表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/17

第二章/背中



〜背中〜



その儚げな背中を。






保志は空を仰いだ。

となりには、ぼさぼさ髪の少女がいた。

はじめて会ったときのような、自然で、単純で、飾り気のない彼女だった。

心を乱されることなく、まっすぐに前だけを見つめている少女だ。



「やっと、光をつかめそうな気がする」

藍はそっとつぶやいた。

保志はその言葉を何度も心のなかでくり返し響かせた。


――やっと、光をつかめそうな気がする・・・・・・。


やっと。



保志は藍との会話を思い出していた。

今見える星の光は、本当はもっと数億年前のものかもしれない。

もしかしたら、もう現在は存在していない光を見ているのかもしれない……。

そう言うと、彼女は目を輝かせた。


「それってすてき」

「どうして」

保志は不思議でならなかった。

星光は今いないもののかすかなしるしなのだ。

以前の名残でしかない。

それなのに、藍はすてきだと言った。



「星は光でなにかを伝えているみたいね、ってこと」

藍はあたりまえのように言ってほほえんだ。

「何年もかけて、今のわたしたちのところまできてくれたんだ……それってすてきじゃない」

「……だけど、今は存在していないかもしれないのに?それでもすてきだと言える?」

カラカラの喉がもどかしかった。

保志は黙って藍を見つめた。

藍はにっこり笑った。


「もちろん」


力強い答えだった。

藍の声にも言葉にも表情にも、迷いはどこにもなかった。

まるで、もう何百年も生きていた人間のように、藍は落ち着きはらって応えた。

それを見たとたん、不思議なくらいはっきりと保志はふっきれた気がした。

なくなったものはもう帰ってくることはない。

たとえそれがどれだけかけがえのないものであったとしても。


だけど、だからこそ、そのことを悲しむばかりではいけないのだ。

切なさで胸が張り裂けそうであっても。

泣くことしかできないように思えても、だ。

そのものがいた、というあかしを見て、悲しみにくれるのではなく、誇りに、そしてまっすぐに受け入れるべきなのだ。


なにを伝えていたのか。

その存在することの意味をくみ取ってあげる。

今はもう存在しない星の、その輝きをきれいだと素直によろこべるように……。


――百乃との思い出をなつかしめるように……。




いつかはみんな、いなくなってしまう。

命とは永遠ではない。

永遠ではいけない。

大切にするために。

かけがえのないものだと知るために。

だからこそ、まっすぐに走れるのだ。

だれかはだれかのために生まれ、そのだれかは他のだれかのために生き、そしてなにかを残し、伝えていく。



「人って、だれかのために存在しているのかもしれないね」

藍はやわらかな口調でそっと言った。

「保志はお人好しなんだって、ずっと思ってたんだ。だれかのためにしか動かない・・・・・・ばかみたいだって思った」

遠くを見つめ、藍は話し出した。

「でも、それもきっとすてきなことなんだよね。今ならわかるかもしれない・・・・・・わたしは、わたしのために存在しているの。だけど、同時にだれかのためにも存在しているのかもしれない」

「そうだよ」


――藍は、おれの支えになってくれていたんだよ。


たぶん、きっとそうだ。

保志は軽く頷くだけで、それを言葉にはしなかった。

無邪気に笑う藍が心地よかった。



(おれも藍のためになにかできないかな)

存在してくれるだけで、となりにいて笑っていてくれるだけで、それだけで幸せだ。

そう思えることが、心からうれしかった。


保志は軽く心臓をたたいた。




***







微温湯――それは人を甘やかすものだ。


罠だ。

そう思っていた。

そうかもしれない。



だけど、それだけではないかもしれない。

傷ついたところは、冷水よりも、熱湯よりも、微温湯のほうが心地よい。

つまり、それは癒しにもなるのではないか。

そんなことを考えながら、藍は保志を見やった。



百乃を自由にしてあげる――そう決心したんだ。


百乃だって生きていたんだ。

心を持っていたんだ。

悪い心も、善い心も。

それはあたりまえのことだ。



だけれど、それに気づけずにいた。

藍は目を閉じてなにかを感じようとした。

百乃の気配が知りたかった。

保志の後ろめたい気持ちが、悲しみが、百乃をつかんで放さなかったんだ。


ようやくわかった気がした。

はじめから決めつけるのではなく、深く知らなければ、なにも見えてこない。



藍は深呼吸した。

「なにをすればいいか、考えてみたの」

保志は我に返ったように目を見開いた。

「え?」

「だから、百乃を自由にするために。百乃の伝えたいことをくみ取ろう――それがわたしたちにできることだよ」

保志は強く頷いた。

「おれ、思ったんだけど、たぶん今まで無意識のうちに百乃との思い出を避けていたんだ。だから、ゆっくり、彼女との思い出を思い出していければいい気がする」

今度は藍が頷いた。

「そうね。たぶん、彼女は自分を知ってほしかったんだと思うの」

「おれ、今夜もう一度よく思い出してみる」

保志はそう言うと、小走りに家へ帰っていった。

藍は彼の背中が見えなくなるまで見つめていた。




背中って、儚い――。

藍はふと考えた。

保志の背中は奇妙にゆがんで見えた。

強く見えた。

そして、もろく、今にもくずおれそうに見えた。


(背中を見送るのって、こんなに切ないことだったんだ・・・・・・)

ふと、なんの前触れもなく不安がよぎった。

そして、保志の顔が浮かんできた。

(顔色、悪かったな・・・・・・よくわからないけれど)



藍は彼の今日の顔を思い出そうとして、顔をゆがめた。

保志はなんだかはりきっていて、表情は明るかった。

やる気に満ち満ちて、うれしそうだった。

だから、気がつかなかったけれど・・・・・・そういえば・・・・・・。

(やっぱり、顔色が悪かった気がする・・・・・・)

藍は保志の背中が見えた場所を、目を凝らして見つめた。



しかし、もう彼の姿はすでになかった。

どうしてこんなに胸騒ぎがするのだろう。

落ち着かなくなる。



(大丈夫、きっと、気のせい――まずは、やることをやらなくちゃ。はやく百乃を、保志を自由にしてあげるんだ!)

拳をつくり、それを強くにぎる。

(弱気はだめ!決めたんだから。最後まで見守るって、決めたんだから。心配なんて、していられないの)

きっと、保志のつらい記憶も、百乃の無念も、なかったことにはできない。

できるはずがない。

けれど、前を向いてほしかった。


そして、ふと後ろを振り返ったとき、そっとほほめるようになってほしかった。

なつかしい、思い出になるように。

ちくんと心が痛んだって、心から笑えるように。




呪縛を解きたい。

彼自身の、彼に対する呪縛を。



「いいわ、わたし、あなたの呪縛とたたかうから!」







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ