白い獣は神を見ない
白い獣は、動かなかった。
レイも動けない。
武器はない。魔法は当てにならない。
だから身体だけで距離を測る。
呼吸を落とし、重心を下げる。
跳ぶならどちらか。逃げるなら、どちらだ。
数秒。
空気だけが硬い。
獣が首を傾げた。
考えている――そう見えた。
レイは耳のイヤリングに触れる。
冷たい。だが、ここへ来てから、わずかに熱を帯びる気がしていた。
獣の視線が、そこに落ちる。
――俺じゃない。これか。
次の瞬間、獣は背を向けた。
逃げでも威嚇でもない。
ただ、奥へ歩き出す。
案内?
都合が良すぎる。
それでも、戻る場所はない。
レイは追った。
施設の奥は、静かすぎた。
モンスターの気配がない。
腐臭もない。
生き物が住むには、整いすぎている。
獣は扉の前で止まり、半歩だけ退いた。
許可を出すように。
近づいた瞬間、低い唸り。
威嚇ではない。注意だ。
扉の隙間から、冷たい空気が流れる。
壊れた器具、読めない記号。
“研究”の匂いだけが残っている。
イヤリングが、かすかに熱を持つ。
呼応している――そんな気がした。
「……ずっと、ここにいたのか」
返事はない。
獣は瞬きを一つした。
レイは名を付けた。
「……シロ」
白い獣は、もう一度瞬きをした。
肯定にも否定にも見える曖昧さ。
それでいい。
魔法が使えない。
だが、それだけじゃない。
使おうとする気持ちそのものが、
この場所では浮いている気がした。
空気は静かで、張りつめてもいない。
世界が、何も求めてこない。
父の言葉が、遅れて重なる。
――神が要らなかった場所だ。
理解したわけじゃない。
ただ、否定できなかった。
そしてシロは、
その中心にいる。




