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第三章/夜空


〜夜空〜



夜空を仰ぐ君。







「さ、そろそろ帰ろう」


保志の声で我にかえった藍は、大きな目で彼を見つめていた。

「なんか、しんみりしちゃったなあ」

頭をぽりぽりかいて言うと、保志は伸びをした。

「眠くねぇ?」

「ううん。平気」

藍は軽く笑って応え、立ち上がろうとしなかった。

「終電になるぞ」

保志のつぶやきのような文句も、聞こえないふりをした。


まだ、帰りたくなかった。



夜の静けさ、虫の音、星のまなざし――そういうものを、肌で感じ、耳をすまし、心で受け取りたかった。

(・・・・・・わがまま)

心のなかでつぶやくと、藍はふっきれたように立ち上がった。

このまま座りつづけていたら、保志が困ってしまうではないか。

「行こっか」

短く言って、彼を見る。


すると、今度は彼が座ってしまった。

「行かないの?」

藍は無表情のまま問うた。

それでも、彼は遠くの星をながめ、藍に応えなかった。


「ばか」

ぼそりと言ってから、藍は保志のとなりへ再び腰掛けた。

終電でも、夜中でも、明け方でも、家族が心配していたって、関係なかった。

どうでもよかった。

今、この瞬間がたまらなく幸せで、どうしようもなかった。

まるで時が止まってしまったように、ふたりはじっと座り、夜空をながめつづけた。




しばらくそうしていると、携帯が鳴った。

母親からの電話である。

藍は一瞬、憎憎しげな目で携帯電話をにらんだが、すぐにまた、無表情に戻った。


「・・・・・・もしもし。うん、うん・・・・・・ごめんなさい」

藍は応答する。

「・・・・・・うん。でも、大丈夫。千佳子の友達の家に泊まるから。うん。平気。お金あるし・・・・・・じゃあ、ごめんね」


うそをついた。

藍は電話を切ると、ちょっと勝ち誇ったような顔で保志を見た。

保志は彼女の顔を見るや、ふきだしそうになったが、すぐににっこりと笑うと、自分も携帯を取り出した。

「あ、もしもし、母さん?おれ、今日、嵩太のいとこの家に泊まるから。うん?大丈夫。嵩太とおれの仲だし。じゃあ、おやすみ」

ふう、と息をつき、彼は携帯をポケットへ戻した。

ふふん、と鼻で笑う。


「・・・・・・いとこねぇ?いいんじゃない」

「腹へらない?」

「平気」



ふたりはまた、しばらく夜空に目を戻した。

時間がゆっくりと流れていった。

止まって見えていた星も、動き出したように、いつの間にか目の前にあったものが移動していた。


ゆっくり、のろく、しかし、確実に変化している夜空。

流れ、止まることを知らない星々。

天の川をつくり、流れ星に変わり、たくさんの夜空を彩っていく。

静かな感動が、再び押し寄せてくる。




「宇宙ってさ、どんなんだろ」

ぼそり、と保志がつぶやいた。

暗闇で、彼の瞳が光を帯びている。

「宇宙飛行士になりたいとか、そういうんじゃないんだ。宇宙を見てみたいとか、大それたことでもないんだ」

藍は黙って彼の話に耳を傾けた。

「宇宙には、たくさんの惑星とか彗星とか衛星とか、月とか太陽とかあるだろ?そのなかで、今、文明を築いて生きている人間がいる『地球』って、単純にすごいって思うんだ」

保志はうれしそうな表情で藍を見た。

「そう考えると、おれたちがここで生きていることも、奇跡みたいだろ?」



(奇跡・・・・・・)

奇跡、という言葉を、藍は口のなかで何度も言ってみた。



奇跡、奇跡、奇跡。



生きていることが、奇跡。

ここで話していることが、奇跡。

生まれた時間も、幸せで、それが奇跡で・・・・・・。



「おれね、なんか最近、どうでもよくなってたんだ」

口調を変えて、保志は口を開いた。

瞳は真剣だった。

その真剣さに、圧倒される。

保志は、変わったのだと、かすかに感じられる。


ごくん、と生唾を飲み込んだ。

「ただ、なんとなく時間がすぎていくんだ。おれの周りで変化して、通りすぎていく・・・・・・おれだけが取り残されたように、時間の感覚がつかめなくて・・・・・・ただ、忙しいっていう気持ちだけが急いていたんだ」

だけど、と彼は言葉を切って、言った。

「だけど、もう、ちがうんだ。ちょっとわかった気がする。急がなくていいし、自分を信じていればいいんだ。だろ?」


藍は保志を見つめた。

保志の眼に、迷いはない。

やることが決まっている、強い眼だ。

藍は、自分がのろまのクズになってしまったように感じた。

『自分だけが取り残されている』感覚に襲われ、ぞっとした。

うれしい反面、ねたましかった。



「保志はなんのために生きているの?」

口から言葉が勝手に飛び出していた。

冷たい物言いだったにもかかわらず、保志は明るい声で答えた。

「だれかのために」

ほらね、という暗い声が藍のなかで響いた。

この人はだれかのために犠牲になる生き方を好んでしているんだ。

「わかってたんだ。自分を大切にしていないってこと」

突き放すように藍は言った。

冷ややかなまなざしを投げかけて。

保志は臆することもなく、言った。


「自分を大切にしているかいないかなんて、よくわかんない。だけど、おれが『だれかのために生きている』からって、自分を粗末にしていることにはならないだろ」

「そうかなぁ。だって保志は、時間を大切にしていなかったわけでしょ?それはきっと、自分のために使っていないから、そう感じるんだよ」

藍はだんだん腹立たしくなってきた。

保志に嫉妬していたのだ。

それがわかっていながら、止めることができなかった。

ただ、強いまなざしの保志を見ると、怖くなったのだ。

自分の存在がなんなのか、薄らいでいくように感じられた。

保志にとって、自分は必要ではなくなるんだという思いが、どっとあふれてくる。




「藍?」

保志が心配そうに顔をのぞきこんできた。

あきらかに様子のおかしい藍を、心底心配しているようだった。

それが、よけいに藍の癇癪にさわった。

立ち上がり、叫んだ。

「そうやって、あわれまないで!わたしを変だと思っているんでしょ?変なチカラがあるから・・・・・・」

保志はあわてて立ち上がり、藍の肩をつかんだ。

「やめて。さわらないで。なんで・・・・・・なんで保志はそんなに変われるの・・・・・・強くなれるの・・・・・・?」

「藍、どうしたんだよ」

藍はうつむき、何度もまばたきした。

ぽた、ぽたと涙が零れ落ちた。



「自分がきらいだ。すごく、いやだ・・・・・・こんなわたし、いやなのに。変わろうって思ったばっかりなのに。強くなりたいのに」

顔をあげ、藍はぐしょぐしょの顔で保志を見た。

「保志に元気になってほしかった。生きることを歓びに感じてほしかった。精一杯生きている命は美しいと、わかってほしかった」

保志は黙って藍を見つめ返し、耳を傾けていた。

「だから、うれしいはずなのに。保志は変わったわ。もう、時間を粗末にしない。だけど、それをあなたの口から聞いた瞬間、急にさみしくなった。憎く思った。どうして保志だけ変われるの?って・・・・・・わたし――」



しゃくりあげ、藍は鼻をすすった。

「わたし、保志と出会ってから、いろんな自分に出会ったの」

「いろんな自分?」

そうよ、と、ごしごし目をこすりながら藍は言った。

「心配する自分、泣き虫な自分、嫉妬する自分、臆病な自分、他人を助けたいと思える自分――」

藍は再び涙で顔を汚しはじめた。

「心が乱れるの。感情がちょっとのことで動いてしまうの。保志に頼りたい、頼ってほしい。わたし以外の人のところへ行ってほしくない・・・・・・」




***








(――これは、告白?)

保志はまじまじと藍を見つめた。

たった今の彼女の言葉で、頭がいっぱいになった。




私以外ノ人ノトコロヘ行ッテホシクナイ




藍は真剣なまなざしでこちらを見つめていた。

よく感情の読み取れない表情であった。

保志はなんと言っていいかわからず、そのまま彼女を見つめかえした。

なにか言おうと思った。

しかし、それがうまく言葉にできなかった。

感情を言い表すことができず、もどかしさのなかでいらいらした。

やがて、藍はため息まじりに言った。



「ごめんね。変なことを言って。ただ、やっぱりわたしはうれしい。よく落ち着いて考えれば、やっぱり、うれしいの」

保志はなかなか藍の目をまっすぐ見ることができなかった。

いったい、どういう意味で、意図で彼女が言葉を発しているのかわからなかった。

「あなたは今、これからやるべきこと、やりたいことが見つかったんでしょ」

はっとして、保志は顔を上げた。


視線がぶつかった。

気がつかされた。


改めて。


(そうか・・・・・・おれは、やるべきことを見つけられたんだ。だから、今は、やれるってわかるんだ)

そうとわかれば、一気に気持ちがすっきりした。

これからするべきこと、それは百乃を解放してやることだ。

わかっていたことじゃないか。

保志は自分に言い聞かせると、にっこりと笑って藍の手を引いた。



「行こう、さあ、早く!」

藍は目を丸くして彼を穴が開くほど見た。

「どこへ?」

「わからない!」

叫ぶように言って、彼は自分で笑った。

「百乃のところへ行こう!放してやるんだ。藍、手伝って」

小走りになり、藍の手を強く引きながら、保志はにこにこして空を見上げた。

保志は相変わらず輝いている。



(なにをすればいいのかわからない。だけど、藍がいればわかる気がする――大丈夫だ)

保志は藍を振り返り、にやっとした。

「藍には不思議なチカラがあるんだろ?」

子供っぽく笑う彼を見て、藍も心なしかほぐれてきたようだった。

大きく頷き、走った。



「なら、そのチカラをおれに貸してくれ」

「もちろん!」



走りながら、藍は声を上げて笑った。

先ほどまでの顔がうそのように、輝きだした。



「わたしもやりたいことが見つかった!」

「なに?」

保志は尋ねたが、答えは知っているような気がした。

藍はちょっとほほえみ、それから大きな声で言った。




「保志と一緒に百乃を助けること!」


このあとふたりはどうなったんでしょうね?

わかりません。

今さら、「オイオイ、何やってんだよ。どこ泊まるんだよ」なんて思ってしまいました笑

きっと友人宅へいったんでしょうね。^^

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