No11 暗雲と守護獣
メリル工場第25層、非常時用螺旋階段
メイル工場を突き抜け空にまで噴出した青い炎は、工場を脱出しようとしていたツバト達にも当然その煽りを受ける。
青い熱風である。
ダムが崩壊し膨大な水が竜のごとく暴れるように、高密度の熱を持った風はツバト達を容易く吹き飛ばした。熱風は際限なくメリル工場に流れ、機器という機器を炙り溶かした。
後に残ったのは焼け縮れた機器の残骸だった。
◇ ◇ ◇ ◇
メリル工場上空
青い炎の柱が途切れたはるか上空、巨大な黒い塊が浮かんでいた。浮雲のように風に流される塊は、少しづつメリル工場から離れていく。
「あぁ、うまいこといったもんだなァ」
黒い塊から一人の男が立ち上がった。体に火傷がある男は億劫そうにしながら頭を掻く。ズボンの裾からは黒い靄のようなものが流れて、黒い塊を同化している。
いや、違う。黒い靄が球体状の塊となり、空を浮かんでいるのだ。
『やる前から結果は分かっていたことだ』
火傷の負った男の右腕に巻き付いていた白い蛇は、男の肩まで首を上げ口を開く。
『私には鑑定の魔法がある。全てを知り予知できる私にとって、この結末も既知していたことだ。失敗はない』
「だったら、もうちっとどうにかできなかったですかね。ほら、俺の腕が使いもんにならなくなっちまってるんすよ」
火傷の負った男の両腕には青白い何本かの亀裂が入っていた。二の腕まで届いた亀裂からは白い煙が漏れている。その損傷は彼が戦闘不能であることが一目で分かる。
『必要過程だ。むしろ死ななかったことに貴様は歓喜するべきだ』
「まあ、あの冒険者の軍勢すっからね。俺以外の奴らはどうなったことやら」
男が思い出すのは冒険者達だった。特に水色の長い髪をした女は強かった。名前は忘れたが。
白い蛇は余裕を感じさせる口調で話す。
『安心しろ。今回の報酬で貴様の腕も全快する。支障どころか以前より強い力が手に入る』
「マジっすか。あざーす」
言葉の割には気持ちが込められていない返事をする。
『当初の予定通りウジリの町で合流する。チャオもそこで拾うことにする』
「了解っす」
黒い塊は一人と一匹を乗せて漂うように移動する。
その塊の隙間から見えるのは、透き通るような、それでいて怪しい魅惑を秘めた紫色だった。
一つの事件を背にして、暗雲が流れていく。
◇ ◇ ◇ ◇
メリル工場?層 ????
「いたた……」
右腕に赤いバンダナを巻き付けた黒髪の少年、ツバトは瓦礫の中から這い出る。彼の後ろには女性研究者と翡翠の少女がいた。多少の傷や熱で焼かれたところもあるが、どうやら大きな怪我もなく、全員無事なようだ。
青い火柱から生じる熱風は焼殺させるのに十二分の力があった。その風圧だけでも重症を負わさられる。
だが、幸い彼らは火傷を負うことも重症を負うことも無かった。なざならツバトに背負われた名も知れぬ翡翠の少女が無意識にも風の結界を張っていたからである。球体状の風の結界はツバト達を飲み込み、熱風の熱を遮断するが、踏みとどまるまではできず吹き飛ばされた。
「大丈夫ですか……」
ツバトは女性研究者に訊いたのだが、返事はない。彼女の肩を揺らしてもピクリとも反応をしない。ツバトは慌てて彼女の脈を計る。呼吸はしている、どうやら気絶しているだけのようだ。
風の結界は球体状だったため彼ら三人を散開させることはなかったが、女性研究者はなんらかの衝撃で気絶してしまったようだ。恐らく結界が壁などにぶつかったときだろう。
「ふう……」
安堵の余り口から声が漏れる。ツバトの気が緩み、その場で尻餅をする。無限にも思える霊体鬼、翡翠の少女との殺し合いという命を懸けるやり取りをしていたのだ。まだ学生であるツバトには荷が重い。
ツバトは様変わりしたメリル工場を仰ぎ見ながら、独白する。
それは急死に一生を得た人間らしい言葉だった。
「生きてた~」
「甘いですね」
機械的に冷め切った声に、ツバトは跳ね起きた。顔の動揺は隠せず、背中の冷や汗は隠せない。
ツバトは声の元である彼女を見る。
「そう、チョコレートにホイップをかけたように甘いですね。大事なことなので二回言いました」
翡翠の少女は目を開き、口を開いていた。
「あなたが思っているよりも現状は悪いです最悪と言って良いでしょう。今の熱風で工場のほとんどの危機が破壊され、機能しません。
脱出するためには自分の足で歩かなけばならないですが、今歩けるのは私たち二人です。どちらか一人が気絶している彼女を運ばなければならない以上、その分歩くスピードと体力が削られます。
そうでなくても、いつこの工場が崩れるか分からないのです」
ツバトは翡翠の少女の言う最悪な状況に、どう対処すればいいのかを考えながら口を開く。
「崩れるって……。ここは山の中にあるんですよ。どうやって崩れるっていうんですか!」
「無知とは罪とはよく言ったものですね」
翡翠の少女はツバトを残念そうに見る。ツバトは狼狽えながら「なんだよ」と言う。彼には何かしら残念な目で見られる理由に思い当たるものがあるらしいが、翡翠の少女は、一切無視して話し続ける。
「このメリル工場は建築の際、ある動力源を元に造られました。だからこそ、何重層という重みに関係なくバランスを保てるのです。いくら山の中にあるといってもここまで層を造れば山自体の重みで潰れています。
工場に張り巡らされた供給管が修復されていない以上、動力源は機能していない、もしくは破壊されたと考えていいでしょう」
翡翠の少女が見るところにツバトは目を向ける。そこには焼け千切れたコードがあった。
「でも、修復って人の手でやるもんじゃ――
「魔法修復ですよ。いちいち言わせないでください」
翡翠の少女はきつく鋭くした目でツバトに言う。ツバトは「すみません」と頭を下げる。殺されそうになった相手に謝るとはおかしな話なのだが、ツバトはそのことに気にしないようだった。
……あるいは翡翠の少女に怯えてのことかもしれないが。
「どうでもいいですから、早く彼女を担いでください!!」
翡翠の少女は頭を下げるツバトに一喝する。ツバトは知らないが普段冷静な翡翠の少女が声を荒げることなど滅多にない。
謝られた翡翠の少女だったが、彼女にとってそんなことはどうでも良い。それよりも如何に早く工場脱出するか思考する彼女にとって、このやり取りでさえ不毛である。
目の前の少年との戦闘の末、命を落としたのであれば名誉だ。だが、こんな倒壊に巻き込まれた挙句死んだのであれば、名誉どころではない。ただ、惨めな死である。
だからこそ、彼女は助かりたかった。何より助けられた命をこんな形で終わらせることに納得いかなかった。
ぜひ、有効に使わせて貰おうと彼女は思っている。
「はい、今担ぎます!」
ツバトは女性研究者を担ぎ、走る翡翠の少女の跡を追う。
道は焼かれ溶かされているが、それでも走らなければならない。
「助かりますかね」
「知らないですよ、そんなこと」
いいから走れ、と翡翠ン少女は言外にツバトに言う。ツバトは「はい」と返事をして口を閉ざす。
いくつかの階段、分かれ道があったものの、翡翠の少女は道を知っているのか迷いなく先導する。
◇ ◇ ◇ ◇
どのぐらい走ったのだろう、さっき見たところでは『13』という数字が書かれていた。地表まで残り半分といったろころか。
私は風の力を持っている、そのため風の動きには敏感に感じる。それこそ、どこに何があるのか、出口はどこなのか、どの戦闘タイプの人間が何人いるのかまで風を通して把握できる。
「頑張ってください、あと半分です」
「はい!」
力強く黒髪の少年は返事する。名前は知らないがガッツのある少年だと、翡翠の少女は考えていた。
自分を倒したのがこんな少年だとは今でも思わない。しかし、あのときの目には”本物”を感じた。
強く、折れない目だと翡翠の少女は思った。
……後、いつ白衣を着た女性は起きるのかと思った。涎まで垂らして良い御身分なことだ。
羨ましい、自分も背おらせて欲しい、走りたくない。
……そもそも、どうして私がこんな目にならなくてはならないのだろうか。工場の動力源である水晶が破壊されたからだろうか。だったらマントルの下にある溶岩からエネルギーを回せばいいはずだが、まさかその機械まで壊れたというのだろか。
欲張るからだ、溶岩のエネルギーで満足していれば良かったものを。
走りながら毒づく翡翠の少女だったが、突然翡翠の少女はツバトの襟と掴み、後ろに跳んだ。
「おあっ!」
黒髪の少年は声を上げるが、翡翠の少女はお構いなしに身を構える。
何か言おうとしたツバトも、翡翠の少女の臨戦態勢を見て理解する。彼は半壊した防具を捨てて上着を脱ぎ、それで白衣の研究者と自分の体が離れないように結びつけ、得物を逆手に構える。
……急に服を脱ぎだして露出狂かと思ったのは内心に留めておこう。
翡翠の少女は後ろで構える黒髪の少年に目で信号を送る。メッセージは伝わったようで、少年も小さくも力強く頷く。
二人の前には熱で燃えた炎の壁がある。翡翠の少女の力を使えば、炎の壁を突破するのも容易いのだが、問題なのは壁の先にある”何か”である。
一人の冒険者と襲撃者は炎の先に注意を向ける。
紫電を散らせながら現れたのは、鉄の魔獣だった。
「……獰猛猿」
翡翠の少女が漏らした言葉は、ドルイドの森に伝わる守護獣の名だった。




