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第二章/事故の残像



〜事故の残像〜



早くなる鼓動に合わせて。







保志は奇跡的に、本当に奇跡的に助かった。

左腕の骨折だけですんだのだ。

ただ、ひどく過労していたようで、一週間ほど検査を含めて入院することになった。


藍はすぐに退院した。

しかし、保志を見舞うことはしなかった。

なんとなく、会いたくなかった。

保志の顏を見て、なにを話せばいいのかわからなくなるだろうから。

彼が今、どんな気持でいるのか考えたくもなかった。

そしてなにより、彼につきまとう百乃を感じる勇気がなかった。



あれから――事故の日から何度も同じ夢をみた。

いつも薄気味悪く、黒髪の少女が笑っているのだ。


『悪いことではないでしょ?』

『あたしだって歓びを知りたいのよ』

『ずるいわよ』

『同じように生きてきたのに、なんであたしだけ死ななくちゃいけないの』


ほくそ笑んで彼女は言うと、くるりと踵を返して去っていく。

藍はいつも呼び止めるのだが、うまくいかず、ここで目が覚める。


(保志の事故が百乃によって引き起こされたと考えてもまちがいじゃない)

ほぼまちがいなく、百乃が関係しているであろう。

しかし、保志に話すことはできないと思った。

保志は百乃に同情するだろう。

そしてなにより、自分自身が生きていることを悔やむかもしれない。

(だめよ、保志……生きていることは強いことなんだから)



保志に会いに行かなければならない。

そして、励まさなければならない。

今、彼は弱っているんだということが、ひしひしと伝わってくるようにわかる。


しかし、行けない。

進めなかった。


結局、自分を傷つけないようにするしかないのだ。

藍は己の弱さを恥じた。



(わたしは保志になにをしてあげられるのだろう)

頭のなかはそのことでいっぱいだ。

それしか考えることができなかった。





***






保志が退院してから丸一週間が過ぎた。

彼とはこれで二週間、顔を合わせていないことになる。

さすがに感じ悪いなあと思ったものの、なかなか彼に会おうと思えなかったのだ。

逃げていたのだ。


保志に催促されるのがいやだ。

せがまれるのがいやだ。

百乃は今、どういう気持ちでいるのかわからない。

保志がどのように考えるのかわからない。

それが、怖かった。

知るのが恐ろしいことだと、はじめて思ったのだ。



そんなふうに、気持ちをふさいでいると、一本の電話がかかってきた。

思ってもみなかった相手からである。

声を聞いた瞬間、心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。

藍は額の汗をぬぐい、用件をできるだけ平静に聞くように努めることにした。

保志は思いのほか、何事もなかったかのように、わくわくした声音で言った。



「星がたくさん見れるんだ」

電話での最初の一言。

「見に行くの?わたしも行く」

藍は勢いよく言った。

保志の声が予想以上に明るいのに驚き、うれしくなった。

受話器ごしに保志の笑い声が聞こえてきた。

「そのつもり」


笑い声・・・・・・。


そのあといくらか言葉を交し、藍は電話を切った。

(明日、保志と星空を見に行くんだ…)

保志ってすてきな名前だなあなんて思いながら、藍はそっとベッドへ足を滑り込ませた。

楽しみで眠れない――久しぶりに味わった気持ちであった。





***







夢をみた。


長い黒髪のきれいな少女が手招きしていた。

保志は彼女のそばに行こうとしたが、なかなか近づくことができなかった。

もどかしくて、悲鳴のようなものを上げた。

狂ったように叫んだ。

苦しくて仕方がなかった。

なにもできない・・・・・・。

彼女のそばへ行きたかった。


なのに身体が動かない。

足枷があるように重く、動けない。

(行きたいのに……!行かなくてはいけないのに)



「行かせてくれ!!!」

保志は必死で訴えた。

「早く行かないと」

離してくれ。

「待ってるんだ!百乃が待ってるんだ!」


あの黒髪は百乃?


「離してくれ!離せ!頼むよ……藍」


おれを引き止めているのは――藍?




ばっと目を開いた。

額には汗をびっしょりとかいている。


「暑ぃ……」

Tシャツの首元をひっぱりゆるくしてやる。

骨折なんてはじめてのことで、いろいろ不便なことが多かったが、最近はそれも慣れてきた。

保志はエアコンのスイッチを入れた。

すぐに起動し、ひんやりとした冷風が広がる。

保志は大きく伸びをし、着替はじめた。



今日は日曜日。

学校はもちろん休みである。

部活に燃える嵩太は今頃、からからの太陽の下、熱血魂をきらめかせていることだろう。

嵩太の顔を思い浮かべ、保志は苦笑した。

昨日も例外ではなく、嵩太は千佳子の話をとめどなくしたのだ。

沸き上がる温泉のように、止まることなく、自慢話のように。

まるで、子供がはじめておもちゃを買ってもらったときのようなはしゃぎ様だった。

保志はそれを拒まず、受け入れた。


こんなにも人を愛せるものなのかと、嵩太にはときどき感心させられることがある。

彼を見ていると、自分はなんて冷たい人間なのだろうと思われてくる。

実際は嵩太が熱すぎるだけなのかもしれない。

しかし、彼のように熱中することをしない保志にとって、その『アツさ』は斬新極まりないものだった。


なにかに夢中になってきらめける。

それは保志にはできないことだった。

だから、惹かれたんだ。

熱血野球坊主に。

そして、『無茶苦茶』が似合いそうな、藍に。



はじめて会ったとき、彼女は雨のなか傘もささずに駆けていた。

前も確認せずにコンビニへ走り込んできた。

それが間抜けというよりも自然なほほえましさに見えてしまった。

「あっ、なんかいいな」と思ってしまった。

あたたかさに触れた気がした。



(だから、惹かれたんだ)

保志はそっとドアノブへ手をかけた。


この気持をなんと言う?

足音も軽快に階段をおりていく。

なんだろう。

台所でコップに麦茶をくむ。



――大切なんだ。


一気に飲み干した。



恋愛?

家族?

友情?

同志……?



よくわからない。

ただ、居心地がいいのだ。

それだけは、はっきりとわかっていた。


ボサボサの髪をゆらして、心底楽しそうに声を上げ、笑う。

そのたびに肩が上下する。

幼い笑い声を出す。

藍が、たまらなくいとおしくなる瞬間だ。


そう。

たとえるならば、微温湯につかっているような。




***






空には満開の星の花が咲き乱れていた。

吸い込まれそうになるほど、贅沢な花畑であった。

保志と藍は空を仰いだ。

散りばめられた星屑。

声にならない感動だった。



ふたりは午後六時になると、駅で待ち合わせした。

電車にゆられ数分で、入り組んだ土地があるというところへ来ていた。

山のなかのような、とても静かな場所で、ふたりのほかに人影はない。

暗くなりはじめると、準備されたようなベンチに腰掛けた。

持ってきたお菓子の箱や袋をいくつか開け、口に運んだ。

口数も少なく、お互いにそれぞれの思いにふけっていた。



やがて、保志は聞きたいことがあったのを思い出して言ってみた。

「なぁ……おれには百乃の念がついているんだろ?」

藍はちょっと顔をしかめたが、頷いた。

「それって、百乃の幽霊がついてる――みたいなものなのか?」

「う……ん。ちょっとちがうかもしれないけど」

はぁ、とため息混じりに彼女は言った。


「たとえば、憎いという念。生きたいという念。言いようのない孤独感……そういうものが塊になって、生きている人間にまとわりつくの」

それから藍は、あのまっすぐとした眼で保志を見た。

真剣な表情で。

包帯でぐるぐる巻かれた腕が目に止まる。


「ならさ……」

からからに渇いた喉から、声をしぼりだし、保志は言った。

「今、おれについてる百乃の念って、すごく暗いものなんだろ?」

ごくん、と生唾を呑み込む。

「……そうね。でも、理不尽だわ」

「なぜ?」

ぱちくりとまばたきし、保志はまっすぐな眼に尋ねた。

「だって保志は被害者だよ。保志は生きていることを悔やんじゃだめだからね」



びっくりして、保志は藍を見つめた。

藍は少し寂しそうな、しかし鋭い視線を保志へ向けた。

「自分を責めていたでしょ。生きていることを責めたでしょう?」

「そ、そんなことはな……」

「はぐらかさないで!」


言葉をさえぎり、藍は唸るように言った。

あきらかに保志は動揺していたのだから。

的中したことが悔しくて、信じたくなくて、藍はいらいらとした口調でつっかかっていった。


「あなたはずるいわ!臆病よ!自分を責めることは自分を守ることだわ」

止まらなかった。

言葉が口から次々に飛び出す。

「『かわいそうな自分』をつくって、自己満足で終わっている!そうでしょ?」



――だけど、ふとわかった。

臆病なのは藍自身なのだと。



(いらいらする!なんで?なんで保志を見ているとこんなに歯がゆいの?)

藍はにらむように保志を見ていた。

保志はしばし黙り込んでいたが、やがて言葉を選びながら言った。


「藍からはそう見えるのかもな。否定はしないし、一理あると思うよ。正直、うろたえた」

間を置き、つづける。

「おれ、聞きたいことがあったんだ。事故の前、藍に聞きたいことがあった。だから、追いかけたんだ」



きた・・・・・・と藍は思った。

おそらく、百乃のことだろう。

目を背けず、藍は保志を見つめた。

彼の口が動き出し、言葉を発し、百乃のことを聞かれるのが怖かった。

「百乃のこと、聞きたいんだ・・・・・・今、彼女――」

「彼女がどんな心境でいるか、なんて教えないからね」

先に言った。

言われる前に、言ってしまおうと思った。

いらいらした。

保志の顔がきょとんとしている・・・・・・。



「まさか、そんなことまでわかるんだ?」

保志はハハ、と軽く笑い、心なしかうれしそうな顔をした。

「それなら、好都合かもしれないけど、藍は教えてくれないんだろ?」

「当然。というか、なにを聞きたかったの?わたしは百乃の気持ちばかりを気にしていると思ってたのに」

「まぁ、そういうのも考えたさ。だけど、ちがったんだ。おれが知りたいのは――いちばん求めているのは、百乃を開放してやりたいってことだ」

藍は我が耳を疑った。



カイホウ?



「保志自身の解放じゃなくて?」

うん、と保志は頷いた。

「藍は、百乃がおれを縛っていると言った。だけど、本当はちがうんだと思うんだ」

「どういうこと?」

藍の質問に、保志は少し考え深げにしてから答えた。


「おれが、百乃を引き寄せているんだってこと。おれがいつまでもずるずる引きずっているから、百乃はここにとどまっているんじゃないか?」

(保志が?つまり、保志には百乃の記憶がなかった。それがかえって悲しみを引きずることになったってこと?)

「悲しみを受け入れ、そして強くなる――それができなかった。だから百乃を縛っているのはおれのほうなんだ」



そうだったんだ、と、藍はまるまるした目で保志を見つめた。

保志は保志なりに、自分で考え、感じていたんだ。

「・・・・・・ごめんね。わたし、まちがったことを保志に言ったんだね」

保志の言葉の強さに感心しきって、藍はつぶやくように言った。

すると、保志は大きく手を振って藍の言葉を否定した。

「藍は、おれに強くなれるって言ってくれた。受け入れられるって。それってつまり、藍の言葉は大方まちがってなんかいなかったんだよ」

にっこりと笑い、彼はつづけた。

「ありがとう。藍に助けられてばっかりだ」

「・・・・・・うん」



ちがうよ、保志。

保志が正しかった。

わたしは保志を傷つけるような言葉しか言えなかった。

ごめんね。

ありがとうね。




わたし、きっともっと強くなるから。

今度はちゃんと、強くなるから。





暗いかな?

読んでくださり感謝です^^

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