呪術実践講座と「魔法」のリスク
ただの『人』を『神』にも等しい存在に認識させる力。
それが、マイが可能性を秘める、初期西周王朝の血統呪術「徳治」の本質。
「あなたの名字にも、そういう意味が含まれるのよ」
アヤ先生は「上代」「カミシロ」と板書し、そしてその隣に「神代」と付け加えた。
「『神に代わる』ってね」
レイ先輩が、ああ、と納得したように頷いた。
「殷周革命の真髄、ですか……」
神と人を繋ぐ存在、でしかなかった王が、天の代理人、にまで格上げされた革命。
王の行動そのものを、天意の代行と見なさせるようになった、革命。
「そうよ。その一点の認識をいじるだけでも、血統呪術の発現難易度が下がる」
「……発現したくない」
マイが正直な感想を漏らす。己の行動のいちいちが、全て、神の代理人の行動、と見なされるようになるのだ。要らないという思いも理解できる。
マイには、そういう風に認識されたい願望というものはない。
「嫌がっている限り、おそらくは大丈夫でしょうよ」
エリカ様がそんなことを言う。血統呪術に関しては、おそらく、ここに集っている全ての魔女を束にしても敵わないレベルの大魔女のオコトバだ。有り難く拝聴する。
「全力で嫌がり続けようと思います」
マイの断言に、しかし、師匠のアヤ先生が釘を差す。
「でも経路は把握しておきなさい。緊急に必要とされた時には、すぐオンにできた方が、あの時にこのチカラがあったら……って後悔をしなくて済むから」
やはり嫌そうな顔のままのマイに、心配しなくて良いから、とレイ先輩が言う。
「こういうのって、オフにしたいって思ったら、オフにもできるし!」
そう言われて、新米魔女たちは、先ほどこの先輩が発動した「威圧」が、今では全く感じ取れなくなっていることを、改めて認識する。
そうか、オフにできるのか。
オンにしたくもない能力であるけれど、入れた後でもオフにできるのなら、取り返しがつかない、というほどのことではないのかもしれない。
「リーの場合は、基本的にオフにしとかなきゃだめだしねぇ」
アイン先輩の声に、アヤ先生とエリカ様と、それからジョン先輩から、冷たい視線がぶつけられる。まぁそうだろう。先日のマイ襲撃事件の際、故意にレイ先輩の危険な血統呪術回路をこじ開けて、無理矢理発動させた下手人は、このアイン先輩である。
レイ先輩も、アイン先輩を呆れた目で見返していた。
「勝手にスイッチを入れる危険人物が、何を言うのやら」
「緊急事態ってやつで……はい、すいません」
言い訳空しく、アヤ先生とエリカ様からの目力プレッシャーに敗北する。
勝てる気がしない二人ではある。なにせ「詩歌の魔女」門下の双璧だ。
「そういえばレイ先輩の『血統呪術回路』って、張飛がどうとかこうとか聞いたような記憶があるんですけども、具体的にお尋ねしていいんですかね?」
アキが、小首を傾げつつ、先輩トリオを順番に見やる。
「危険性の高さ的に、伝えておいた方がいいんじゃないかな?」
ジョン先輩がそんなことを言う。
「じゃあバラすか……えーとね、私の元の姓が『張』なのは知っての通りだけど、この家系も拡散してるし、変なところで変なモノが混じっている、ということを、最初に伝えておくわ。同じ姓だからって、同じ能力が発現するワケじゃない。違う姓でも発現することはあるからね?」
最初から、やけに弁解調であることに、後輩トリオは首を傾げる。とりあえず、はぁ、と曖昧な返事しかできない。どういう意味だろうか。
「ただ、何の因果か、私が発現したのは両方とも『張』姓の人物が持っていた、戦闘系の能力なの。一つがご存じ三国志の『張飛』の『強化』ね。身体能力を底上げして、体力がレッドゾーンに入りかけても、まだまだ動けちゃうというシロモノ」
黒板お借りします、とひと声掛けて、レイ先輩が「強化」の字を書いた。
「まぁ、あるいは張飛じゃないかもなんだけど。いわゆる歴史上の豪傑っていう人は、この能力を持っている人の方が多いから。ただ、曹氏の『鑑定』で、私には『燕』っていう国の古い血統呪術回路の名残があったの。オッサンいわく、張飛の可能性が高いそうよ」
それほぼ内定だよね、と、アイン先輩が呟いた。
レイ先輩は、じろりと睨み返しただけである。
「んで……こっちが大問題きわまりない、スーパーめんどくさい方で……」
そう言いながら、レイ先輩は再び、黒板に文字を書いた。
狂化。
「発現元は『張献忠』……明代末期から清代初期にかけて、四川省で何百万人も殺して回ったという、伝説的大量殺人鬼」
あんまりにもあんまりな人物がでてきて、後輩トリオは文字通り固まった。
レイ先輩には予想のうちだったらしく、動じる様子はない。
「『狂化』は、理性を吹っ飛ばし、常識を粉砕して、戦闘モードに全パラメータを割り振る能力。コントロールできなくなると、戦い続けて殺し続けることに喜びを見いだしてしまう、完全な異常者になるわ。そもそも、コントロールが極めて難しい能力だけどね」
「……エリカ様が怒った理由が分かった」
モモの呟きに、うん、とマイが同調する。
「むしろ、これほどの危険なネタをうっかり解放しかねない、強引な回路こじ開けをやった人を、あの程度のお叱りで済ませているのは、優しすぎると思う……」
本当に下手をしたならば、レイ先輩は、文字通りの殺人鬼になりかねなかったわけで……そういう方法を取らざるを得ないほどの劣勢だったのかもしれないのだけれども。対策として、ジョン先輩をサポート役として用意してはいたのだけれども。むしろ、エリカ様が合流したら何とかしてくれる、とも考えていたのだろうけれども。それにしたって、だ。
「みんなー! アインのやったことの危険性、わかったー?」
幼児向け番組の歌のおねえさんよろしく、レイ先輩が明るく問いかける。
明るく言う話ではないのだろうが、空気が重いので混ぜっ返したかったのだろう。
「はーい!」
よい子の後輩トリオは、めいめい先輩のノリにつきあって、おててを上げる。
「アインはこれの常習犯なんだよー?」
「いけないと思いまーす!」
「こないだので、もう4回目なんだよー?」
「とてもよくないと思いまーす!」
「最低ですかー?」
「サイテーでーす!」
後輩トリオをガンガン煽っていくレイ先輩に、ジョン先輩が吹き出した。
「アイン、言い訳はないのか?」
「できるわけないよ……リーなら闇堕ちしないっていう信頼、の故、ではあるけど」
微妙に言い訳ともとれることを付け足すアイン先輩に、レイ先輩がツッコミを飛ばす。
「暗黒面のパワーをあなどっているぞ!」
半分ぐらいヤケになって、後輩トリオと同じテンションで返す。
「あなどってまーす!」
「あなどるなよー! 暗黒面は常に我々の堕落を狙っているのだー!」
「すみませーん!」
なんだかもう、夕方6時のテンションだ。公共放送が、よい子を育てるためにやっている番組のようなノリになっている。
ほら、本題に戻るわよ、とアヤ先生が苦笑いしつつ促した。
よい子たち(※成人済みを含む)は、素直に静まった。
「血統呪術には、無意識でも発動してしまう『本質型』と、意識したら発動できる『潜在型』があります。魚の泳ぐ能力にたとえるなら、『本質型』はマグロの泳いでいるようなモノで、発動していることが普通です。逆に『潜在型』は、ヒラメが泳ぐようなモノで、つまり『泳ぐぞ!』と思って、はじめて発揮される能力というわけ」
なるほど、つまりオンオフ可能な能力というのは、白身魚なのか。
「曹氏の『威圧』は、レイのとは違って『本質型』よ。同じ能力でも、術者によって発現レベルに差は出てくるわ。ちなみに、そんな『威圧』常時発動タイプの曹氏が、通常垂れ流している分に本気を上乗せすると、一般人どころか並み程度の術師までなら、反射的に跪きたい気分にさせる程度の威力を発揮します」
なんだか、いかにもラスボスみたいな能力である。
「僕らには効かないけどね」
けたけたとリョウ先生が笑った。リョウ先生、アヤ先生、エリカ様、と。
たしかに、まったく跪くところが想像できない三人だ。特に最後の一人。
まぁ、曹大人の能力が、この三人を跪かせるようなシロモノだったら、マイはとっくに『十七国計画』始動のイケニエにされていたことだろう。
師匠が天才で良かった、と心の底から思う後輩トリオ。
「諸葛家の回路を継承してたんでしたっけ?」
ジョン先輩の問いに、うーん、と煮え切らない答えをするリョウ先生。
「混じり合いの結果出た、偶然の再現だと思うから、『継承』って表現は妥当じゃない気がする。第一、かなり不完全なブツだ。天候干渉系能力と、精神干渉系遮断能力と……オリジナルの諸葛孔明は、おそらく他にも複数の能力を発現していたと思う」
しかし、天候には干渉したのか。
赤壁の戦いの話を思い出し、マイとモモは顔を見合わせる。あの、なかなかアテにならない世界史Aの先生が言っていた「アレ」の実態が、気になってしまうではないか。
「あのぅ、リョウ先生……天候干渉について、質問があるんですが……」
視線で押し負けたモモが、おそるおそる切り出す。
一方リョウ先生の方は、すでに予想済みだったらしい。
「赤壁の戦いの時の『東南の風』のことか?」
ズバリ、質問したい事項を言い当ててきた。新米二人は何度も頷く。
デスヨネー、と先輩トリオは笑っている。アヤは少し呆れたような顔で、エリカ様に至っては、知ったことではない、とでも言いたげな顔をしている。
「とりあえず……『魔法』と『魔術』と『呪術』の違い、復習しようか?」
ニッコリ、というリョウ先生の笑顔が、なんか恐かった。
「僕は元々は『魔術師』で、今でも『魔術』は行使できる。一方アヤは『魔法使い』だ。エリカさんは両者であると同時に、『呪術師』でもある……」
黒板の前に立ちながら、リョウ先生が講義を開始した。
「呪術の歴史は、近代魔術や近代魔法の歴史より、もちろん古い……魔術と魔法の要素が、経験則などに基づいてミックスされたシロモノで、厳密な研究が及んでいないものは、魔術要素が強かろうと、魔法要素が強かろうと、便宜上は全て『呪術』に分類されている」
ようするに、なんでもアリの「ゴミ箱分類」だ、という。
「さて……復習のハズなんだが、そもそも『魔術』は『人に作用する』ものだ」
はい、と新米たちは頷く。それは聞いた覚えがある。
「その基本を端的に形容するなら『催眠』であって、大衆を動かす能力には長けているが、自然相手に何かを起こすというのは、基本的に苦手としている」
ということは「東南の風」が吹いたとして、それは「魔術」ではなく「魔法」の分類になる……という意味だろうか?
一方、とリョウ先生は言葉を続ける。
「『魔法』は『世界と交渉する』ものであり、場合によっては『自然を動かす』ような現象も、引き起こすことができる……ただし!」
おや? と、新米たちは視線を交わし、先輩方はニヤニヤ笑った。
「そこまで研究が進展したのは、19世紀に入ってからだ」
エッ?!
「諸葛孔明が、規格外級に天才の呪術師だったとしても、狙ったタイミングで風の向きを真逆にするだなんて、大がかりな魔法を行使するのは、かなり難しい」
ちょっと待て、それならモーセはどうなんだ。
という疑問が脳内を踊りめぐったが、黙って続きを拝聴する二人。
「僕自身の感覚としては、アレは『複合呪術』だね……『状況解析』『予知』『催眠』『天候干渉』の合体技だ。前近代型の術師がよくやる、古いタイプの魔術と魔法の組み合わせだよ。基本的に、一回こっきりしか使えない、非常に燃費の悪いタイプの術だ」
燃費という語が気になるのだが、まず、とリョウ先生は説明を続けてしまう。
「自勢力のおかれた状況を細密に分析する『状況解析』……ここから、呉との同盟という選択肢を洗う……敵軍の兵站経路などから、決戦に入るタイミングを計算……この辺りから、いくらか『予知』が介入したと思う。ただ『予知』って不安定な能力でね、一度本気で使用すると、その後かなり使い勝手が悪くなるんだよね。未来を覗くっていう『ズル』に対する『ペナルティ』らしくて」
ほほう、とマイは目を瞬かせた。
己の誕生を予言した、先代『天文の魔女』の孫先生は、この予言の答えを得る対価として、自身の寿命を削ったという。
なるほど、寿命を削らないで予言の答えを得ようと思ったら、その後に重めのペナルティが来るのは、ある意味では当然のことなのかもしれない。
「この時点で、決戦のタイミングはある程度まで読めただろう、と思うよ。どちらも兵站の問題がある。前近代の戦争においては、補給は軽視されているように思われるかもしれない。だけど、人口も少なく、生産能力も低かったこの時代は、いわゆる『現地調達』の限界が、今よりずっと早かった。基本的に内政官だった孔明になら、この点は読み解けたと思う……そういう自体になる前の、北西から『追い風』が吹いているうちに、魏の攻撃が来るだろうことも」
だから、文字通り「風向きを変える」ことが必要だった、と。
「『天候干渉』は、古代以来重宝されるものだけれど、行使条件などの割り出しが難しくて、実は今でも未解明の部分が多い能力だ。しかも、迂闊に発動すると重度のペナルティが来るから、検証実験もそうそうできやしない。雨乞い一つでも、わりとヒヤヒヤものなんだよ」
なかなか恐ろしいことを、リョウ先生はさらりと言う。
「エリカさんなら、ペナルティも大幅に軽減しつつ雨を降らすこともできるだろうけど、自然の動きに干渉するのは、それだけハイリスクだってことだ。詳細な研究が進んでいない前近代に、高気圧と低気圧をスポッと入れ替えるような大規模な術が、そうそう使えたとは思わない。それに仮に使えたのだとしたら、戦い後の彼の行動を見るに、術の規模に対して秩序のペナルティが軽すぎる。だからおそらく、孔明は『天候予想』を応用して、干渉能力は最後の一押し程度で抑えただろう、と僕は考える」
首を傾げた新米弟子たちに、説明を追加する。
「つまり中長期予想を含む、天気予報だ。単純に『世界の声』に耳を澄ませて聴き取るだけの能力だから、ペナルティもない。こいつで、もっとも作戦に適した気象条件になるタイミングを計ったんだろう。で、風が強めに吹くように『干渉』すれば、低リスクで『風向きが真逆になる』っていう『奇跡』が起こせるわけだ」
1800年前の戦いについて、魔法・魔術・呪術的観点から解説。納得できた部分もあるが、よくわからない部分も多い。質問は? と問われて、ハイハイと挙手をする。
「『ペナルティ』についての解説が欲しいです」
モモの問いに、うん、とマイも頷く。アキも頷いた。
「……君らの現在の実力では、『世界の秩序』からペナルティが来るレベルの術なんて、到底行使できないと思うんだけど」
リョウ先生が歯切れ悪く返すに、何やら黙りたい事情があるらしい。が。
「知りたいです!」
モモとマイは、エサを寄越せと求めるヒナよろしく、声を揃えてねだる。
「『魔法』は、大きく二通りに分類される。つまり『自然の流れに乗っかって、うまく泳ぐ方法を読み解く』だけのものと、『自然の動きに干渉して、思い通りの事象を起こす』ものだ。前者にはペナルティはない。世界の動きに対して、受動的にしか作用していないからだ。だが『干渉』系統の術を使うと、かなりの割合でペナルティが来る」
そう言いながら、リョウ先生は器用にチョークを手の中で回した。
「……というのも、無制限に『干渉』を許せば、大自然の秩序そのものが壊されかねないからだ。たとえば、強力な術師が一人いて、寒いのが嫌いだからと冬を拒絶できてしまったら、そのたった一人の都合で、近隣の自然界の都合が全てぶち壊される……そうして気候が歪められると、世界全体での風や水のめぐりに対しても、いずれ悪影響が及ぶ……だから、特に低気圧の発生などの大きな変動を必要とする『雨乞い』なんかは、古くからある割には、ハイリスクな術に分類されるんだよ」
言われてみれば納得した。
なるほど、たしかにそんな大規模な術を、何度も何度も一人二人の都合で使われては、大自然の側もたまった話ではないだろう。
「なので、自然界の秩序を破壊できないよう、一度そういう大規模な術を行使すると、しばらくは行使に大幅な制限がかかる。予知もリスク高めの術だけど、天候干渉ほどじゃない」
ということは、孫先生がマイの誕生を予言するために寿命を削られた、ということからして、気圧の配置をいじって風の向きを真逆にする、なんてことを突如としてやったなら、寿命が削れるどころでは済まないペナルティがくる、ということだろう。
使えても、使いどころの見極めが難しい能力、ということか。
マイは、世界史的に気になったことを質問してみる。
「モーセは出エジプトで海を割ってましたけど、寿命を対価にしたんですか?」
中東系術師の血も引くエリカ様が、お答えを下さった。
「あれも基本は『天候予想』よ。インド洋上で、非常に強力なサイクロンが発生した場合、その気圧の低さと猛烈な風圧によって、海の水が大量に移動するわ。それで海面が低下した隙を狙って行動すれば、あのぐらいなら何とかなる……サイクロンそのものの発生までやったなら、残りの寿命全部を対価にしたって釣り合いが取れないから、逆にどう考えても『予想』の応用でしかないわね」
起こした出来事のインパクトの割に、実態がショボい気がする。
だが、ペナルティの大きさを考えるなら、むしろ大きな事をやっていればいるほど、リスクは下げつつ、劇的に見えるようにと、工夫を凝らした結果なのだろう、とも思う。
「ちなみに、風が弱まったら、その瞬間に、風圧で押されていた水が一気に崩れてくるから、タイミングを見計らえば、自分の合図で海が崩れたように見えるのよね」
モーセが、演出家的な意味ですごく思えてきた。
「多分、モーセは魔術師寄りの呪術師だったと思うわよ。本気で世界に干渉する系統の魔法を使っていたにしちゃ、受けているペナルティが少なすぎるから。世界からの情報を受信するアンテナも、非常に高い感度を持っていたと思うけど、それらを劇的に見せる手腕に長けていた感じね。モーセが離れると高確率で集団が堕落することからして、催眠も強かったんでしょうよ」
エリカ様は話し終えると、おかわり、とティーカップを掲げる。
「……冷めてるぞ」
「温めるわ」
なんてことないように言って、エリカ様は手を伸ばした。
「わざわざ魔法を使うのかよ……」
呆れた声で言いながら、リョウ先生はポットを渡す。
「小規模な『魔法』の行使は、ほとんどペナルティの対象外だ、っていう、いい実例になるでしょ? まぁ人命に関わる術でも、一人二人ぐらいなら制限がないってのも恐いけど」
本当に恐いことを言いながら、エリカ様は受け取ったポットを生徒たちに見せる。
「さて、紅茶が冷えていることを確認してくれる?」
手渡されたポットは、たしかに、生温いという形容よりも、まだ温度が低かった。
「ポット内の水分子に干渉して、振動数を増やす……と、エネルギー量が増大して、熱を帯びていきます。電子レンジとかIHと、まぁ基本は一緒よ」
そう言いながら、エリカ様は何度か、軽い手つきでポットを撫でた。
何か、ジワリ、と変な感覚が、肌の上を走った気がする。
「これが、世界の秩序を乱さないレベルの、小規模な『魔法』の行使……ほぼペナルティなしよ。エネルギーに関する物理法則を、ちょこっと触るので、あんまり頻繁に使うと、さすがに『秩序』からのお咎めで、コントロールができなくなったり、しばらく発動できなくなったりするけれど。まぁ、たまーにポットを少し温める程度なら、ほぼノーリスクで使えるわ」
ほら、と注がれた紅茶は、ほかほかと湯気を立てていた。
「やっぱり、再加熱は香りが飛ぶな」
エリカ様の魔法で温め直された紅茶を口に含み、リョウ先生が言う。
「実演を兼ねてもらったんだから、そのぐらいはお黙りなさい」
アヤ先生が、夫の態度に注意を飛ばす。
リョウ先生は、紅茶に並々ならぬこだわりがあるので、やっぱり気になってしまうらしい。しかし、生徒たちしてみれば、むしろ眼前でこんないかにもな「不思議!」を見せてもらえる方が、紅茶の香りが飛ぶことよりも、よほど重要であった。
「すごい……本当に温まってる……」
感嘆しきりに、生徒たちは温め直された紅茶を飲む。
「エリカ姉さんは『魔導連盟』の四大術師の一人、『水の魔女』でもあるから、水を操ることに関しては、もう追随できる存在がないぐらいの魔女よ」
アヤ先生の説明に、後輩トリオが飲みかけの紅茶を吹きかけた。
「……連盟の四大術師?」
マイとモモには意外なことに、アキも目を白黒させている。
「魔術・魔法・呪術の平和的活用を研究する、いくつもの結社の同盟が『魔導連盟』で……この中で、研究進展や権威付けのために指定される、四人の代表的な術師がいるの。魔術師になるか、魔法使いになるか、あるいは呪術師になるかは、その時々によりけり、なんだけど。たとえば今だと、『水』はエリカ姉さんで魔女、『火』は魔術師で、『土』と『風』は呪術師ね。ただ『土』の呪術師は魔術師寄りで、『風』の呪術師は魔法使い寄りだけど」
アリストテレス四元素説か、と即座に理解する程度には、コッチの世界に馴染んできた新米たちである。
「ただし、この四人の中でもエリカ姉さんはちょっと規格外で……本来この四つは『状態』のことなのよね。現代の分類だと。つまり『土』が固体、『水』は液体、『風』は気体で、『火』がプラズマ……なんだけど、エリカ姉さんに限って言えば、本当に、元素としての『水』のスペシャリストで、水分子関連なら、液体じゃなくてもある程度以上操れるという……状態変化魔法って、結構面倒くさい術なんだけど、姉さんは本気になったら、それこそ水を凍らせたり蒸発させたり、ってこともできるのよ」
やっぱりとんでもない人だったんだ、と、改めて実感する後輩トリオ。
先輩トリオは、今更という顔をしている。
「他の三人には、そこまでの操作・干渉能力はないから、これが『四大術師』の基本だと思うと、多分他の三人に泣かれると思うよ。気をつけてね」
リョウ先生が付け加える。なるほど、規格外の『未知の魔女』だ。
「ちなみに、姉さんが一つだけ持っている、アイヌ系の血統呪術回路ってのが、降雪に関する解析能力。やっぱり水系統なのよね」
「まぁ弱いものだけれどね……本職の摩霧一族には敵わないわ」
エリカ様が、珍しく負けを最初から認めたことに、後輩トリオはもちろんのこと、先輩トリオすらも目をひん剥いた。
「マキリ一族?」
「アイヌ系の伝統呪術保護集団よ」
アイン先輩の問いに、レイ先輩が答えている。
「伝統呪術集団には、私は基本、関わらないことにしてるのよ。私、これでも一応、存在しているだけで秩序を乱すレベルの特殊な存在である、っていうこと、理解してるつもりだから。アヤやリョウくんは、特別に甘えてるけどね」
自覚あったんですか、と言いたげな先輩トリオと先生夫妻に対し、少し気まずそうに視線を泳がせるエリカ様。
「ノノは例外よ。私がいなかったら『水の魔女』になってたレベルの術師だし。ヤマトの要素を混ぜない、古くからのアイヌの『まじない』に関しては、一生太刀打ちできない相手だと確信してるわ。水に作用する系統の術について、『連盟』を通じて共同研究を持ちかけられた縁で、『工芸の村』で時々一緒に論文とかまとめている、まぁ学友? みたいな存在」
規格外の魔女に、そこまで言わせる呪術師というのが気になる。
気になるが、まぁ会う機会はそうないのだろうな、と思う。
「ノノ以外の摩霧関係者とは、ろくに顔も会わせないわよ。私が介入することで、崩れるものも多いでしょうしね。同じ理由で、神子柴一族とも関わらないようにしてるわ。ヤマト神道系の伝統呪術保護集団ね」
能力が高すぎるというのも、時に不便なのだなぁ、と感じる。欲しても能力を得られない人間にとっては、妬ましいこと限りない話ではあるだろうが。
「それに、私、アイヌの回路は一タイプしかないんだけど、ヤマト系の血統呪術の要素は、確定しているだけで三つはあるみたいで。半端に要素を持っている分、混じられると困るんでしょう。神子柴が望んでいるのは、あくまでも『純粋なヤマトの伝統呪術』の保管だから」
ハイスペックであることが望まれているのなら、エリカ様を越える素材はそうそうないだろう。しかし、純粋さを追及するのなら、エリカ様ほど向いていない素材もない、ということだ。世界中の呪術師の家系を混ぜ合わせたような、特殊な血統の術師。
もう一代限りで滅んでしまう、ある意味では奇跡のような存在と、今、一緒にいるのだなぁ、と、マイとモモは、唐突に自覚した。
時の流れが積み重なったその果ての、この一瞬が、とても尊く思えた。
その心情が伝わったのか、アキや先輩トリオも、何か慈しむような目になる。
「……やけにしんみりしたわね?」
奇跡的存在は、呆れ混じりに周りを眺めて、少し困ったように小さく笑った。
「姉さんが特別な、今ここにしか存在し得ないものなんだ、って思い返しましてね」
アヤ先生の言葉に、リョウ先生以外の全員が、素直に頷く。リョウ先生は、ちょっと気恥ずかしいらしく、視線を逸らしていた。
「全員そうだと思うんだけど……って言いたいけど、まぁそういう意味じゃないんでしょうね。でも、私みたいな存在は、二度と生まれるべきじゃないと思うわよ。魔術と魔法のために、健康を損なっても人間をいじくるなんて、ない方が良いんだから」
エリカ様は静かに笑って、丸くカボッションカットに磨き上げられた、白い石を中心に飾った、銀色の装身具を取り出した。
「リョウくん、ブラックライト持ってるでしょ?」
肯定しか考えていない問いに、リョウ先生は苦い顔をした。
「……自己治癒術の実演をする気で?」
「血統のプラスとマイナスは、この子たちにこそ見せないといけないでしょう?」
ものすごく渋るリョウ先生に、いいから出しなさい、と「威圧」が放たれた。レイ先輩の「威圧」とは、まさに桁違いの迫力に、おそらくこれが曹大人とやらの発動するレベルなのだろう、と感じる。
リョウ先生は渋々と、黒いペンシル型のライトを手渡した。エリカ様はそれを受け取ると、先ほど取り出した装身具の、真ん中の白い石に、それを向けた。
青い、発光中であることを示す光が、白い石をぼんやり照らす。
「……なかなかの威力ね」
ブラックライトを消すと、真っ白だった石が、濃い紫に変色していた。
「この石は、ハックマナイト……紫外線を照射すると、白から紫に変色する性質を持っているわ。私は、体質の都合で紫外線を避けなければならないため、警戒の目安として、この石を常に持ち歩いているんだけど」
そう言って、エリカ様は袖をめくり、真っ白な腕に、青い光を照射した。
声を失ったように、生徒六人が息を詰める。
ほんの短時間のはずだったが、やけに長く感じられた。ライトが消されると、白い皮膚にはまるく、無惨な赤色のやけどができていた。
「返すわ」
ぽいと投げられたペンシルライトを、リョウ先生は大急ぎで回収する。
「先日の襲撃の時、私が太陽が落ちるまで、救出チームに参加できなかった理由よ。紫外線に暴露されると、やけどしてしまうのよ。遺伝的要因の大きな疾患、と推測されているわ。これがつらいんで、絶対子どもに継がせたくないのよね……まぁこの程度なら……」
エリカ様は水道水をガラスの器に汲んで、手のひらですくった。
そして、やけど痕を冷やすように、水をかける。
不思議な響きが、薄く開かれた唇から、こぼれ溢れるように流れてくる。
歌、というなら、そうなのだろう。
だが、響き、とよんだ方がしっくりくるような、奇妙な振動だ。
繰り返し、繰り返し、水をやけど痕にかける。やがて、手の動きが止められると、もう淡い桜色程度にしか、痕は残っていなかった。
「はい、治ったわ」
治せるからって、わざわざ実演のために自傷行為をしなくても、という思いはあるのだが、だからこそ、なんだか身にしみて有り難い。
「自己治癒加速よ。水の適性が高い術師に、得意な人間が多いわ。自分の体内の水分に働きかけて、細胞の活動に干渉する、自己催眠術の発展系の一つで、厳密には、魔術と魔法の複合呪術ね。これも血統呪術の一つ……つまり、私は血統の濃縮による損害を被っているけれど、その対策も血統呪術でできるというわけで、本当に、血筋というモノのありがたさと迷惑さとを、同時に体感しているわけ」
それで、とエリカ様は、ハックマナイトの装身具をしまいつつ、まずマイを、それからモモ、そしてアキとを順番に見やった。
「そんじゃ『鑑定』をフル活用して、あなたたちの『血統呪術』の割り出しと、暴走対策、それから必要な発現経路の掌握を、やっていきましょうか」
「お願いします」
アヤ先生が、いつになく真面目に、頭を下げる。
たしか、このメンバーでは、エリカ様にしか「鑑定」は備わっていなかった……と思い返す。なるほどこのために参加していたのか、と、後輩トリオは理解した。
「無色の水晶で、まず『透視』から開始。基礎解析はジョンがサポート」
エリカ様からの合図を受けて、アヤ先生がてきぱきと指示を飛ばす。
「はーい」
マイとモモ、そしてアキは、改めて席に座り直させられ、謎の魔法陣っぽい図が印刷された、A4のコピー用紙を渡された。さらに、シャーレにざらざらと、細かな水晶を入れられる。
「さぁ……『読』ませてもらいましょうか」