傘の下 中話
「和彦。申し訳ないが、うちも自分ちの田畑で手一杯なんだ。できるだけやったんだが。あの畑はもう。」
里の人も自分の仕事がある。俺がおじいさんの世話をする間、徐々にうちの畑は荒れていった。
「和彦、畑を…。」
おじいさんはひたすら俺に畑仕事をするようにいった、自分のことはいいからと。
おばあさんはこの話の時だけは決まって何も言わなかった。おじいさんに長生きしてもらいたい気持ちと、畑がダメになれば俺が食いはぐれるのではという心配の間にいつもいた。
それでも俺は薬をもらいに行った。
その日、茶屋にサエさんはいなかった。
茶屋の人に尋ねると、実家で縁談がどうこうという話だった。
「俺も、考えないとな、この先のこと。」
薬をもらい帰り道、茶屋で休憩していた時に突然、里の人がやってきた。
息を荒げ、明らかに走ってきたようだ。
「か、和彦。じいさんが…!!」
「!!」
もっと、ちゃんとしたかった。
「俺、恩返し、何にもできてないじゃん。」
荒れきった畑、ずっと、俺とおじいさんが耕して、作物を育ててきた畑だ。
自分勝手だったのか?おじいさんのいうことを聞いていればこんな気持ちにはならなかったのか?この時代のごくごく普通はこんなに悲しいのか?
俺は鍬を握った。
なんとか次の田植えまでに、しっかり耕そう。
おじいさんが亡くなった次の日から、俺は畑を耕した。
久々の畑仕事はおじいさんの死を少しずつ消化し、思い出に変えてくれた。
おばあさんの悪かった足は、おじいさんの死を境に次第に良くなり、時間はかかるが山を越えて隣町に買い出しに行けるまで回復した。
その日は雨だった。
土砂降りだった。バケツをひっくり返したような。
こんな日は畑仕事などできたもんじゃない、風邪をひくわけにもいかないし。
俺は家にいた。おばあさんは隣町で売るために竹を折ってカゴなんかを作っていた。
「サエさん、…元気にしてるかな?」
雨の日はサエさんを思い出した。
「サエさんって。茶屋のサエちゃんかい?」
「あれ?おばあさん、知ってるの?」
「もちろん、あの子はいい子だからね。」
「確か、縁談が決まったとか。」
もう会えない、懐かしい顔を思い浮かべた。
半年もたつのか。時間が流れるのは早いな。
「そんな、話は聞いてないけどね。でも、不思議ね、もうそういう年頃なのにね。」
「えっ。いやでも、もう茶屋にはいないんじゃ…?」
「何いってんだい。昨日も話してきたよ。」
「!本当?」
「本当さ。」
俺は気付いた時には家を飛び出していた。
あたりは雨音しか聞こえず、歩き慣れた山の道もいつもと違って見えた。
息が切れようと俺は走った。泥に足を取られこけたりしながらも、頂上の茶屋。
軒下にはあの時と変わらぬ、その人がいた。
「サエさん!」
名前を呼ぶと、驚きと喜びと安堵を含んだ満面の笑みが返ってきた。
なぜ、こんな雨の日に?
縁談の話は?
今までずっと?
聞きたいことはたくさんあったが、俺は雨音にかき消されてたまるかと叫んだ。
「サエさん!!俺と夫婦になってください!!」