13枚目 幼馴染みで親友で
春の陽気が心地よい、そんな季節。
特に午後になるとポカポカと暖かく、いやでも眠気が襲ってくる。
春眠暁を覚えずというけれど、正しく今の葵はその言葉通りだった。
というのも、葵の席は奇しくも窓際の一番後ろだ。
ここなら授業中から教師に注意されることもないし、ゆっくりと眠れる──と言えばそういう事もない。
「──ま、からすま、烏丸葵!」
「はひぃ!」
バッと起き上がり、その拍子でガタガタと机が音を立てる。
「え、え、何?」
キョロキョロと辺りを見回すと、周囲から笑いが起こる。そして、真正面にいる数学教師──高橋恭哉がこちらをじっと睨んでいた。
見た目は二十代後半に差し迫ったかというほど。しかし実年齢は定かではない、年齢不詳の男だ。
高橋はその顔を歪ませて(というか呆れつつ)、持っているチョークで黒板をトントンと叩いた。
「俺の授業で寝るたぁ、随分余裕がおありだなぁ? そんな烏丸に提案。この問題解いてみろ」
にっこりと、それはもういい笑顔で高橋が言った。語尾にハートマークが付く声音で言うのだから、恐怖を通り越して悪寒しか湧かない。
「えーっと……」
ひくりと頬が引き攣る。
高橋がチョークで指す問題は、今日の授業をしっかりと聞いていれば分かる応用問題だ。
しかし葵は寝ていた。それに加えて数学が大の苦手ときたら詰んだ、としか言いようがないだろう。
しどろもどろ目を泳がせていると、隣りの席から小さな紙が渡された。
そちらを見れば、いかにも清楚を具現化したような──野々宮一華が、葵にしか分からないよう微笑んでいる。
なんだろう、と疑問に思いつつもカサリと四つ折りにされたそれを開く。
(あ、これって)
軽く目を見開き、自然とそこに書かれていたことを呟いた。
「9……?」
「よし、正解。座っていいぞー」
反射的に立っていただけなのだが、高橋の言った通り席に着く。
「ふふ、よかったね」
コソリと話し掛けてきた一華は、悪戯っ子がする笑みで葵にウィンクした。
「一華ぁ……助かった、ありがとう」
当の葵はというと、半泣き状態だ。
「ううん。高橋先生って厳しいから。……それに、こんなにいいお天気だと眠くなるのも分かるもん」
そう言うと一華は可愛らしく欠伸をした。
つい最近まで日中は肌寒かったのに、今日になってみるとこれだ。寝るな、という方が無理な話だろう。
「そうねぇ……一華、今日のお礼に何か奢るわ。考えておいて」
今度は葵がウィンクする。先程のお返し、というやつだ。
奢ると言っても、ファミレスや購買でも買える値段だが。
借りはしっかり返す主義だという葵の性格を知っているからか、一華は苦笑しつつも首肯する。
「分かった。じゃあ授業聞こうか……さっきから視線が痛いし」
「あ」
一華の言葉通り、教卓にいる高橋から「私語を慎め」というオーラを感じる。
すみませんと小声で謝罪し、葵と一華はノートを板書する手を動かした。
◆◆◆
その後、葵はなんとか忌々しいほどの眠気に打ち勝った。
ようやく放課後になり、ガヤガヤと廊下を行き交う生徒たちの声が聞こえる。
教室に残っているのは葵と一華、それに男女数人のみだ。
「っは〜〜〜……終わった!!」
バタンと机に突っ伏し、体の力を抜く。高橋の授業で気を張っていたからか、身体のあちこちが痛むのだ。
「お疲れ様、葵」
そう言って、一華はスポーツドリンクを差し出す。
葵が入っている部活のマネージャーを務める一華は、いつでも飲めるようにとスポーツドリンクを持ち歩いているのだ。
可愛らしいうさぎの柄がプリントされている水筒は、葵専用のもの。
「ありがと……」
机にぐったりとしたまま葵が水筒を受け取り、蓋を開ける。
ふわりと柑橘系の香りが微かに漂う。それを胸いっぱいに吸い込み、ひとくち口に含んだ。
「はぁ……。美味しい……」
「ふふ、ならよかった」
いつもと変わらず笑顔を向ける一華を見ていると、女神のようだと思う。
元々の性格もだが、容姿端麗で誰にでも優しい。多少ははしゃぐものの、粗野とは無縁な人間だ。
葵と違って艶やかで、癖の無い黒髪。伏し目がちな目。毛穴ひとつなく、真っ白い玉のような肌。
緩い話し方が密かに男子に人気だということを、当の本人は知らない。
そんな親友兼幼馴染みに一抹の不安を覚えつつ、葵は口を開く。
「あ、一華さえ良かったらなんだけど、うちに来ない? 今日は兄さんが早番だから」
「いいけど……どうしたの?」
こてりと一華が首を傾げる。
「実は朝から喧嘩しちゃって……。気まずいのよ」
朝のやり取りが喧嘩と言えるのか疑問だが、少なくとも葵には顔を合わせる勇気が無かった。いくら千秋が優しいとはいえ、ああも無下にしたのは久しぶりだったのだ。
「わかった。じゃあ私の家に寄ってから行こうか」
にこりと一華が微笑む。
嫌な顔ひとつせず肯定してくれるから、いい子と巡り会えた、としみじみ思った。




