おバカ貴族と聖塔の脱出
聖塔の石扉が閉ざされてから、ちょうど半年。
『二鍵の聖選』は、もはや神聖な儀式ではなく、二百名を超える特権階級による「終わらないバカンス」へと変質していた。
「……結果ヲ、告ゲマス」
選定者の無機質な声が、豪華な議場に響く。天秤の皿は、今日もまた、誰一人として過半数に届かないまま小刻みに揺れていた。
「レビス公爵:四二票。ヴォルグ公爵:四一票。メディッチ侯爵:四三票。リード侯爵:四五票。バルカ侯爵:四五票。……過半数ニ達シタ者ハ、オリマセン」
「「「「「あああああああ…………」」」」」
議場を包んだのは落胆……ではなく、深い安らぎの声だった。
カサルは震える手で、手元の最高級クリスタルグラスを握りつぶしそうになった。
(……もはやこれ以上の戯れは看過できんな。知性が腐る音が聞こえるようだ)
カサルの視界の端では、一人の枢機卿が、何処からかデリバリーされてきた『ギルド・マリエ製・大トロ寿司』を頬張りながら、隣の貴族と談合をしていた。
「……おい、今日の鍵は誰だ?」「リード侯爵にしておいた。お前は?」「バルカだ。よし、これで明日も『未決定』だな。いやぁ、不作の領地で借金取りに追われるより、ここでゴシップを読んでる方がよほど救済だぜ」
そう、塔内の二百十六名は、全員が気づいてしまったのだ。
王が決まらない限り、自分たちは外界の責任から解放され、マリエ経済圏が提供する「究極の不労所得」を享受し続けられる。彼らにとって、この塔は聖域ではなく、心地よい泥沼だった。
「……おい。ヴェズィラーザム」
低く、煮えくり返るような声。振り返ると、ヴォルグ公爵がいた。
彼の周囲の空気は、怒りの『核融合』によって陽炎を通り越し、青白いプラズマを放っている。装飾品の金細工が、彼の熱量でじわじわと溶け始めていた。
「……ヴォルグ卿。卿も、同じ気持ちか?」
「ああ。……私はこの半年、一日の睡眠時間を四時間に削り、密談と策謀を重ねてきた。だが、無駄だった」
ヴォルグは、談合を続ける豚のような貴族たちを指差した。
「彼らの頭には、もはや『国家の未来』など存在しない。あるのは明日の献立と次のレクリエーションは何にするかという私欲だけだ。……この塔は知性を腐らせる養豚場。このままでは私の脳まで肥え太り、家畜に成り下がってしまうだろう」
「同感だ。……皮肉なことに、我の腕は完治どころか、有り余るエネルギーの行き場に困っている」
カサルは右腕の包帯を乱暴にむしり取った。そこには半年前の傷跡など微塵もない、白磁のように滑らかで、それでいて爆発的な魔力を内包した強靭な腕が再生していた。半年間の強制休養は、カサルに「暴力的なまでの全快」を与えてしまったのだ。
「ヴォルグ卿。……和解をしよう。和解などという言葉、我も卿も、もっとも嫌う言葉だがな」
「……何だと?」
「一分一秒でも早く、この不毛なバカンスを終わらせる。……レビス卿を王に、そして卿を『全権宰相』に据える。卿が実務の全てを掌握し、我は教会の椅子で胡坐をかく。それで手打ちだ」
ヴォルグ公爵は漆黒の瞳でカサルを睨み、一瞬の沈黙の後、吐き捨てるように笑った。
「……不本意だが、このまま豚になるよりはマシという話だな。貴様の描く『不労の王朝』など、荒唐無稽な空論だという考えは今も変わらないが……同じ国の未来を憂う者という立場は同じだと、考えても良いだろうか」
「ココにいる奴らよりかは、国のことを考えている。それは我達の半年間が証明しているだろ」
その話がすんなり通るぐらいには、彼らにとって、この半年間は長すぎた。
学年が一つ上がるぐらいの長い時の中を常に食事をしたり、遊んだりしていれば、相手のことも多少なりとも知ることができるというものだ。
そしてついに今日、絶対に分かり合えないと思っていたヴォルグとカサルが和解し、手を取り合うことも出来るようになっていた。
「仮にもし、見劣りのするような玉座であればすぐに簒奪することは承知しておいてくれ」
「我たちの王様はそこのところ、上手く立ち回れる人だ。今もほら、我達の会話に口を挟まずに頷いてるだけだろ。ああいう人だからな」
「相も変わらず傀儡か。まあいい、私が上手く動かしてやる」
天才と怪物の、鋼鉄の握手。その瞬間、議場の空気が物理的な重圧で凍りついた。
「おい、選定者。……今すぐ『最終投票』を始めるぞ。不服のあるヤツは……今ここで我の風で塵にするか、ヴォルグの熱で分子レベルに分解する。……どちらが『効率的』か、その鈍い脳みそで選べ」
本来であれば最終投票など決める立場にもないし、選定者もそれを受け入れる道理はない。
だが───。
「承知シマシタ」
一週間で終わるはずの儀式に半年間も居座られた挙句、日々人間たちの我儘に付き合わされてきた機械人形もまた、機能の限界を迎えていた。アレはわずかに、潤滑油が焼けるような音を立てて頷いたのだ。
二人の化け物が放つ圧倒的な殺圧に、貴族たちが悲鳴を上げ、ガタガタと震えながら鍵を差し込んでいく。数分後。二百十六票のすべてがレビス・アークライトの名に集まり、天秤が初めて真っ二つに振り切れた。
「……ハァ……新タナ時代ノ王ガ選定サレマシタ。コレヨリ、『認知』ヲ開始シマス」
選定者が空中に浮遊した。胸元の一等核が、視神経を灼くほどの白銀の光を放つ。それは塔を透過し、王都全域の「意識の深層」へと波及していく。
「うわ……ああああ……」
議場の全員が、抗えぬ全能感と服従心に包まれる。過去のしがらみ、疑惑、個人の意志――すべてを「レビスこそが絶対の王」という一点へ強制的に書き換える、暴力的なまでの『真実の再定義』。
光が収まったとき、半年間閉ざされていた聖塔の扉が、不気味なほど軽やかに開き始めた。
「……さあ、行くぞ。陛下を外界へお連れしろ」
カサルはドレスを翻し、眩しすぎる外界の光の中へと足を踏み出す。半年ぶりに吸い込むシラクーザの空気。だが――カサルは鼻をつく「異臭」に顔をしかめた。
それは汚染の臭いではない。あまりに強い、洗剤と消毒液の無機質な臭いだ。
「……なんだ、これ?」
カサルの足が止まった。
目の前に広がっていたのは、彼が知る混沌とした王都ではなかった。
ゴミ一つ落ちていない、鏡のように磨き上げられた石畳。
霧の晴れたシラクーザだった。
人々は一切の雑談をせず、等間隔の距離を保ち、軍隊のような正確な足取りで歩いている。
コンテナを運ぶ労働者たちは、一様にギルド・マリエが配布した秘薬『マリポン』を口にし、救われた信者のように白濁とした目で、しかし機械のごとき精密さで働き続けていた。
空を見上げれば、雲を埋め尽くさんばかりの漆黒の航空船団。掲げられた『ギルド・マリエ』の旗印が、勝利者の紋章としてシラクーザを支配していた。
「お帰りなさい、カサルちゃん」
塔の入り口。
天使のような微笑みを浮かべて立っていたマリエを見て、カサルは背筋に、龍災の時以上の戦慄を覚えた。
「……マリエ。お前……何をした?」
『悪魔』のスクロールを周囲に漂わせる彼女は、もはや可愛らしい少女ではない。世界というシステムを書き換えた、真の魔女そのものだった。
「カサルちゃんが言った通り、世界を『効率的』にしただけだよ。……ねえ見て? みんな、陛下のために働きたくて堪らないんだって」
半年間の休暇の代償。
カサルが手に入れたのは、自らの理論を「独占欲」という狂気で煮詰めた、完成された絶望的な理想郷だった。
リアクションされると喜びます。
それではまた、次のお話でお会いしましょう。(´・ω・)ノシ




