第三章/ほしがきえる
不思議っ子です、ハイ。
〜ほしがきえる〜
消えないで。
いったい、いつになったら姿を現すのだろうか。
藍は頬を膨らませ、コンビニのお菓子の袋をにらみつけていた。
藍はもう、一時間以上も待っているのに、一向に保志のやってくる気配はない。
コンビニで、午後四時に待ち合わせ。
昨夜メールで伝えたのだ。
しかし、保志からの返信はなかった。
別におかしいとも思わなかった。
なにしろ、すでに夜も更けており、保志から深夜に返事がこないことなど何度もあった。
(なんでだろう。メール見ていないのかなぁ)
一時間以上もコンビニでうろうろするのには、かなりの勇気がいるものだと、藍はひしひしと実感していた。
雑誌も立ち読みしたし、お菓子もじっくり一通り見終わった。
飲み物も何十回も眺めたように感じる。
店員の目が気になりはじめ、仕方なく藍は箱菓子をひとつと、お茶を買うことにした。
レジに行き、お金を出し、おつりをもらう。
それからできるだけのろのろと歩き、外へ出た。
風が小さく頬をくすぐった。
気持ちよい。
ふう、とため息をつくと、藍は携帯をポケットから取り出して、メールをした。
『まだですかあ?待ちくたびれたから、ベンチのところにいるから』
藍はのろのろと歩きはじめる。
忙しく人々は行き交い、風を感じていなかった。
夏のにおいを感じていなかった。
ここでただひとり、夏を思っているのは自分だけなのだと、藍は思った。
忙しすぎて、季節の移りに心が向かない。
少しのことで感動しない。
新芽の歓びも、虫や鳥の唄も、小川の流れも、木々のこすれる音も、ここで忙しくいる人々には関係のないものなのだ。
仕事の最中だから。
友達と遊んでいる。
そんなのダサいじゃない。
風を感じる?
ばかみたい。
そんな人間の声が聴こえてくるようだ。
コツコツ。
きゃっきゃっ。
アハハ。
バタバタ。
(たしかに、余裕がないよなあ・・・・・・)
せわしなく動く人間には、きっとゆとりがないのかもしれない。
それはもしかすれば、とても悲しいこと。
そう思うのは、いけないことだろうか。
まちがっているだろうか。
藍はペットボトルのキャップをきゅっとまわした。
喉にお茶を流し込む。
(あーあ。どうしてわたしは保志がいないといつもシリアスになってしまうのだろう・・・・・・)
まるで、悲劇のヒロインのように。
「格好つけて、ばかみたい」
声に出してみると、妙にアホらしく思えてきた。
保志と出会って、考えたり、心で感じることが多くなったことに、藍は気がついていた。
それは彼女にとって愛しいことだった。
くすぐったいような、うれしさだった。
しばらくそうしていると、息をはずませて保志が走ってきた。
「遅かったね」
嫌味を込めたつもりはなかったが、そう聞こえたかもしれない。
「ごめんっ。おれ、なんか今朝からすごくだるくて・・・・・・なんか、変だった」
あはは、そうなんだ、と藍は言ってから、姿勢を正した。
保志の背後で、暗いものが落ちつかなげに蠢いている。
邪魔しようというのだろうか。
藍はちょっと唇を尖らせ、それからベンチの半分を保志に譲った。
「どうぞ、座って」
「うん、ありがと」
ややあって、保志の息が整うと、藍は口を開いた。
「あのね、保志、聞いてくれる?」
「うん?」
ふう、と深く息を吐き、思いっきり吸って、藍は話しはじめた。
きらわれるかな、と、チラと思いながら。
――わたしね、小さいころから変な能力みたいなのがあってね・・・・・・。
わたしの曾おばあちゃんにもこういう力があったんだ。
霊感みたいなもの。
超能力とはやや異なる、直感。
そういうもの。
霊がみえるんじゃなくて、感じるの。
霊というよりは、『念』かな。
負の念みたいなもの。
それが人の背後でゆらゆらしていたりすると、危険だな、とか思うの。
だけどわたし、それを感じるからどうしようとか考えたことはなかった。
無理になにかしようとしないほうがいいと思っていた。
だけどね、保志。
保志の念はあまりに強くて、見過ごせなかった。
すごく哀しいの。
でも、あなたは本当はすごく強い心を持てるから。
負けてほしくないから。
だから、言うの。
わかる?
わたしの言ってること、理解できる?
つまりね・・・・・・。――
つまりね、藍は目をつむった。
それから大きく開き、きっぱりと言った。
「あなた、縛られてるんだ」
藍は保志が呆然としている顔を見たくなかった。
まさか、うそだろ。
ばかみたい。
そういうふうに言われそうで、思われそうで、いやだった。
だから、しばらくはうつむいて、彼の顔を見ないようにしていた。
反応が怖かった。
しかし、保志は予想とはちがう表情をした。
眉をハの字にして、微笑して。
藍が意を決して顔を上げると、そこには悲しくほほえみを浮かべる保志がいた。
「そっかあ・・・・・・」
保志はぽつりと独り言のようにそう言うと、次ににっこりと無理な笑顔をつくった。
「ちょっとね、わかってたんだ。というか、最近、わかってきたんだと思う」
保志は小首をかしげて、藍と目を合わせないように努めた。
藍は震える声をふりしぼって、精一杯の言葉を口から出した。
しかし、それもむなしくかすれてしまった。
藍は保志の表情から気持ちを読み取ろうとしたが、できなかった。
仕方なく、もう一度声をつくってみた。
「き、記憶、ないよね・・・・・・?」
出てきたのは頼りのない、だが、声であった。
「うん。ないと思う」
保志は冷めた声で言った。
否、藍には冷めているように聞こえた。
「幼稚園くらいのとき・・・・・・だよね?」
「うん」
「事故、目の前であったんだよね?」
「うん」
「とっても仲良かった女の子・・・・・・」
「そうだよ」
「車が・・・・・・猛スピードで走ってきた」
「うん」
藍は目を閉じていた。
浮かんでくるようすをゆっくりと、震えながら言葉に紡ぐ。
「すごく楽しかった・・・・・・ふたりでおしゃべりしていた・・・・・・」
「久しぶりに公園で遊んだんだ。親の目を盗んで」
「横断歩道があって・・・・・・その女の子、手を上げてわたってた」
「だけど、車が・・・・・・おれ、なにもできなくて」
藍は目の端からポロポロと涙がこぼれてくるのを止めることができなかった。
保志は小さく笑い、静かに言った。
「たしか、雨の日だったよ」
藍は目の前に浮かんでくる光景に嘔吐したくなった。
小さな少女がなにもわからずに向かってくる車にはねられた。
あたりは夕焼け色に染まった。
飛び散った赤が、保志の顔にかかる。
記憶を失うのに、これだけのショックは充分すぎた。
幼い保志は放心状態が何日もつづいた。
しばし沈黙がつづいた。
藍はとめどなく流れる涙をぬぐうこともなく、ただひたすらに悲しみのような感情に浸っていた。
哀れみだったかもしれない。
よくわからなかった。
やがて、保志はゆっくりと立ち上がった。
それから藍の顔を見ずに、しかしはっきりとした声で言った。
「ありがとう。思い出したよ――全部」
「え・・・・・・」
保志の記憶を、藍は呼び起こしていた。
それがやっとわかり、藍はうろたえた。
(あんな光景を保志にも見せてしまったんだろうか・・・・・・?)
知らぬ間に、能力を使ってしまっていたんだろうか?
いったい、自分にはどんなことまで、できるのだろうかと、藍は恐怖さえ覚えた。
「藍、ありがとう」
保志はもう一度、低い声で言った。
そして、足を運びはじめた。
藍に聞こえないくらいの距離に来たとき、保志はぼそりとつぶやいた。
まるで、自分に言い聞かすように。
「おれが消えるはずだったんだ」




