優しい神の、もう一つの顔
神は、救う。
――そう信じられる場所は、幸福だ。
だからこそ、その正しさが別の顔を持つことに、誰も気づかない。
辺境の町は、今日も“普通”だった。
中央から切り離されたこの土地では、
正しさも救いも、少し遅れて届く。
痩せた畑、欠けた石畳。それでも人は暮らし、神の話題は酒場の笑い話になる。
広場では教会が施療をしている。
白い装束の神官が祈ると、淡い光が落ち、怪我人が安堵の息を吐いた。
レイは少し離れてそれを見ていた。
羨ましいわけではない。ただ胸がざわつく。
この町では、魔法は安定しない。
辺境だからだ、と皆は言う。
レイにとってはもっと単純だった。――自分は、ほとんど使えない。
だから身体を鍛えた。
使えないものに頼らず生きるしかなかっただけだ。
「見てる場合か」
背後から父の声。
父は教会に近づかない。理由は語らない。
左耳には古いイヤリング。レイの耳にも、同じ形のものがある。
――外すな。
それだけは、強く言われていた。
「帰るぞ」
父は広場を見なかった。
神官の笑顔ではなく、その向こうの、誰も見ない場所を警戒するように。
夜。
鐘は鳴らず、規則正しい足音が来た。祈りの気配がない。
扉が開く。白い装束の集団。昼と同じ白なのに、空気が違う
「教義執行。確認と処置を行う」
父が前に出た。
「帰れ」
「命令ではない。処置だ」
光が走る。
昼の施療と同じはずなのに、重い。押し付けてくる。
床に落ちたものが血だと気づくのが遅れた。
赤ではなく、歪んだ光を帯びていたからだ。
その瞬間、レイの頭に鋭い痛みが走る。
耳のイヤリングが微かに熱を持ち、世界の音が遠のいた。
父のイヤリングも、同じように淡く光っている。
白装束の一人がレイを見る。
「反応がある……記録にないな」
意味は分からない。だが致命的だと本能が理解した。
父が振り返る。
「外すな」
それだけを言って、父の身体が崩れた。
倒れたのではない。――止められた。
レイの身体が勝手に動く。距離を測り、重心を落とす。
だが父に手を伸ばした瞬間、何をすればいいのか分からなくなった。
答えがない。
世界が、答えを返さない。
そのとき、部屋の隅に少女が立っていた。
誰も見ていない。レイだけが見た。
少女は小さく笑う。
「……やっぱり。見えるんだ。あなたには」
次の瞬間、光が乱れ、すぐに整え直される。
夜明け。
工房は残っていた。壊れた扉も床の傷も。
――父だけが、いなかった。
町の誰も、父の名を知らなかった。
初めまして。羊野 羊と申します。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この物語は、
神がいて、魔法があって、
正しさが用意されている世界で、
それでも「選ばなかった」人たちの話です。
次話から、レイは父の遺したものを辿ります。
神が要らなかった場所へ。
よろしければ、もう少しお付き合いください。




