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夢の防人

作者: watausagi

◆◆◆◆◆『肉じゃが』


 近年、世界には大きく分けて三つの歴史的発明がされた。一つは夢世界の発見、それに繋がるVRMMO。もう一つは人の素質(才能)を測ることが出来る素質計測ボックス。最後に、人工知能を搭載した高性能人造人間オートマタ


 だけど私はその3つとは関係ない。最初の1つ目から枝分かれした副産物的な機能、擬似時間旅行タイムトラベルの案内人。夢の防人 (タイムトラベラー)。


 そんな脇役のお話。小さなお話。だけど知って欲しい。色んな人がいる。色んな繋がりがある。悲しい時も楽しい時もそれを忘れないでほしい。


 さあ、旅行に行こう。たくさん思い出を作って、そして家に帰って是非とも感じてほしい。


 あぁやっばり我が家が一番だ、と。


◇◇◇◇◇


 一人の男が目を覚ました。至って普通な少年だった。今いる所も何の変哲も無い、歩道橋。下では車がせわしなく動いている。


 だけどその少年は、そこがどこだか分からないかのように辺りを見渡し、どうしてここにいるのか分からないようだった。


 そんな男に声をかける一人の女性。


 こちらはどう見ても普通じゃない。ゴテゴテとした変わった杖に、派手な衣装。色こそ白で統一されているものの、明らかに違和感のある姿だった。


「初めまして翔さん。今回、夢の防人として貴方を案内させていただきます、アオイといいます。貴方にとって今日この日が忘れられない、幸せな日になるよう全身全霊頑張りますね!」

「……」


 少年は戸惑っていた。


 ちょっとテンションの高いおかしな女性。ではなく(少なくともそれだけではなく)。


 アオイと名乗る女性の口から出た、「夢」という言葉に。


「ここが、夢だっていうのか? こんなにも……リアルなのに」

「あれ? 説明はもう受けてらっしゃるかと思っていたのですが……では、念の為にもう一度簡単に私の方から説明しますね。これもまた案内人の務めですので」


 どこか自信満々気に、意味もなく杖を振って格好つけるアオイ。許してやってほしい。まだまだ彼女は新人なのだ。


「この世界は紛れもなく夢の中です。貴方の夢の中です。原理は私も全然全く分からないのですが、翔さんの思い出……つまり記憶の事ですが、それと過去の実際の世界の映像とリアルタイムで照らし合わせる事により、本当に過去にやってきてしまったような体験が出来るそれこそが擬似時間旅行なのです! ですから翔さんは知っているはずですよ。ここがどこなのか。忘れている可能性はありますが、脳はちゃんと覚えているみたいですね」

「ここが……俺の思い出……」

「はい!」


 しばらく考えるそぶりを見せる少年。


 本当に思い出せないのか、もしくは思い出したくないのか、夢の防人 (タイムトラベラー)としてここからは真剣に取り組まなければならない。場合によっては強制的にこの世界から追い出さなくてはいけないかもしれないのだ。


 そうならない為にも慎重に、アオイは「案内」をしていく。



「ランドセルを背負ってらっしゃるみたいですね。それとこの時間帯だから……下校途中? ここは通学路ではないでしょうか?」

「ああ、そうか」

「思い出しましたか!? 良かったぁ。では、どこに行きましょうか? お望みとあらば行きたい所へひとっ飛びできますが、翔さんは今日はどうしてここへ?」

「……理由なんてない」


 顔を逸らして、素っ気ない態度の翔。


 生意気な態度ではあったが、この程度新人のアオイでさえ珍しくもない。理由もなく過去に来たがる人だっている。


 つまり、案内人としての見せ所というわけだ。


「では、まず翔さんのご自宅に行きましょうか? それともこの時代のこの辺りで有名なお食事屋さんにでも行きましょうか!? 」

「一人で行ってろ」

「あ、ちょ、ちょっと」


 案内終了。


 少年は一人で歩きだす。アオイは慌てて後ろを追いかけた。案内してこその案内人。みんなの憧れ夢の防人。今のアオイはただの服装が派手な女の子だった。


 このままではいけないと張り切るが、少年にとっては邪魔でしかない。


 徐々に苛々を募らせる少年が足元の石を拾った。石蹴りでもするのだろうかとアオイが見守っていると、翔は腕を大きく振りかぶり、その石を民家の窓に放り投げた。


 勢いのついた石は窓を破り、辺りに耳障りの悪い音を響かせた。周りの通行人が奇妙な目で少年を見る。アオイはというと、その名の通りに顔が青ざめていた。


「な、何をするんですか!?」


 怒りのこもったアオイの声に多少面食らいながらも、翔は言い返す。


「別に、夢の中だからいいだろ。それにどうせ、あの家は今は旅行中──え?」


 言い返す……その途中で、アオイに抱きかかえられる。


「おい、放せよ!」

「少し移動しますから! 落ちないように!」

「く、くそ!」


 抗おうにも体格差は歴然だった。そうでなくとも、この場所でアオイに逆らう事は無駄であり無理である。今だってアオイは軽く宙を浮いて動いている。その気になれば、この晴れ晴れとした空を大雨に出来るのだから。


 やがて翔が大人しくなり、安心したアオイはその場で翔を下ろす。人気のない所に来たが、まだ説教は終わってなかった。


 アオイの怒りは、収まっていなかった。


「ちゃんとした理由を説明してください翔さん。貴方は確実にこの世界の禁忌を教えられたはずです。犯罪行為は場合によっては強制退出されます……どうして石を投げたのですか?」

「……別に。小石くらい、どうって事ないだろ」

「小石1つでどうにかなってしまうほど、ここは不安定な場所なんです。リアルタイムで貴方の脳と繋がっているって、言いましたよね。もしも今の貴方が傷つけば、そのショックは脳に伝わります。最悪、今日一日の思い出が壊れて、永遠に貴方は今日という日を思い出せなくなってしまうかもしれないんですよ?」

「…….」

「どうかご自愛ください翔さん。何でも出来るからといって、何でもしていいわけではないのです。次もしも同じような事があれば、私は貴方をここに留める事が出来なくなってしまいます……それと、ごめんなさい」

「ごめんなさい? って……何がだよ」


 アオイが想像以上に怒る理由はわかった。だから翔は、今度はアオイが本当に後悔しているように申し訳なさそうな顔をするので、先程よりも困っていた。


 目の前の少女が今にも泣きそうなのだ。女の子を泣かせてはいけないと誰かの言葉を思い出す。思い出しただけ。対策はない。


 現実は、例え夢でも非情であった。


「ごめんなさい翔さんっ……私は貴方を止められませんでした。安心と安全で、貴方の行く先を守る、それこそ私の仕事なのにっ」

「い、いや、俺がやった事だし……だから、その……悪かったよ。もうしないから」

「本当ですか? 約束ですよ?」

「あーうん、約束約束」

「じゃあ指切りげんまんですね!」

(メンドクセー)


 指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った。ノリノリなアオイとイヤイヤの翔。だけど、イライラは無くなっていたりする。


 純粋で暖かく、素直で陽気。説教もするし心配もしてくれる。そんなアオイに翔は、自然と心地よさを感じていた、


「それでは翔さん、どこか行きたい所はありますか? お望みとあれば、空だって飛んで見せますよ?」

「いーよそんなの。俺の思い出に空中浮遊なんてないし。適当に何でも」

「ではオススメのお食事処をご紹介しますよ!」

「それ以外で!」


 例え本人が忘れていても、脳は覚えている。それにこちらのシステムによって補完される擬似的世界は、完璧に近く過去を再現していた。


 枯れ葉が落ちる一つ一つまで。


 夕日を反射する川の輝きを。


 やがて月が薄っすらと空に浮かび上がる頃、アオイは実に満足気にショッピングの戦利品を抱きしめていた。可愛いぬいぐるみちゃんを買ったのである。途中から翔はただの保護者だった。


「そろそろお時間ですね……もう行きたい所はないですか?」

「そっくりそのままその言葉を返したいところだが。まあ、行きたい所は、ある」

「え、あるんですか!?」


 慌てて大きな荷物をデータ上に消しとばしたアオイは、もう時間がないことを確認して焦り出す。


 人によって滞在時間は異なるが、その中でも翔はたったの3時間。それで自分の用事に付き合ってくれるものだから、てっきりやりたい事など特にないと思っていたのだ。


「行きましょう! 今すぐに! 場所はどこですか?」

「……俺の家だ」

「家? どう、でしよう。記憶と異なる行動の結果、翔さんのご両親がどんな反応をするのかは私達にも把握出来ませんが」

「いいんだ」


 翔はこの時をずっと待っていた。


 最初から、既に。


「これで、あの日と一緒だから」


〜〜〜〜〜


「翔? こんな時間までどこ行ってたの」

「空飛んだ」

「空を? 馬鹿言ってないで、はようお風呂に入ってき。今日の夜ご飯、楽しみにしときーよ」

「……うん」


 対象者から離れすぎてはならないアオイは、誰にも認識されないステルス状態のまま、翔の側にいた。


 (流石にお風呂は扉の前で待っていたが)


 こうして他人の家にあがりこむのは、考えてみればそう経験のないことだ。それも自分を完全に無視した状態で見られる日常風景は逆に恥ずかしい。


 けれど、どうしても見てしまう魅力がそこにある。翔に優しく声をかけるお婆ちゃんの姿。きっと……これが……


「はい、お待たせ。あんたの好きな肉じゃがよ。お代わりもあるからたっくさん食べんね」

「……うん!」


 ──これが貴方の、望み。


 アオイはこれ以上見たくなる好奇心を抑えて、窓の外から夜を見た。言葉は聞こえてしまうが、そこは許してもらおう。


「美味しいね?」

「おいしいよ……ぅん、美味しいっ……そうだった。お婆ちゃんの肉じゃがって、こんな味だったっ」

「変な事言うねぇ。いっつも食べてるのに、もうお婆ちゃんの得意料理の味を忘れたのかい? なーに泣いてんの。ほら、ハンカチで拭き。泣くほど美味しかったんかい?」


 ずっと見ていたい。


 このままそっと見守っていたい。


 時折、アオイは夢の中に閉じ込められそうになる。たけどそうも言っていられない。これは旅行なのだ。迷子になってしまわない内に。


 案内人の、最後の務め。


「──時間です」


〜〜〜〜〜


 目を覚ます時がきた。


 タイムトラベルから帰ってきたアオイはあそこまで派手な格好はしない。杖も持っていない。学生服のまま起き上がる。


 ここからは個人的な行動だ。夢の防人としてではなく、ただの17歳の藤宮 燈として。


「翔さん、翔さん!」


 一階のロビーにまでついた。建物から出るには必ずここを通らなければならないから。まだ帰っていなければ会えるはず。


 周りの人に迷惑をかけないように、うるさすぎないように、声が届く事を祈って。


「君はもしかして、アオイさんかな?」


 後ろから声をかけられる。


 声は届いた。


 燈はホッとしながら振り向く。そこにいたのは少年のかけらもない、老紳士のようなお方。杖をついて足も弱い事が見てとれるが、その佇まいは凛々しく老いを感じさせなかった。


「また会えましたね、翔さん」


 彼の微笑みが、肯定を表していた。


「確かにお早い再開だ。これは説明にはなかったはずですが。何か、ご用でも?」

「用……っていうほどでもなくて、ただ聞きたい事があって……私は貴方をしっかりと案内出来ていたでしょうか? もっとやれる事があったんじゃないかと思って、それをどうしても聞きたくて」

「私がみっともなく泣いてしまったので不安にさせてしまいましたかな?」

「そんな事ないです! でもっ」


 でもっ……と、言葉が続かない。自分でもよく分からなかった。何を言いたくて、何を聞きたいのか。


 夢から目覚めさせてしまった罪悪感とか。


 色々あって、何故だか泣きそうになる。


 そんな燈の頭を翔は優しく撫ぜた。


「ありがとう」


 今の燈には、その一言で充分だった。


 結局燈は泣かなかった。


「頭を撫でるの、慣れてらっしゃるようですが。もしかしてお孫さんでも?」


 照れを誤魔化すようにそう言った。


「よく分かったね、実は、君より少し小さい可愛い孫がいるんだよ」

「それじゃあ、今度は翔さんがお孫さんに肉じゃがの味を伝える番ですね!」

「私が? しかし、どう作るかは分からないんだ」

「大丈夫です! その味をよく知ってらっしゃるご本人に教えてもらいましょう」

「まさか……そんな事も出来るのか」

「ええ、味を再現できるということは、中に何が入っているのかも分かるという事です!」


 そんな単純なものではない。翔の脳から微かな情報まで読み取り、その人物が何を買っていたのかというnewPOSシステムなどからデータを参照し照らし合わせて、お婆ちゃんレシピをほぼ完璧にトレースしている。


 燈がそれを知っているかどうかは怪しいところだ。


「ですから、またいらしてくださいね。私たちはいつでもお待ちしております」

「そうしようかな。その時はまた、君を指名してもいいかな?」

「はい、喜んで!」


 ──後日。


 年季の入ったお婆ちゃんと、紳士的なお爺さんが仲良くキッチンに立つ姿があったそうな。


 ……食卓に待機してるのは、もちろん。


◆◆◆◆◆告白


 藤宮 燈は “ 夢の防人 ” である。立派な職業であり、一応ではあるが公務員に属してある。それと同時に学生でもあった。17歳の高校三年生。つまり燈は、日本でも稀有な学生社会人なのだ。


 彼女は特別処置として、夢の中へと入る事の出来るヘッドギアが自宅に備えられている。ただしカプセル型で全身を包み込むタイプの会社はとは違い、こちらは仮想精度が著しく低く、操作性も良いとはいえない。それでも学生を両立させる為に使う必要があるところが、特別処置の理由でもあった。


 そして今日は、残念ながら自宅からの仕事となる。既に依頼人は夢の世界に入る準備を終えているらしい。燈は素早くヘッドギアを装着すると、頭に流れ込む情報を正確に読み取り、今日の依頼人の情報を覚えていった。


「名前は松川 武志さん。性別は男性で、年は……16歳? 珍しい。それにパラドックスタイプか、難しいなぁ」

 

 過去への擬似時間旅行には二つのタイプがある。一つはいつの日かご老人が少年の姿に、つまりは記憶通りの頃の自分となるメモリアルタイプ。


 もう一つは記憶の自分は記憶通りに、自分自身はそれを客観的に見ることが出来る、つまりは自分が二人存在する事になるパラドックスタイプ。


 メモリアルタイプとは違って、パラドックスタイプには守るべき対象が二人いる。それが難しいと言った燈の本音だった。


 ──今日は平和で素敵な夢でありますように


 そう願った燈は、本当は何となく予想していたのかもしれない。だからこそ願うしかないのだ。本当に、本当に、本当に、今日こそトラブルが起きませんように。


 そして燈は、アオイとなる。


『脳波参照……生体認証適合……ようこそ、Blue bird。……確認……完了。行ってらっしゃいませ。どうか素晴らしき夢であらん事を』

 

◇◇◇◇◇


 経験に裏付けされた予感。


 念の為に杖を強く握りしめていたアオイは、恐らくこれ以上にない正確な動きだった。


 夢の内容は、うら若き学生の告白シーン。最初は羨ましそうに見ていたアオイは、次の瞬間、側にいた依頼人が駆け出したのを見て予感が確信に変わるのがわかった。


「俺、お前の事が好きだ! 本当に、好きなんだ!」

「……ごめんなさい武志君。でも」

「ぶへぇぇっ!!」

「武志君!?」


 依頼人が過去の自分を殴り飛ばした。


 馬鹿だ。正真正銘の馬鹿だ。最近は必要事項を無視したお客さんが多いのかな? いやそんな事はない。ならばワザとだという事だ。自分を殴り飛ばすという危険性を、彼は利用したのである。


 今度は依頼人が馬乗りになろうとしているのを見て、アオイは杖を空高くに掲げると、あらん限りの声で唱えた。


「“ アリスコード ” !!」


 ──世界が止まる。


 時速40キロの軽自動車も、秒速5センチメートルの花びらも。血気盛んな依頼人も、全て止まった。


 そしてアオイは、目の前に依頼人を一瞬で移動させると、彼の時間だけを戻す。


 危うく地面を殴ろうとした依頼人を杖で止めながら、アオイは再び世界の時を戻した。ただしこれで終わったわけではない。脳の機能を正常に戻しただけで、むしろこれからが本番だった。


 異常を知らせるように、大気が揺れて空が赤く染まる。とびっきりの警戒色だ。流石にこの世界の終わりかのような光景には依頼人も足が震えたらしく、もう過去の自分を殴りかかりはしない。


 アオイの頬をつたう汗は、彼女の焦りを表していた。


 杖を振りながら、彼女は修復していく。一旦依頼人の過去の姿を別のホワイトボックスにまで移して、壊れかけた情報を繋ぎ合わせていく。


 手厚いバックサポートもあり、世界はみるみる元の姿に戻っていったが、アオイの焦りはまだ終わっていない。


 武志には聞こえない声が聞こえているのだろう。耳のあたりを抑えて苦い顔をするアオイ。もっとも恐れていた事が起きようとしていた。


「待ってください! まだ彼を連れて行かないでください! ……もう危険はありません。私が説得します、だから私にチャンスをくださいっ。依頼人の望みを叶えるのが私たちの仕事のはずです!」


 武志には理解できない声との問答が終わったのか、アオイは杖を下ろした。武志が消えていないという事は、アオイは説得に成功したのだろう。


 そしてもう一人、説得するべき相手は残っている。残っているのだが……


「もう全部私が悪いんですよぉぉ」


 その場で泣き崩れる、これも作戦か。


 ともかく一応武志に動揺させる事が出来たので、結果オーライ。


「いや、え。悪いのは俺だと」

「だっていっつも私ばかりっ、私の時だけこういう事が起きるんですからもうこれは私のせいとしか考えられないじゃないですかぁ!」

「それは、えっと」

「問題が起こってからじゃ遅いんですよ。貴方に危険があってからでは意味がないんですよ! 私は一体何の為にここにいるんですかっ……」

「ごめんなさいごめんなさい! めっちゃ俺が悪いんだからそんな自分を責めないでって」

「じゃあ、もうあんな事しないで下さいね?」

「それは無理」

「I will turn it into a nightmare!」


 動揺して訳のわからない事を言ってしまった。アオイの頭は一周回って冷静になった。


 ピッカピカの夢の防人ではあるが、その道の成績は極めて優秀であり、これでも将来有望な新人なのである。


「とりあえず、話を聞きたいです。別の場所に移動しましょう」

「お、おう。分かったよ」


 アオイは杖を振ろうとして、途中で止めた。視界の端に、目の前から急に人がいなくなって動揺している女性の姿が見える。


「いいんですか?」

「なにが?」

「いえ……それが貴方の望みなら」


 武志は気づいてない、フリをしていたのかもしれない。頑なにそちらを見ようとはしなかった。


 あちらはこちらに気付いたようだ。怪訝な顔をして、こちらに向かってきている。


 アオイはそっと、杖を振った。


〜〜〜〜〜


 武志はぐったりしていた。話を聞くといいながら、散々アオイに叱られたからである。


 自分自身を傷つける危険性について、時間にして3分程度だったが、かなり濃密な話だった。思わず武志の零した「先生みたい」という言葉でやっと収まり、元の目的へと戻る。


「まずはじめに、貴方のやろうとしている事は恐らく失敗しました。記憶を消そうとしたのかもしれませんが、貴方へのダメージはすっかり癒され、何の支障もありません。貴方の滞在時間も残り僅かです。次何か問題を起こせば、確実に貴方はこの世界から追い出されてしまうでしょう」

「……」

「ですが──」


 わざともったいぶり、相手の心情を導く。仕草ひとつで人への印象は変わるものだ。


 生徒にとって、先生(・・)という立場はかなり大きい。加えて先程から見せているアオイの力で、武志の耳は天秤にかけるまでもなく傾いていた。


「ですが、どうか貴方の話をお聞かせください。もしかしたら力になれるかもしれません。この世界で出来る事なら、私は全身全霊頑張ります!」

「……そんな大した事じゃないっすよ?」

「例えまわりがどう思おうと、貴方がここに来たという事は、貴方にとってそれがとても重要だったからなのでしょう?」

「まあ、俺にとっては必要な事だったんだよ。それは本当……恥ずかしいから誰にも言わんでくださいよ?」

「アオイの名に誓い、夢の防人の誇りをかけて」


 武志は最初は恐る恐るといった感じに、途中からはいつものノリが入ってきたのか若干惚気を出しつつ話をして、アオイはなかなか学生の自分の好奇心と戦うはめになった。


 あくまでも、個人的な質問は控えて。


 それでも核心に至る為に必要なことは聞く。同時に、この世界の膨大なデータを整理していていた。


「それでさ、多分いじめを止めたってヒーロー気分で酔ってたんだ。だからお調子者の俺が、いつの間にかあいつの事好きになっちゃったんだよ。馬鹿だよな。それが間違ってたんだ」

「間違い? 人を好きになる事に、間違いなんてあるんでしょうか? 」

「じゃあ、告白したのが間違いだったんだ。きっぱりフられたの見てただろう? あの後、気まずくてさ。向こうは気を使ってるんだろうけど、俺が避けちゃって。一度も喋ってない……もう元にすら戻れないんだ」

「……」


 アオイには分からなかった。もしも自分なら、恋人になれないのならより仲の良い友達を極めようとするか、諦めきれないならどんな努力だってするだろう。


 気まずい気持ちも分かるが、それより関係を止めてしまう方が辛い。しかし今回は自分の問題ではないのだ。


「だから貴方は昔の自分を消そうとしたのですね。その日の記憶をなかった事にして、いつも通りの日常に戻ろうと」

「うん、そうだ」

「向こうは忘れていないのに?」

「あいつだってイヤだろ。俺が馬鹿だっただけなのに、あいつの事だから自分のせいで俺を傷つけたとか思っちゃってるだろうからさ。早くあんな日のこと忘れて、いつもみたいに笑い合いたいんだよ。そうすればあいつも安心するだろう?」

「……さあ、彼女の事をよく知らない私には分かりません。ですが、貴方にも分からないはずです。貴方は大切な事を見逃しているのだと思います」

「俺が?」


 これも経験から裏付けされた予感? 違う、ただの女の勘。


 アオイには、ここに来る前の彼女の姿がどうしても忘れられなかった。彼女はきっと何かを求めていた。


 残り時間は少ない。


 けれどアオイは焦らずに、じっくり確実に、データとデータを繋いでいく。一つ一つ、また一つ。それはやがて、道となる。


「私は告白をした事もされた事もありませんが、それでも分かる事は、告白というのは自分の気持ちを伝え、相手の気持ちを知る事だと思います。しかし貴方には後者が欠けている」

「や、フられたじゃん」

「そうです。そして貴方は逃げてしまった。よく思い出してください。彼女は何かを言おうとはしていませんでしたか? 私には分かりません。でもっ、彼女を愛した貴方なら!」


 ここへとんで来る前に、彼女がこちらへ向かってきていたその時の顔が、アオイには忘れられない。


 擬似時間旅行は本当に過去に行っているわけではない。つまり、あの時の記憶とは違う彼女の行動は、膨大なデータによって予測されたものと、おそらく武志が無意識に思い浮かべ知っている彼女自身なのだ。


「本当は武志さんも分かっているんじゃないんですか? 聞かなければいけない事を聞かずに逃げてしまったと」

「そ、そんな事言わてもさ。もう終わった事だし。明日あいつに聞けっていうのかよ? そんなの無理だよ、俺」

「では知りに行きましょう! 貴方は聞かなければいけません。明日の彼女に会うにはまだ早いです。まず、告白される前の彼女に会いに行きましょう!」

「んな事出来んの!?」

「過去のお客様の記憶に今日の彼女の姿がありました。守秘義務として詳しい事は言えません。貴方に見せる映像もごく一部。……正直グレーゾーン手前ではありますが、ケホンケホン。時間がありませんし、早く行きましょう」

「あ、ああ。すげー怖いけど、もう、これ、やるっきゃないな! 科学の力ってスゲー!」


◇◇◇◇◇


 そこは学校だった。アオイの目からは全て見えている。武志の場合、靴箱だけが映っていた。忘れるはずのない、出席番号順で20番、名前は新宮 ちさと。


 武の目にもう一つ情報が増える。他の誰でもない、新宮 ちさと本人だった。彼が見聞き出来るのはこの二つだけ。


 反射的に逃げ出そうとした彼をアオイはつかみ、元の位置に戻す。もう逃げられなかった。


 新宮 ちさとはもちろんそれに気づいた。愛の言の葉の結晶、その名もラブレター。昔流行りのその手段を取った理由は、ちさとがお爺ちゃん子だと武志が知っていたからだ。もっともそれに意味があったかどうかは難しい。


 変なところで力を入れて空回りしてしまう、恋する男もかなり頑張っているのだった。


 ちさとがそれをラブレターの類だと気づいたのはしばらくしてからだった。名前も書いてある。もちろん武志からだ。ここ一番彼女は驚く。


 アオイの目にははっきり映っていた。下駄箱を利用しようとする他の女の子達が、ボーっと手紙を眺めていたちさとを興味本位でからかいだす。


 武志の目からはちさとが、誰かに手紙を取られたらしい事が分かった。


「あ、返してよ恵美ちゃん!」

「これって、もしかして……ほら! あれ、ラブレターじゃないの!? 2000年初期に流行したっていう」

「うっそ、武志からじゃん! これ絶対いつものおふざけだって」

「手紙っていうところが手凝ってるね。あいつらしい」

「みんなで行かね?」

「あり。ありよりのありくらいあり」


 これは流石にアオイもここにいるのがいたたまれなかった。武志も同じく恥ずかしの極みで顔を真っ赤にしていたが。


「ちさと、これ行くの?」

「うん。武志くんは確かにいつもふざけてばっかりだけど、こんな事を悪ふざけでするような人じゃないと思うから」

「ひゅう〜。ついてきてあげよっか」

「ううん、私一人で行く。ちゃんと話し合いたいから。絶対に来ちゃダメだからね?」

「……ふーん」


 面白くない顔をしたのは恵美と呼ばれた女性だった。本当に、色々な意味で気にくわないという表情だ。


「あんた変わったね」

「そう……かな? でも、もしそうだったら武志くんのおかげだよ」

「ふん、何それ惚気? つまんない。みんなもう行こ。今日はあたしん家集合ね〜」


 記憶の持ち主がこの場を離れていくのだろう。ちさとの姿が薄れていく。最後に見えたのは、彼女が覚悟を決めた顔をしてどこかに行った事だ。


 そしてアオイ達はその場所を知っている。


「どうします武志さん。この世界の武志さんはまだ私達が安全な場所に休ませていますが、記憶通りの元いた場所に戻しましょうか?」

「いや……いいよ」


 覚悟を決めたのは、一人ではなかった。


◇◇◇◇◇


「お……俺と付き合ってください!」


 この光景は知っている。


 よくある告白のシーンだ。


 少し違うのは、離れたところで派手な服装の少女が応援している事くらいか。


 それと本当ならここで、彼女にフられた男はその場から逃げ出してしまうのだが、どうやらお調子者の男でも、女性の覚悟を知ってなお無視することなど出来ないらしい。


 話し合いたいという彼女の言葉通りに、彼は留まる。この光景を人は嘘だと言えるだろうか? こんなものに意味はないと、現実とはなんの関係もないと。


 いいや違う、とアオイは願う。


 これは嘘なんかじゃない。


「ごめんなさい武志くん。でも──嬉しい! すっごく嬉しい! 私も武志君のこと大好きだから……だけど、私ずっと武志君に助けられてばっかりで。これ以上武志君に甘えたら、私が胸を張って武志君の恋人だって言えなくなっちゃう気がするんだ」

「そんなの、俺、気にしないけど」

「うん。これは私の問題。私が弱いから。今度こそ私一人で向き合わなくちゃいけないと思うの。だから……だからね、もう少し待っててほしいんだ。その時が来たら今度は私が、武志君に私の気持ち伝えるね」

「ちさとッ……俺……」


 武志はまだ何か迷っていたようだった。


 後悔と疑問。


 ぐちゃぐちゃに混ざっている。もう少し、何かが欲しい。あと一つ何でもいいから何かが。


 と、その時。


 右手に何かが握られていた。それは見間違えようのない自分の書いた手紙。どうしてこんなところにあるのだろうか。訳のわからないまま中身を見ると、それはそれはひどいものだ。


 字は綺麗とはいえないし、文法もめちゃくちゃだし、内容は稚拙なもので見ていて恥ずかしくなる。恥ずかし過ぎる。


 それを上回ったのは、自分の気持ち。


 何をしてでも彼女を好きだと信じた結果だ。


「……ちさと。もしもだよ。もしも、俺がその時別の女の子を好きになってたら、どうする?」

「何度でもアタックする! 本当に武志君が嫌だって言うまで、諦めないよ」

「……そっか」


 もう、これ以上何もいらない。


 自分の信じたものは、何も間違ってなどいなかった。そんな事に今更武志は気づいた。


「俺、馬鹿だったッ! ゴメンな。自分の事ばかりで、お前の事見てなかった……俺、ほんと馬鹿ヤローだっ」

「武志君?」


 心配したちさとが武志の手を取ろうとして、武志は一歩身を引いた。ちさとは余計に困惑したが、武志は決してその手を取らない。


「ちさと! もう少しだけ待っててくれ。あと1日っ……ていうか、一週間くらい待たせちゃう事になるんだけど、もう俺絶対に逃げないから! 」

「えっと、よく分からないけど──」


 ちさとも無理に手を取ろうとはしなかった。そのかわり、いつの間にか武志の手から抜き取っていたラブレターを胸に抱きしめて言った。


「──多分、私はずっと待ってると思うよ。1日でも1週間でも。だって武志君は、ここで私の事待っててくれたんだもん」

「っ……」


 聞きたい言葉以上の事を聞いた。本当はもっと言わなければいけない事があるかもしれないけど、それは1週間後の君に伝えると誓って。


 武志がふと後ろを振り返ると……そこにはかつての自分がいた。逃げ出す自分がいた。向こうも何かに気づいたのだろう。立ち止まり、振り返り、武志に気づく。


 ──なんてひでぇ顔してやがるんだよ


 過去の自分のなんと情けない事か。その行動が最低なものだと知っていながら、逃げ出す事しか出来なかった自分。


 でもまあ、それでもやっぱり自分だから。


「逃げていいぜ」


 自分自身に甘くなるのは当然か。


「……でも、逃げ続けちゃダメだかんな!」


 あんな馬鹿野郎を好きだと言ってくれた人もいる。こんな馬鹿野郎の為に一所懸命になってくれた人もいる。


 後悔はない。もう迷わない。そろそろ帰る時が来た。


「──時間です」


◇◇◇◇◇


 ヘッドギアをとって、正真正銘アオイは藤宮 燈となる。今日もハードで濃ゆい仕事の1日だったと、一息ついた。あとは報告書の作成だけ。


 時間は午後8時。こんな夜でも、今の彼ならすぐさま彼女の家まで走り出すのかもしれない。そこから先は、語るまでもないだろう。

 

 燈がリビングにまで行くと、母親がすぐに気づき、夜ご飯を作り出した。最後の仕上げはいつも燈が来てから作り出すのだ。お腹ペコペコな燈は一直線にテーブルについた。


「燈〜、お味噌汁に唐辛子入れる?」

「ううん、いらない。でもネギほしい」

「はいよ〜」


 夜ご飯が出来上がりるで、もう少しかかるはずだ。何の気なしに燈は、テーブルの真ん中に置かれたフォトフレームを手に取った。中の写真には、3人映っている。


 赤ん坊の自分と昔のお母さんと……お父さん。いつも鏡で見ている目の色が、写真の中から見つめ返してきた。


「ねーお母さん、お父さんってどんな人だったっけ」

「パパのこと? うーん、難しいなぁ」

「パスポートも持っていないお母さんがどうしてお父さんと知り合えたのか、未だに私分からないんだけど」

「それはー……夢の中とか?」

「うわぁロマンチック〜。あれ、今日は肉じゃが?」

「そうよー。好きでしょ?」

「うん。でも最近の私は、ちょっと肉じゃがにうるさいかもだけどね」

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