四番
二週間以上遅れてすみませんでした。遅れたわけは少しあとに投稿する活動報告で報告します。
前話を修正しました。猫の名前の「猫缶」を「ネコカン」に変えただけなので、読み返す必要はありません。
だんだんと、空が白み初めてきた。月はとっくに沈んでしまっていた。
「もう、帰ったほうがいい」
その声は少し震えていて、指をぎゅっとしめつけられた。
別れたくないんだな。そう思って、私も別れたくないって伝えるように手を握り返した。
「……また来るからね」
彼女はなにも言わなかった。ただ、嬉しいような、悲しいような笑顔を浮かべているだけだ。
最後に彼女を抱きしめると、顔を出し始めた太陽に向かって歩いていった。
「……もう、来ちゃだめだ」
湿った声が後ろから聞こえてきて。
聞こえないふりをして、そのまま歩き続けた。歩幅が少し大きくなった。
「今ならまだ、間に合うから」
■
初めて違和感を感じたのは、帰ってきた日の昼過ぎのこと。
□
あのあと、太陽を追いかけていたら、気づけば家のすぐ近くで立っていた。ここからでもあの場所に行けるのではないか、そう思ったあの場所だ。
私は急いで家に向かって、音を立てないように侵入し、自室のベッドに潜り込んだ。目覚まし時計はセットしない。お母さんが起こしてくれると思ったから。
意識がふっと消えていく感覚。瞼が勝手に下りてきて、意識は一瞬で睡魔に呑み込まれた。
□
瞼の上から少しきつい日光が射してきて、目が覚めた。身体がやけに重いし、スズメの声も聞こえない。何気なくスマホの画面を開いてみる。
12/4 14:27
飾り気のない、シンプルなホーム画面に映る数字の羅列。その時計が午後二時過ぎと表示していた。
お母さんが起こしてくれなかった。そう認識できたのは、スマホの画面をたっぷり十秒眺めたあとだった。
人間、驚き過ぎるとなにも感じなくなるらしい。私は初めてそのことを実感できた。ゆっくりとリビングに向かって歩いていく。今までにないくらい、心が凪いでいた。
リビングのドアを開ける。お母さんはいなかった。お父さんも、いつも通りに仕事に行ったのか、ここにはいない。
なんとなく、誰もいないリビングを歩き回ると、お腹がなった。
……そういえば、昨日の夜からなにも食べていない。今さらのように胃が主張を始めた。
台所やテーブルを探しても、朝ごはんは準備されていなかった。
しかたないから、食パンを探して食べることにしたけど、面倒くさくて焼いていなかったから、もそもそとしてあまり美味しくなかった。半分ほど食べたところで、焼けばよかったと後悔したけど、無理やり口に押し込んだ。
「さて、どうしようか」
何気なくつけたテレビは、胡散臭い商品を微妙な値段で売っていて、左上には「15:09」と表示されていた。これまた微妙な時間だった。学校に行くにしても遅すぎて、どこかに出かけるとしても短すぎる。
しかたないから、少しだけぼーっとしていたら、ネコカンにしばらく会っていないことに気がついた。
「……やることないし、久しぶりに行ってこよう」
防寒具をしっかりと着込んだあと、玄関に向かい、靴を履く。ドアを閉めて外に出ると、空気が冷たく噛み付いてきた。太陽の光が眩しい。
家から出て、あの日のベンチに向かって歩く。しばらく歩いていると、ネコカンに会いに行くのに猫缶を買っていないと思って、先にコンビニに行くことにした。
□
家を出てから徒歩十分、ネコカンのいる場所まであと五分。コンビニに着いた。
平日のこの時間は人があまりいないらしい。店員のやる気のない声を遠くに、猫缶を取りに行く。前回もこのコンビニで猫缶を買ったから、どこにあるのか、どんなものを買えばいいのかはすぐにわかった。
ついでに自分用の飲み物も手に取り、レジに向かう。
レジに立っていたおばちゃんは、なんだか嫌そうな顔をしていた。他のレジには誰も立っていなかった。しかたなく嫌そうな顔をしたおばちゃんのところに行ったけど、おばちゃんは繕いもせずに顔を歪めたまま、ぶっきらぼうにあいさつをした。
……普通、客がきたのにそんな顔してたらだめでしょ。そう思ったけど眉を寄せるだけでなにも言わなかった。
おばちゃんは私の持ってきた商品のバーコードを少し乱暴に読み込むと、またぶっきらぼうに値段を告げた。
ここのコンビニはだめだな。そう思いつつお金を払い、コンビニから出た。途中ですれ違った人に、なぜだかわからないけど舌打ちされた。
□
あの日のベンチに着いたけど、ネコカンはいなかった。コンビニで買った飲み物をちびちびと飲み、ペットボトルが空になっても、私の前に出てこなかった。
空を見上げる。家を出たときにはあんなに輝いていた太陽が、今ではすっかり雲に隠れて。
「……帰ろう」
途中見かけたネコカンそっくりの猫は、私を見つけるとシャーッと牙を剥き、走り去って行った。
□
家の駐車場には軽自動車が止まっていた。お母さんだ。お母さんが帰ってきていた。
「ただいま」
ドアを開け、そう言って入ったけど、いつもは返ってくるおかえりの声がない。
どうしたんだろうか? お母さんのいるリビングに向かう。
「ただいま」
「……」
お母さんはテレビを見ていた。私の声は聞こえていたはずなのに、無視された。
「……あの、お母さん?」
恐る恐るそう聞くと、大きなため息が聞こえてきた。お母さんの、怒っている時の癖だ。
「わ、私、二階に――」
「 」
お母さんが振り向き、なにか言った。目が、真剣だった。口は動いているのに、なにも聞こえない。……いや、聞こえてはいるけど、理解できない。したくない。
理解する前に家を飛び出した。後ろから、お母さんが私を呼ぶ声は、聞こえてこない。頬が濡れている。拭っても、拭っても拭っても拭っても。次から次へと溢れ出て、止まらない。
□
黙ってて。
歩いても、走っても、目を閉じても、耳をふさいでも、お母さんの言葉が離れない。思い出すだけで涙が出そうになる。
お母さんがなぜそんなことを言ったのか、まったくわからなかった。だから余計に悲しくて。我慢できなかった。涙が溢れる。止まらない。いつかのネコカンのように、慰めてくれる誰かはいない。
もはや身近になっていた笛の音が、大きく大きく響きわたる。鴉が一斉に泣き叫びながら飛び立っていった。
……どうして、みんな避けるの?
■
寒かった。手足が、顔が、全身が、なにより心が。凍えてしまいそうだった。白い息を吐き出しながら、冷たい手先を擦りあわせる。
……どこか、暖かいところへ。
家には帰りたくない。お母さんには会いたくない。だから、図書館に行くことにした。図書館なら暖かいし、きっと本でも読んでいれば気が紛れるだろうと思ったから。
足を引きずって歩く。足が重いのは、きっと疲労のせいだけではないだろう。
■
図書館に着いた。やっぱり暖かかった。中には学校帰りだろう、制服姿の学生がたくさんいた。
本を探す。別に読みたい本はない。ただ、有象無象を眺めていれば気が紛れると思っただけだ。
ダサいもの、わからないもの、くすっと笑えるもの、読めないもの。たくさんあって、それらは確かに気を紛らわせてくれた。
「……チッ」
突然舌打ちの音が聞こえた。ちらりと音のした方を見ると、隣の男が発したらしい。彼はそのまま本もとらずに歩き去って行った。
それを呆然と見送ったあと、ふと見回せば、周囲に誰もいないと気づいた。勉強スペースには、誰もいなくて。読書スペースにはひとりだけいたけど、私と目が合うと席を立った。
静かな部屋に笛の音だけが鳴り響き、反響して、反響して、反響して。
ゆっくりと、図書館から逃げ出した。
■
飛び出して、走って、走って、走って。
ようやく気がついた。お母さんがおかしくなったわけではない。あの店員もおかしくなったわけではない。あの猫がおかしくなったわけでもない。
私だ。私がおかしくなったんだ。あの日、あの子に会った日から、周りじゃない。私がおかしくなったのだ。
走って、疲れて、それでも走って、苦しくなって、膝に手を当て息を吐いた。
気づけば知らない場所にいて。見上げた空はどんより暗くて。向こうの空が少しだけ赤くなっていた。もうすぐ夜になる。あの場所への道が開ける。
立ち止まり、冷たい指を組んで願った。ただただ願った。願ったって夜はこないと知ってはいたけど、それでも……。
早く太陽が沈みますように……。今日だけは、少しでも早く……。
■
空が灰色に染まり始めて、太陽が沈んだ。反対側は藍色で。
また、願った。今度はあの場所に行けるように。願って、願って、願って。そうして一歩踏み出せば、周りの草木が、生物が、建物が、光が。ぴしりと悲鳴をあげて、道が開けた。
やった。そう思ってもう一歩踏み出せば、なぜか笛の音が消えて、彼女の声が。
「来ちゃだめだ……!」
悲しそうな、泣きそうな、叫ぶような声が響いて、共鳴するように道が狭まって。
「……ああ、もう。そんなこと言われたら余計に行きたくなっちゃうじゃん……」
狭い道を掻き分けるように押し入った。
この前はすんなり入れたそこは、まるで私を通さんとするように蠢き、風が吹き荒れ、なかなか進めなかった。でも、それでも一歩ずつ進んで、やがて――。
「ああ、もう。来ちゃだめだって、言ったじゃん……」
泣きそうな、否、涙を一条流した彼女は、口を引き結び笑った。前まで見えていた三日月は、見えなくなっていた。
「バカ……! そんな悲しそうな声で言われても、引けるわけないじゃん……!」
そう言いながら、抱きしめて……。
この日、ひとりの人間が神隠しに会った。でも、その事を不思議に思う人も、探そうとする人も、現れなかった。
誰もいない 私の隣
隣に誰も いない君
ただひとりきり 君だけが
私の隣に座ってる
一応、本編は完結です。近いうちに番外編? らしきものを投稿します。
読んでいただき、ありがとうございました。