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夢森の歌  作者: K_yamada
14/16

網谷明子の高いベッド・7

 朝一番から、二人は一昨日説明を受けたばかりの大広間に呼び出された。明子は、結局昨日から見つからないままの猫の事を相当気にしながらも、いつ始まるか分からぬ説明をそわそわと待ち遠しく思っていた。

「こんな集団じゃ、どうしようもないね」

 五十人ぐらい集まった、心の所在がここにない様な目付きの男達を見て、立子はそう漏らした。

「私は覚悟を決めたよ」

「はい。私も同じです」

 明子は頷いた。部屋中の空気が固まっている。それが明子には、程良い緊張感に感じられた。

「さて。説明を始めよう」

 見覚えのないスーツの大男が、前に立って、マイクで話し始めた。明子も立子も、佇まいを直して前を見つめる。

「舞鶴市に上陸を許したものの、我々京都防衛隊はそれ以後甚大な被害を受けぬよう、ここ京都市へ戦力を結集した。敵は脳の小さい虫らしく、我々の誘い込みと知らずに京都市へ何かを試みてきている。ならば、それを打ち倒さねばならない。君達はその為に呼ばれた」

 一つ一つの言葉に、これまで司会をしてきた人々とは違う強い勢いを、明子は感じた。

「出立はすぐだ。訓練は足りていないだろううが、各々のポテンシャルで補ってくれ」

「あんたは、どこにいるんだい」

 少し気勢を上げた集団の中で、立子だけが不服そうな顔をして男を睨んだ。男は肩を竦める。

「ここに残り、作戦指揮を担当する。……言っておくがね。事ここに至れば、前にいても後ろにいても変わらん。君達が生き残らねば我々も死ぬ。我々が生き残った時とは、君達の勝った時なのだ」

 より、集団の熱気はその量を増した。だが立子は、更に食い付いた。

「それでも、あんたらは三日なり四日なり、長生きする訳だ」

「…………」

 男が言葉に詰まるのを見て、立子は満足したように明子の方を見た。明子は、内心まだ昂っていたが、その冷ややかな立子の態度に少し抑えて、

「頑張ります」

 と言った。

「頑張る、か。そうだね、頑張るしかないだろうさ」

 立子は欠伸でもしそうなほど興味なさげに、そう応えた。




 伝えられた作戦は、そう難しくない物だった。敵の数は、ちょうどこちらの戦力三百人に等しいらしく、こちらからは前期招集の戦闘員三百名に今期招集の五十名を加える事で、殲滅を狙う。出来るだけ京都市と北との境界線に誘い込んで、囲い込む作戦だ。

「以上。出発は午後一時になる。それまで、各部屋で待機しているように」

 男は最初の盛り上げ以降は急に事務的になって、淡々と話を終えた。立子が、一番に扉の方へと歩き出す。縋る子供のように、明子はその背中を追った。

「今の作戦、どう思った?」

 立子は、部屋を出てすぐに明子を首だけで振り返って、そう尋ねた。

「勝てそうだと思います」

「だろうねぇ。あんた、だいぶ毒されてるよ」

 こつこつ、と音を立てて、二人は早足で廊下を進んだ。

「どうしてですか?」

「まぁ、だいぶ大きく見積もってると思うけど、こっちの三百人と向こうの戦力が同じだとする」

 立子が、廊下の右についた手すりに手を掛ける。その指が汗で濡れているのを明子は見て見ぬ振りをした。

「じゃあ、こっちが三百人であっちにぶつかったら、どうなる?」

「同じ戦力なら、拮抗するんじゃないでしょうか」

「外れだね。相手が人間ならそうかも知れないが、向こうは理性のない暴れ動物だ。間違いなく、お互い全滅する」

 部屋に到着して、扉を開ける。開けた瞬間に中から、猫が飛び出してきて明子の腕に抱かれた。一体どこに隠れていたのだろうかと明子は訝しく思ったが、すぐに戻ってきた猫の温かさに安心して、深く考えない事にした。

「なるほど。でも、今回は戦力差があります」

「だが、向こうは寄生虫が居るんだ。三百が、気が付いたら四百になってるって事もあるんだよ」

 確かにその通りだと、明子は思った。だが、明子は力強く言い返す。

「なら、皆で頑張って戦えば良いと思います。一人が二人力なら、勝てますよね」

「頑張って戦って、やっと一人力なんだよ。それに、そんなギリギリの戦いじゃ、勝ったってこっちの被害は相当さ」

 部屋へ入って各々の陣地に戻る。時計は正午を少し回ったところだった。出発までもう一時間を切っているのだと、明子は息を呑んだ。

「あんたみたいな子が、一番先に死んじまうよ」

「大丈夫です。きっと勝てます」

 明子は、微笑みながら言った。根拠などなかったが、何となく、そう思えた。

「……ま、これ以上は何も言わないけどね。ルームメイト同士死なないで、少しでも生き残りたいって事さ」

「はい。それは、ぜひ」

 明子は、猫を膝の上に載せて撫でてやりながら、そう言った。猫はとてもリラックスした様子で、明子の指が体をなぞっていくのを、ただただ表情を弛めて感じているようだった。




 午後一時の五分ほど前に、集合の合図に男がやってきて、二人はそれに従って階段を降りた。そのまま、つい一昨日にここへ来る時に使った駐車場へ辿り着くと、そこには七台もの大型バスとたくさんの人が集まっていた。

「一番奥のバスに、詰めて乗って下さい」

 男が指差す。二人は頷いて、高いステップを少し強く踏みしめながら、まだガラガラのバスの奥から二番目の席を見据えてバスへ乗り込んだ。先に乗った立子が窓側へ座り、明子が通路側へと座る。二人とも細身だからか、座席にはそれでもそれなりの余裕があった。

「猫は置いていくのかい?」

 明子の膝上を見やって、立子はそう訊いた。

「はい。危ないですから」

「まあ、それが賢明だろうね。あの猫は賢いんだろう?」

「はい、とても賢いです」

 明子がそう答えた時、バスの中に背の低い動物が駆け込んできた。立子はその姿を捉えて、身をよじる。

「言う通りみたいだね」

「ミャー」

「みゃあみゃあ。……どうしましょうか?」

 猫は、ほんのわずかの間に明子の足に駆け寄り、座席の下で落ち着いて丸くなった。

「これから返す訳にもいかないからねぇ」

「では、連れていきましょう」

「ミャー」

 続いて、さほど屈強ではないものの、がっしりした男達数十人が一気にバスへと乗り込んできて、バスの席はそれでほとんどが埋まった。そこから視線を落とし、改めて座席の背もたれを見た明子は、それがいつか乗った観光バスの質感と似ている事に気付いた。

「我々は第七隊である」

 立子にそれを伝えようとした明子の声は、前に立った細身な男の言葉によって掻き消された。

「しかるに我々は、右翼再右点に展開し、戦闘を行う。各自、これより耳栓とハエ瓶を配るから、失くさぬよう持っているように」

 バスが動き出す。明子は、窓の外の一点を見つめている立子に、

「いよいよですね」

 と声を掛けた。

「いよいよ、ね。いよいよもってこうなっちゃったって感じだけどね」

「ミャー」

 明子の気持ちを代弁するように、猫が立子に向かって鳴いた。




 ハエ瓶、と呼ばれた小さな瓶の中には、活動的に半狂乱で飛び回るハエが二十匹詰まっていた。揺れるバスの中でも外れないようにか、瓶は固く封がされている。その中から、何とも言えないハエの飛行音が微かに響いて、明子は瓶を少し自分から遠ざけた。

「耳栓は重要だ。二種類配るから、自分に合う方を使うように」

 続いて配られた耳栓の用途は、瓶から出した後のハエの飛行音で気が狂わないようにする事だった。既に瓶から聞こえているその音を防ぐ為に、明子は早くも左耳の方に耳栓をはめた。

 さあ、心の準備をしよう。大体の説明が終わって、明子がそう思った直後、バスは急停止した。続いて、エンジン音が止まる。

「着いたね」

 まだ窓から遠くを眺めていた立子が、そう呟いて景色を指差した。目を細めて明子はその辺りを眺め、そしてそこに、地を覆う熊や猿、人間の大群がまるで蜂の巣のようにひしめいて、迫っているのを認めた。

「降りるよ。早くしてくれ」

 呆然として動かない明子に、立子は少し声を強くしてそう言った。座席が、揺らぐ。明子は、急に世界が現実味を失ったように感じた。足下で鳴く猫はだが、明子より先にバスの通路へと飛び出していく。明子はそれを追わないといけなくなって、無理にバスの通路へと出た。

 懸命に、猫の姿を追っていく。段差を二つ駆け下りると、そこはアスファルトが敷かれた地面だった。後ろからすぐに、見慣れない帽子を被った立子が降りてくる。明子は掛けようとした声が引っ掛かって、初めて自分の鼓動が数段早くなっているのに気付いた。

「耳栓を、付けるように」

 立子が既に耳栓をしているのを見て、明子も右耳に耳栓をした。その性能は中々のようで、外界の全ての音がシャットアウトされ、明子は尚の事自分の息の荒いのに気付かされた。ジェスチャーで伝えられた瓶を開けるようにとの命令に従い、明子は固く栓のされた瓶を、力任せに開いた。

「"stop"」

 開けると、すぐに中のハエ達が外へ飛び出てきて、どこかへと飛翔しようとする。明子は何度か命令を繰り返し、ハエを自分の肩へと止まらせた。

 指示に従って、百メートルほど歩く。無音の中で、夢見心地の明子は、その間瞬きもせず、すぐ前で猛進してくる敵の動物を見つめていた。

 動物は、怒り猛っているというよりむしろ、悶え苦しんでいるように明子には見えた。

「"fly and go"」

 だが、思索に耽っている暇は、残されていなかった。明子は、ハエを走り来る動物へと飛ばした。突然襲来した凶暴なハエ達に、動物達の勢いは止まった。止まって、何匹かは倒れた。しかしそこで、動物達はまた動き出した。

「"go, go, go"」

 そこからは、もういくら命令しても、動物達がスピードを上げるのを止める事は出来なかった。明子は振り返って、この場から逃げようと走った。

「う……あっ」

 そして、足をもつらせて、転んだ。すぐに立ち上がろうとする左足に、何かの鋭い爪が、ぐさりと突き刺さったのを明子は感じた。

 目の前が真っ赤に染まった。続いて右足にも、同じ様な痛みが走る。明子は呻いて、痛みを押して左足でその何かを蹴った。それが何だったのかを確認しないまま、明子は這いずるようにして前進を試みた。

 駆け寄る立子の姿が、赤い明子の視界の中に映った。手を伸ばす。その時、明子は背中に、さっきの二つとは比べ物にならない強い痛みを感じて、視界は赤から黒へと変わった。




 立子は、駆けていた。まともな戦闘にすらならないまま部隊は散り散りになってしまった。その中で、明子の姿を見つけたのだった。

 一人で逃げれば良い。少しはそう思ったが、明子は心の命じるがままに明子に駆け寄って手を差し出した。明子も手を伸ばしていた。だが、その手と手が繋がるより先に、明子の手が地に着いた。

「"go"」

 熊だった。立子は、温存していたハエを一気に突進させた。熊はすぐにそれに気付いて、ハエを叩き潰そうと踊るように暴れた。

「"go"」

 近付いて、ハエを鼓舞する。その瞬間、熊が立子の方へとよろめいてきて、その爪が立子の腹を抉った。熊はそのまま絶命したが、そのすぐ隣に明子は倒れこんだ。

 仇は討った、と立子は思った。だが、与えられた使命は果たせなかった。しかし、仕方がない。目を閉じようとする立子の前に、ハエに襲われて乱舞している猫が現れた。

「"stop and come"」

 救ってやるか、と立子はハエを自分の方へと引き返させた。猫は、感謝するように立子の傷口を舐めた。そして立子は、思いついた。

「あんたなら、いけるかもね」

 立子は帽子から、一枚のメモリーカードを抜き取った。それをそのまま猫にくわえさせると、戻るように言った。猫はまるで全ての言葉を理解したかのように、それだけで走り出した。

 ……。立子は、目を閉じた。

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