アヤ先生の血統呪術史講義
世界観解説を兼ねつつ、シリーズの内容を深めていく中編。全4話でござる。
アヤ先生の「水晶の魔女の魔法塾」が、久々に開かれた。
ただし「学会」はまだなので、正式な再開ではない。
先日、中国系の術師に、マイが襲われた事件。
それを受けて、基本知識を拡充する必要が出てきたための、臨時講座だ。
基本的に、講師は「修辞の魔女」アヤか、その夫の「錬金の魔術師」リョウがつとめるのだが、今日は臨時助言者として、規格外の天才と名高い「未知の魔女」エリカが加わっている。手伝い係に、マイとモモの先輩である、アキ。
試験を受けに来た、アヤ先生の最初期の弟子「ファーストカルテット」の三人も加わって、まぁなんだか今日の「教室」は、人口密度高めである。
アヤ先生は、臨時講座のせいか、魔女の略装だ。リョウ先生に至っては、店番の時の、ギャルソンもどきの服のままである。エリカ様はよく分からないが、ちょっと古風なワンピースドレス、に見える。このお方のことなので、普通の服ではない気がするが。
「さーて、とりあえず、正式の自己紹介をしておきましょうか」
アヤ先生がそう言うと、魔女の略装どころか、女子力全開のゆるふわ系ファッションのまま、まずレイ先輩が「ステップ」を踏んだ。
「私はレイ。『詩歌の魔女』マリの弟子の、『修辞の魔女』アヤの弟子。蜜柑水晶の『破理の魔女』……そして『玻璃の魔道士』よ」
漢字のイメージが、二人の脳裏に送られてくる。
なるほど、玻璃の魔道士、という意味だったのか。
次に、ざっくり動きやすいカジュアルな装いの、ジョン先輩が前に出る。
「僕はジョン。『詩歌の魔女』マリの弟子の、『修辞の魔女』アヤの弟子。今は『医療の魔女』アユミのもとで学ぶ、水晶の『透視の魔女』だ」
ジョン先輩は、無色透明の、俗に「番なし」と呼ばれるものが、適合水晶である。同様の適合水晶のアヤ先生も、たしか「水晶の魔女」と名乗っていた気がする。
最後に、残る一人の、アイン先輩が歩み出た。
「私はアイン。『詩歌の魔女』マリの弟子の、『修辞の魔女』アヤの弟子。紅玉髄の『防衛の魔女』」
マイとモモの二人も、それぞれ自己紹介をする。マイは幽霊水晶、モモは紅水晶が、適合水晶だ。
「……さ、全員、お座りなさい。とりあえず紅茶でも飲みましょう」
リョウ先生がいつも通りの手際の良さで、それぞれの前に紅茶を注いだティーカップを置く。多分、全員、個人用カップなんだろうな、とモモは内心で思う。
「……コーヒーみたいな、香りがする?」
すん、とにおいを嗅いで、マイが少し首を傾げる。
モモもよくよく、においを確かめる。
「ホントだ……紅茶なのに、コーヒーっぽい……」
「ダージリン・リッシーハット、セカンドフラッシュ……ですね?」
レイ先輩が、ずばり断言する。
正解、リョウ先生が頷いたので、後輩たちは内心、先輩に驚嘆した。
「僕は『追想の紅茶』と呼んでいる。砂糖を入れると、それにミルクを入れると、次々に受けるイメージが変わっていく……それを深く覗き込むのも、また『魔女の聴くチカラ』を伸ばしてくれると思う……が、今日は各参加者の好みの違いに、簡単に対応できるという理由で、これを選んでいる。気楽に飲んでくれ」
え? いいの? と思いつつ、モモは砂糖を追加してみる。
すんすん、と再びにおいを確認し、目を見開いた。
「……シナモンの香りがする」
「リッシーハット、セカンドフラッシュの、大いなる特徴だな」
ジョン先輩が、知った顔でどばどばと砂糖を追加しながら言う。
「これにミルクを投入すると、何故か、今度はキャラメルティーもどきに」
レイ先輩が、どっぱー、とミルクを投入する。誘惑に負けて、モモとマイも、砂糖追加を一口飲んだ後、ミルクを投入してみた。たしかに、砂糖を多めに入れると、キャラメルっぽい。
「焦がしたような風味が、多分カギなんでしょうねぇ」
そう言うアイン先輩は、ストレートで飲んでいた。
各自、思い思いのアレンジで飲んでいる。
なるほど、これはたしかに、好みの違う客が何人も来た時に、重宝する茶葉だなと、モモもマイも、心のメモ帳に書き付ける。リッシーハット、セカンド、と。
「それでは、お茶で一息ついたところで、この臨時講座のお題です」
アヤ先生が、カップを左手に持ったまま、右手でチョークを持って板書した。
「『血統呪術』と『血統呪術回路』について」
えへん、と軽く咳払いをする。
「まず『血統呪術』ね……これは端的にいえば、遺伝的な要素に起因する『得意な呪術』よ。親の得意分野で子どもも能力を発揮するケースは、一般の世界でもよくあるわね。スポーツ選手の子どもは、運動神経が良いケースが結構あるとか、まぁそういう感じのこと」
板書を進められ、マイとモモは、一端カップを脇に置いて、ノートを取ることに集中した。紅茶が冷めるのは少し気になるが、ノートの方が大事だ。
先輩方は、悠然とお茶を飲みながら、復習をしているらしい。
アヤ先生の講義は続く。
「魔法や呪術、あるいは一部の魔術では、遺伝的要因が大きな作用を持ちます。もちろん、親の能力を子どもが発現するケースばかりではありません。子どもの世代に移る時、生殖細胞の減数分裂によって、親の遺伝子は半分になります。残った半分に、呪術などを行使するために必要な『素質』『才能』の遺伝子が、揃って残っている保証はありません」
アヤ先生は世界史が専門であるが、どの教科もできるオールラウンダーである。まるで理科の先生のような顔で、細胞の減数分裂と、世代交代の図を描く。
「その問題への対処は、東洋世界などでは、一夫多妻制による『量の勝負』で行われました。一方、一夫一妻制が推奨された西洋世界では、婚姻相手を厳格に審査する『質の勝負』が主流となりました。東洋系呪術結社の間口が比較的広く、逆に西洋系魔術結社に秘密主義の傾向が強いのは、このような『血統呪術』への対処法の違いも、背景にあります」
カカカッ、と猛スピードで板書が進む。アヤ先生は絵も上手い。一夫多妻や一夫一妻の解説イラストも、あっという間に描き上げてしまう。写す方は大変だ。
「東洋系呪術結社は、特に中国系を中心に、男系血統を重視する傾向が強いのも特徴です。ただし、これには儒教の影響も大きく絡んでいます。Y染色体の要素が関連する血統呪術は、男系直系子孫にしか継承されません。しかし実際には、Y染色体以外の場所に関連遺伝子が配置されている……と推測されるケースの方が圧倒的に多い。そのため女系の血統で発現するものは、あちこちの系図で飛び飛びに出てきます。これらの女系術師に関しては、あまり研究が進んでいないというのが現状です」
まぁようするに、と、アヤ先生は少し遠い目をした。
「妻やら妾やらが多い上に、それを細かく記録していないこともザラなので、どの女性の系譜が影響したのかを調べるのが、一苦労どころでない、ってことですね。しかも、名のあるところに嫁いだわけでもない、独身で終わったりした女性術師になってくると、ろくに記録がないこともある」
なるほど。男性中心が故の問題点である。
他方で、と講義は続く。
「西洋系魔術結社は、所属する術師の家系同士での通婚が多いです。四代前ぐらいに遡ると、たいてい共通の人物が出てくる程度には、濃密な社会を形成しています。そのため系図は非常に調べやすい……はずなんですが、秘密主義の故に、外部の人間には触れづらい」
一長一短、というか、まぁ見事に正反対の問題である。血統呪術の遺伝子を、次代に繋げるために選んだ対処法が、まったく逆なのだから、当然であるが。
「また、比較的近い関係で婚姻を繰り返したために、遺伝子プールが濃縮され、多様性の喪失という問題を抱えてもいます。西洋系の術師に研究型が多いのは、血統呪術では差別化がはかれないほどに、個々人の基本能力の共通点が増えてしまった……という理由もあるのです」
えっ? 単に進んでいるからだと思ってた!
……と、マイとモモは顔を見合わせる。
「東洋系の術師は、幅広い血縁関係から、特に女系血統で新しい能力が発現する可能性がありますが、西洋の秘密主義結社出身の術師は、呪術行使関連の遺伝的要素が平均化されており、突然変異でもない限り、新しい系統の能力が発現する可能性は、かなり低いのです」
なので、今持っている要素の生かし方、を考えるしかなかった、と。
「西洋の呪術世界でも、遺伝的要素の平均化は、特に近代以降で問題視されています。非西洋系術師の家系との通婚を認めるケースも増えました」
はいここで、と、アヤ先生はエリカ様を示す。
「西洋呪術界では伝説的な旧家である、ワイズマン家の末裔からオハナシを」
えっ?
再び顔を見合わせる、マイとモモ。何故かアキ先輩も驚いている。
「……何? ウチの家系の話したらいいの?」
エリカ様にも、少々想定外だったらしい。ええ、とアヤ先生は頷く。
「あちこち伏せざるを得ないんだけど、そこは納得してね?」
「そりゃ勿論」
マイもモモも、アキも頷く。
さっき、西洋の術師は秘密主義傾向が強い、と教わったばかりだ。その西洋呪術界の旧家の出身だというなら、秘密の一つや二つどころか、百や二百はあるだろう。
「まず、フルネームでの名乗りが出来ない、と断っておくわね。略称で、エリカ・ワイズマン……日本では『石山恵理香』と名乗っているけど……」
なんと、この日本名の名乗りについては、「カルテット」の先輩方も初耳だったらしい。全員が、目を丸くして驚いている。
「ワイズマン家の発祥の地は、中東よ。約3000年の歴史があるわ」
ぶふぉっ、と、モモもマイも、ついでにアキも吹いた。
「これは一族としての歴史で、元祖の呪術血統については、4000年を超すわ」
もはや、吹き出す息もない。絶句、である。
実に、実にとんでもない旧家、というか、ものすごい古い一族だ。
「ワイズマンの先祖は、約2000年前に中東地域からの移動を開始……700年ほど前に、現在のドイツ地域に、直系の先祖が定住したわ。この間に、東はオリエントやアラビア系、西は北アフリカのモロッコ系に至るまで、そして北は北欧ノルマン系、南はエチオピア系と、幅広い地域の呪術血統の要素を取り込んで、西洋呪術界では最も多様で強力な家系になった」
聞くからに、とんでもない密度の呪術血統を継承していそうだ。
そりゃあ、西洋呪術界でも最強になるだろうな、という感じである。
「ワイズマン家は、けれど、この一強状態を維持するために、他の術師の家系との通婚を極力控えて、可能な限りの血族婚を繰り返したの……そのために、遺伝子プールが他の家系よりもさらに小さくなり、先天的な異常を抱える子どもの割合が増えたわ」
いかにも起きそうな問題が、予想通りに発生したようだ。
「この状況を打破するべく、150年ほど前から、他の家系との通婚を幅広く認める方針に転換……そして、均一化が進んだ西洋魔術世界に見切りをつけ、東洋呪術の家系との通婚に舵を切ったのが、私の直接の系譜よ。ドイツからイギリスに移住し、ケルト系の呪術血統を組み入れていたのだけれど、そこから香港へ飛んで、中国系の血統を入れたの……そして、私は日本の術師の血統も入っている」
エリカ様は、そういうと、おもむろに指を折り始めた。
「したがって、私に入っている呪術血統は、主なものだけでも、アラブ系、ペルシャ系、エチオピア系、ベルベル系、ドイツ系、イタリア系、ケルト系、アングロ=サクソン系、中国系、日本系……と、とても複雑。この他に、各地の少数民族の系譜も混ぜ込んでいて、日本だと、本当の本当にわずかなんだけど、アイヌが混じっているわ」
混ぜすぎというか、全部のせ、極めすぎなんじゃなかろうか。
「ぼくのかんがえたさいきょうの」にも、程がある。
マイとモモは、互いが同じ事を考えたことを、交わした視線で理解した。
「ただ……私はすでに遺伝性疾患の兆候が出てる。私の次の世代は生まれない」
うっ、と二人は目も黙らせた。
そりゃまぁ、ここまで「全部のせ」をしたら、異常も出るだろう。
「というふうに、血統呪術にこだわると、かえって問題が出てくるわけです」
アヤ先生が、キレイに全部をまとめてしまう。エリカ様は、これで終わったと見たのか、飲みかけにしていた紅茶のカップに、再び口をつけた。
板書に「血統呪術要素の過剰な重視 → 遺伝性疾患リスクの増大」が加わる。
二人はノートを再開する。紅茶の続きは諦めた。
「というわけで、ワイズマン以外の系譜は、秘密主義で追加の呪術血統が入れにくいのもあって、むしろ血統に由来する呪術よりも、理論を重視し、血統呪術の要素が多少欠けても、工夫でなんとかする『魔術』の研究に力を入れるようになりました」
あれ? ワイズマンは?
という二人の疑問に、エリカ様の声が飛ぶ。
「ちなみにワイズマン家は、その突出した能力を警戒されて、第二次世界大戦で本家は壊滅してるわ。例の『黒魔術師結社』の連中に脅威と見なされたのね。現在、東洋系のワイズマンの子孫で、魔法に関わっているのは私だけ……西洋系は、アメリカに移住した分家が残るだけで、まぁ遠からず滅びるでしょう」
そんな、もったいない……と、マイもモモも、うっかり思ったのだけれども。
しかし、エリカ様自身に、すでに遺伝性の疾患が生じ始めているわけで、この血統を無理矢理残しても、おそらく遺伝性のトラブルが頻発するだろうことは、ほぼ間違いない。そういう未来がわかるので、エリカ様は次の世代を生まないと決めているのだろう。
これは、余所者が「もったいない」とか、口を挟むべきではない。
ワイズマン家3000年の歴史は、たしかに惜しいのだけれど、積み重ねられた己が家系の歴史自身に、押しつぶされかけている、のが現状なのだ。
とんだ「歴史の重み」もあったものである。
「以上が、西洋呪術界の抱えている問題と、その歴史的背景ね」
アヤ先生が例によってきれいにまとめ、さらに話を続ける。
「ただ、西洋における術師の遺伝子の平均化は、逆に拡散を続ける東洋呪術界においては、一つのヒントになったの。つまり、どの要素が『血統呪術』の発現のために必要なのか、データが比較的揃っているのね。なお、これら『血統呪術』発現のために必要な素質が『血統呪術回路』よ」
カツカツ、と、イラストつきの板書が追加される。
「血統呪術は、かつては漢族の基本能力であった『威圧』などのシンプルなものから、ワイズマン家のような特殊な家系でしか発現しない、高度で複雑なものまで、実に多様よ。とりあえず、もっともシンプルな例としてあげた『威圧』を、発動してもらいましょうか」
レイ、と、アヤ先生は「カルテット」の一人に声を掛ける。
本名は張本麗佳……現在は日本国籍であるが、元の名前は張麗華という台湾系で、漢族の血が半分以上を占める。
「軽くやってみてちょうだい」
「はぁい」
ゆるふわな先輩の姿と「威圧」なる術は、実にミスマッチな気がする。
だが、そんな新米二人の思いは、一瞬にして覆った。
「……ッ?!」
適合水晶の蜜柑水晶を軽く握って立ち上がった瞬間、レイ先輩から、まさに「威圧」としか形容できない、重い圧迫感が放たれた。
にっこり、と柔らかに微笑む顔は、別段、こちらを威嚇する様子もない、至って普通の表情だ。それなのに、わずかな動きに対しても、構えずにはいられなくなる。
「二人とも、まだまだ、弱いわね!」
ニカッと笑って、レイ先輩は、圧迫感を消し去った。
「……今のが、漢族の『威圧』ですか」
何故かアキも驚嘆している。こちらも初体験だったらしい。
「先日マイを襲撃した術師が、元々所属していた結社の大幹部・曹文宣は、これの非常に強力な発現者よ。ただ、この能力は、近代までは漢族の大多数が、ごく自然に発現していたものなの。けれど、呪術を前近代の非科学的なものとして否定する、共産主義の過激な活動……具体的に言うと、文化大革命みたいなことね……そういった事件の重なりと、一人っ子政策による遺伝要因拡散の停止によって、今では発現者は減少の一途よ」
そこで、と先生は一度、意味ありげに言葉を句切り、マイを見た。
「曹氏が考案したのが、強制的な回路の再構成……継承されている血統呪術の『保因者』たちを、わざと極限の状況下に追い込み、『選別』する……残った術師たちの血統を組み合わせて、薄まった遺伝情報を再び濃縮する、という手段よ」
それは、と、モモとマイは顔を見合わせた。
ついさっき聞いたばかりの方法のような気がする。
「つまり血統呪術回路維持の、西洋化よ……『歴史再現計画』と表現されているけれど、その根幹は西洋式の『血統改良』なの」
やはり、引っかかる。
「質問、いいですか?」
モモは思い切って手を挙げてみた。
「どうぞ」
「その曹氏のプロジェクトの根幹が『血統改良』なら、どうして『歴史再現計画』なんて呼べるんですか?」
お、とジョン先輩が、感心したような表情になった。
やるじゃない、と言いたげに、アイン先輩がニヤリと笑った。
そしてアヤ先生は、まったくもって明後日の方向から、問いを返した。
「モモ、あなた、シフォンケーキを作ったことはある?」
「へっ?!」
あまりにも予想外で、モモは目を白黒させる。マイはぽかんと口を開けた。
ベテラン弟子で、女子力満載のレイ先輩は、そのアヤ先生の質問返しだけで、理屈を理解したらしい。小さく「なーるほど」と呟いていた。何がだ。
「いいから。作ったことある? ない? どっち?」
「な、ないです……」
なるほど、と頷いて、アヤ先生は人差し指を立てた。
「シフォンケーキの独特の触感は、水を混ぜることによって成立しているわ。卵黄を泡立て、サラダ油を混ぜて泡立て、それから、水を入れて泡立てる……最後に、泡立てた卵白ね」
いきなり料理教室になってしまった。
マイとモモは、なんだこれは? という気分だったが、レイ先輩は、まるで予想通りという顔をしているし、ジョン先輩とアイン先輩も、ここまで話されると「あー、なるほどね」という顔になっている。
近しい先輩であるアキの顔を、おそるおそる見やった二人は、わからないのが自分たちだけではないことに、ようやく安堵した。
アキは こんらん している!
「ここで、サラダ油ではなく、水を先に入れてしまうと、卵が油とは混じらなくなってしまって、完全に失敗してしまうの。必ず、サラダ油を先にしないといけない」
あ、とアキも何かに気づいたような顔になった。
「つまり、順番が大事、ってことです」
……それだけかい! と、二人は内心にツッコミを飛ばした。
だが、アヤ先生は至って真面目な顔で、解説を続ける。
「曹氏のプロジェクトが『歴史再現』と呼ばれる理由は、これと基本は一緒です。長い歴史の中で組み上げられてきた、数々の『血統呪術』……その遺伝的要因を組み直すために、かつて起きたのと同じ順番で『保因者』をぶつけていくのです」
だから『歴史再現』と形容される。
「歴史的事件を、真面目に正確になぞるのなら、積み重ねられた分と同じだけの時間が必要になります。そんなの無理ですね。だから、加速した擬似的な『再現』をやるわけです」
が……と、アヤ先生は再び、マイの方を見た。
「ここに一つ、巨大な問題点があります」
マイとモモは顔を見合わせ、アキの方を見て、それから、三人揃って首を傾げた。カルテット……というか、トリオの先輩方は、すでに分かっている顔だ。
アヤ先生の答え合わせが始まった。
「東洋系術師の要素は、一夫多妻制などを理由に、大規模に拡散しています……誰の発現したどの『血統呪術』が、どれほどの歴史的背景を持つのか……それを突き止めるのが、きわめて困難なのです」
あ、と後輩トリオは、揃って間抜けな声をもらした。
言われてみれば、確かにその通りで、中国四千年の歴史とかいうけれども、その四千年前の呪術師が、どのような『回路』に基づいて、どのような術を行使していたのかなんて、タイムマシンもないのに、分かるわけがない。
まして、西洋呪術界のように、術師の血統の系譜が、何百年にもわたって、女系に至るまで詳細に記録されているわけでもない、のである。
難題だ。大問題だ。
「なので、結構な昔から、提案されては却下されてきた計画、なんですよ」
初耳である。それを言ったら、今日の講義内容がそもそも初耳だが。
「それが、今回ついに実行に移されるようになった……理由は、大きく四つあります」
まず一つめ、と、人差し指が立てられる。
「のっぴきならない現状。つまり、急速な少子化の進行による、血統呪術回路保有者の減少。他の条件がいくら揃っていても、この危機感なしでは動きません。ある意味、最大の理由」
まぁ、ごくごく当たり前である。
二つめ、と、今度は中指が追加されて、二本指が立つ。
「科学技術の発達、および、歴史研究の進展。ピンぼけモノクロ写真から、4K高解像度精密動画になった感じね。小さな断片からでも、かつてより多くの情報が導き出せる時代になった。ディープな情報へのアクセスが、より容易になった」
納得である。
三つめは、と薬指が加わって、三本指が立てられた。
「曹文宣という、きわめて稀な能力者の存在。彼は、血統呪術の面でも非常に強力な術師ですが、その特異な能力の一つに『鑑定』があります。端的に言うと『答えに到達するスキル』で、この中ではエリカ姉さんも保有者です」
リョウ先生を除く全員の視線が、だろうな、という思いと共に、血統改良をきわめすぎて遺伝性疾患を生じている、スーパーエリート術師に向けられた。むしろエリカ様については、発現していない血統呪術を挙げた方が早いんでは、という気さえする。
「……曹氏の『鑑定』は、特に真贋判断に優れています。ウソかホントウか、それを見抜く能力です。この能力をフル活用して、研究成果を『より正確』に把握する……彼以外の誰にも『プロジェクト』が動かせなかった、最大の理由です。ちなみに『鑑定』自体は、血統由来の能力かどうかは不明。『鑑定』は『鑑定』を鑑定できないみたいでね。まぁ、目玉が目玉自身を見られない、みたいなものらしいわ」
ややこしい。頭がぐるぐるする。
まぁようするに、その『鑑定』自体の由来は不明であるが、この能力の補助によって、他の能力がどこに由来しているのかを、より正確に把握できるようになった、ということらしい。
そして、これが非常に珍しい能力であるため、その強力な発現者である曹氏がいなければ、そもそもこんな計画自体が回らなかった、ということだそうだ。
うーんうーん、と頭をフル回転させながら、マイとモモはなんとか理解した。
「最後に、四つめの理由」
アヤ先生は、指を上げていた手を下ろし、両腕を背に回すと、マイを見つめた。
「マイ……あなたの誕生よ」
だろうな、という予感は、なんとなくしていた。
先代『天文の魔女』孫先生が、その本気の『予知』で誕生を予言した、曹氏よりもさらに珍しい、古い古い血統呪術の発現者。それが、上代麻衣だ。
アヤ先生は、黒板の下の方に「漢」という字を書いた。
それから、猛スピードで、ここに至るまでの王朝や、主な勢力の興亡を、時間を遡っていくように、上へ上へと書き足していく。
最後に「西周」と書いて、黄色のチョークでぐるぐる、マル囲みする。
「今の中国……『中華人民共和国』の前、の前。中国史上最後の王朝が『清』ね。満州族を皇帝とする、多民族国家よ。でも、二十世紀まで続いた『王朝』で、二千年もの間『正統』として培われた思想があったわ。それが『儒教』……もちろん、長い年月の間に変容しているんだけれど、基礎の基礎にあるのが、『中華の支配者の理想』を、この西周とする発想」
アヤ先生は、黄色のチョークを取り上げて、板書する。
「『徳治』……徳を以て治める、王者の支配。武力に頼ることなく、その仁の性質でもって、人を、ひいては国を成立させる、きわめつけのレア能力……それが、初期西周王室の『血統呪術』よ。大陸では、北宋王朝の太祖・趙匡胤を最後に、長らく失われていたと考えられている……その最新の、発現可能性を持つ存在が、マイ……あなたなの」
改めて言われると、まったくもって、周到なドッキリに思われる。
むしろ、本当に今この瞬間にも、ドッキリ大成功のプラカードとともに、隠しカメラが登場するのではなかろうか、と思わずにはいられない。
だが、そんなマイとモモの心は置き去りにして、アヤ先生は語り続ける。
「現存が確認される、最古の中国王朝は、殷……鬼神崇拝を特徴とし、大がかりな生け贄の儀式などを行い、神を世界の中心として動く王朝よ。支配者たる王は、同時に呪術者でもあり、占いによって神と交信し、その結果に基づいて政治を実行した」
黒板に「マツリ」と、白いチョークで書き、「祭」と「政」の字を足す。
「殷の支配の特徴が『祭政一致』……日本語でも、神を相手にする『祭』と、人々を相手にする『政』とを、同じ語で発音しているわね。このことから、両者には深い関わりがあったことが、推して知れるわ」
たしかに「祭政一致」というと、祭祀と政治とが一つになった形態、のように見える。だがそもそも「マツリ」が存在して、それが時代を経て、神を相手にする「祭」と、人々を相手にする「政」と、二つに分かれたのだ。
殷は、原初の「マツリ」によって運営されていた、というわけだ。
で、とマイとモモは、話の続きを待つ。このあたりは、一応、世界史Aの授業でも聞いた。時折テキトーなことをいう担当教員であるが、大筋は同じ内容だ。
だが、アヤ先生の講義は、魔女のため、の特別なものだ。
板書に「殷周革命」の文字が追加される。
「『革命』とは『命を革める』という意味……もとは儒教の用語よ。この『命』とは、すなわち『天命』であり、人の世を治めるために、天がその代表者を選ぶこと」
うん、と二人は、世界史の授業でもとったノートだが、再びメモする。
「儒教思想においては、これは家系に下るもので、その家系が断絶したり、あるいはその家に、天の代理者として人々を統治するのに相応しい者がいなくなったりすれば、次の家系があらたに天から『命』を受ける……と考えられた。これが『易姓革命』思想。『易姓』とは『姓を易える』ことで、まぁ日本式に言うと、名字が変わること。日本の皇室には姓がないけれど、中国の歴代王朝には、基本的に名字がある。家系を表す継承される名前、がね。それが交代する、ということね。つまり、天に任命された代理者が替わる、ということ」
うん、これもまた聞いた話だ。まぁ念のためにメモは取る。
「ここで注意しないといけないのが、殷と周の根本的な違いよ」
マイとモモ、二人ともが、一瞬、メモをする手を止めて反応した。
根本的な違い、などという形容は、世界史Aの授業では聞かなかった。
「殷では、王は祭祀を兼ね、ことある毎に占いでもって、神の意を確認する作業が必要だった……最強の呪術師であることが、統治者の資格だったの。けれども周では、王はすでに『人の世を統治する天の代理者』であって、しかも当然のように世襲になっている」
あっ、と二人は声を上げかけた。
「もちろん、周でも占いは行われているけれど、殷ほど頻繁じゃない。神の御機嫌を取るために、大規模な生け贄の儀式を、何度もやったりもしない……そんなことをいちいちしなくても、王はすでに支配者として、天から認められている。それが周の、文字通りの『革命性』なの」
おおお、と、モモは内心に驚嘆した。
「これは『人による統治』が、より進展した状況……ととらえることもできるわ。神の支配する時代から、人の支配する時代へ……いえ、人の姿をとる『天』の代理者による支配の時代へ、変わった」
素直に感動したモモだが、隣の友人が顔を引きつらせていることに気づいた。
「マイ?」
「……すっごくイヤな予感がするんだけど」
「え?」
周王朝の能力を先祖返り的に保有している、と言われた友人は、悪い予感に「当たってくれるな」と言い聞かせるような顔で、アヤ先生を見つめた。
アヤ先生は、素知らぬ顔で、講義の続きを述べる。
「では……そんな劇的な『支配者の変容』は、何故受け入れられたのか?」
アッ、とマイが顔をしかめた。モモはまだ分からない。
「昭和天皇の人間宣言ほどでないにしても、支配者の位置づけの変化というものは、被支配者にとっては、かなり大きなものよ。まして殷と周では、周の方が王の『自己裁量権』が大幅に増大している……いちいち占いをしなくても、王自身の考えであろうとも、それは天意の代行である、と見なされる。どうして、人間の行動が、ごくごく自然に『天意の代行である』と受け入れられたんだと思う?」
モモはまだ、答えは分からない。
分からないのだが、何やら確かに、良からぬ予感がする。
「……それがつまり『徳治』の本質なんですね」
血統呪術回路を保有するマイが、苦々しい顔で言った。ええ、と先生は頷く。
「『徳治』の本質は『圧倒』……有無を言わせない、存在そのものでの説得能力よ。反対意見すらしぼませる『穏やかな威圧』。これにより、ただの『人』でしかなかった『王』を、『人を越えた存在』『天意の代行者』にまで、ごく自然に変革させた……つまり『徳治』とは」
ただの『人』を『神』にも等しい存在に認識させる力。