一番
書くかも? と言った次の日ですが、書いてしまいました。
朝。
目覚まし時計よりほんの少しだけ早く起きて、リセットボタンを押した。
朝日がカーテンの隙間から射し込み、薄暗い部屋の中できらきらと輝いていた。
「……死にたい」
この頃口癖となっていた言葉が、勝手に口から飛び出し、遅れて胸がずきんと痛んだ。
浅い呼吸を繰り返し、右手を胸に当て、握りしめた。慟哭が、収まらない。
■
「行ってらっしゃい」
「……うん」
今日は、いつもと違ってスニーカーを履いた。
お母さんの笑顔を直視しないようにして、ドアを開けた。
見慣れた道を少し歩けば、ローファーを履いている時とは違い、足元がとても軽かった。バッグが軽いのも、それを手伝っているだろう。
……でも、心は反比例するように重かった。そしてそれが、後戻りはできないと言っているようで。
ちらりと後ろを振り返り、お母さんがいないか確認をした。ちょうど、ドアが閉まるところだった。
私は学校に背を向けた。
何日も前から考えていた。こんなに無理をしてまで学校に行く意味はあるのか、と。そして、今日思った。心があんなに泣いているのに、わざわざ嫌いなところに行く意味はない、と。
バッグに財布だけを詰め込んで、置き手紙と伴に、スマホは電源を切って置いてきた。
ごめんなさい。手紙と同じ言葉を、もう一度呟いて。
サボった。抜け出した。
なんでもいい。
心が重いような、軽いような、不思議な高揚感が身体を満たした。
そして、突き動かされるように、歩いた。
■
時間が経つのは早い。
右を見て、左を見て、猫を撫で、風を感じて、雲空を見上げ、街を見下ろした。赤い日射しに彩られたそれらは、私とは違ってとてもとても美しかった。
……明日から、頑張ろう。そう、思えた。
ベンチから立ち上がると、隣で寝ていた白と黒の猫は、にゃあ~んと鳴いて、欠伸した。
「こいつめ、猫缶はうまかったか?」
ネコカン(と呼ぶことにした)の顎を撫でていたら、久しぶりに自然に笑うことができた気がした。
朝とは違うけど、同じように軽い足取りで家まで帰った。
■
「ちょっと、どこ行ってたの⁉」
帰って早々に、雷が落ちた。
「……ごめんなさい」
学校に行かなかったのも、相談しなかったのも、悪いと思った。
だから素直に謝ったけど、それだけではお母さんは許してはくれなかった。
今回無断欠席をしたことだけではなく、その前の、ほんの些細なことまで持ち出されて怒られた。
美しい景色が、猫の温もりが。立ち直りかけた心が。他の誰でもない母親に、がりがりと削り取られていった。
痛かった。辛かった。涙の出る領域を凌駕してしまうくらい、辛かった。
「……やめて」
心が壊れてしまいそうだった。
「はぁ? あんたなに言ってんの? 自分がなにしたのか――」
「やめてって言ってるでしょ!」
この日、涙の先にも涙があるってことを、私は初めて知った。
振り返って、家を飛び出した。財布も持たずに、スニーカーを引っ掛けるようにして飛び出した。
月が不吉に笑っていた。
■
気付けば夕方に座っていたベンチの前にいた。
にゃあ~ん。
そこには、間延びした鳴き声を出す猫、すなわちネコカンがいて、なにかを催促するように尻尾を振っていた。
「……ああ、猫缶はないよ。お金も無いし、買えもしないよ」
苦笑しながら、彼女の隣に腰掛けた。
彼女を撫でると、やっぱり温かかった。
彼女は猫缶が無いとわかると、落胆を隠しもしなかったけど、顎の下を撫でてやると気持ちよさそうに目を細めた。
「……ねえ、聞いてくれる?どうやって生きればいいか、わからなくなったの」
彼女はのんびり欠伸して。その暢気さの百分の一でも、分けてもらいたかった。
心の底にぽっかりと穴が空いて、もう、昼間みたいに空がきれいだとは思えなくなってしまった。
■
月が雲に呑み込まれて、星々もきれいに消えていった。ネコカンの温もりも、月が消えるのと同時に消えてった。
このまま死んでしまおうか、そう思っていた時、ふとなにかが聞こえたきがした。
「……笛の音?……唄?」
それは、聞く者の心をズタズタに引っ掻くような音をしていた、と思う。
少なくとも、私の心が健全であればそう聞こえていただろう。
でも、今の私の心は、なぜだかその音に惹き付けられた。
ふらふらと、おぞましき笛と唄の発生源を探した。
その唄は、どこか遠くから聞こえてくるようで、近くにあるような気もした。
でも逆に、近いと思っても、ずっと遠くにあるような気もした。
でも少なくとも、聞こえる範囲にあることだけは確かで。
道なき道を分け入った。
■
月も星も雲の上。街灯もずっと遠くで消え入りそう。人の気配も、猫も、鴉の声すら聞こえない。そこにあるのはただの闇。そして、その闇のほとりに誰かいた。
「人が来たー なにも知らずにー」
その人は、笛を片手に不思議なリズムの唄を歌っていた。
心にささくれができるような気がしたけど、なぜだかそれに惹き寄せられた。
気付けば彼女の隣に腰を下ろして、リズムに合わせて鼻歌を歌っていた。
「私の隣で 鼻歌をー」
それだけ唄って、唄も、笛の音も、止まった。
「なにしにきたの?」
代わりに、彼女がそう問いかけてきた。背筋がぞくりとするような布擦れ音が、左耳に届いた。
ゆっくりとそちらを見てみると、彼女の笑った顔が。
彼女の顔は、形容し難かった。
一見普通の笑顔に見えるけど、その奥に、三日月のように曲がった目と口が。生物が、根底から恐怖するような、そんな顔をしていた。
「――ひっ!」
急いで立ち上がって、彼女から距離を取ろうとした。
「……あ」
でも、腰が抜けた。足に力が入らない。
「や、やめて、来ないで……」
それでも、その恐怖の塊から逃げるように後ずさる。手も、スカートも、土で汚れるとか全く考えなかった。
「い、いや……」
彼女はゆっくり立ち上がり、私に向かって歩いて来た。
気を失う前に見えた彼女の顔は、なんだか少し悲しそうだった。
人が来た なにも知らずに
私の隣で 鼻歌を
なにしに来たのと 問いかけて
首を傾げて 目を合わす
筆は遅いですが、次の話はできるだけ早めに投稿できるようにがんばります。
読んでいただき、ありがとうございました。




