始まった新たな生活
初めてダンスの腕前を披露し、公爵たちにがっかりされた翌朝のこと。
城内の礼拝堂に訪れたリュミエールとケイティは、その混雑具合に驚いていた。
「わぁ……中は一杯だわ」
「すごいですねぇ……。このお城には信心深い方々の多いこと……」
少しずつ行動範囲を広げ、知人を増やして行こうと思ったのだが……。
扉を開けると、若いシスターの暖かい人柄と声にひかれたのか……兵士や使用人など様々な身分の者が参列しており、いきなり知らない大勢に囲まれてリュミエールは身を小さくする。
壇上でありがたいお話を聞かせてくれているロディアに目礼し、二人は礼拝堂の隅の方に陣取ると、その言葉は自然と耳に届いてきた。
大柄なシスターの穏やかな声は良く通り、純粋な笑顔が人を惹きつける。
話も分かりやすく、大勢の人が真摯に聞き入る理由が分かるほどだった。
(私もこんな風になれたらいいな……)
薄暗い礼拝堂で、ステンドグラスからの光に照らされるロディアを見ながら、リュミエールは淡い憧れを抱く。
やがて朝の礼拝はつつがなく終了し、シスターはリュミエール達を気づかったのか、すぐに彼女の元へ歩いて来てくれた。
「おいでくださったのですね……ご機嫌はいかがですか?」
「は、はい……、とてもいいです」
周囲の視線にぎこちなくはにかむリュミエール。
だが本心はとても嬉しくて……何を聞こうか迷った末に口を開こうとした時。
「――おっ……このお方が、大将の婚約者で噂の白い髪の聖女様か?」
珍しい容姿に興味を持ったのか、シスターと話す種が欲しかったのか……談笑していた兵士達が彼女達の近くに集まりだす。
「ほうほう……お人形みたいな娘さんだなぁ」
「ちょ、ちょっと……皆さんそんなに近づかないで下さいませ! 御嬢様が怖がられます!」
大柄な男達からリュミエールを背中に庇い、睨みを利かすケイティ。
しかしロディアはニコニコと笑顔を浮かべて彼女を落ち着かせる。
「まぁまぁ……怖がられなくとも大丈夫ですわ。皆さん、リュミエール様に興味がお有りなだけですのよ? この地方では、銀の竜と同様に聖女も尊い存在として崇められていますから」
周りの彼らも気を使ったのだろう、兵士達の中から出て来た一際大柄な男が表情を崩して謝罪した。
「そうなんでさ……いや、失礼。驚かせたならすみません……ちょいと戦地に赴く前に御利益をさずかりたく思いましてね」
「戦があるのですか?」
ぎょっと目を見張ったリュミエールに、男は頬を掻いて答える。
「お嬢さん方には似合わない血なまぐさい話ですがね。今はまだ小競り合い程度のもんですが、北の国境と接した大国は何かあれば真っ先に突っ込んできやす。いつ本格的な戦になってもおかしくはねえんだ……。だからこうやって思い残すことの無いよう、しっかりかみさんと娘の事を神様にお願いして行くようにしとるんですわ」
「そうだったの……私、そんなこと全然知らなかったわ」
フィースバークの領地は比較的国の中心に近い場所にあり、リーベルト王国が平和なこともあってか、リュミエールはそんな話を耳に挟むことも無く育ったのだ。
知らないところで自分達のために戦ってくれている人達がいる……。
リュミエールは自然と敬意を抱き、男に手を差し出して挨拶する。
「あの、私この度こちらの公爵様と婚約させていただいた、フィースバーク侯爵家のリュミエールと言います。ええと、あなた、お名前は?」
「ハンスです」
兵士ハンスはあわてて服のすそで手を拭き、おずおずと壊れ物のようにリュミエールの手をにぎり返した……。それは武骨な厚い手のひらで、日々厳しい訓練に耐えているのが伺える。
「ハンスね……いつもこの国を守ってくれて本当にありがとう。私、あなた方の無事を祈ってこれから毎日ここで祈らせていただくわ。命を大事にして、奥様や娘さん達にまた無事な姿を見せてあげてね」
「……ありがてえ。なんだかあなた様の目を見たらほっとしましたよ……。娘が嫁に行くまでは、絶対生き延びてやります。そうだ、良かったら他の奴らにもお言葉をかけてやってくださいませんか?」
ハンスは気のいい笑みを浮かべると、後ろから羨ましそうに見つめる兵士達に首を向けた。
「そんな大層なものではないのだし、私は構わないけれど……シスターでなくてよいのかしら?」
お飾りの聖女な自分には荷が重い……。
辞退しようするリュミエールに……ロディアはゆっくりと首を振ると、参列者用の椅子に座らせ、背中をさすって励ましてくれる。
「いいえ……彼らの瞳を見れば、私などではなくリュミエール様がいいと思っているのがわかりますわ。あなた様さえ良ければ、時間の許す限り彼らに声をかけてあげてくださいませんか?」
「わ、わかりました……頑張ってみるわ」
初めてのことに戸惑いながらも、小さな拳を握って承諾したリュミエール。
それを確認し……まとめ役のハンスの声が後ろへ飛ぶ。
「では……おい皆、整列しろ! 聖女様がご加護を授けて下さる! 失礼の無いようにな!」
「「へい!」」
するとさすがに訓練された兵士達、きっちりと真っ直ぐな列が礼拝堂の外へ伸びた。
その長さにリュミエールは少しぐらついたが、彼らはこれから命を失う恐怖と戦わなければならないのだ……わずかでも気持ちを軽くしてあげたいとすぐに気を取り直した。
「――ジョンです、聖女様。配属されたばかりで、戦いが怖くて……」
「よろしくね、ジョン。大丈夫、ハンスや周りの仲間が助けてくれるわ。皆と協力して必ず生き抜いてね……また会いましょう」
「――カルロスです、身重の妻がおりまして……。出産には立ち会えなさそうです」
「カルロス……大丈夫。帰って来るまでに子供の名前の候補を一日一つ考えておきましょう。きっと毎日心の支えになると思うわ。頑張って……」
跪くようにして彼女の手を取る兵士達に、リュミエールは丁寧に一言ずつ声をかけてゆく。
一生懸命に彼らと交流しようとする、そんな小さな聖女の背中にケイティは嬉しそうに微笑みかけ、シスターに頭を下げる。
(ありがとうございます、シスター。おかげで御嬢様に自信がつきそうです)
(いえいえ、私はリュミエール様の信者第一号ですので……うふふ)
(あら、第一号は私ですよ、そこは譲れません……)
そんなじゃれ合いをしながら、彼女の背中を見守る二人。
――そして外では。
(……ふむ? 流石だな、我がハーケンブルグ領の精兵達は……礼拝の際にも徹底して規律を乱さない。いいものを見た……彼らの待遇の改善を考えねばならんな)
政務の傍ら忙しそうに通り過ぎるレクシオールが張り切って並ぶ兵士達を見かけ、王国の盾とは、かくあるべきなのだと……一人気分を良くしていた。
◆
ここは公爵家一族用の食堂。
給仕たちが食事を運んで来る中、一人レクシオールだけが口を不満そうに曲げている。
忙しく、執務室で食事を行おうとする彼をフレデリクが半ば無理矢理に引っ張り、普段使用しないこの部屋で集まって昼食をとることになったのだ。
隣にはリュミエールが座っており、ケイティやパメラも同席している。
「なぜこの忙しい中、貴様らと悠長に食事をせねばならん……」
「何を言うんだ、レックス。これから君達は結婚生活を送るんだから、当たり前のことだろう? 少しずつでも相手の好みを知ってゆくことが家庭円満の秘訣……なんて」
「――俺はそんなもの、必要としていない」
隣にリュミエールがいる中、臆面もなくレクシオールは言ってのける。
(相変わらず、はっきりものをいうお方だわ……)
だが、彼女はこのレクシオールの性格は割と嫌いではない。
なんだかんだで席を立ったりはしないようだし、そこまで嫌がられているわけではないのだと思いたい……。少しずつ距離を縮める機会は、きっとあるはず……そんな事を思いながら、羊肉の煮込みを小さく切り分け、口へ運ぶ。
(ん、美味しい! 温かくて柔らかくて……。彼女だけでも連れて来られてよかった)
侯爵家では、継母からの指示で料理はケイティが取りに行くまで、しかも一番最後に残ったものしか与えらず……固くなったパンだけだった日もある。とばっちりをくらったセルバンやケイティにも随分ひもじい思いをさせてしまった。
「御嬢様……さすが公爵家のお食事は違いますね! 私、これなら贅肉が幾らついても諦めがつきます!」
「うふふ……ほどほどにね」
隣で美味しそうにもりもりと食事をしているケイティを見ていると、リュミエールも嬉しくなり食が進む。
それはさておき……リュミエールは割と好き嫌いが無い方なのだけれど、強いて言うならば内臓の煮込みなどは苦手だ。
なんとなくブヨブヨとした食感が口の中に残る感じがして……。
ゼリーなどは平気なのに、なぜかといつも思う。
何を食べても表情を変えない彼の方はどうなのだろうかと、疑問が口を突いて出た。
「レクシオール様は好き嫌いはございますか? 私は内臓や鳥の皮などが好きになれなくて……」
「ふん……俺は武人だぞ。屈強な身体を作るためにはあらゆる栄養素が不可欠だ。そのようなものあろうはずがない」
「……ぷっ」
それに吹き出したフレデリクにレクシオールの目がギラリと光る。
二人のこういったやりとりがただのじゃれ合いであると、少しずつ理解して来てはいるのだが、それでも少し心臓に悪い。
家格はレクシオールの方が上なのに、どうもフレデリクにうまくあしらわれているような、そんな面白い関係性。
仲の良い二人の会話は続いてゆく。
「なんだ……何か文句でもあるのか?」
「いやいや、だってさ。君……貴族学校でさんざ、僕の皿にモリーユやポルチーニが出るたび移してきたじゃないか。こんな得体のしれんものは人間の食べ物ではない! とか言って」
「……ッあれは! 茸があのような見た目をしているから悪いのだろうが! あの軟弱な食感も好かん!」
「そんなこと言って、本当は小さい頃に山で拾った毒の強いキノコを食べてお腹を壊したからだろ? 後からそれがどんなものか聞いた医者が震えあがって――よくそれだけで済んだもんだって……」
「なぜそれを知っている!?」
レクシオールが机を拳で叩き目を剥くと、フレデリクはいかにも楽しそうに白い歯を見せ、笑って答える。
「気づいていなかったのかい? ずっと前に酔っぱらって自分から白状してたじゃないか……他にも色々楽しい話を打ち明けてくれてたよ? 幼少の頃は皆に可愛がられていたみたいじゃないか、レクシィちゃん?」
(((レクシィちゃん……???)))
疑問符を浮かべた女性陣が何か言う前にレクシオールは立ち上がると、額に血管を浮き上がらせて怒鳴った。
「――っ貴様ぶちのめすぞ! 学生時代の素行の悪さをばらされたいか!」
「いいよ別に……話されて困ることでもないしねぇ」
「……ああもう、黙れ! くそ、こいつと同じ学校に入学したのが間違いだった!」
得意そうに胸を張るフレデリクにレクシオールは言葉を詰まらせ、乱雑に食事を再開する。腹を立ててそのまま出て行かない辺りが律義さを感じさせて、妙に微笑ましい。
(意外ですわ、子供っぽい所もありますのね……)
(そうそう……でもちゃんと努力はする方なので憎めないんですの。この間も図書館で女性との付き合い方に関する書籍を探していると、管理人が聞いたと……)
「パメラ……?」
「な、何でもございませんわ! おほほ……」
侍女達の囁きに面白がる響きを感じたのか、レクシオールの一睨みがそれを中断させる。そんないざこざにもリュミエールはどこか暖かいものを感じて嬉しかった。
(私もこんな風に、彼を理解してあげられる人になりたい……)
食事の手を止めていたリュミエールだったが、気づくとレクシオールの瞳がこちらに向いており、彼は言った。
「残すなよ……お前はもう少し食べて、女としての自信を養わねばならん」
「……? 分かりました……」
((どういう意味……?))
顔を見合わせる侍女達もリュミエールも、彼の発言の意図を正確に理解できておらず……唯一それを察したフレデリクだけが「グフッ……!」と言う食事の場にふさわしくない笑いを発し、後ろを向いて背中を震わせていた……。




