とある少年少女たちの悲劇
これはよくある話だ。
よくある、くだらない、最低の話だ。
私は、精一杯作った笑顔で、眼前の二人を祝福した。
泣きそうになるのを、必死でこらえる私を前に、二人は幸せそうに見つめ合い、笑いあった。
仲睦まじく、誰にも入ることのできない濃厚な空間が形成されていた。
私はその空気に当てられて、喉につっかえるものを感じた。
甘ったるくて、苦くて、涙の味がした。
私は、さっさとその場を離れるために、二人に偽りの言葉を贈った。
「お幸せに、姉さん・・・・・・・・・・・・・雄一」
急いで去っていった私は、二人が声をかけてくれることを期待していたのかもしれない。
ちらりと肩越しに見た二人は、私のことなどお構いなしに、濃厚なキスを交わしていた。
私は平静を保ち、二人の前から去って、泣いた。
私の慟哭は誰に聞かれるわけでもなく、この空に消えていく。
流れる涙は、妙に熱かった。焼けてしまいそうであった。
十六年。二人と一緒に歩いてきた道のりを思い出す。
何時だって三人一緒だった。なのに、どうして私だけが一人でここにいるのだろうか?
どうして、姉が選ばれたのだろうか?
私は、公園の池の水面に自分の顔を映した。
そこに映る顔は、姉と同じ顔であった。
僅かに違うとしたら、姉とは違い、釣り目がちで髪がロングではなく、ショートだ、と言うことくらいだろう。
私は、双子の姉と雄一への、抑えきれない感情に泣いた。
二年後。
私は東京のとある私立大学に通っていた。
実家から離れて、一人で上京したい、と思い始めたのは、思えばあの出来事があってからだろう。
それまで私の居場所であったはずの場所に、私の居場所はなかった。
姉さんと雄一がそう言う関係になってから、私の居場所は消えてしまった。
姉さんは、幸せそうにのろけ話をしていた。それは雄一も一緒であった。
そんな話を聞かされる苦痛。私が二人に抱く思い。それを、二人は知る由もない。
姉は外見は私と大差ないが、その性格と雰囲気から危なっかしい、男の庇護欲を掻き立てる、といった感じの女性であった。
まるでこの世界には悪意なんてないとでも思っているような、夢見がちな少女。
きっと、彼女は何時までもおとぎ話に生きるお姫様。そんな風に私は思っていた。
そんな姉の純白さを、時に羨ましく、疎ましくも感じた。
どちらかと言うと、腕白小僧、と言った私はいつも泥まみれで男子に交じって遊んでいたから、女子らしい姉とよく比べられた。
両親は、姉ばかりをかまっていて、私にはあまり気を払わなかった、気がする。
姉の我儘もいつだって彼らは叶えていた。対照的に私は何時だって姉のおさがりか、あまりもの。
でも、それに不満はなかった。
花のように笑う姉は、私を愛してくれていたから。
双子である私たちは、常にわかりあえているのだと、私は信じてやまなかった。
言葉を交わさなくても、分かり合えるなんて、夢みたいなことを。
野田雄一は、私たちの幼なじみである。
生まれた時から一緒であった、と言っても過言ではない。近所で親同士も仲が良く、いつも彼と私たちは過ごしていた。
私と彼は姉を守る騎士であった。お姫様である姉を守るナイト。そんな立ち位置に私は甘んじていた。
自分の分身である姉。彼女の笑顔が絶対であった幼少期の私は疑問なんて抱かなかった。
小学校に上がっても、私たちの関係性はそう大きくは変わらなかった。
思春期だから、というふうに彼が私たちを意識することもその逆もなかった。
私は依然、男子に交じって遊んでいた。恋愛だとか、異性への意識なんてなかった。
そんなもの関係なしに、私は三人でいられる時間を大切にしていた。
掛け替えのない、絶対的な居場所。永遠に変わることのない友情。
それを信じていた。
彼への思いが変わってきた、と私が自覚したのは、中学一年のときであった。
肉体の成長はとうに来ていたが、心は追いついていなかった。
ある日突然、私は雄一への想いを自覚することとなった。
その出来事を、もう思い出すことはできないけれど、私はその想いを彼に告げることはしなかった。
なぜなら、この心地いい空間を壊したくなかったから。
少し、ハンサムになった彼。私とは違い、清楚でおとなしそうな姉。そして私。
三人の関係を変えること、それはこの居場所を壊してしまいかねない。
だからこそ、私は想いを封印した。
私にはほかにも多くの友人もいるが、姉にとっての本当の友人は私と彼だけ。
大人しく、またぶりっ子と認識される姉には、なかなか同性の友人はできなかった。
私の協力もあって、話す相手はいるものの、知人という枠から抜け出せていないようだった。
姉の場所を守る、それが私の一番であった。
常に姉を優先してきた。
そのために、両親からの愛も、友人関係も、時間も、何もかもを彼女のために諦めた。
私は彼女の半身であり、理解者である。だから、私が守らなくちゃ。
なんて、私は思っていた。
なんて愚かなのだろうか。
三人の関係がぎくしゃくし始めたのは、高校に上がってすぐであった。
初めて私は姉とクラスが離れてしまった。
そして、そこで女子間のトラブルがあったらしい。
それで姉はいじめを受けてしまった、ということだった。
守るべき私がいない中、いじめを止めたのは、雄一だったらしい。
同じクラスであった雄一は姉の異変に気づき、いじめを発見したらしい。
私はそのことを聞き、自身を恥じた。そして、姉の様子に気づけなかった私は姉へ頭を下げた。
でも、姉はそんな私の謝罪に目もくれずに、妙に熱っぽい目で外を見ていた。
「雄一君、かっこよかったな」
熱い視線の方向は、雄一の家の方向だった。
私は、姉の中にある感情が何かを悟った。
恋情だ。
それは、なにより私が理解していたもので、姉のために封印してきたもの。
私は、このころには感じていたのかもしれない。
楽園の崩壊を。
冬。
初雪が降った日。
私は姉の相談を受けた。
「雄一君に、告白しようと思う」
耳を疑った。
「ねえ、マユ。雄一君、聞いてくれるかなあ?」
のんきな顔で、頬を染めて首をかしげる姉。
幼さを感じるしぐさ。
めまいを感じながらも、私は何か言おうとして言葉に窮する。
(姉さん、どうしてあなたは)
私の口は動く。心の中の声とは裏腹に、私は姉への励ましのエールを送っていた。
「大丈夫だよ、姉さんはかわいいから」
(いつだって、私と同じものを好きになって)
辛い胸の痛みを、抑え込んだ。
(いつだって、必ず手に入れるんだろう)
いつだって、先に好きになるのは私で、後から手に入れようとするのは姉で。
でも、最終的に何もかもを得たのは姉で。
だけど、それを自分の幸せと感じて我慢して。
いつだって諦めた。
本当にほしいものは、いつだって姉が手に入れるのだ。
クリスマスの夜。
いつもは三人で祝っていたクリスマスを、私は独り、寂しく外で過ごしていた。
家では二人が仲睦まじく祝っていることだろう。
本当は私も誘われたけれど、ふたりの言葉は飽くまで形だけであったのは見え見えであった。
邪魔者の私は外に出た。
友達の集まりとかないわけではないけれど、いつも参加しない私が急に参加することができるわけがなかった。
マフラーも手袋もコートも、私の寒さを和らげてはくれなかった。
私は楽園を失った。ずっと、ずっと、いたかった、楽園を。
三人でいたあの幼き日々。あの頃に戻りたかった。
恋情も、何も知らずに、無邪気に笑えたあの日を。
それから私は二人と距離を取った。
そして、ひたすら勉強に打ち込んだ。
失恋と、姉の裏切り。それから逃れるために、私は勉強をした。
そして、早くこの場所からいなくなりたい、と切に願っていた。
そんなこんなで、東京の有名私立に入った私は、それなりの友人関係に大学生ライフを堪能していた。
実家には帰ってはいない。バイトやこっちの友達との時間。それを理由に、私は逃げた。
きっと、帰れば後悔するから。
二人の幸せな姿を見て、きっと私は醜く嫉妬する。
姉への言えなかった想いや、彼への想い。それが吹きこぼれそうで。
きっと、姉も雄一も知るまい。
私の想いを。
大学四年間を無事終え、就職も問題なく終えた私は、年頃の女子としては少々枯れていた。
恋人を作りたいとも思わず、男女の関係になったこともいまだなかった。
きっと、この先も自分は独身なのではないか、とさえ感じていた。
それでも別によかった。
私は恐れているのだ。
友情も、絆も壊してしまう「愛」を。
父が死んだ、という知らせを受け、仕方なく私は数年ぶりの実家への帰省をした。
父が死んだ、と聞いても、ふうんと思っただけであった。
私の中での父は、いつも姉に笑いかけていて、私を見ていてはくれなかった。
だから、私にとっての父親とは、それ以上でもそれ以下の存在でもないのだ。
それは母も同様だ。
久々帰った私にぐちぐち文句を言う母を受け流し、私は実家の玄関で靴を脱ぐ。
ふと見ると、男物の靴と女物の靴があり、その間に小さな子供靴があった。
風の噂で二人が結婚し、子どもも生まれているのは、私も聞き知っていた。
久々にあった二人。どちらも大学在学中に結婚したらしい。いわゆるデキ婚だ。
三歳になる娘マナカはかわいらしく私を見つめる。私は静かに微笑んだ。わずかに怖がったかのように母親の陰に隠れるマナカ。まるで、小さいころの姉を見ているようだった。
「久しぶり、マホ姉さん、雄一」
「マナ」
姉が何か言おうとして、止めるが意を決して口を開く。
「どうして今まで帰ってこなかったの?」
泣きそうな姉の顔。それを見て、私は笑う。
ああ、この人は。
「いろいろと忙しいのよ、私も」
(あなたのせいだよ、姉さん)
何時まで経っても、母親になっても夢見がちな少女に見える姉。
同じ双子とは信じたくはなかった。
「マホがどれだけお前と会いたがってたか、わからないだろ?」
雄一が少し怒ったように言う。
(あなたこそ、どれだけ私があなたたちに会いたくなかったか、わからないでしょう?)
そう言おうとして、ぐっと飲み込む。
私は大人の対応をしようと思い、静かに笑う。
「許してよ。別に、嫌いで会わなかったわけじゃないんだからさ」
本心を隠して私は言った。
父の葬儀で、誰もが泣く中、私だけが、冷えた目で父の入った棺を見ていた。
ああ、くだらない。
マナカが電話をしてきた。
小学校六年になった我が姪は、泣いていた。
曰く、母親と父親がマナカを放って夜中出かけているらしい。
最近、仕事を辞めた雄一と、専業主婦の姉がけんかをしたらしい。
母が他界し、あの家には姉夫婦が住んでいるのだが、まさかそんな事態になっているとは。
思えば、その兆候はあったかもしれない。
最近多くなったマナカのメールと電話。
最初は母親や友達に話せないこともあるだろう、と思っていたが、そうではないと最近確信していた。
これは助けを求めているのだ、と。
私はすぐさま、実家に帰った。
「マナカ」
私はチャイムを鳴らして彼女の名を呼ぶと、マナカが鍵を開けて現れる。
「おばさん」
「大丈夫か?」
「・・・・・・・・・・うん」
そう言って、私の脚に抱きつき、泣きじゃくるマナカを、私は抱きしめる。
泣き疲れたマナカをベッドに寝かせると、私は電気のついてない居間のソファに座る。
そして、右手にビールの缶を持ち、飲む。
ゴクリ、と音が響いた。
「馬鹿野郎」
姉と雄一に向かって、私は言う。いずれも今ここにはいない。
どうやら、これまでも何度もこういったことはあったらしい。
育児放棄、と言ってもいい状態には二年前、母の死後かららしい。
どうやら、二人の愛、夫婦関係はその前後から破たんを見せていたようだ。
わからないわけではない。
姉は夢見がちで、雄一もどこか子供っぽいところのあるやつで、そんな二人がうまくいく、なんて考えられなかった。
大人である、と言う自覚すら疑わしい二人に、よくここまでマナカを育てられたな、と思う。
そんな風に考えていると、玄関の開く音がした。
のっそりと歩き、寝室に向かう影に、私は言った。
「おい、いい身分だな、雄一」
「・・・・・・・・・・・・・マユ、か」
暗闇の中の私を見て、雄一は呟く。
「お前どうしてここに?」
「マナカが呼んだんだよ」
「マナカが?・・・・・・・・・・・・・あいつ」
雄一はギリ、と歯ぎしりをする。
「マホ姉さんはどこだ?」
「知るかよ、若い男のところじゃねえのか?」
酔いが回っているのか、闇の中でもふらふらな雄一。
そんな姿に、私は怒りがこみ上げる。
私が好きだった雄一は、こんな男ではなかった。
「なあ、どうしたんだよ、雄一。お前はそんな奴じゃなかっただろう?」
私は、昔を思い出していった。
子どもっぽい、けれど、いじめや不正を許さないヒーロー。それが雄一だった。
お姫様を守る騎士、だった。
「なぁ、どうしてだ?」
「お前が言うのかよ?マユ」
「なに?」
「俺たちを置いて言ったお前が、俺たちを責めるのかよぉ!」
怒ったように声を荒げる雄一。
「・・・・・・・・・・・・・」
私は沈黙を返す。
雄一は答えない私に代わって言葉を紡ぐ。
「お前がいなくなって、最初は別に問題なかった。だけどなあ、俺たちにはお前が必要だったんだ。親父さんもお袋さんも死んじまってなあ、俺だって、俺だって・・・・・・・・・・・・・・!!」
「・・・・・・・・・・・・・」
「だいたい、俺は、別にマホのことなんて、好きじゃなかったんだ」
その言葉に、私は凍りつく。
「・・・・・・・・・・・・え?」
信じられない、と言う顔を私はしていただろう。
「俺はなあ、マユ。お前が好きだった」
「・・・・・・・・・・・嘘、だろ?」
思いがけず、私は言った。
「やっぱり、そうだったんだね」
そこに、私でも雄一でもない声が聞こえる。
いつの間にか、雄一の後ろには姉が立っていた。
「マホ・・・・・・・・・・!!」
「ねえ、さん・・・・・・・・・・・」
「知っていたよ、雄一君がマユが好きだって」
でもね、とマホ姉さんは笑った。酷く者哀しげで、不気味に。
「でもね、どうしても雄一君がほしかった。隣にいれば、きっと、雄一君も好きになってくれる。マユなんかみないで、ずっと私だけを見てくれるって」
だって、とマホ姉さんは嗤う。
「私はお姫様なんだもん」
ぞ、と寒気がした。
これは誰だ?
こんなの、私の知っている姉ではない。
・・・・・・・・・・・いや、違う。
私が知らなかっただけなのだ。
いつも見ていた、弱弱しくて、守るべき姉。それは、ただの表層に過ぎなかったんだ。
「双子なのに、なんでもできるマユ。それなのに、何もできない私。だから奪ってやったの。マユのものを、大切なものをぜーんぶ」
「ねえ、さん」
「雄一君、知ってた?マユ、君のことが・・・・・・・・・・・・・・」
「やめろ、姉さん!」
それだけは、言ってほしくはなかった。
私は意地悪く笑う姉に向かって叫ぶ。
「ずぅっと好きだったんだよ」
雄一はショックを受けたように青ざめる。酒の酔いも跳んだように、真っ青に。
ああ、姉さん。いってしまったのですか?
「双子だからすぐわかった。雄一君を見る、マユの目をね。でもね、マユは諦めたんだよ。幼なじみの関係を壊したくなかったから!!」
残念ねえ、と姉さんは笑う。
「もしかしたら、私さえいなかったら、二人は結婚してたかもねええええええ???」
「マホ、て、めぇっ!」
そう言い、雄一がマホ姉さんの首を掴み、壁に叩きつける。
「また殴る?は、ダメ人間が!雄一君、人の子と言えないよねえ?マユが好きだった?は、嗤っちゃう。それなのに、ほかの女に腰を振って・・・・・・・・・・」
「だまれぇ!!」
雄一が姉さんを打つ。
「やめろ!」
「止めるなよ、マユ!」
「そうよ、止めないで、マユ」
唇を斬り、血を流す姉は不敵に笑う。
「ここで全てを終わりにしましょう」
「姉さん、何を・・・・・・・・・・・・・?」
「きっと、こういう日が来るってわかってた。マナカはいつか、あなたを呼ぶ。そして、あなたは駆けつけるって」
あなたはいつだって、正義の味方だから、と姉は笑った。
「終わりにしましょう、みんなで」
「姉さん・・・・・・・・・・・?」
その言葉とともに、姉は胸元から出したライターの火を、床に放り投げた。
「姉さん!」
「マホ!」
「終わりにしましょう、全部。そしてあの世で幸せに暮らしましょう。子供の頃みたいに」
「狂ってやがる・・・・・・・・・・・・・!!」
そう言い、立ち上がり、逃げ出そうとした雄一の腕をつかむと、その胸に姉は何かを指す。
包丁が刺さり、口から血を吐き出した折れる雄一。信じられない、と言う顔で倒れ、ぴくぴくと動く。
彼の口にキスをする姉。私は縛られたようにそこに立ち尽くす。
「さあ、マユ。一緒に死にましょう。そして、一つになりましょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・!!」
狂った目で私を映す姉。そこに、私は「私」を見た。
もしかしたら、私がこうなっていたかもしれない。そんな姿が、そこにはあった。
「マユ」
手を伸ばす姉。
燃え広がる焔が、家を包み込もうとする。
私は姉に手を伸ばし、だが、その手を下ろす。
「できないよ、姉さん」
「どうして?」
わからない、と言う顔で私を見る姉さん。
「マナカがいる」
「マナカも一緒に連れて行くの。きっと、幸せに・・・・・・・・・・・・・」
「夢は終わりだよ、姉さん」
終わらない夢は、ないんだ。
「現実を受け止めるんだ」
「もう遅いわ!マユ、あなたが、あなたが・・・・・・・・・・・・・!!」
そう言い、立ち上がり私に迫ろうとした姉だったが、突如巻き上がった焔が姉の身体を包んだ。
苦しみのたうちまわり、絶叫する姉。
私は、姉を見ていった。
「ごめん、姉さん」
ごめん、雄一。
私が、見捨てなければ、こんなことには。
私は二人を見るが、雄一は事切れていて、姉ももう助かるまい。
私は急いで二階に駆け上がる。
「マナカ!」
「おばさん!」
火に囲まれて、泣きじゃくるマナカ。
私は炎の中に飛び込むと、マナカの下まで走る。
「無事か、マナカ!?」
「うん・・・・・・・・・・・・・」
私はマナカを抱きかかえると、すぐさま下の階に降りる。
皮膚が焼け、髪が燃えても気にしなかった。
この腕の中の命だけは何としても守らなければ、そう思っていたから。
無事に外に出た私とマナカは、静かに燃え盛る家を見る。
「お母さんとお父さんは?」
マナカが泣きながら言う。私は力強く彼女を抱きしめながら無言で炎を見る。
煙が、天に上る。真夜中の空を赤々と染める炎。
その中で燃えていく、私の幼少期のすべてであった姉と初恋の人。
道を誤ってしまった私たち。どうしてこうなってしまったのだろうか?
「姉さん、雄一」
私はただ、燃え盛る火を視て呟いた。
涙が零れた。その涙を、マナカの手が拭う。
まだ、私にはやることがある。
腕の中のマナカを、これから誰が育てるのか。それは私の役目、だろう。
だから。
(ごめん、まだそっちには逝けないよ、姉さん、雄一)
(さようなら)