噂
一月ほど時間がたった。
ジルヴィアの記憶はいまだに戻らない。しかしジルヴィアはそれを不安に思っていなかったし、不満も感じていないようだった。
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
街の人間と笑顔で挨拶をするジルヴィア。それをニコラスは後ろを歩きながら見ていた。
二人は町の人間とは良好な関係を築いている。水源を独占しているニコラスの行動は、本当なら嫌われてもおかしくない行為だろう。しかし、ジルヴィアの人柄がそれをすべて緩和しているように感じられた。
爽やかで明るい笑顔。美しい容姿。気取ることなく、慎みのある態度……。
それらは町の人たちの心を癒し、水源の独占などどうでもいいと思わせているに違いなかった。
ニコラスも町の人間とあいさつと軽い雑談くらいはする。しかし、ジルヴィアほど街に溶け込めている自信はなかった。
ジルヴィアとは立場が違う。ジルヴィアは水源の独占を命じられている側だが、ニコラスはそれを命じている側なのだ。
街の人間たちは言葉にこそ出さないが、そのあたりの感情の違いは二人に当然持っているだろう。
ニコラスは、自分が悪役であることを少し引け目に感じていた。だからジルヴィアほど、町の人間たちと距離を深く持つことはできなかった。
「おはようジルヴィアちゃん。旦那も。これから仕事ですかい?」
ジルヴィアにあいさつされた町人がそう言ってきた。ニコラスは頷くだけだったが、ジルヴィアは声を返した。
「そうなんですよ。今日はお医者様から水を多めにいただきたいと依頼が来てまして、頑張らないといけないんです」
「そいつはお二人とも大変ですな」
ニコラスは腹の中で少し笑った。二人共ではない。水を浄化するのはジルヴィア一人だけだ。自分はただ見ているだけ。
「ああそういえば、水といえばこんな噂を知ってますかい?」
「噂ですか?」
「ええ、例の湖の」
ドキリとした。それはニコラスだけだろう。ジルヴィアの表情には変化がなかったから。
例の湖。この周辺で湖といえば、ジルヴィアがいた湖しかない。その湖には女神がいて、水を浄化している。その噂とジルヴィアのことが重なり、同一人物ではないか? みたいな話が出ているのでは? ニコラスはそう思って動揺したのだ。だが違った。
「湖がどうかしたんですか?」
「いや、すごくきれいな湖だったって話なんですが、ここ最近で相当汚れちまったんだそうです」
「え……なんだって?」
町人の言葉にジルヴィアより早く、ニコラスが声を上げた。
「あー、旦那も知ってました? どんなに汚れたもんでも綺麗にしちまう湖だったんですが、最近その力がなくなったとかで、汚れ放題になってるそうですよ」
「それは本当なのか!」
ニコラスは勢いで町人の襟をつかんでしまった。
「は、はい。もともと流れ込む水は汚れたもんだったんで、綺麗にならなくなれば汚れるしかなかったらしいです。魚の死骸がすごいことになってるとか……」
「そんな……」
ニコラスは町人の襟を話して呆然とした。
「ニコラスさん?」
ジルヴィアのキョトンとした表情とは対照的に……。




