」
「ほう……だがあのような男、私から誘うつもりは無いぞ」
全く、本当に自分が動く気は全く無いようで……ある意味せいせいする程人任せな男である。だが、そのおかげでこちらの思うように事が運べそうだ……。
「仕方ありませぬな……。フィースバークの家に金を送れば、三家合同の催しという事でうまくやってくれることでしょう」
「なるほどな……で、どうやるのだ」
「それはこれこれこういう感じでございましてな――――」
私がその計画を説明すると、王太子の顔が喜びで歪む。
「ほう、それは面白そうではないか……ぜひ奴を笑いものにしてやるとしよう。サンドラ、君はこの城で私の土産話を期待して待っていてくれ」
「ええ、是非あの公爵の顔を、苦痛に歪めさせてくださいまし。本当は下の妹共々家ごと滅んで欲しいものですけれど、今回はそれで我慢しますわ」
この婚約者の方も王太子とどっこいどっこいのいい性格をしていそうである。
こんな二人が結婚して王家を継ぐことになるなど……この国の未来を考えるのも怖ろしい。
「では準備ができましたらお伝えいたします」
「任せたぞルビディル……今宵は久々に美味い酒が飲めそうだ」
「御意に。では、失礼いたします」
絶望的な思いを隠しながら私は、その場で礼をし早々と退室した。
そしてその足である所へ向かう。
つけられている様子も、誰かに見られていることも無いというのを確認し、ある一室の扉をノックする。
「……入ってくれ」
低い声がして、私はその部屋に素早く潜り込んだ。
「む……どうしたルビディル。今日は使いの者ではないのか?」
そう答えたのは、先程話に出た私の協力者――第二王子ロベルト様その方であった。
「ほっ、戻っていらっしゃいましたか。急な訪問をお詫びいたします。取り急ぎお伝えしたいことがございまして……」
実を言うと、もう数年前から私の心は王太子から離れている。
今代の国王陛下は特にこれといって飛びぬけた才能は無かったが、人として最低限の倫理観は持ち合わせている。だがカシウス王太子は駄目だ。あの方を王にすえれば例え我らがお支えしても、遠からず王家から人心は離れ、内乱はまぬがれない……。
一方このロベルト王子は民や臣下を愛し、文武を修めようと努力を尽くし、先見の明も持ち合わせている。王族だからと奢ることも無く、我らの話をよく聞き入れ、国王や王太子を諭す勇気も持ち合わせており……どちらが王としてふさわしいかは一目瞭然だった。
「ご相談がございます。王太子はどうやら、今度はあの大公爵家の者に喧嘩を売りたい様子で……。私も臣下ももう我慢の限界が近づいております。ロベルト王子……あの話、考えては頂けましたかな?」
「僕も丁度その事を話そうと思っていた……。ルビディルよ、先日の奴の無茶を諫めようとしない王を見て、心は決まった。玉座を取りに行く」
「ほ……! ……本当でございますか!?」
喜びの大声を響かせそうになって慌てて声をひそめた私に、ロベルト王子は静かに告げる。
「ああ、長年様子を見て来たが、兄上は王族の立場を自分の権威を見せびらかす為の飾りか何かと勘違いしている。あの人はそれに付随する王の責務を果たす気などさらさらないだろう。そんな人間に私達の運命を任せるわけにはいかない……そうだろう?」
「その通りでございます……第三王子もまだ年若く、国のかじ取りを担えるのはもはやあなた様をおいておられません。このルビディル……この場にて忠誠を誓わせていただきます」
「ああ……私も多くの貴族達に内々に働きかけをおこなっている。兄に個人的に怨みを持つ者も少なくないようだしな。ルビディルには彼らの取りまとめを行って欲しい。くれぐれも彼には知られぬように頼むぞ……」
「わかっております……私の配下を総動員し、秘密裏に働きかけを行いましょう。そうなりますと、今回の件、多少王太子の不興を買うように計らってもかまわないということでしょうか?」
「やり過ぎは困るが、公爵の迷惑にならないよううまくはからってくれ」
私はこの報告を受け歓喜したが……それとは別にたった一つだけご忠告させて頂かねばならない事があり、余計だとは思いつつも口添えしておく。
「かしこまりました……ですが、ロベルト王子、一つだけ言わせていただきたい。そろそろあの様に姿を変えて外に出られるのは……」
「わかっている、もう終わりにするつもりだよ……」
「ならばこの老いぼれに言うことはございません……俄然やる気が出てまいりましたぞ! ではすぐに取り掛かります、失礼!」
これで心置きなく、自らの職務を全うできる。
ついに第二王子が奮起しあの王太子を追い落とす決意をなされたのだ……ならば我々はそれに従うまで。そしてもはや彼に気を遣う必要もない……。
私は明るい顔で第二王子の私室を後にすると、カシウス王太子を懲らしめる策略を実行に移すべく段取りを練り始める。
この口元の緩み……しばらく止まらなくなりそうだ。




