おバカ貴族とミャーザー
2025/11/26 大幅修正
弟ザラとの邂逅は、カサルの完璧な世界に決定的な亀裂を生じさせた。
あのくすんだ瞳が放った「なんで毎日お肉を食べれるの?」という一刺しは、彼の知性と合理性では到底説明し得ない、感情という名の不可視領域を突きつけたのだ。
それは、彼がそれまで積み上げてきた膨大な知識のすべてが、たった一行の現実の問いの前で無力であると告げる、静かなる破綻であった。
(知らねばならない。……なぜ、この家という機構は、優秀な部品を磨くために、隣にある部品を錆びつかせるような不条理な運用を良しとするのか。……そもそも、『人間』という個体の定義は何だ?)
書斎に並ぶ心理学、社会学、倫理学。彼はそれらを飢えた獣のように貪ったが、紙に記された情報はあまりに無機質で、答えには程遠かった。
そうしてヴェズィラーザム子爵家の門を潜り現れたのが、カサルの要望によって招かれた男──ミャーザーだった。
──その男は、見た目も悪ければ、態度も最悪だった。
灰色の髪は泥にまみれて収拾がつかず、片目は白濁して視力を失い、つぎはぎだらけの布切れを纏って足元は裸足。日中だというのに古びた酒瓶を常に手放さず、指先は微かに震えている。
周囲には安酒と脂汗、そして野犬のような獣臭が漂い、カサルの神経質な鼻腔を暴力的に刺激した。
「……貴様が、この国で最も真理に近いと言われる哲学者か。随分と、手入れの行き届いていない個体だな」
初めて対面したカサルは、隠そうともせずに嫌悪の視線を向けた。
ミャーザーは酒瓶を傾け、喉から砂利を擦るような笑い声を漏らす。
「クッカッカ……手入れ、だと? ガキのくせに人間を道具扱いか。……お前さんのような『温室育ち』が俺を呼んだとはな。で、何が知りたいんだ? 神童さんよぉ」
カサルはこれまでに観測した事実と、それによって生じた理論の矛盾を、淡々と事象として伝えた。
七歳のカサルがしたかったのは、この歪な状況に対する客観的な立ち位置の確認。己の違和感に、他者がどのような「解」を下すのか。
それも、なるべく自分に近い視座を持つ「狂人」の言葉で知りたかった。
「人間とは何か、です。……なぜ、同じ親から製造された二つの個体に、これほど不平等な資源が分配される。なぜ、人は『愛』という不確定な要素のために、全体の効率を損なう判断を下す?」
カサルの純粋な問いを肴に、ミャーザーは酒を煽り、吐き捨てるように言った。
「ばぁかめ。人間が理屈で動く生き物だと思っているなら、お前のその賢い頭を今すぐ叩き割って、ゴミ箱に捨てちまえ。家族がお前を愛しているだと? ぬかせ」
ミャーザーはカサルの至近距離まで顔を近づけ、濁った眼光で彼を射抜く。
「人間はな、本質的に『死体』なんだよ。愛なんてもんは原材料には入ってねぇ。入ってんのは平等に糞尿だけだ」
「……死体?」
「ああ。動いて、喋って、飯を食うが、どいつもこいつも『自分』とかいう妄想に寄生されているだけの肉の塊だ。……人間ってのは他者を踏み台にしてでも、自分という種を残し、価値を証明したいという『欲望』に突き動かされている肉塊に過ぎんのさ。お前の問いなんて、その一点で説明がつく」
ミャーザーはカサルの金髪を無造作に鷲掴み、冷たく囁いた。
「お前の親が弟から資源を奪い、お前に与えるのは、お前を愛しているからじゃない。……『神童の親』という、自分たちを飾るための看板が欲しいからだ。奴らにとって弟は、その看板を磨くための……まぁ、使い古しの雑巾といったところか」
ミャーザーの嘲笑を聞き流しながら、カサルは脳内で、複雑なパズルを組み上げていく。
愛、慈悲、伝統。
それらの美しい言葉はすべて、人間の不合理な生存本能を隠すための、安っぽいメッキだったのだと理解する。
不意に全身を襲った震えと吐き気が、猛烈な拒絶反応だと自覚した瞬間、カサルはそのこみ上げてくる不快感を無理やり飲み込んだ。ここで不用意に「自身の資源」を吐き出すことが、いかに非効率な行為か、カサルに分からないわけではなかったからだ。
「どうした、怒れよ。泣いたって良いんだぜ。子供にはその権利がある。クッカッカッカッ」
カサルは仏頂面で腕を組んだまま、静かに反論した。
「そんな必要はない。前提として、怒りは不条理に対する抵抗が外側に向けて発露される激情であり、悲しみはその抵抗が内側に向けられ、自身を摩耗させる働きでしかない。僕は今の状況を不条理とは思っていないし、解決できない不具合だとも思っていない。だってそうでしょ、問題があって解法を探す。いつもやってることだ」
「淡々と修繕すれば良いってか。カカッ……創造主に裏切られたにしては、随分と達観してやがる。お前、本当に七歳か?」
「僕は天才だから」
カサルの言葉に、ミャーザーは彼の心の奥底に打ち込まれた楔を見た。
「希望」や「期待」という名の呪い。それを過剰に摂取させられ、歪な形を強いられた個体。
ミャーザーにとってのカサルは、古びた鏡を見せられているような気分にさせられる、そんな少年だった。
「そうか……」
ミャーザーはそんな欠陥品を眺め、やりきれなさを流し込むように酒を煽った。
「で、どうすんだ。お前の家は清貧と言えば聞こえがいいが、実態は底を突いた貧乏だろ。俺を雇う金は国から毟り取れても、お前さんの食費となりゃ別だ。まさかヴェズィラーザムの跡取りが食うに困っているなんて、世間様に言えるわけもねえだろうしな」
ミャーザーは邸の惨状を眺め、カサルを試すように問う。
広大なだけで農耕に適さない粘土質の土地。やることと言えば、領民全員が神に祈るだけの「詰んだ」領地。
しかしカサルの瞳に、投了の気配はなかった。
「……この不協和音を止める方法は一つしかない」
「ほう? 言ってみろ」
「機構にとって、我が『価値のない出来損ない』になればいい。看板としての機能を喪失すれば、執着という名の投資は止まり、資源は再び正常に分配されるはずだ。違いますか」
カサルが淡々と述べる「自己廃棄」の論理を聴き、ミャーザーは驚愕に目を見開き──やがて、狂ったように笑い出した。これまで数多の汚物を見てきた彼ですら、これほど美しく、狂った理屈を振りかざす子供は見たことがなかった。
「クッカッカッカ!! 傑作だ! まさか七歳のガキが、自ら『廃棄』を選ぶとはな」
「………」
「……だが、教えてやる。ソイツはなんの解決にもなってねえ。それでも実行するってのか」
「流れる水の向きを変えるんです。父上と母上の浅ましさを、僕は理解した。彼らも完璧でないのなら、そして僕より優れていないというのなら……操ることだってできるはずだ。天才である僕なら、それができる」
確たる自信はない言葉が彼の強がりから漏れ出る。
天才と自分を鼓舞するその言葉は、もはや自分に掛ける呪いのようであった。
七歳という年齢で両親を信じられなくなり、社会構造そのものに疑問を持ったカサル。今まで流れに身を任せるままだった少年が、ついにその奔流に逆らうように泳ぎ始めたのだ。
先人として、この稚魚を見す見す見殺しにするのは後味が悪い。ミャーザーはそんな己惚れ屋の悲劇の少年に、餞別として、自分がこれまでに培った技術と知識のすべてを与えることにした。
「いいぜ坊主、気に入った。お前に『死神の効率学』ってやつを叩き込んでやる」
この日を境に、ミャーザーの「授業」はカサルの探求心を、より昏い深淵へと導いていった。
心の構造。善意の脆さ。そして、法という不完全な縛りを潜り抜けるための、悪知恵。この世全てが悪から生まれたと証明する男の講義が始まった。
(知りたい……。この世界を、もっと完璧で美しい、誰にも邪魔されない『静かな場所』にするための計算式を)
同時にカサルはミャーザーを唯一の「理解者」と定め、世界を欺くための設計を開始する。
神童という高品質な部品から、誰もが視線を逸らす『バカ』という不可侵領域へ。
そのための「事件」を、カサルは組み上げ始めたのだった。
(勝算は弾き出した。……あとは、最高の舞台を用意するだけだ)
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