寂しがり屋の小鳥は、初恋の騎士さまの生まれ変わりを幸せにしたい。~なお、騎士さまの生まれ変わりは実はヤンデレ王子で、鈍感な小鳥をすでに溺愛中の模様~
あとがき部分に、キャラクター紹介があります。
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「アルエット、今日も頑張っているようだね。細かな部分にまでよく目が行き届いている。今まで遅れがちだった書類仕事がはかどると分隊長が誉めていたよ」
「ありがとうございます!」
王城の一角にある騎士団の事務室。そこに不意に現れた、青い衣が似合う美しい貴人。敬愛するそのお方にお褒めの言葉をいただき、わたしは自然と笑顔になりました。嬉しい、本当に嬉しいのです。あの時からずっと、あなたの笑顔がわたしの生きる糧でしたから。
「だが、その細い体では少しばかり心配だ。食事はちゃんと食べているのか?」
「はい。どれもとても美味しいものばかりです」
多くの団員とは異なり、貴族ではなく平民出身のわたし。ただでさえ貧弱に見える上に立場の弱いわたしのことを、お優しい殿下は特に気にかけてくださいます。そんな細やかさもあの頃のまま。本当に懐かしいです。とはいえ、わたしの体つきが他の団員に比べて貧相なのは仕方がありません。だってわたしは女なのですから。
平民の、しかも両親の揃っていない捨て子が、城での働き口を得ることは実際のところとても難しいのです。それができたのは、教会内でわたしに読み書きと算術を教えてくださった神官さまのおかげ。とはいえさすがに神官さまも、わたしが性別を偽って騎士団の事務職に応募するとは思っていらっしゃらなかったようですが。
仕事の内容も剣を振り回すようなものではなく、事件の記録や書類の代筆が主なものですから、血生臭いものが苦手なわたしでも何とか務まるというもの。ちょうど空いていたということで、寮の一人部屋をいただけたのも、後ろ暗い秘密を持つわたしにはありがたいことでした。
「さあ、もっと食べなさい。甘いものは、別腹だろう? 糖分は脳の栄養にもなる」
「れんふぁ、ふありはほうござまふ」
唐突に殿下が手ずから食べさせてくださったのは、最近話題のクッキー。よほどひもじそうに見えるのでしょう、殿下は毎度美味しいものを手土産として持ってきてくださるのです。てのひらの上で甘いおやつを食べていた頃が懐かしくて、わたしもつい餌付けされてしまいました。
庶民にはなかなか手が届かない名店のクッキーは、さくさくとしていて、噛めば噛むほど口の中に甘みが広がります。実はうっかり殿下の指までかじってしまうことがよくあるのですが、大丈夫なのでしょうか。注意されたことがないので、気づいていらっしゃらないと思いたいのですが……。
「おや、こんなところに菓子屑がついているよ」
「えっ、ど、どこですか?!」
柔らかい何かと甘い香りが、わたしの頬をかすめていきました。あれ、お菓子の屑はどうなったのでしょうか。慌てて両頬を触ってみても、おかしなところは何もありません。殿下はそんなわたしの頭をぽんぽんと軽く撫でると、そのままどこかへ立ち去ってしまいました。
またお仕事があるのでしょうか。あるいはちょうど一段落ついたところで、これからお茶を飲むのかもしれません。そう、大切な婚約者の方と一緒に。なぜなのでしょう。ちくんと胸が痛みます。おかしいですね。美味しいお菓子を食べたばかりだというに悲しくなるなんて。
本来であれば、こうやって殿下と言葉を交わせていること自体が奇跡なのです。わたしは、いつの間にか自分が思っていた以上に欲張りになっていたのかもしれません。殿下の姿はもうすっかり見えなくなってしまったというのに、名残惜しく廊下に目を向けてしまう自分が恥ずかしいです。いつか来るその時に、ちゃんと笑ってお祝いができるように練習をしておかなくてはいけませんね。
それにしても、殿下は一体何のために毎日お越しになっているのでしょう。事務室とは名ばかりの、物置小屋のようなこの場所はきらびやかな王子さまには無縁の場所に思えるのですが……。
まるでわたしに、あの美味しいお菓子を持ってきてくださっているみたい。
そんなあるはずもないことを考えて、わたしはひとり小さく笑ったのでした。
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むかしむかし、今よりもうんとむかし。まだこの王国がとても小さくて、か弱かった頃、わたしは小鳥で、殿下はこの国を守る辺境の砦の騎士さまでした。王族に連なる血を持ちながらも、妾腹だった騎士さまは、王位争いから離れひとり辺境へやってきたのです。
とても真面目な方でした。ひどく不器用な方でした。数々の戦いから国を守った英雄であったにもかかわらず、人間関係につまずき、たくさん傷ついておられたのです。笛を吹くことを好んだ騎士さまと、日がな一日さえずっていたわたし。静かな森の中でともに音を紡いだあの時の、なんと素晴らしかったことでしょう。
そんな優しい時間は、隣国が仕掛けた戦によりあっさりと崩れ落ちました。責任感の強い騎士さまは、どんなに不利な状況でも逃げ出すことはいたしません。わたしひとり逃げるように告げ、そのまま戦いに身を投じられたのです。
叶うならば、手を取り合って逃げたことでしょう。わたしは、騎士さまにこれ以上傷ついてほしくはありませんでした。けれど騎士さまが国を見捨てるような方ではないことも、よくわかっておりました。何よりそんな騎士さまだからこそ、わたしは騎士さまを尊敬しておりましたから。
あの時わたしが選んだ道は、騎士さまの命と騎士さまの守るべき国を救うことでした。それが、騎士さまの幸福に繋がると思っておりましたから。けれどわたしの選択は、騎士さまを長い間ひとりにさせてしまいました。騎士さまは寂しかったのでしょうか。苦しかったのでしょうか。城に残っているかつての騎士さまの絵は、どこか物憂げなものばかりです。
わたしはただ、騎士さまに幸せになってほしかったのです。美味しいものを食べて笑っていてほしかったのです。好きな笛を思う存分楽しんでほしかったのです。だから今世こそは、お側にずっと仕えようと心に決めておりました。
けれど、こんなことを話して信じてくださる方がどれくらいいるでしょうか。きっとみなさん、わたしのことをほら吹きやら大嘘付きやら笑い飛ばすに違いありません。わたし自身、前世の記憶などではなく、ただの妄想ではないのかと思い悩んだくらいです。
だって、教会の孤児院に殿下が視察に来られ、目があった瞬間に前世の記憶を思い出すなんて、出来すぎだとは思いませんか。しかも、騎士さまの生まれ変わりが殿下だったなんて。
わたしにはわたしの記憶を証明することができません。前世と同じ小鳥の姿に変身できれば良かったのでしょうが、そんなこともちろんできやしません。せいぜい、かつての恩恵でしょうか、鳥に懐かれやすいくらい。だからわたしは、前世の記憶は今まで誰にも話したことがないのです。
同じ国の同じ時代に生まれ変わったはずなのに、わたしたちの関係は、今も昔も遠いままです。殿下がわたしに優しくしてくださるのも、あくまで前世からの縁のようなものがうっすらと残っているからなのでしょう。そこには恋だとか、愛だとかは存在していないのです。
それはもしかしたら、わたしの存在が不必要なものになってしまったからなのかもしれません。ようやく会えたわたしの騎士さまは、もはや人づきあいが苦手で、不器用で、ひっそりと笛を嗜まれる方ではありませんでした。どんな相手に対しても朗らかに笑い、友人として引き込んでしまうそのお人柄。王太子を支え、陛下からの信頼も厚い第二王子殿下だったのです。
前世と今世は違うひと。同じ魂だからといって同じ人間になるわけではないというのに、どうしてわたしはこんなに驚いているのでしょう。わたしは魂の浄化に時間がかかり、ようやっと2回目の人生です。けれど、騎士さまはもう幾度も転生を繰り返していらっしゃるはず。ですから、わたしの手助けなど必要ないくらい、 多くのことを学ばれたに違いありません。環境が変われば、ひとはまったく異なるものに成長するのが当然なのですから。
これでようやく、あの方は幸せになれる。喜ぶべきことなのです。わたしはその姿を見るために、殿下のお側に生まれ変わったのです。婚約者さまに嫉妬するなんて、あってはなりません。だから、何だか胸の奥がしくしくと痛むのは、気のせいなのです。目の前がぼやけて見えてしまうのも、きっと。
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殿下による餌付けが当然の日課になった結果、わたしの体内時計は、お茶の時間になるとぐうぐうと空腹を訴えるようになってしまいました。それもこれも、すべて殿下のせいです。殿下が決まった時間におやつをくださるものですから、わたしのお腹はすっかり食いしん坊になってしまったのです。殿下のきまぐれで始まったこのおやつの時間は、殿下が飽きてしまわれたならそれで終わりだというのに。
こんこんこん。
扉を叩く音がしました。
殿下がおこしになったのでしょうか。いつもよりもおいでになるのが遅いようです。時間に正確な殿下にしては、珍しいこと。今日のおやつはチョコレートでしょうか。それともマシュマロでしょうか。季節の果物でもいいですね。この時期とれる、山桜桃を思い浮かべてわたしは思わず頬を緩めました。とはいえ、王族である殿下が森に木の実を取りにいくはずなどないのですが。
笑顔になりすぎないように気をつけて扉を開ければ、そこには王城の庭で放し飼いにされている孔雀がいました。羽に描かれた百の目玉が、ぎょろりとわたしを睨みつけます。
「あぶない あぶない」
孔雀が叫びました。この子は何を言っているのでしょうか。とても、嫌な感じがします。きんと、硝子を金属で引っ掻くような、耳がきしむような音が響きました。
こんこんこん。
今度は、窓を叩く音がしました。殿下は神出鬼没な方ですが、さすがに三階の窓から出入りされることはありません。窓を開ければ、そこにはお仕事中の伝書鳩がいました。
「あぶない あぶない」
伝書鳩が叫びました。危ないのは、わたし?
まさか、そんなことはないでしょう。騎士団のたかが雑用係に興味を持つようなひとはいないでしょうから。それならば、彼らがわたしに教えてくれようとしているのは……。わたしの目に飛び込んできたのは、伝書鳩のずっと向こう側、遠い森でひとり馬に乗る殿下の姿でした。
どうして誰も気がつかないのでしょう。殿下を狙う射手の存在に。こんなにもはっきりと見えるというのに!
わたしは、部屋を飛び出しました。お上品に廊下の突き当たりにある入口など使ってはいられません。伝書鳩の真横を、ふわりと飛び降りました。
やめて、やめて。どうか間に合ってください。ちっとも前に進まない人間の足がもどかしくてたまりません。小鳥のままなら、今すぐにでもあなたの側に馳せ参じるのに。
息が上がって仕方がありません。けれど、ここで諦めるわけにはいかないのです。坂道を転げ落ちるように走っていると、まるで羽が生えたかのように勢いよく進むことができました。この速さなら、きっと!
「殿下!」
こちらに気がついて欲しくて。殿下に危険を知らせたくて、わたしは必死に叫びました。それが戦場においては恐ろしいほどの悪手だなんて、命を左右することになるのだなんて気がつきもせずに。
ああ、あの時もそうでしたね。騎士さまの後ろを泣きながら追いかけたわたしが見たものは、馬に乗ったあなたとあなたを取り囲んだ軍人たち。
殿下の後方、ぎらぎらと冷たく光るものを見て気がつきました。わたしが、小鳥ではなく人間の姿に生まれ変わったのには確かに意味があったのです。少なくとも、小鳥のままでは殿下の盾にはなれませんでしたもの。わたしは、一気にすべてを飛び越えて、殿下のもとに辿り着きました。
殿下が大事に抱えておられた藤の籠が、馬上から落ちました。ぱっと地面に広がった鮮やかな赤は、あっという間に踏み荒らされ、泥にまみれていきます。熟していたその実は、甘い汁をただ地面に垂れ流すばかり。ああ、あれは山桜桃。
もしかして、殿下もわたしのことを覚えていてくださったのでしょうか。わたしが小鳥だったことに、気がついておられたのでしょうか。
気がつけば、わたしは殿下に抱き抱えられていました。周りを囲んでいたはずの敵の姿は、もうどこにも見えません。さすがは、殿下です。騎士さまの剣さばきも素晴らしいものでしたが、殿下の剣技もきっと目を見張るものなのでしょう。それは、殿下が騎士さまの生まれ変わりだからではありません。殿下は、何事に対しても努力を惜しまない方だからです。
背中の傷は想像していたほど、痛みも苦しさもありませんでした。感じたのはただただ燃えるような熱さだけ。煮えたぎるような熱に、思考がとかされていきます。
こんなことになるのなら、殿下に話してみれば良かったと今さらながらに思いました。笑われてもいいから、話してみれば良かったんです。殿下がわたしのことを馬鹿にするはずなんてなかったのに。あなたのことを本当に信じていたのなら、伝えられたはずなのに。臆病でごめんなさい。弱虫でごめんなさい。
閉じそうになるまぶたを必死でこじ開けてみると、殿下は、何か懸命に叫ばれているようでした。ごめんなさい、またあなたを悲しませてしまいましたね。あなたにはもっと笑っていてほしかった。
それでもわたしに、後悔はありません。騎士さまの、殿下のお側にいられること、あなたをお守りすること、それがわたしの望みだったのですから。
ああ、でも、もしも叶うならば。
あなたの名前を呼んでみたかったのです。
ねえ、騎士さま。殿下……。いいえ、エルネストさま。心より、お慕いしております。
唇に、何か柔らかいものが触れた気がしました。
*********
甘い、甘い、優しい香り。懐かしい匂いに包まれて、わたしは意識を取り戻しました。これは一体何だったでしょう。蜜柑よりも甘くて、薄荷よりさわやかで。魂に刻まれているこの香りは。
目を開けたその先には、深い青が広がっていました。澄みきった青空のような瞳が、わたしを覗きこんでいます。ああ、青の守り人。わたしの騎士さま。いいえ。
「エルさま」
殿下のお名前は、飴玉を転がしたように、口の中で甘ったるく広がります。
一度だけ経験した死後の世界は、底無しの眠りの海にも似ていました。とろとろとまとわりつく幻の世界。だから、また夢だと思ったんです。魂が浄化されるまでの間に、愛しいあなたの夢を見ているのだと。
「エルさま、さびしいです。昔みたいに、抱っこしてください」
かつて小鳥だった頃、騎士さまのてのひらに包まれていれば、いつだって安心して眠ることができました。ついそれをわたしはねだってしまったのです。
この世界に、わたしは孤児として放り出されていました。騎士さまは、殿下は、そんな世界でのたったひとつのわたしの縁なのです。どうかお願いです、この手を離さないでください。
殿下は、もうわたしがいなくても大丈夫かもしれません。けれど、わたしは殿下がいないと生きていけないのです。やっと、やっと、巡り会えたのに、お別れなんてしたくなかったんです。ひとりぼっちは嫌なのです。寂しいのはもう嫌なのです。
息もできないほど強く抱きしめられたわたしは、ようやくこれが夢ではないことに気がつきました。不思議なことに、背中の痛みはまるでありません。まるで最初から、怪我などしなかったかのようです。
「望めば良かったんだ、どんな貴人の身分だって、君になら誰もが喜んで用意したはずだ。神だって、俺だって」
「ただお側にいられたらそれで、良かったんです。他にはなにもいらない、そう思っていたんです」
「まったく、君は欲が無さすぎる」
いいえ、いいえ。わたしは、誰よりも醜く欲深いのです。婚約者さまよりも、わたしを選んでいただきたい。この国のための婚姻ではなく、わたしとの、わたしだけとの未来を選んでほしい。あなたのためと言いながら、結局のところわたしはわたしのためにあなたの側にいたいのです。
きっと愛妾としてなら、お側にいることも叶うのでしょう。けれど、それではどうしても耐えられないのです。あなたの愛を、誰かと分け合うことなんて、わたしにはできません。
「もう、離れないでくれ。俺のマ カイーユ」
「殿下、わたしの名前は、カイーユではなくって、アルエットですよ」
「……アルエット、お願いだ……」
不思議です。何でもできるはずの完璧な殿下は、まるで昔の騎士さまのようにどこか心細そうな顔でわたしを見ています。ひとりにしないでとすがったのはわたしの方なのに、殿下の方が涙を流しているようです。
わたしは、ここにいてもいいのでしょうか。前世はただの小鳥で、今は騎士団の雑用係です。今も昔もわたしはなにひとつ、与えるべきものを持ってはいません。むしろ、わたしは殿下の持っているものを奪い、捨てさせることしかできないのです。わたしが婚約を解消させることで、殿下は王族の身分さえ失うかもしれないのです。
「君が欲しいんだ。君じゃないと、駄目なんだ」
神さま、ごめんなさい。わたしは、わたしたちは、自分たちのことを一番に考えてしまった愚か者です。かつてのわたしたちのように、国のために命を捧げることなどもはや考えられません。
贅沢な暮らしなんていりません。森で密やかに、ささやかに暮らせるだけで構わない。許してくださいとは言いません。どうか、わたしからこの方を奪わないで。
わたしの愛しいあなた。
どうか、ずっとお側においてくださいませ。もう二度と離れることのないように。
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大切な大切な、俺の愛しい歌姫。
もう二度と離さない。離せるわけがない。
俺は、腕の中ですやすやと眠るアルエットをきつく抱きしめた。立ち込めるのは、懐かしいお日さまと干し草の匂い。どんな芳しい香水にもまさる幸せの香り。くすぐったかったのだろうか、彼女が身じろぎし、ふわふわの羽毛に似た巻き毛が揺れる。
ようやっと手に入れた俺の可愛い小鳥。柔らかく温かな人間の肉体を持って、息をしている。ただそれだけのことが、泣きたくなるほど嬉しい。どんな夢を見ているのだろう、君は安心しきった顔で笑っている。本当に幸せそうにうっすらと口角を上げたままで。ああそういえば君は、大好きな山桜桃を食べる時にはいつもそんな顔をして笑っていたんだっけ。
気がつけば涙があふれていた。長い長い、気が遠くなりそうな孤独な日々も、君に再び出会うためには必要な道のりだったのだと今なら思える。神より与えられた呪いじみた慈悲に心からの感謝を捧げながら、眠る彼女の額に唇を落とした。
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「あら、殿下。死に損なったようですわね」
元婚約者であった令嬢の言い草を俺はあえて聞き流した。こんな言い方をすれば、あたかも自分が今回の襲撃の首謀者のように聞こえてしまうだろうに、わざわざそんな当て擦りをしてくるとは。
ノックもなしに部屋に入り込んできたそのぶしつけさに、思わず顔をしかめる。彼女はそれが許される立場だった。誰に聞いても、アルエットではなく元婚約者を娶るように俺を諭すだろう。好きな女は愛妾にでもしておけと。
だが、俺はアルエット以外は必要としていない。そう、この王国だって別に潰してしまってもいいのだ。アルエットがそれを望むのならば。
彼女がアルエットに近づく。それがたまらなく不愉快で、俺は腕の中のアルエットを寝台に横たえ、ゆっくりと立ち上がった。彼女を傷つけるものは、何人たりとも許しはしない。
彼女の喜びも苦しみもすべて俺だけのもの。この背中に移し変えたアルエットの傷の痛みさえ、今の俺には甘露に等しい。アルエットの感情が、俺の中に滝のように流れ込んできて、その甘さにめまいがするほどだ。
「そんなに大事なのであれば、さっさと囲いこんでしまえばよかったものを」
鼻白んだように吐き捨てられた元婚約者の言葉に、俺はかすかに冷笑をもって応える。それは、俺自身がかつて考えたこと。目を塞ぎ、耳を塞ぎ、俺にとって都合の良い景色だけを見せてもよかったのだ。
それをしなかったのは、瑞々しい彼女が枯れてしまうのが恐ろしかったから。小鳥は狭い鳥籠の中では生きてはいけない。だったら、閉じ込められていることに気がつかないくらい、広い鳥籠を用意してやればいい。たくさんの選択肢を与えて、自ら主人の掌に止まるように懐かせればいいのだ。
「王国のために共に働く同志としてならば、うまくやれると思っておりましたのに。役目のために働くことを全否定するだなんて、本当にひどいお方だこと」
おそらくは言うつもりのなかったであろう、令嬢の本音。扇の影、ぽつりと呟かれたそれには返事をせぬまま、俺は元婚約者に背を向けた。
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「どうぞ騎士さま、争いのない国を作ってください」
繰り返し思い出すのは、優しい小鳥の残酷な遺言。俺は、ただ君さえ無事ならそれでよかったのに。
前世で交わした約束を守るために、俺はずっとこの王国に尽くしてきた。いつかまた、生まれ変わった彼女と出会うために。
あるとき俺は宰相だった。飢える民が出ることのないよう体制を整えた。王の右腕として国を支えたが、反対派の貴族に嵌められてあっさりと命を落とした。
あるとき俺は騎士だった。国を守るために働くはずが、王位争奪という王族の兄弟喧嘩に巻き込まれてあっけなくこの世を去った。
あるとき俺は間諜だった。国にとって害となる連中は、花にたかる害虫と同じようにひとつひとつ丹念に潰した。数え切れないほどの害虫を殺した後、使い古しの雑巾を捨てるように俺も処分された。
あるとき俺は神官だった。神に祈り、教えを説き、民を導いた。けれど、神の教えだけでは腹は膨れない。俺は宣教の旅の途中で、山崩れで田畑を失った村人に襲われて絶命した。
人間は屑ばかりだと思い知る人生だった。今度こそはと祈り、希望が叩き壊される。せめてまっさらなままから始められれば、何かが変わったのだろうか。
母となる女の腹から生まれ落ちた時、毎度鮮明にすべての記憶を思い出す。最初に訪れた君との別れを何度追体験したことだろう。死にゆく君の微笑みを、一瞬たりとも忘れることは許されない。
それなのに、小鳥のいない世界には音がない。色がない。大好きだったはずの笛の音も聞こえない。山桜桃の赤も見えない。生きている実感さえ乏しい、足元があやふやな世界だった。
ねえ、俺の小鳥。君は知らないだろう。君がこの世に再び生まれ落ちてきたとき、俺の世界に光があふれたことを。天上からの音に満たされたことを。俺はあのとき、ただ君のために生きていたことを思い知ったんだ。
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可愛い小鳥。
ずっと、側にいておくれ。この世界で俺が凍えてしまわぬように。俺が迷子になってしまわぬように。
無欲な小鳥。
君のためなら、なんだってできる。この国が欲しいなら君に捧げよう。王国が厭わしいなら、燃やし尽くしてしまおう。さあ、欲しいものを教えておくれ。
小鳥、小鳥。俺だけの小鳥。
もう二度と離さない。今世も来世もその次も、永遠に。君が俺のことを疎んでも、もう逃してはやれないよ。
◼️登場人物紹介◼️
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アルエット(前世は小鳥)
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本来ならばアルエット自身が願った通り、前世と同じ小鳥の姿で生まれ変わる予定だった。ところが、エルネストの執着心が強すぎたために、人間としての肉体の器が先に完成してしまい、小鳥としての魂がそこへ入り込む形になって生まれ変わった。そのため、人間的な感覚に疎く、つい小鳥気分で生活してしまう。なお、アルエットが孤児になってしまったのは、エルネストの執着心が彼以外の人間との縁を切り落としてしまったから。アルエットの孤独は、だいたいエルネストのせい。
前世で天の御使いとして王国を救った時の加護がまだ残っており、本気で誰か(だいたいエルネスト)を助けたいと思えば、その能力は具現化する。とはいえ、エルネストがその能力の件については伏せているため、アルエット自身はまったく気がついていない。そんな鳥あた……もとい純粋さがアルエットの良いところ。
もちろん求愛行動のひとつである給餌行動については何も気がつかない。それもこれも前世で騎士が小鳥をたっぷり甘やかしているため。いちゃらぶモードが、小鳥にとっての普通。なんの違和感もない。
(イラストはあっきコタロウ様)
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エルネスト(前世は騎士さま)
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小鳥のことが大切すぎて、ちょっと壊れてしまったひと。
生まれ変わるたびに小鳥を探すも見つけられず、ひとり記憶を背負ったまま生き続けてきた。
ここまでくると神様の祝福というよりも呪いに近いが、神様はもちろん祝福のつもりで授けている。生まれ変わるたびに王国のために(正確には小鳥との約束のために)必死に働いているため、徳がとても高い。また今までの前世の記憶をすべて受け継いでいるため、王国の運営には欠かせない。王位簒奪も簡単にできるが、面倒なのでやらない。
エルネスト自身は最悪国から出て行ってもいいと思っているが、エルネストが出て行くと国が傾くため、他の王族達もエルネストの主張を認めた。もちろん、異類婚優先という教会の教えの力も大きいが、教会のあり方が歪み拝金主義に傾いてきたため、この後教会は民衆の襲撃を受け、最終的に組織が再構築された。もちろん、黒幕はエルネストとエルネストの元婚約者を娶りたい神官(アルエットに読み書きを教えてくれたひと)、それから某テントウムシ。
神官のお話は、「ヘビは意外と怖がりの臆病者でした~ヤンデレ神官は聖女の愛を信じない~」(https://ncode.syosetu.com/n1630ge/)です。
テントウムシのお話は、「テントウムシは思った以上に肉食だった~聖女さまから追放された結果、無事にお婿さんをゲットしました~」(https://ncode.syosetu.com/n5017gd/)です。