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血統呪術とアヤ先生

何とか1万2000文字に詰め込んだ、今回の最終話。具体的な魔法が本当に少ないな……






 "influence" は、英語の名詞で「影響」である。

 "influenza" と綴ると、つまり「インフルエンザ」だ。

 きわめて似た綴りであるのは、偶然ではない。

 インフルエンザという病は、そもそも「星の『影響』」で発症すると考えられていた、というのが、そもそもの由来なのである。

 ウィルス性のまぎれもない明確な病気であるが、第一次世界大戦中には「スペイン風邪」の異名を与えられてしまった新型が、世界中で猛威を振るったこともある。

 つまり、風系統の術に適性があり、呪詛の適性が高いアキにとっては、空気感染するインフルエンザを操るというのは、本領発揮の呪術なわけだ。

 こんな「真っ黒け」の適性を持つ術師など、少なくとも「白」の世界では、初めて見る。少なくとも弟子トリオが見るのは初めてだ。

 エリカ様の適性にも相当黒系統のモノは含まれているが、そもそも彼女は規格外の、多様な能力を詰め込まれたキメラである。

「人為操作のない天然モノで、ここまで黒い術が出るんですか……」

 回復支援役でもあるジョンがうめく。『医療の魔女』の弟子として、インフルエンザとは敵である。永劫に相容れない敵である。

「風疹も『風』だし……空気感染する病気は、ほとんど干渉できると見て、まぁ間違いないでしょうね。っていうかアヤ、あなた、名前で理解してたわね?」

 エリカ様は相変わらずの半目のまま、じとりとした声で言う。

「いや、カゼ属性ってのが、風ならぬ風邪とまでは……」

「誰がうまいこといえと……」

 呆れた声でたしなめるのは、リョウである。アヤはぶんぶん手を振った。

「いやいや! 地口だじゃれは言葉遊びの基本だけど、今回のは遊んだつもりもない偶然だから! たしかに名字の『山瀬やませ』って段階で、風属性とは想定してたけど!」

 ん? と首を傾げるレイとジョンに、地理選択組であったアインが説明する。

「東北地方で、稲の生育期に吹く冷たい風の名前が『やませ』っての。漢字は『山の背中』だけど」

「……それ冷害フラグじゃないのか?」

 ジョンの質問に「うん」とアッサリ頷くアイン。

「厳密には北海道から関東まで、幅広い範囲で吹くんだけれども、牧畜の多かった関東や、江戸期にはそもそも稲作をしていなかった北海道には、さしてダメージはなくてね……いちばんダメージを受けていたのは、盛岡藩と仙台藩でしょうね。だから東北って覚えてるんでしょう」

 アヤの解説つけたしに、あー、と日本史もやっていたジョンとレイは頷く。

「東北で飢饉の被害が大きかった背景ですか」

「盛岡藩って、たしか、天明の大飢饉の時の収穫量、ゼロだったような……」

 高校時代の日本史の知識を確認し合う二人。

 レイのコメントには、先生たるアヤが註解をつけた。

閉伊へい九戸くのへ三戸さんのへ地域がゼロね。まぁこのゾーンは元々冷涼で、ろくろく米が取れないのに、無理矢理に水稲栽培をさせていたから、当然のオチではあるけど。三閉伊さんへい一揆とか、1万人規模の一揆が起きるぐらいには、不満をためていた地域なのよ」

「その一揆の名前は初耳です」

 ジョンの言葉に、でしょうね、とアヤは返す。

「教科書には載らないレベルの地域史だし」

 何故それを知っているんですか、とは問わない。だってアヤ先生なのだから。

「しかし、江戸期に1万人規模の一揆って、領民が結託し過ぎですね」

 レイは驚いているが、江戸の後期は地球規模での小氷期に重なっており、全国的な飢饉が何度も起きたために、全藩一揆なども発生している。

「盛岡藩が転覆してないのが、不思議になる」

「今度、ヒマがあったら調べよっか」

 ジョンの疑問に対し、とても向学心溢れる提案をするレイ。

 うむ、勉強熱心なのは実に良いことだ。

「それはそれとして……まぁそういうわけで、アキの風適性については、うすうす黒い方だろうと予測はしていたのよ。ただ名前が『アキツ』だからね……補完できるかと」

 今度は、弟子トリオには誰にも通じなかったらしい。

「たしかにアキツ……赤とんぼを使う薬ってのは、あるけどもさ」

 リョウの回答で、ぎゃー何それ飲みたくなさすぎる! と三人の心の声は一致した。

 虫を材料にした薬というのを、知らないわけではない。地竜ジリュウと総称されている漢方は、その実ミミズであるし、クマゼミやアブラゼミの抜け殻は、蝉退センタイといってこれもまた粉にして薬にする。だが飲みたくはない。赤とんぼよ、お前もか。

「あれは、漢方ですらない民間薬よね?」

 ああ、道理で『医療の魔女』たる師匠から教わっていないわけだ、と、ジョンは納得した。端から見れば胡散臭い「治療」をする点は同じだが、ただの俗信と「魔女」の感性が受信した「世界の声」とは、全くの別物だというのが、自分たちの考えである。

 おそらくアキアカネは、教えるべき範囲に入らなかったのだろう。

「あと、そもそも東北地方では、アキアカネを捕らえたら、天罰として雷に打たれる、っていう言い伝えがあったはずよね? いつ薬効を引き出すのよ?」

 なるほど……それはたしかに、薬に使えないわけだ。



 通常、生徒たちを、論理の刃と、圧倒的な知識量の盾で、ボコボコにしている先生の、珍しく追い込まれた姿に、古参弟子トリオは少し目を疑った。

「……アキの能力は、害意に対するカウンター的活用の予定デス」

「害意を害意でつぶすって、毒を以て毒を制すの論理?」

 きっと史上最強であろう魔女のツッコミは容赦ない。

「そうともいいます……」

「それ『黒』の発想よね?」

 そっ、とアヤは目をそらした。エリカ様の完勝である。

「まぁ仕方ないわ。こっちの道に来たのも、何かのエニシでしょう」

 リョウくん、引き戻し作業お願い、と言って、エリカ様は目蓋を軽く揉んだ。

「アンリのことを、警戒しているのね」

 目を伏せたまま『未知の魔女』は端的に問う。アヤは黙って頷いた。

「……でしょうね。殺意に近い害意は、カウンターの害意が、もっとも効率的に弾ける。戦法としては何も間違っていないわ……『白』の発想ではないけれども」

 気まずそうに目を泳がせる妹弟子に、でも、とエリカ様は言葉を続ける。

「あなた『魔女』じゃなくて、『魔道士』だものね……『魔道士』には『魔女』とは違うルールがあるんでしょう……そう思うことにするわ」

 だって「黒」の脅威は、間近に迫っている。

「マイちゃん、モモちゃん……希有な古代の回路を復元できる『双子弟子』を守るためには、いっそ『黒』に近いほどの『魔道士』が必要なんでしょう」

 実際、すでに襲撃を受けた後だ。

「私も常時動ける体じゃないしねぇ……攻撃型の術師は、たしかに要るわね。レイちゃんは、本気を発動するとお縄になっちゃう……を通り越す素材だし」

 ぶんぶん、とレイは首を縦に振った。

 お縄で済んだらマシな方だ。

 「強化」はまだしも「狂化」は、法治国家とは相性最悪の能力である。

「正直、私の能力解放は、最後の最悪の最終手段のつもりです」

 レイの発言に、全員が首を左右に振った。アインさえもだ。やめておけ、と。

「使わないことよ。殺人だけは、取り返しがつかないわ」

 多少の怪我なら治癒促進でなんとかするけど、と付け足すのは、さすがのエリカ様だ。

「とりあえず、一応の教育方針は見えてきたわね」

 夫が弟子たちの「引き戻し」に集中する中、アヤはごそごそノートをめくる。

「モモは対抗機能強化のため、呪具作成能力を鍛えましょう。ヒマがある時には、レイに錬成の指導にも入ってもらうわ」

「はーい」

 福祉系社会人として忙しい日々を送っているが、レイは第一師匠の言葉に、素直に返事する。空き缶から詠唱で剣を作れる程度には、レイも魔道士である。

「モモちゃんの能力は『盾』のイメージが強いけど、イメージの具現という点では、先輩がいた方が良いでしょうからね!」

 ふふん、と胸を張るあたり、ついに指導側にまわれて嬉しいのかもしれない。

「アキは『薬草魔女クロイターヘクセ』の授業を増やすわ。補佐はジョン」

「了解です」

 病気の拡散は医療系として許しませんよ、とジョンも頷く。

 二人とも、非常に妥当な先輩を選ばれただろう。

 問題は、中華三代の始祖の回路を持つ、特級に希少なマイである。

「……どうあがいても、マイは姉さんに任せるしかない、ような気がするんです」

 妹弟子の言葉に、規格外の魔女様は、苦々しい顔をした。

「自分で言うのも何だけど、私は指導には全く向いてないわよ?」

 エリカ様だから仕方ない、は、門下生の合い言葉である。

 最短距離で最適解に到達する天才に、細やかな解説の能力なんて、ミジンコほどにも期待してはいけない。論文にしてさえ、難解さに定評があるのだ。

「マイの特徴は、受信能力の高さです……そこは姉さんと共通です」

「そりゃまぁ、そうだけど」

「受信感度の上げ下げ、の指導をお願いします。というか、その訓練に付き添いをお願いします。姉さんが付き添ってくれたら、マイがまずいものに憑かれる、ということは避けられるでしょうから」

 ああ、それならば納得だ、と、門下生たちは頷いた。

 並大抵の術者は、一瞬で蹴散らせるのが、エリカ様である。危険度の高い訓練をするのでも、彼女がそばにいてくれるのならば、きっと大丈夫だろう。

「……昼間動けないのだけど」

 紫外線に弱い体のため、エリカ様は基本的に、夜間しか活動しない。夜動き回るために、昼はたいてい寝ている。良い子の高校生たちとは真逆の昼夜逆転型生活だ。

「夕方に時間が合えば、で良いんですよ」

「村に戻って、論文の続きとか研究とかしないと、いけないんだけど」

 沈黙が部屋中を支配する。

 エリカ様にしかできない研究というものが、この世にはある。

「……どうしよう」

 アヤが頭を抱えた。

 ご自分も「双璧」と並び称せられる魔女である、ということを、この師匠はキレイサッパリ忘れているのではなかろうか、と、レイ、ジョン、アインは、視線で語り合った。

 三人を代表し、ジョンが挙手をして述べる。

「アヤ先生ご自身で十分なのでは?」





 まるで「その発想はなかった」と言わんばかりに、アヤは目を見開いた。

「私は正直理論派で、実戦経験は少ないんだけど……」

 実戦経験の少ない理論派に戦場に派遣されていたという、驚愕の事実に、古参弟子トリオ(※正確にはカルテット-1)は、全力で気づかなかったふりをした。

 実戦経験が豊富にあるからと言って、誰でも理論が組めるわけではないし、実戦経験が少なかろうと、理論化できる人間はいるものだ。経験値はたしかに大きいが、凡人の経験100を、天才は経験5で理論化して最適にもっていける。

 我らが師匠はやはり天才だったのだ、で、三人は片づけた。

「まぁ、たしかにアヤ先生って、どっちかってーと軍師タイプではあるですか」

 最も再起動が早かったアインが、そのようにフォローをする。

 日本語がおかしくなっていることを、同期二人は華麗にスルーした。

「軍師は、どっちかっていうと、リョウだと思うんだけど」

 アヤはまだ混乱しているらしく、見当はずれのツッコミがきた。

「諸葛亮ですかー。いやいや、リョウ先生にゃ無理でしょ。務まって中隊指揮官レベルす。自分で作戦立てるのはめっちゃ苦手でしょ。サポートは強いすけど」

 アインの言葉に、コノヤロウ、とリョウが声を潜めつつも抗議をした。

「後で回復薬ポーション調合の課題出してやるから、覚えとけ」

 注を入れると、むろんリョウは『錬金の魔術師』で、回復薬の調合は専門分野ではない。いわゆる「エリクシール」の調合絡みで、第二専門分野とはよべなくもない。しかし、心理学系に重点をおいた彼の場合、薬草の扱いはさらに優先度が低かった。

 この場にいる者の、薬草に関する能力は、規格外のエリカ様に、越えられない壁をはさみつつ、アヤが2位。リョウは、経験の差でジョンに勝つという程度の3位だ。

 そんなリョウが、薬草云々などと何故言うのか。

 それはつまり、罰ゲームになるからだ。

 回復薬調合というのは、下手な者がやるとゲロマズになるという、ジョンがよくやるアレである。回復薬調合は、調合して、自分で飲んで、レポートを提出するまでが課題である。

 アインの薬草の扱いは『ファースト・カルテット』最下位だ。

 四人の中で、最もマシな腕をしているはずのジョンの回復薬さえ、口直しが必要なレベルの不味さであることを鑑みれば、アインの調合の結果、どんな悲惨なブツが生み出されるかなど、火を見るよりも明らかな確定事項である。

「……すいませんっした」

 華麗なる手のひら返しをするアイン。

「まぁ、そりゃそうと、エリカ様を『村』の外に長時間留め置くのは、色んな意味でヤバいってのは、私も思いますから……やっぱり、ここはアヤ先生がするしかないかと」

 レイが挙手して、発言をした。

「ヤバいのかしら……」

 アヤは、姉弟子の能力の強大さはよくわかっているが、彼女が隔離されている理由については、案外と危機感が薄いのかもしれない、と、弟子たちは思った。

「『結社』の『はぐれ』が、血液だけでも、とか、髪の毛だけでも、とか、サンプルを欲しがりに来る可能性があると思います……本物の『はぐれ』か、『はぐれ』を名乗る回し者かはともかく」

 ジョンの発言に、アッ、と口を開く、アヤ。

「……姉さんを襲っても、無駄なような気がするんだけども」

 並大抵の術者は、鎧袖一触である。

 だが、そもそもそんな不穏な接触が起きない方が、平和なのだ。

 だから、危険な可能性は、最初からつぶしておくのが賢明なのである。

 レイとジョンは、立て続けに師の論破に挑む。

「オッサンの『回路』復興への執念を、甘く見てますよ!」

「やる前から諦めるような人間が、『十七国計画』なんてもの開始します?」

 これで、エリカ様を隔離しているのが、ただ単に人里から離れているだけの村、ならば、アヤもまだゴネようがあったのだが。

「その点、あの『工芸の魔女の村』なら、事件を起こせば『魔導連盟』所属の全組織を敵に回すことになります。さしものオッサンも、あそこに手は出せませんよ!」

 レイの言い分は正しい。曹文宣の四男でもある、曹伯祐が、かの村に逃げ込んでいるのは、父親の魔手が伸びてこない、安全地帯だからである。

 『工芸の魔女』集団が根拠地とする「村」は、『水晶の魔女』一派の研究拠点であると同時に、魔法・魔術・呪術の平和的利用を目指す相互交流組織『魔導連盟』の、戦闘禁止中立地帯でもある。ここで騒ぎを起こした組織は、即座に『連盟』を構成する、全ての組織のブラックリストに放り込まれる。

 『魔導連盟』の加盟結社数は、三桁にものぼる。十数人の小規模組織も少なくはないが、万単位の構成員を抱える組織もある。それら全部に喧嘩を売るほど、曹文宣は愚かではない。

「曹氏が欲しいのは、マイちゃんだけじゃない……エリカ様もです。先日の襲撃をした術師だって、本当の本気で、曹文宣が許していないのならば、あんな行動には走れなかったはずです」



 ジョンは、恐ろしい記憶を再生したように、眉間にしわを寄せた。

「あの男は、目的のためなら手段は選ばない。そして、手段を選ばないことを、許容されてしまう存在です。劉老師すら、結局許してしまいました。もはや『結社』に、彼を止められる者はいないでしょう。位階がより高い術師はいます。でも、実力で曹文宣に太刀打ちでき、なおかつ、曹に逆らうような者は、一人もいないでしょう」

 唯一対抗可能な劉貴深に、対立する気がないのである。むしろ彼女には、曹文宣が自分の能力を使うことを、黙認している節すらある。

 曹文宣の悲願は、失われかけている漢族の、古代の回路の復活。

 そのために、息子も娘も手駒にしているような男が、ましてや血の繋がりもない、格好の標本となろうエリカ・ワイズマンを相手に、大人しく引っ込むとは思えない。

「……たしかに、曹さん、こないだ店に来たんだがね」

 おおかたの作業を終えたらしいリョウが、何も知らない弟子たちに、爆弾発言を投下した。

 なんだって? と目を剥く、古参弟子三人組。

「えっ?! オッサン、この店知ってるんですか?!」

 驚きから復活した勢いのまま、咳き込むようにレイが尋ねる。

 いやいや落ち着け、と、ジョンが肩を押さえるが、レイの視線はぶれない。

「劉老師が僕の第一師匠なんだから、情報が漏れるのは防げないだろ」

 その言葉に、アッ、と納得する弟子たち。

 リョウが専門を錬金術に移したのは、第一師匠であった劉貴深に、闇堕ちの気配が見えたからだ。そのまま呪術界の黒い側面に引っ張り込まれないために、リョウはヨーロッパ系の結社に籍を移して、かつての専門分野を新たな研究で上書きし、脱出したのである。

 しかし、この世界では、第一師匠というのは特別な存在だ。単純に、最初に師事した相手、というだけではない。「第一師匠」とは、ある術師が、修行などの手を加えられる前の「天性」を見た、ほぼ唯一の存在になる。

 それの何が特別かといえば、基本の「波長」を知られているせいで、その後よほどの激変を起こさない限り、探知術に引っかかる確率が跳ね上がる点である。

 リョウはヨーロッパの結社に籍を置くことで、組織的な介入こそは退けられてはいる。しかし、居場所はほぼ、第一師匠である劉に筒抜けであり続けるのだ。そして、彼女が曹文宣に、積極的にか、消極的にかはともかく、協力的な態度である限り、リョウの位置情報は向こう側に抜け続ける。

「エリカ姉さんの『呪具』については、気配を察知するなり『裏』に引っ込めているけどね……適合云々以前に、一般的な水晶の呪具程度は、余裕で扱えそうだし」

 アヤが、一応の対策は講じている、と弁明を行う。

リウ老師せんせいが主に使うのは『ぎょく』だけどな」

 中国系術師にはお馴染みの宝石だ。翡翠。硬玉と呼ばれるジェダイト、もしくは、軟玉と呼ばれるネフライト。どちらも幽鬼の世界に絡む術に適性が高い。もしくは、精神干渉系の術である。劉邦および劉備の回路を発現し、人の心を操る術に天賦の才を発揮する劉貴深にとっては、たしかに、いかにも相性の良さそうな宝石だろう。

「まぁ、それは置いておいて……曹さんが店に来た時に、エリカさんと鉢合わせたわけだ」

 リョウの言葉に、ダメじゃないですか! とか、危険! と絶叫する弟子たち。叫んだところで過去は変わらないのだが、叫ばずにはいられない。

「で、その時、たしかに曹さんは、エリカさんをサンプルに欲しがっていた」

「アウト! 絶対にアウト!」

 レイが、声も高く断言する。

「『村』に帰さないと、確実に刺客が来る案件すよコレ」

 アインの言に、全面的同意を示す同級生二人。

「やっぱり、アヤ先生がどうにか頑張るしかない、ってことですね」

 ジョンがトドメを刺しに来る。

「……私、天才じゃないんだけどなぁ」

 どの口で言うか、と、古参弟子たちは目線だけで語り合った。

 アヤは努力の人である。努力の人であるのは確かだが、しかし天才を天才たらしめるのは、かのエジソンのいわく、1パーセントのひらめきと、99パーセントの努力である。

 アヤ先生に、その1%のひらめきが存在しないなどと、弟子たちは思わない。

 ひらめかない人間に、新しい「魔道」なぞ思いつけるわけがない。

「アンタたちが何を考えているのかは分かるわよ」

 ジトリと、アヤは三人を睨んだ。

「私が言う『天才』っていうのは、ようするに血統的な要因よ」

 おや、と三人は目を見開いた。

 そして、そういえばこの師匠の血統呪術回路の話は、あんまり聞いたことがない……ということに思い至る。それこそ、夫のリョウの陰に隠れきる程度には。

 アヤは、予想通り、といわんばかりに、小さく笑んだ。

「エリカ姉さんにはワイズマンの回路があるけれど、私の呪術回路にはほとんど伝統がない。だから自力で開拓をするしかない。『魔道』研究は、そういう意味でも私に必要なの」





 まさか、エリカ・ワイズマンとともに「双璧」と称された、そのもう一人が、ほとんど伝統のない呪術回路の発現者であるなどと、誰が想像しただろうか。

 なんとも対照的な二人が、並び立ったものである。

 かたや、遺伝子異常を起こすほどに濃縮された、血統呪術回路の持ち主。

 そしてかたや、ほとんど新規に発現した、突然変異の回路の持ち主。

「研究蓄積がないの、私の『呪術回路』には……古い血統の利点というのは、術の発現効率や、できることとできないことの見分けについて、研究が進んでいることもあるの」

 考えたこともなかった。

 そういう顔を、レイ、アイン、ジョンの、三人ともがしていた。

 レイには、張の姓を持つ、二人の有名人の血統呪術が発現している。身体能力を底上げする「強化」、理性を吹き飛ばすほどの戦闘力を発揮する「狂化」。

 アインには、ベトナムの複数の民族の回路が発現している。

 ジョンも、治癒系に適性をもつ回路が、他の二人よりは少ないながらも、ある。

 自分に何ができるか、という推測は、自分たちにさえ容易だった。

 だから当然、師であるアヤにも、できて当然だと思っていたのである。

 まさか、できないだなんて。

「……自分たちにできることが、私にできないのが、不思議そうね?」

 ふふ、と少し楽しそうに、アヤは三人の顔を順番に見た。

 時として、沈黙は、雄弁以上に饒舌になる。

 今がまさにそうであった。

「だって、先生は、私たちにできないことができてました、から……」

 レイの言葉に、嬉しそうに笑いながら、アヤは答えた。

「それと同じようにね、あなたたちにできて、私にできないこともあるのよ」

 三人は、まるで言葉を失ったように、それぞれ視線を彷徨わせた。

 静かに、アヤは笑って続けた。

「あなたたちが私を過大評価してくれてたこと、嬉しいと思うわ。でもね、私は、先行する研究蓄積がある回路の取り扱いについては、実際に回路を保持しているあなたたちに、大いに後れを取っていると思うの」

 だから、とアヤは言った。

「血統呪術回路の運用については、私はマイの指導はできない」

 沈黙が部屋におりる。

 それを破ったのは、まだ眠ったままだと思われていた、アキだった。

「あのー、それだったら……」

 ほぼ全員が、ギョッと肩を跳ねさせて、それからホッと胸をなで下ろした。なお例外は、リョウだった。エリカ様も驚くことがあるのだなと、三人は知った。

「アキちゃん起きてたの……」

 びっくりしたわ、と言ったのはレイだった。

「アヤ先生の『過大評価』ってあたりから、聞こえてました……」

 少し決まり悪そうに、えへへ、と眉尻を下げながら、アキは答えた。

「それでですね、思ったんですけど……」

「はい?」

 アヤも面食らったように、間の抜けた答えをする。

「アヤ先生が、血統呪術回路の扱いが苦手なら、リョウ先生はどうなんです?」

 その手があったか、と、三人は『錬金の魔術師』に目を向けた。

 リョウには、千八百年の血統呪術回路がある。

「……エリカさんには、数段どころか、数十段劣るんだが。っていうか、正直、回路の質だったら、マイにも圧倒的に劣ると思うんだが」

 頬を引きつらせながら、リョウはそう訴える。

「でも、ほぼゼロのアヤ先生よりは、数百倍ありますよね!」

 アインが、勢いたっぷりに訴えかけた。

 こら、とジョンが脇腹をつついたが、口から出た言葉は戻ってこない。

「アイン……『回復薬ポーション』の課題、私が考えてあげる」

 ニッコリ笑って、アヤは罰を増やした。

 お前は失言が多いんだよ、と、ジョンが小声で小言を言っていた。

 現実世界の韓国とベトナムは、ベトナム戦争のあれこれもあって、実に複雑な思いの交錯する関係であるが、ここの韓国系術師とベトナム系術師は、良い具合のコンビネーションである。あるいは、それはあの曹伯祐の考えた「ドキドキ☆残念様とベトナム実戦ツアー」のおかげかもしれないが。密林に二人きり。周りには戦死者の怨念。協力するしかないだろう。

 まぁそれはそれとして、解決の糸口は見えてきた。

「遠隔地から手伝えることは、私もサポートに入るわ。あと、長老たちにお願いして、特にマイちゃんには『村』への立ち入り許可試験を、早めに課せないか聞いてみる」

 姉弟子の提案に、そうね、とアヤは、リョウの了解抜きに頷く。

「試験に合格していないと、結界を通り抜けられないからね。逃げ込むこともできない」

「……結界?」

 アキは不思議そうな顔である。

「『工芸の魔女の村』は、表向き職人の集まる『アーツ・アンド・クラフツ』な村だから、一般人でも出入りはある程度できるんだけど、術者が保護を求めて逃げ込む『シェルター』は、登録された人以外ハネるように術がかけてあるの」

 エリカ様が説明を下さる。まぁ登録されている最たる存在だろう。

「マイちゃんが受けた襲撃を考えるに、おそらく、その保護申請が必要でしょう。ただ、かなり複雑な登録が要るから、すっごい時間掛かるし、適性の見極めがついていない新米さんだと、せっかく苦労して入れた登録情報と差が生じて、逆に攻撃術式に引っかかりかねないから……」

 なんだかアグレッシブな秘密基地の気配である。



「……初耳なんですけど、私たち」

 三人を代表し、レイがおそるおそるといった様子で挙手をした。

「『シェルター』要るほど危険にさらされてないからね」

 けろっ、と返した第一師匠に、なんということだ、とジョンは天を仰ぐ。

「ベトナムでのあの修行は何だったんデスカ……」

 アインの苦情に、あれは訓練、とバッサリ答えるアヤ。

「マイの場合は、呼んでもいないトラブルが、向こうからやって来るから」

 ……それはそのとおりなのである。自分たちは、まぁ曹伯祐の監督があったからとはいえ、自らベトナムへ行って、わざわざジャングルに入ったのだ。

 対してマイは、日常生活を送っていただけなのに、襲撃されている。

「レイは自衛能力が高い。アインもね。ジョンも戦闘系術師じゃないけれど、危険の察知と回避能力は高い……けどマイは、自衛能力は壊滅的だわ、回路は激レアだわで、狙われる要素てんこ盛りなのよね」

 指折り数えて言われれば、古参弟子三人はぐうの音も出ない。

 激レアといえばエリカ様もであるが、戦闘能力は最強クラスである。

「しかもねぇ……西周だけだと思っていたのに、夏と殷まであったんだもの……」

 しみじみと呟かれた言葉に、もしや、とレイが顔を上げた。

「あの、これは私の推測なんですが……」

「なぁに?」

「ひょっとしてアヤ先生、『血統呪術回路』の判定はできない……ん、ですか?」

 今まで、自分たちにできることなら、当然この師匠にもできるに違いない、と思い込んでいたので、疑問を抱いたことすらなかったのだが。

 そういえば、それなら何故、わざわざ「エリカ」を呼んだのだろうか。

 単純に襲撃者を撃退するだけなら、この『未知の魔女』の配置は、はっきりいって戦力的に過剰である。水鉄砲に対して、機銃掃射をお返しするぐらいに過剰だ。

 レイには、呼ぶのが「エリカ・ワイズマン」でなければならなかった理由、が、実はあったのではないか……と思えてきた。

 案の定、アヤ先生は頷いた。

「私には『鑑定』がないからね。しかも、回路がほぼ新規のせいで、自分の感覚との共通点を探知する、という方法も、ろくに使えない……『水晶の魔女』一門で、私に最も近しい『鑑定』ができる存在は、エリカ姉さんだから……それでお願いしたの」

 いっそ刺客がかわいそうになってくる。引いた札がよもやのジョーカー。

「『鑑定』って、案外とできる人が少ないからね……私以外の有名人だったら、曹文宣か」

 そいつはラスボスですよ、とアインが顔を引きつらせた。

「ま、とにかく、こうなったら、マイはあなたにお願いするわね」

 異論は許さない、という妻の全身からにじみ出る圧力。リョウに残されたのは、ハイ、と承諾する道だけである。

「しっかし……よくもまぁ、中華の一級情報を集めたモンだ」

 遠い目をしながら、もにゃもにゃと瞼を動かし始めた「姫巫女」を見る。あるいは、邪馬台国の卑弥呼の「神懸かり」とは、殷王朝の祭祀絡みだったのか。

「うー……?」

 しぱしぱと、マイ、ついでモモが目を瞬かせた。

「はい、ついでだから、目覚ましに新しい紅茶淹れてきて」

「夫遣いの荒い妻だな君は!」

 文句を言いながらも、リョウはティーセットを回収していく。

 部屋を出ていく背中を見送りながら、きまり悪そうに、モモが尋ねた。

「あー……寝てましたか?」

「いえ、ちょっと意識吹っ飛んでただけ。問題ないわ」

 アヤの答えを、そうですか、と受け入れる二人。普通に考えれば問題のありそうな内容だが、スルーする程度にはこっちの世界に染まっている。

 魔法とか魔術とかは、新米が行使したら、意識が吹っ飛ぶものなのである。二人の認識では。

「さて、と……エリカ姉さんの『鑑定』の結果、全員の詳しい適性呪術の系統が判明したわ」

 師匠のその言葉に、ゴクリ、と固唾を呑む新参弟子トリオ。

「まずアキ」

 真っ先に名を呼ばれ、はい! と返事をする。

「指導補佐はシンジョンチョル。第一専攻は薬草学でいってもらいます。あなたの適性は『風』で、ダジャレじゃないんだけど、人を風邪にする、黒っぽい術への適性が高い」

 エッ?! と、目を白黒させている先輩に、こちらもまた戸惑う後輩二人。そうなるよね、という顔をしているのは古参弟子三人である。

「けど、それはつまり人を病気にさせない、という適性にも通じるので……『医療の魔女』に師事しているジョンのサポートを受けて、『薬草魔女クロイターヘクセ』を目指しましょう」

「はい!」

 まぁここまでは通常だった。

 もちろん、マイとモモは、自分の能力に悲鳴を上げた。


「何もできてないうちから、ハードルばっかり上がってる!」

「落ち着いてマイちゃん! 私のハードルもびっくりするほど上がったから!」



 ……少なくとも今日のところは、この「魔法塾」は平和である。






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