偶像崇拝の魔法
魔法の行使において何が重要であるか? 想像力である。
その問答を聞いた私は思った。想像力とは何ぞやと。
想像力。
相手の気持ちを読み取るために必要な力と言われたことがある。
なるほど、人間生活においては大事な力だ。
では人間生活と魔法は密接な関係にあるか?
かつて生臭坊主に問いかけた。答えは
『もちろんでございます。魔法が使えるということは神より祝福がもたらされたということですから』
とのことだった。
まったく嘆かわしい。想像力の欠如が疑われる。
神などいない。もしくは死んだ。
魔法が使えぬ者を奴隷にするなど神が許すはずもないからだ。
想像力が重要であると説く者ほど視野が狭くなる。
まったく、この世界はどうしようもない。
「これよりこの者の心臓を捧げる!」
それ見たことか。今だって私を生贄にしようとしている。
魔法使いとして極上の腕を持つ私を媒介にして、神を現世に召喚せしめようとしているのだ。
逃げれるものなら逃げ出したい。しかし祭壇に縛り付けられている上に、教会のクズ野郎どもが私の動きに目を光らせている。すこし動けばすぐ鎮圧の最低最悪の状況だ。
「我らに神の祝福のあらんことを!」
枢機卿が宣誓してから、右手に持つナイフを私の心臓に向かって振り下ろし――
夢から覚めた。やおらベッドから体を起こし、ふと笑いがこぼれる。
くつくつと私の笑い声が薄暗い部屋に響き渡った。
「まさか私が神になるとは思わんよなあ」
魔法の行使において何が重要であるか? 想像力である。
信者たちが私を神たらしめんと必死に想像力を振り絞ったのだ。
なんたる喜劇であろうか。
神を信じていない者が神になってしまい、望みを叶えてしまった者たちはその場で殺されたのだ。
今でも思い浮かぶぞ。自己保身しか考えていない生臭どもは絶望して、信心深い者たちは安らいだ表情で首を差し出す狂気の光景が。
ああ面白きかな面白きかな。生臭どもも面白きかな。
……寒いな。
自分のセンスのなさに辟易しながら毛布にくるまった。