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はじめに

 さて、探偵の謎解きは、さて、から始まる。というようなことを僕が中学生の頃に読んだ本に書いてあったけど、タイトルも思い出せない。その本を読んでから、さて、とくると僕は身構えた。探偵が謎を解き明かしてくれる、わからなかった事実が明らかになっていく。おもしろい感覚。

 さて、僕はこれから謎解きをするわけでもないし、探偵、と呼ばれたこともない。ただその本を僕は大好きだったし、未だに、さて、という言葉にワクワクする。それでも忘れてしまった。これから僕が話すことは、僕にとってワクワクを取り戻す為のものになっていてほしい。そういう意味でもある。


 今(2020年3月12日)、世界はまさに混乱の中にある、といって過言ではないかもしれない。今、僕がこの話を始めることに何か理由があるとすれば、ただ、なんとなくであるという以外にないのだけれど。こんな時に語り出すことに対して、こんな時だからこそ響く何かもあるのかもしれないなどと思っている。それでも僕はこれを今だから話すわけではない。ずっと話したかった。それでもまとまらない言葉達に時期ではないとか、もっとよくできるはずだとか、とりあえず言い訳をすることで逃げてきた。今、話すことが、今、だから言いたかったわけではないということ。僕自身が留めておきたい。それでも、今、話している、ということも。


 僕はあまりにも物を知らない。まさに裸一貫で生まれ、勝手に服を着せられ、言葉を覚え、さも当然のように生活をしている。

 人類が何千年も積み重ねてきた学習は、まさに今の僕を支えている。火を起こすことすら一瞬でできてしまう。生まれた時からそれらは当然のように存在している。人類の何千年もの積み重ねた学習が、最初から存在している。何も知らなくても僕にできることはいくらでもある。今この机の上に広がっている物や部屋の中にある物全て、僕が最初から1人で作り出したものなんかがあるだろうか。多分ない。それでも僕はその恩恵に何の疑いも持たずに生活をする。


 飽きてしまった。既知のような未知に飽きてしまった。

 この世の中に溢れている、知っている、という空気。もう僕は我慢ならない。どうにかしてほしい。僕はもう飽きてしまった。知っているか知らないかどうかの比べ合いのようなものとか、常識とか、僕はもう本当に、どうでもいい。

 人が歴史を語る時、僕が思うのは、100年前に生きていた人間がいるのか?ということ。何をどう知っていて話している?今生きている人間が何を知っているのか?何をどう理解できているのか?僕はどうにも、わからない。

 人は何を知っているべきで何を知らないのがおかしいのか。そんなことが誰にわかるのか。そもそも僕が知っていることは何か。知らないことは何か。そこからわかることは何か。わからないことは何か。今現在の僕の状況。そういうことを話していきたいと思っている。


 断っておきたいことがいくつかある。僕は何かの学者でも研究者でもない。僕はこれから僕が本当に思っていることを書いていくけども、それが絶対的に事実かどうかということはわからない。明日には全く逆の考えになっているかもしれない。

 ある意味で当然のことなのだけど、これを読んでどんな考えになるのかは読んでいる人の決断だ。僕は確かに何かを話すけど。僕が言ってた、といろいろして、お前が言ったんだろと言われても、僕は本当にどうにもできない。ので、何をどう感じてもらっても構わないのだけど、行動はよく考えてからしたほうがいい、かもしれない。こらから何を言うか、僕にもまだ、よくわかってないんだけどね。


 僕はこれから誰かに話すように書くけれども、これは僕自身にむけている物だと理解していただきたい。何かを理解することの方法として、僕が今のところ1番効果があると思っているのが、他人に説明する、という方法。他人に説明する、という前提があることで、より自分自身が理解できていなければいけないし、どういう疑問が発生するのかというのも自分だけの観点だけではいけなくなってくる。つまり僕は、僕自身の今を理解したいがためにこれを書いている。


 なぜ僕が自分自身の今を理解したいかというと、つまり飽きてしまったからだ。漠然と進む1日1日に、飽きてしまった。わからないことが多すぎる。

 例えば何か問題が発生している時、解決に進まないのなら、それはもっと現状がどんなかを観察して、今できることは何かということを見極める必要があると思う。そしてする。そして、また発生した何かしらの問題をまたよく観察して、どんな方法があるかを考える。そんなところだと思う。

 僕は僕自身の今がよくわからない。次に何をしたいのかも、何を知りたいのかも、わからない。だから一度、自分自身の、今、の考えについてちゃんと知っておきたい。そう、思ったからこれを書くことにした。


 僕の瞬間的な記憶力はひどいもので、何度も同じ話をしたり、例えで飛んだ話が本筋に戻れなかったりする。会話をすることによって得るものも、瞬時の脳の能力の低さで訳がわからなくなるのが常だ。そんな僕の考えを少しでもまとめて、現実の会話や僕の思考、主張、意思、何を元に考えを進めているか、はっきり僕自身がわかっていたい。そういう思いで、僕は僕のために僕自身の考えを整理する。その為の話。なので読者に何か役に立つ情報があるかどうかはわからない。


 何度も書いては消して、まとまらないまま何年も過ぎている。僕はこれを、中途半端なまま投稿する。続きはまだ書いていない。書けるかもわからない。どんな結末になるのかもさっぱりわからない。それでも僕自身の思考を進めるためには、少しでも何かを確定していくことが必要だと思った。僕はどんな過去の上に立ち、どんな未来のためにどんな今を生きるのか。そんな思考に、お付き合いいただけるのなら、、、物好きだなぁ、、と、思います。続きは書け次第、、。いつになるやら。


 僕はこんな時だから、とかではなく本当に、いつでも、世界中の人の幸せを願っています。でも僕はこんな時だから余計に、世界中の人のことを想っています。どうか、どうか日々を少しでも幸せだと思える瞬間があるように。どうか、温かいご飯と寝床とそれを支える為の仕事。全ての人が不自由なく生活できて、多くの人が自分で死んでしまおうなんて思わない世界。僕はずっと、信じて、願っています。ほとんどは僕自身の為に、ですが。どうにか、今を生きていて。僕はどうにか生きています。


 そのうち、そんな話もします。多分。

(2020年4月1日)


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