おバカ貴族とパクス・マリエガーナ
王都シラクーザの目抜き通りは、もはや一つの「巨大な回路」のように整列されていた。
新王レビス・アークライトの即位を祝うパレード。本来なら道端に溢れるはずの雑多な喧騒も、油の跳ねる屋台の匂いも、迷子を呼ぶ親の声も、そこには一切存在しない。
石畳は鏡のように磨き上げられ、新王の威光を冷たく反射している。吹き抜ける風が運ぶのは春の予感ではなく、鼻の奥を刺すような強い消毒液と薬品の無機質な臭いだけ。
鳴り響くのは、メトロノームのように正確な近衛兵の足音と、一定のテンポで鼓動を刻み続ける魔導太鼓の重低音のみ。沿道を埋め尽くす数万の民は瞬き一つ、呼吸一つ乱さず、まるで精密な時計仕掛けの一部となったかのように規則正しく旗を振り続けていた。
その顔には選定者の魔法『認知』によって深く彫り込まれた、幸福という名の「能面のような微笑」が張り付いている。
「……カサル君。君の彼女は、随分と『働き者』だったみたいだね」
黄金の馬車の上。レビスは己に向けられる数万の「盲信」という名の虚無的な視線に耐えかね、喉を鳴らして引きつった笑みを漏らした。被せられた王冠の重みよりも民衆の瞳に宿る空虚な熱狂が彼の精神を毒のようにじわじわと蝕んでいく。
「王にもなって嫌味を言うな。だいたい半分はマリエの暴走、もう半分は選定者の魔法だろう。どいつもこいつも機能美をはき違えている奴らばかりで頭痛がしてくる」
馬車の隣を歩くカサルは黒いドレスの裾を汚れなき石畳に揺らし、冷徹な瞳で変わり果てたシラクーザの様子を見ていた。隣を歩くシェリングはあまりの異様さに火をつけようとしたタバコを指で折り、オーモンドは何度も込み上げる胃液をハンカチで押さえている。
「……なぁ、若旦那。……アンタ、これを見て本気で『美しい』なんて言うんじゃねえだろうな?」
シェリングが顎で指し示したのは沿道で旗を振る一人の労働者だった。
男の足元には空になった『マリポン』の瓶が転がり、その破片が陽光を浴びてキラリと光る。男の額からは汗一つ流れず、瞳孔は薬物と魔法によって大きく開いたまま。
彼は「新王陛下、万歳」という定型文を、壊れた蓄音機のように無表情に唱え続けていた。
「……完璧な機能美だ。ゴミ一つない道路、遅延のないパレード、そして不平を言わぬ民。我がかつて、不労の夢を実現するための『過程』として想定し……そして『持続性無し』として切り捨てたはずの世界だ」
カサルの声は冷たくどこか震えていた。彼は知っている。この完璧な秩序が、刹那的なものであると同時に、何らかの巨大な「排除」の上に成り立つ砂上の楼閣であることを。
やがて、カサルの脳内演算が、風景の中に致命的な違和感を見つけ出す。
「……シェリング。気づいたか?」
「ああ。……『老人』と『子供』がいねえ。それも、影一人すら残さずにな」
カサルは再び群衆を見渡した。そこにいるのは、労働効率の良さそうな、筋力の優れた若者や壮年ばかり。パレードの華であるはずの子供も、この国の歴史を語る老人も、まるで最初から存在しなかったかのように王都から抹消されていたのだ。
「オーモンド。……お前の記録にある『行方不明者リスト』、今すぐ出せ」
「は、はい! ……ええと、ここ数ヶ月で王都からの転出届が異常な数になっています。理由はすべて同一。――『ヴェズィラーザム領の保養施設へ向かう』と記されています」
カサルの背筋を氷のような汗が伝った。かつてマリエが無邪気に笑って告げた「選別」が現実となって彼の領地へと牙を剥いている。
「保養施設……だと?どこだそこは」
「猊下が聖塔に入られてから建てられた施設のようです」
「……式が終わり次第案内しろオーモンド。我が作ってしまった地獄へ」
◇
一行が辿り着いたのは、ヴェズィラーザム領の最北端、切り立った岩山の断崖だった。
かつては鳥すら寄り付かなかった不毛の頂に、それは「虹色の霧」に包まれて浮かんでいた。
『ヴェズィラーザム・更生リゾート』
天を突く白亜の壁からは美しい讃美歌が鉱物ラジオを通して降り注ぎ、豪奢な門には色鮮やかな魔法の花々が咲き乱れている。だがカサルが風の魔法でその「偽りの化粧」を吹き飛ばした先、現れたのは文明が自らを磨り潰すようなおぞましい光景だった。
「……っ!?」
オーモンドが絶句し、その場に膝をつく。
そこでは数千人の「行方不明者」たちが鎖に繋がれたまま、超高速で回転する生産ラインの歯車となっていた。
腰の曲がった老人も、まだ幼い子供も、街で小銭を乞うていた浮浪者も、犯罪者でさえも。彼らの足元には、かつてカサルが善意と効率のために発明した『風の靴』がボルトで半永久的に固定され、魔法の磁場で無理やり体を直立させられている。靴から発せられる「キィィィィィン」という高周波の唸りが、眠ることさえ許されない彼らの脳を絶え間なく蹂躙している。
まるで全て同じく『罪人』だとでも言うように。
「お祈りの時間でーす。一秒遅れたら、猊下への『罪』が増えちゃうぞー」
上空からひらりと舞い降りてきたのは、空の配達人の少女たちだった。
かつて研究所で震えていた彼女たちの瞳には、いまや慈悲の欠片もない。あるのは、マリエを絶対の神として崇める、狂信的なまでの陶酔だけだ。
彼女たちが魔法を帯びた鞭を振るうたび、老いた労働者たちは恍惚とした悲鳴を上げ、血を流しながらも『マリポン』を喉の奥へ流し込み、笑顔で作業を再開する。
その血に染まった指先で作られているのは――カサルが「世界を繋ぐ」と信じていた、あの青いコンテナの鋼鉄パーツだった。
「あー、カサルちゃん。見に来てくれたんだ」
工場を見て回っていると背後から、半年前にいつも隣で聴いていた、温かく甘い声が響いた。
振り返ると、そこには独房の看守のような服に身を包み、漆黒の悪魔の翼を悠然と広げたマリエが立っていた。彼女の腕の中には、煤けて汚れた『カサルちゃん人形』が、まるで愛しい乳飲み子であるかのように大切に抱かれている。
「綺麗でしょう? あなたが作った『コンテナ』を、一番効率よく作るためのシステムだよ。……もう、誰も怠けない。誰も、あなたの足を引っ張らない。……これが、私の作った『マリエによる平和』だよ」
「……『マリエによる平和』、だと?」
マリエの微笑みは、深く、一点の曇りもなく澄み切っていた。
カサルは自らが口にし続けてきた「機能美」という言葉が、この少女の手によって「人間性の剥奪」へと書き換えられてしまった現実に、喉の奥が焼けるような戦慄を覚えた。
機械とは人のために存在するものであって、人が機械の一部になってはならない。
カサルが守りたかった最低限の「品格」が、マリエの暴走によって、最も効率的で最もおぞましい形で踏みにじられていた。
「……マリエ。お前、正気か?」
「正気だよ。……だって、カサルちゃん。……『働いたら負け』なんでしょう?」
マリエがカサルの頬にそっと指を滑らせる。
その指先からは、洗い流しきれなかった鉄の錆びと濃厚な血の臭いがした。
「でもそれって、誰かが働かなきゃ成立しないでしょ? 私は、カサルちゃんにだけは、絶対に働いてほしくないの。……だったら、他の人に働いてもらうしかないじゃない」
カサルは言葉を失った。
彼の合理主義をずっと隣で聴いていたのに、まるで理解していなかった彼女にカサルは絶望した。
「レビス陛下より王命だ。……マリエ・リーベ。その指先を少年から離せ。お前を『国家反逆罪』および『魔法の無断使用』の容疑で逮捕する」
静寂を切り裂き、シェリングが黄金の封蝋が押された王命のスクロールを突きつけた。
その場に、冷徹な法の響きが落ちる。
マリエは、逮捕を告げられてなお、楽しそうにクスクスと笑い続けていた。
次回:マリエ逮捕
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それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




