表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

第一部 友里恵

この物語は「名古屋嬢」の物語です。大地真央さん主演のドラマ「最高のオバハン」を見て、主人公の若かりし乙女時代をイメージしながら、華やかで見栄っ張りで自由奔放で活発な「名古屋嬢」を描きたいと思いました。転勤族の街「名古屋」に「単身赴任」した男、「家族連れ」で転勤してきた男、結婚相手の「地元」の男、そして魅力的な「名古屋嬢」。それぞれのキャラクターの個性が織り成す人間関係は、それぞれの「思惑」の違いから、最初の関係から少しずつズレていき、全く新しい人間関係になってしまいます。

最後まで読んでくれたら、嬉しいです。

第一部 友里恵

1.家族

 私は、家族に不満はない。


 同じ名古屋市内に住む、厳格だけどいつも優しい大好きな父と母、そして洗濯以外の家事をやってくれる夫。子どもはなく、大手精密機器メーカーに勤務する1歳年上の夫と、商社に勤務する私と、二人だけの自由気ままな生活を過ごしている。

 私はバナナマンの日村さんのようなおおらかで話が面白くて、できればイケメンの(ひと)がタイプだ。でも、夫は全然タイプが違って、チビで話も面白くなく、イケメンでもない。私は、どうしても、30歳までに結婚したかった。女が一番輝く時、20代の結婚という勲章がほしかった。見栄っ張り名古屋人の世間体かな。


 私は、裕福な家庭に育った箱入り娘だった。父の趣味で実家のリビングには赤ん坊のキリストを抱いた聖母マリア様の大きな絵が飾ってあり、いかにもお金持ちといった雰囲気の家だ。

 ところで、聖母マリア様は処女懐胎したとか。実際のところどうなのか、聖母マリア様しかわからない不思議な話だが、キリストの母となってからは彼女の人生が変わったことは間違いない。


 私は、地元名古屋で会社経営する父と国際線CAだった母との間に生まれた一人娘だ。私立小学校に通い、幼い頃からバイオリンや学習塾、バレエの習い事にも通った。小学校から中学、高校、大学までエスカレーターで進学し、地元のお嬢様女子大に入学した。

 大学生になった時、それまで彼氏をほしいと思わなかったから、彼氏はいなかったが、友達と合コンにいくと、いつも私はモテた。合コンで知り合ったイケメンと付き合うようになった。優しいイケメン彼氏に不満はなかったが、そのうちに、もっといろんな(ひと)と付き合いたくなって、いろんなことを知りたくて、東京に行くと決めた。大学二年生の時だ。

 バイオリンで編入できる女子大が東京にあることを知り、大学三年生から東京の女子大に名古屋から()()ことになった。泣きながら両親を説得して、「新幹線通学、門限23時」の条件付きで、箱入り娘のわがままは実現した。そういえば、受験勉強もしたことない。両親の説得は人生で一番頑張った時かもしれない。それぐらい一生懸命に泣いたな、あの時は。東京に通学することになっても、もちろん、その時付き合っていた名古屋のイケメン彼氏はそのまま。だって、名古屋の遊び相手も必要でしょ。

 東京の女子大に通いながら、芸能事務所に所属してモデルやレースクイーンのバイトをした。楽して稼げると聞いたから、エステに通ってカラダを磨き、芸能事務所に自ら自分を売り込んだ。バイト代は良かった。いろんな(ひと)に優しくされて、大事にされて、もちろんいつもモテた。東京と名古屋で何人もの(ひと)と同時に付き合った。忙しい日々。

 そして卒業後は商社に就職、東京本社に勤務。やっと親元を離れて、東京で自由な一人暮らしを始めた。しばらくして付き合いだしたのは、六本木のクラブで知り合った遊び人のイケメン彼氏だ。その(ひと)とは、愛する地元名古屋への転勤を機に別れた。束縛がすごい彼氏だったから、別に寂しくなかった。また、両親との生活が始まった。


 夫となる(ひと)で地元名古屋出身の進との出会いはマッチングアプリだった。

 実家暮らしを再開してから、しばらくは特定の彼氏はなく、マッチングアプリで検索したイケメン達とたまに遊ぶ生活が続いていた。進と出会ったのは、大好きな名古屋で大好きな営業の仕事に爆進しつつ、マッチングアプリで運命の(ひと)を検索しては会う、そんな頃だった。厳格な両親が認めてくれそうな運命の(ひと)はなかなか見つからず、いつの間にか29歳の誕生日を迎えていた。私は焦ってきた。

 人と話し、人に関わる今の営業の仕事は楽しいから、結婚後も仕事を辞めるつもりは全くない。とにかく結婚したかった29歳の私は、いつもの使い慣れたマッチングアプリで運命の(ひと)を検索していたら、夫となる(ひと)、進が現れた。

 写真はそこそこイケメンだと思ったのに、実際はチビでイケメンでもなく、話は面白くないし、一緒に居てつまらないし、トキメキもなかった。ただ、初めて会った時から、進はとにかく一生懸命につまらない話をする。夫となった今も。

 マッチングアプリで検索して出会った進との初めてのデートは、気取ってるが味は普通のイタリアンの店で、もちろん彼が予約した。

「僕、技術者で新製品の開発をしてます。友里恵さんはどんなお仕事ですか?」

「友里恵さんの好きな食べ物は何ですか?僕は、ここのパスタが好きなんです。嫌いなものは何ですか?」

場を盛り上げるように事前に考えてきたんだろう。一所懸命に、とにかく質問責めしてくる。話題を広げたいのだろうが、すぐに話題は尽きた。退屈な時間ばかりが過ぎたが、進の一所懸命さと真面目さは私に伝わった。そして、進の勤務先は結婚相手として申し分なかった。

 二人の話題が尽きた何度目かの沈黙で、私は進に聞いた。

「私と付き合いたいの?結婚してくれるなら、いいよ」

「あ、あ、はい。」

 進はオドオドして、私にYesと答えたのだ。


 進とは結婚を前提に付き合うようになり、害はないが刺激もないデートを何度かしてから、お互いの両親に結婚の挨拶をした。

 デートを重ねるうちに気づいたことは、進は恋愛経験がほとんどないこと。そして、あえて聞きもしないし興味もないが、初めての夜を共にした時、童貞だと思ったことだ。たぶん「私が初めての(ひと)」の進は30歳、たぶん「経験豊富」な私は29歳。私は、魔法使いの運命の(ひと)、進を夫として、新しい家族として選んだ。


2.運命の(ひと)、進との結婚生活

 私は、進との結婚生活に不満はない。


 共働きの私達は、結婚式も披露宴も新婚旅行もしていない。進も私の両親も勧めたけど、私が望まなかった。面倒だと思った。ただ、ウエディングドレスは着たかったから、記念の写真は撮った。一生の記念だから、3ヶ月くらいかけてエステに通って、完璧な身体にして。当然よね。

 2人の結婚生活では家事を分担している。下着は自分で洗いたいから洗濯は私の当番にして、ご飯の支度や掃除、ゴミ出しなんかは進の当番だ。共働きだからね、家事は分担しなきゃ。私が会社の飲み会なんかで遅くなる時は、進が車で迎えに来てくれる。

「ごめんなさい、遅くなって。上司が二次会行こうって、しつこくて。」

「全然、大丈夫。帰ろう。お風呂沸かしてあるよ。コンビニ寄ってく?」

進は、いつでも私に優しい。

 1つのベッドに毎日2人で寝る。たまに、一緒にお風呂に入る。休みの日は、2人の共通の趣味のドライブに行って道の駅で買い物したり、2人でデパートに行って買い物したりする。害はないが刺激もない、幸せな2人家族の時間を29歳の私は手に入れたのだ。きっとお互いの両親もそう思っている。


 私は進に、私と結婚するための条件をだした。この約束を守れるなら結婚すると。


 Sexはしない。Kissもしない。


 進はこの約束を守っている。一緒にお風呂に入ってる時も(進のあそこが大きくなってる時は気持ち悪い)、1つのベッドで寝てる時も約束を守っている。進が浮気をしてる様子はない。男なら浮気のひとつでもしてみろ!と思うが、魔法使いにはできないのかもしれない。男の人にとって、妻とSexできないって、どういう気持ちなんだろう?一応、気にしてるが、子どもが欲しいわけでもないので、自由なこのままがいい。


 進との結婚生活も半年が経とうとした4月、私の勤務する名古屋支店営業一課に、新しい上司となる藤木課長が転勤してきた。

「藤木と言います。単身ではありません。妻と小学生の子ども2人、家族と一緒に名古屋に赴任しました。よろしくお願いいたします。」

なんで、会社の挨拶で家族の話をするんだろう?家族思いの人なのかも。イケメンではないが、40代のマイホームパパで、優しそうな(ひと)だ。


3.運命の(ひと)、藤木との関係

 私は、今の職場に不満はない。


 私が勤務する名古屋支店は、大好きな営業の仕事をストレスなく全力で頑張っていける職場だ。仕事で困ったことは、上司の藤木さんに相談する。藤木さんはいつも優しく話を聞いてくれて、私が望むように、解決に導いてくれる。頼れる上司だ。

 私は、仕事とプライベートを完全に分けたいと思っている。藤木さんは、仕事で2人きりになっても、自分の話や会社の話、お子さんの話(遊園地で迷子になったとか)はするのに、私に「困ってることないか?」と仕事のことは聞くのに私のプライベートについては、何も聞いてこない。私からプライベートについて話せば聞いてくれるが、深掘りはしない。話が上手でいつも楽しい話だから、退屈でもないし、プライベートも詮索されないし、長時間一緒に居ても苦にならない。むしろ居心地がいい。

 藤木さんは、他の女性社員にも年代問わずに同じように接しているようで、悪い噂もないし、私だけを特別扱いしてる様子でもなく、皆に平等に優しいから、私にとって安心できる(ひと)だ。

 残暑が残る9月、初めて藤木さんと2人で飲みに行くことになった。社内で噂になるといけないから、会社には内緒。8月に私が任された大きな仕事が無事に終わって、藤木さんは私を労いたいのだと。会社の人達にバレないように、私のお気に入りの居酒屋「魚太郎」を個室で予約し、現地で藤木さんと待ち合わせした。会社や支店長の村雨さんの話で盛り上がった。藤木さんの話は面白くて、私を笑わせてくれる。また、彼は聞き上手でもあった。

 私は、男性がいる飲み会では、スマホは見ないようにしてる。その方が男性の印象が良いから。藤木さんは大切な上司だし、印象良くしないと。

 私も藤木さんも酔ってきたが意識はハッキリしている。藤木さんは、10歳以上も年下の女性と2人きりで、個室で楽しくお酒を飲んで、盛り上がってるのに、下心ひとつみせない。スマートだ。ブランドのスーツではないが、普段から清潔感もあり、煙草は加熱式たばこで無臭だ。

 私は藤木さんに女として見られてない?私に魅力がない?少し不安になった。

「奥様はどんな方ですか?」

私から、不意に下心を探った。どんな回答するだろう?

「美人だよ。専業主婦で家事は全部してくれるけど、家に帰ると小言を聞かなきゃならないし、子どもの面倒みろ!って、うるさいよ」

サラリと出た、藤木さんの最初の言葉は、妻は()()

少し考えるかな、と思ったら、自然にすぐに()()と言ったことに驚いた。普段から奥様を愛していて、本当に美人と思ってるから、誰に対しても同じように、聞かれたらすぐに「妻は美人」と言う(ひと)だと思った。この(ひと)はモテる。

「私も言われたい」

思わず、小声で言ってしまった。

 自分が知らないところで褒められてる妻を羨ましく思い、同時に、私が藤木さんの妻で私がいないところで同じように言われてる光景を想像して、羨望と希望が交差して、つい言ってしまった。

「ん?何?」

美人妻を持つ藤木さんは私の言葉に気づいていないようだ。

「藤木さんモテますよね。女性を安心させてくれる。私の話、聞いてくれます?旦那の話なんですけど。」

「何それ(笑) うん。どんな話?」

 藤木さんに、旦那との出会いや結婚生活、学生時代にモデルをしながら遊んでた話など、私のプライベートの話をした。旦那との結婚条件の話もしたから、たくさん深い話をした。時に笑いを交えながら、聞き上手に話を聞いてくれた。話しやすかった。ひいたかな?

「する?」

 藤木さんは突然言った。私は何を言ってるかわからず、聞き返した。

「え、なんですか?」

「旦那と()()()()って言うから。俺も最近してない。嫌なら、もちろんこの話はなし。俺は、それぞれの家庭を壊すつもりもないし、仕事にも影響させたくないから。上司部下の関係もそれぞれの家庭も今のまま。今の仕事と家庭の関係とは完全に分けた、別の新しい関係になるけど。する?嫌なら断ってよ」

 私のプライベートをさらけ出した後、藤木さんからの不意の提案に、私の経験が反射的に反応した。

「慣れてますよね。」

 藤木さんもすぐに反応した。

「嫌なら、もちろんこの話はなし。この話は忘れて。今までどおり。」

 直ぐにサラリと退いた藤木さんの言葉を聞いて、私は、思わず彼を追いかけた。彼の顔を見ずに遠くを見つめながら、静かに言った。

「断りじゃないです。ただ、少し待って欲しいです。」

「わかったよ。そろそろ帰ろうか?」

 私には、少し気になる肌荒れがあって自分磨きの時間が必要だった。私も最近してないし、生理的に無理な相手じゃないし、人として尊敬してるし、一緒に居て楽しいし、断る理由が見つからない。

 2人きりの帰り道、楽しく話しながら歩いたが、藤木さんは「()()話」については、一切触れなかった。私はいつもよりも彼の近くを歩き、手が触れそうな距離まで近づいていたが、手は繋がれなかった。

 地下鉄で家族のもとに帰る藤木さんを駅で見送った私は、いつものように、車で迎えにきた夫の運転で家路についた。


 藤木さんと初めて関係をもったのは10月だった。納得のいく自分磨きに、少々、時間がかかった。

 藤木さんとは、10月11月と2回の関係をもったが、彼は2回ともゴールしなかった。1回目は一緒にご飯に行った後で、お酒のせいだと藤木さんが言ったから、2回目はお酒抜きだったのに、なぜ?私に女の魅力がないってこと?

 早くて物足りない(ひと)はいたけど、ゴールしない(ひと)は初めてだ。

 2回目の時、ゴールしない藤木さんの気持ちを確かめたくて、私のすぐ隣で仰向けに横たわってる彼の顔を、私は両手で挟んで私の顔に近づけて、彼に言った。

「好きって、言って」

 藤木さんは顔を元に戻してから、天井を見つめて言った。

「うん、好き」

 藤木さんは私に「好き」と言わされてる。私のこと好きじゃないのか。。。私に魅力がないのか。

 私は、女としての自信を失くし、深く傷ついた。


 藤木さんとは、12月になっても、関係をもつ前と何も変わらず、頼れる上司として何でも相談できる関係のままだ。仕事で2人きりになっても、藤木さんは私達がもった関係については、一切、話さない。私からもしない。まるで何もなかったかのような2人は、気まずくもなく楽しく話せてる。私のキズは残ってるけど、そのうちに消えるはずだし、今までどおりだから気持ちが楽だ。

 いろいろあったが、私にとって理想の(ひと)なのかな、やっぱり。


 そして、12月の会社の忘年会。一次会が終わり解散した直後、藤木さんと同じタイミングの4月に赴任した村雨支店長から、私の私用スマホに突然LINEが入った。

「今から少し飲みに行かないか?」


4.運命の(ひと)、村雨支店長からの求愛

 私は、(ひと)からの誘いには慣れている。


 村雨支店長からのLINEには驚いたが、上司だし、未読スルーするわけにもいかず、迎えにきた夫の運転する車の中で返信した。

「本日、帰宅しました!またの機会にお願いします!いつもありがとうございます!!」

 私はサラリーマンだから、上司への気遣いは怠らない。


 いつもブランドもののスーツを身に付けた村雨支店長は50代で、家族を東京に残した単身赴任だが、清潔感もあるし、優しいし、悪い人じゃなさそうだ。ただ、時折見せる「俺、カッコいいだろ」アピールが、私にはウザかった。確かに会社の女の子の間で、「カッコいい!紳士!」と噂してるが、私はカッコいいとは思わない。

 忘年会の後、村雨支店長から何度も誘いを受けた私は、ついに1月に2人で飲みに行くことになった。


 部下の私が予約すると申し出たが、村雨支店長は自分で予約すると言い、現地で待ち合わせした。待ち合わせのイタリアンの店は、薄暗い木々の中を間接照明に照らされた幻想的な10mくらいの小道を歩いた先にある。重厚な木の扉が店の入口だ。私が扉を開けるとシックで高価そうな調度品のあるお洒落なお店で、黒服の男性店員に個室に通された。そこには満面の笑みの村雨支店長がいた。

 東京ではよく奢ってもらった高級イタリアンを久しぶりに味わいながら、村雨支店長の海外勤務時代の自慢話をたくさん聞かされた。私は笑顔で「すごーい!」と言いながら、つまらない話の聞き役に徹していた。私から話すことは会社のこと、あたりさわりない家族の話だ。私にとってはつまらない時間だが、村雨支店長は上機嫌。

 私は、男性が入る飲み会では、スマホは見ないようにしてる。その方が男性の印象が良いから。村雨支店長は上司だし、悪い印象をもたれないように。。

私も村雨支店長も酔ってきたが意識はハッキリしている。何となくわかっていたが、村雨支店長は下心を見せ始めた。

「俺、単身赴任でしょ。寂しくて。また2人で飲みに行こうよ。旦那さんとは仲良いの?新婚だから良いに決まってるか!愚問だった、ごめん!」

 愚問すぎるし、何て答えて良いかわからない。

「そうですね。。。」

 私は苦笑いして、答えた。

 この場を一刻も早く離れたくて、話題も変えたくて、嘘をついた。

「旦那が迎えにくるので、そろそろお開きにしませんか?」

 村雨支店長は、一瞬驚いた表情を見せたが、帰ることになった。

 2人きりの帰り道、村雨支店長はまた2人で会いたいと言い、自分が知るお洒落な店の話をしていた。私は、ひきつった笑顔で村雨支店長の話を聞きながら、彼との距離をとろうとするが、その度に、彼は私との距離をつめてきた。手は繋がなかった。タクシーでワンルームマンションに帰る村雨支店長を確認し、私は電話で夫を呼び、いつものように、車で迎えにきた夫の運転で家路についた。

 家に着くと、村雨支店長からLINEがきた。

「今日は楽しかったね。ありがとう!また行こうね。友里恵!」

 私は既読スルーした。


 それから、休日に村雨支店長からLINEが頻繁にくるようになった。内容はどこに飲みに行ったとか、旅行に行ったとかの日常報告から、仕事の労い等、たわいもない内容で、村雨支店長の機嫌を損ねたくないから、嫌われない程度にやりとりしていた。

 そのうちに、平日の夜にもLINEがくるようになった。

「友里恵、おやすみなさい。」

 私、結婚してるし、夫と一緒に生活してるし!私は村雨支店長の(ひと)じゃないし!彼は勘違いしてる!


 会社は今までどおりで、村雨支店長に職場内でしつこくされることはなかった。仕事とプライベートは分けられてたが、LINEの頻度はどんどん増えて、ほとんど毎日のように送られてくるようになり、私の予定を聞いてくるようになった。

「お洒落な店、見つけたけど、今週か来週あたりで空いてる日ある?一緒に行かない?」

「返信遅くなり申し訳ありません!予定が詰まってるので、予定がわかったら、こちらからご連絡します!」

 毎回こんなやりとりをする。


 3月、村雨支店長と終日一緒に仕事することになった。私が担当する企業が広島の関連企業を紹介してくれるという。紹介先企業には担当者と支店長が訪問し、取引可能になってから地域を担当する支店に引き継ぐのが、私の会社の慣例だった。日帰り出張だが、広島まで名古屋からは新幹線で片道2時間程度かかり、私は村雨支店長と終日一緒にいることになる。

 村雨支店長と私は一緒の新幹線に乗り込み、広島に向け名古屋駅を出発した。新幹線で今日のプレゼンの最終打合せしたいとのことで、2人シートに座った。村雨支店長に窓際席を勧められ、そのまま座った。仕事の打合せは京都駅あたりで終わり、お互いのPCでそれぞれの仕事をしつつ、時折たわいもない世間話をしながら、広島に向かった。

 紹介先企業でのプレゼンは無事に終わり、2人でタクシーで広島駅に向かった。駅構内の売店で私は家族へのお土産を、村雨支店長は職場へのお土産を各々購入した。売店を出て、私が券売機で帰りの新幹線の切符を買おうとしたら、村雨支店長から購入済みと言われ、切符を渡された。村雨支店長と同じ新幹線で2人シート、窓際が私、通路側は彼だった。私は別々に帰りたかったが、仕方ない。

 仕方ないと思いながら乗り込んだ新幹線は、広島↔️名古屋間の2時間ほどが苦痛過ぎて、1分が10分くらいに感じた。村雨支店長は私のプライベートを詮索し始めたのだ。夫との結婚生活、今までの恋愛関係。話したくない。私が適当にあたりさわりなく話すと、村雨支店長は半身を私に向け、顔を近づけてきた。我慢できなくなったが、上司だし、諭すように言った。

「私は仕事とプライベートは完全に分けたいんです」

 少しひるんだのか、プライベート口撃は弱まり、ほどなく、名古屋駅に到着した。しかし、新幹線改札口を出てすぐ、今から飲みに行こう!と村雨支店長にしつこく誘われた。

 私達の押し問答を好奇の眼差しで何人もの人達に横目で見られ、また振り返って見られて、会社の誰かに見られてないか気になり、とても恥ずかしかった。

「夫がもうすぐここにくる」と嘘をつき、やっとの思いで村雨支店長から離れることができた。何でも相談できる頼れる上司、藤木さんに話を聞いて欲しくて、村雨支店長と離れてすぐに電話した。

 藤木さんは家族と過ごしている時間だが、電話に出て、いつもどおり優しく話を聞いてくれた。ただし、村雨支店長に対しては怒りを顕にした。

「村雨支店長はそんな人だったのか。彼は罰を受けていいと思う。会社に言いにくかったら、俺から会社に言おうか?」

「私は大丈夫ですから。大事(おおごと)にしたくないんです。どうせあなたが誘ったんでしょって言われたくないし」

「わかった。今日の話は誰にも言わないから、安心して」

 藤木さんに話を聞いてもらった後、夫の迎えで家路についた。夫にも村雨支店長からのセクハラを知っておいて欲しくて、彼からのLINEも全部見せて、今日の出来事を話した。もちろん、夫も怒り心頭だったが、藤木さん同様に、抑えてもらった。

 村雨支店長からのLINEは、止まることなく以前と変わらず続いたが、私の返信がどんどん遅れるのが、変わったことだ。いい加減、気付いてよ!

 4月、村雨支店長は彼の家族の待つ東京の本社に異動した。たった1年の名古屋支店勤務だったが、左遷ではなくポストが空いたことで急遽、呼び戻されたようだ。予想どおり最後に会いたいと懇願されたが、予定どおり断った。もう上司でも何でもない、気を遣わなくていい(ひと)なんだから。


5.藤木との関係終了

 4月、村雨支店長の後任は沼沢さんという50代男性だ。赴任して2週間、支店の皆から嫌われ始めた。原因は、細かい上にねちっこく、さらに「部下に任せる!」なんて言いながら、自分の意に沿わないと「こうした方が良いと思うんだよね。どう思う?」と自分の意見を優しく押し付けてくる。しかも、アドバイスはいつも的外れ!これじゃ、誰も頼らないよね。

 前支店長の村雨さんは、私へのセクハラ以外はまともだったから、その頃と比べると今の職場の雰囲気は良くない。中間管理職の藤木さんは、誰にも優しいからかなり大変だと思う。

 村雨さんが東京の家族の下に帰った後も、彼からのLINEは毎日のように続いた。4月下旬には、「名古屋に行く、プレゼントあり!」とかLINEしてきて、しつこく何度も繰り返しLINEしてきたが、「絶対に会えない!」と何度も断り続けたら、結局名古屋には来なかった。


 村雨ストレスが溜まってきた。藤木さんには電話で村雨LINEの内容をほぼリアルタイムで報告・相談しているが、限界だ。藤木さんも沼沢ストレスが溜まってるはず。

 そうだ、藤木さんと久しぶりに飲みに行こう。いつ以来だろう?毎日のように顔を合わせるが、2人きりは久しぶりだ。

 今回は、沼沢ストレスが充満した藤木さんを労いたいと、私から誘った。

 6月下旬。藤木さんとの2人飲みは今週末。私が日程を決めて店を予約したが、天気予報ではずっと雨が続く一週間の最後の日。しかも、生理の体調不調で最悪な一週間。

 お腹痛い、耐えられない。不快で、イライラしてきて、不安になってきた。私は藤木さんとなぜ会うの?藤木さんは私に魅力を感じてない、私を好きじゃないのに。だってゴールしてない。あれから私は女としての自信を失くし、傷ついた。藤木さんに傷つけられた!

 私は、「もう2人で会えない」とLINEした。

 2人飲みの前夜、LINEで私から藤木さんとの関係を絶った。


 7月から、私は藤木さんと話すのが気まずくなり、仕事でも2人きりは避けるし、電話の相談も極力避けるようになった。関係を絶ったLINEにふれてほしくなかった。藤木さんはあのLINEにふれることなく、1ヶ月が経ったが、村雨LINEは続き、私は未読スルーで応酬した。


6.村雨に勝った!

 藤木さんとは、仕事上のやりとりを重ねるうちに、私にとって何でも相談できる上司に戻った。村雨LINEも見せ、しつこく会おうとしたこともチクったら、驚いて心配してくれた。

 9月の休日。いつもの村雨LINEがきた。未読スルーしたその内容は、プレゼントを持って名古屋駅にいる、というもので、気持ち悪い。あまりにしつこい村雨LINEは止まらない。かといって、大事(おおごと)にしたくない。でも、もう村雨は名古屋駅に来てしまった。東京本社勤務になったら、村雨はまた上司になるかもしれない。新幹線代だってかかってるし、どうしよう!

 村雨と名古屋駅で会うことにした。怖いから、人通りの多い新幹線改札口付近で待ち合わせした。怖いから、夫に村雨LINEを見せ、夫の車で名古屋駅に向かい、夫には近くで待機してもらった。夫は村雨と会うことを止めたが、事情を説明して説得した。

 村雨は満面の笑顔で何か話したが、聞く気もないので、何を言ってたか知らない。村雨の気の済むようにプレゼントを愛想笑いで受け取り、夫の車に向かった。

 離れたのにこんなことされて、本当に怖くなってきた。そろそろ終わりにしないと。


 ほどなく、私は村雨に勝利した。

 村雨が私にしつこく付きまとい、名古屋駅でプレゼントを渡した、との噂が、東京本社で蔓延したのだ。夫以外の誰にも話してないから、名古屋駅で会社の誰かが、嫌がってる私としつこい村雨の姿を目撃したのだろう。噂には、プレゼントはすぐに売られた、と尾ひれがついて蔓延していたが、売却は事実だから、噂って怖い。

 この噂の蔓延は東京本社の同期から私の耳に届き、また、村雨が憔悴していることも聞いた。

 村雨から突然電話があったのは、9月中旬だった。LINEも止まっていたので、謝罪したいのか?と思い電話にでた。話は復縁だった。

 第2の人生を私と一緒に歩みたい、結婚も考えてると言われた。村雨からのプロポーズをハッキリ断ったら、今まで奢ったご飯代とプレゼント代を返してほしい、そうしないと気持ちの整理ができない、と意味不明なことを言われた。我慢できなくなった。

「じゃあ、全部、表に出しましょう!お互いスッキリしますよね!」

「それは、やめてくれ。俺の人生が終わる」

 第2の人生の理想はどこにいったのか?プロポーズは?お金は払わなくていいのか!

 この日以来、村雨からの連絡は完全に止まった。

 夫の進と頼れる上司の藤木さんには、村雨との顛末を9月下旬に全て話した。

 私は村雨に勝利した!


7.リセット!

 私は、病院のベッドで目覚めた。驚いた表情で私の顔を見つめた夫は、すぐに喜びと安堵の表情に変わった。私は、少し頭が痛いけど、他に変わったところはない。

「調子はどうですか?」

医師が私に聞いた。

「少し頭が痛いというか、変な感じです。」

「そうですか。では、検査に行きましょう。」

 脳の精密検査を受け、結果は異常なしとの医師の説明を夫の進と一緒に聞き、そのまま退院、帰宅した。

 私は昨日の土曜日に交通事故にあい、意識を失い、救急車で病院に運ばれた。頭を強く打ったらしい。何か軟らかい物がクッション替わりとなり、幸い外傷はないそうだが、何も覚えていない。

 医師からは、頭を強く打ったことで一時的な記憶障害になっていて、記憶が戻るかもしれないし戻らないかもしれないが、2、3日で記憶が戻るケースが多い、との説明を受けた。検査の結果は脳にも身体的にも異常なく、日常生活に支障なく就業可能とのこと。つまり、普通ってことだ。


私はいつもどおり出勤した。


 あれ?会社がない!


 急いで責任者の村雨支店長に電話した。村雨支店長は、最初、戸惑った様子だったが冷静に応えてくれた。

「何を言ってるの?事務室は今年6月に他のビルに引っ越したでしょ。それに支店長は沼沢で、俺は今、東京だよ。どうしたの?様子がおかしいよ。とりあえず、沼沢に連絡するからそこで待ってて。」

沼沢さんって誰だ?

 私は、事務室のあるはずのビルの前で、会ったこともない人を待った。初めて会う沼沢さんが、私を迎えに来て、行ったこともないビルの事務室に連れて行かれた。入口の扉に名古屋支店と書かれた事務室内には、知らない人も何人かいる。その中に、心配そうに私を見つめている藤木さんを見つけて、とても安心した。


 私は、いつからかの記憶を失い、自分の過去の一部を失ったようだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ